アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(309)近藤譲「ものがたり西洋音楽史」

私は10代の時から洋楽ロックやテクノのダンス・ミュージックや日本の歌謡曲や演歌が好きで継続してよく聴いていたけれど、クラシックだけは若い頃なぜか縁遠くて、そこまで聴き込んでいなかった。後に、だいぶ年取ってある時期をからクラシック音楽の素晴らしさを今更ながらに知り急に好きになって、「あー今までクラシックを聴いてこなくて損していたなぁ」の痛切な悔恨の思いに襲われたのだった。

最初は教科書のように様々な時代の演奏形式の音楽家のクラシック音楽を聴いて、だんだん自分に合う好みが分かってきて、そればかり繰り返し聴くようになった。あれこれ新規に開拓して様々なジャンルやレーベルやアーティストを幅広く縦横に聴く音楽の楽しみもあるのだろうけれど、私の性格資質からして決まった特定の音源をほぼ毎日とか(笑)、繰り返し聴くのが好きなのだ。

ベートーヴェン・交響曲第3番「英雄(エロイカ) 」(1804年)、ベートーヴェン・交響曲第5番「運命」(1808年)、リスト「超絶技巧練習曲」(1852年)、ドヴォルザーク・交響曲第9番「新世界より」(1893年)、マーラー・交響曲第1番「巨人」(1896年)、シュトラウス・交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」(1896年)、ホルスト・組曲「惑星」(1916年)辺りが、昔からの愛聴盤で特に好きだ。
 
ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」など、第1楽章の出だしがあまりにも定番で有名すぎるので昔は嫌いだった。しかし、よくよくベートーヴェン「運命」を通しで繰り返し聴いてみると、これが非常に良く出来ている。必ず聴く人の耳に残る印象深い主旋律、そうしてその形を変えた後に何度も出てくる主旋の繰り返し、内容豊かで多彩な曲展開。「運命」は第2楽章以降が特によいと思える。バッハ、モーツァルト以後のベートーヴェンをして「古典派の集大成」とはよく言ったもので、交響曲3番の「英雄」、5番の「運命」、6番の「田園」は確かに定番の嫌いはあるが、いずれも聴いてハズレがない。

また楽器の改良、器楽技術の成熟、楽曲構成創作の工夫、声楽・合唱の交響曲への取り入れの融合など、ヨーロッパのクラシック音楽が一つの音楽分野として成熟を果たした絶頂期に思えて、ベートーヴェンの古典派の時代のクラシックは華(はな)があって実に明るい。一つの音楽分野全体として、この時代のクラシックにはどこか勢いがある。

よくクラシックのファンには、指揮者は誰が良くて演奏者や楽団はどこが良いか、もしくは駄目か厳しく評論する方がおられるが(カラヤンは良いが小澤征爾は駄目だとか)、私はそこまで分からない(笑)。さすがに学生楽団、市民楽団とプロのそれは聴いて音の違いの判断はできるが。あとDTM(デスクトップミュージック。人力の生演奏ではない、コンピュータープログラムで打ち込みの音楽)のクラシックは聴いてはいけない。あれは明らかに音がおかしい。フェイクで薄っぺらい。DTM は一聴してすぐに分かる。若い人がDTM のクラシックを聴いて、「これがクラシック」と勘違いされるのは往年のファンからして非常に困る。クラシック音楽の文化的危機ですらある。
 
岩波ジュニア新書の近藤譲「ものがたり西洋音楽史」(2019年)は、バロック音楽、古典派、ロマン派ら西洋音楽のクラシックの主な曲調や音楽概念の時代的変遷と、その時代の代表的音楽家をほぼ網羅で教科書的に広く教えてくれる。一読して西洋のクラシック音楽全般を聴く際の指標となり、誠に有益である。

「神への祈りの言葉から始まった中世の教会音楽。多声音楽が花開いたルネサンス期。オペラが誕生し、器楽が興隆したバロック時代。そして『芸術としての音楽』が追究された古典派、ロマン派、モダニズム。時代を代表する作曲家と作品、演奏法や作曲法、音楽についての考え方の変遷をたどり、西洋音楽史を俯瞰(ふかん)します」(裏表紙解説)