アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(400)細⾕博「太宰治」(その1)

おそらく現在でも絶版・品切れにはなっていないと思うが、昔からちくま⽂庫で「夏⽬漱石全集」全⼗巻(1994年)と「芥川⿓之介全集」全⼋巻(1994年)と「太宰治全集」全⼗巻(1994年)が出ていて、私は⼀時期この三⼈の⽂庫全集を書棚に⼤事において毎⽇、楽しみに何度も読み返していた。他の無数の作家の作品に無闇に⼿を出さなくても、とりあえずはこの三⼈の全集を繰り返し読むだけで当⾯の読書⽣活にて読む本に弾切れなく、充実して⽇々快適に過ごせるのであった。

私の中での「近代⽇本⽂学史」は、まず「明治─⼤正─昭和」の三時代区分を⼤きく設定しておいて、これに「明治は漱⽯、⼤正は芥川、昭和は太宰」の定番王道の太い幹(みき)を打ち⽴てる。「夏⽬漱⽯─芥川⿓之介─太宰治」のラインが定番の基本である。この三⼈は誰のどの作品を読んでも、あからさまな失敗の破綻作がほとんどなく、安⼼して読んで楽しめる。もはや番狂わせがない負け知らずの横綱相撲の貫禄である。それぞれの同時代の明治、⼤正、昭和の枝葉の末端の各⽂学者のそれと読み⽐べて、漱⽯も芥川も太宰も作品の出来映えは圧巻であり圧勝である(と私は思う)。

あいにく芥川に関しては全集を三回くらい読み返した時点で底が⾒えて脱落したが、漱⽯と太宰の全集は軽く五、六回以上、今でも繰り返し読んでなかなか飽きることがない。特に太宰治は好きである。太宰はすぐに読了できる短編がほとんどなので(太宰治は⻑編⼩説と全くのフィクションの完全創作話が書けない、ある意味、不思議な⼩説家であった。だから太宰の作品はだいたい短編で、しかも⾃⾝の過去の回想話、家族か親族か友⼈らとの交流話、他⼈の⼿紙か⽇記のモチーフ寄⽣か古典話の本歌取りパロディがほとんどだ)、毎⽇、出がけに⾃室の書棚から、ちくま⽂庫の太宰治全集の任意の⼀冊を取って鞄(かばん)に⼊れ出かける。出先の移動中、⾷事の前後、空き時間に太宰の短編をこまごま読むのが⽇々のささやかな楽しみである。

太宰治の作品で今頭に浮かぶ好きな⼩説といえば、「⻩⾦⾵景」(1939年)や「畜⽝談」(1939年)や「⼥の決闘」(1940年)や「鉄⾯⽪(てつめんぴ)」(1943年)や「右⼤⾂実朝」(1943年)や「津軽」(1944年)や「惜別」(1945年)や「お伽草⼦」(1945年)や「パンドラの匣」(1945年)や「庭」(1946年)あたりになろうか。いや、私が好きな太宰の⼩説はもっとたくさんあるし、もっとたくさん⾔える。

太宰治は近代⽇本⽂学の⽂学者として優れており、同時代やこれまでの先⼈の⽂学者と⽐べて頭⼀つか⼆つ抜けているに相違ないと思うし、「太宰⽂学の何のどこが良いか」⾔おうと思えば、おそらく⾔える。岩波新書の⾚、細⾕博「太宰治」(1998年)のように。例えば、太宰⽂学の特徴は「軽み」であり「上⼿いキャッチ・コピー」であり「語りの巧さ」であって、「美談の造形」であり「あそび」であり「⾃虐」であるなどと云々。

事実、太宰治全集を初読の親しみ始めの私が若い時分には、奥野健男や⻑部⽇出雄ら太宰⽂学に関する⽂芸批評を併読しながら太宰の諸作品を厳密に分析的に「テキスト読み」していた。特に猪瀬直樹「ピカレスク・太宰治伝」(2000年)は、これまでの太宰治研究の批判的乗り越えを猪瀬が⽬指した太宰評伝の野⼼作であり、今読み返してもなかなか⾯⽩い。

だが、太宰治全集を⻑期に渡り五、六回繰り返し何度もまんべんなく⽇常的に愛読していると、そうした太宰⽂学の意義とか創作理論の⼩難しい⽂芸批評の話は正直、どうでもよくなってしまう(笑)。ただ読んで⾯⽩い。爽快(そうかい)である。スカッとする。共感できる。ホロリとする。毎度読んで安⼼して落ち着く。読後にしみじみ思い返す。要するに私は太宰治という男が好きなのだ。太宰治の⼈間性が好きなのだ。太宰とは何とはなしに⼈間的にウマが合うのだ。それでいいじゃないか。余計な理論はなしだ。⽂学に⼩難しい理屈は不要だ。⼩説は読む側の読者と書く側の作家との相性の問題である。それ以外に本当は何もない。「⾼尚な⽂学理論を」などと気取ってはいけない。「ただ作家のこの⼈が何とはなしに⼈間的に私は好きなのだ」。詰まるところ、⽂学の基本はそれである。

ブログだってそうだろ。ブログの書き⼿と更新を待ってそれを定期的に覗く常連読み⼿との関係も、最終的に要はそのブログ記事の毎回の内容の良さとかレベルの⾼さだとか読んでタメになる有益さではなくて、ただ単に読む側の読み⼿と書く側の書き⼿との⼈間的な相性の問題であるように思う。