アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(140)森永種夫「犯科帳」

岩波新書の青、森永種夫「犯科帳・長崎奉行の記録」(1962年)は気軽に読んで笑える楽しい日本史の新書だ。本書は江戸幕府の直轄地であった長崎にて、長崎奉行所の判決録「犯科帳」百四十五冊の内容を抜粋しまとめたものである。著者の森永種夫は、本新書執筆時には長崎県立教育研究所長の職にあった。

本書は全二部の構成である。「第一部・その成り立ち」は、さらに「1・長崎奉行と『犯科帳』」と「2・刑罰の種類」からなる。特に面白いのが2の「刑罰の種類」であり、江戸時代の長崎奉行における主な刑罰種別が挙げられている。ここで私が興味を引かれる「刑罰」を後ろのカッコ内にて適当な茶々を入れながら、いくつか挙げてみる。

「叱(しか)り─もっとも軽いものである。少し厳しい叱りかたをされるのを急度(きっと)叱りという」(江戸時代の昔より人から叱られることも、一つの正式な刑罰なのである。現代社会にて学生が皆の前で教師に叱られたり、社会人が職場にて同僚・後輩の前で上司から叱られることが体罰やパワハラになる根拠の起源が、まさにここにある。)

「入墨(いれずみ)─入墨のいれかたは各奉行によってそれぞれ場所と形が変わっている。だから、入墨の入れかたを見れば、どこでの前科かが知れる。どこの職場でも前科者と知れては採用される見込みはない」(現代ではヤクザや若者が任侠道の象徴やファッションとして自分から進んで入墨をいれたりするが、昔は「入墨は前科者の目印」なのであって江戸時代から一つの正式な刑罰である。)

「小指切り・鼻そぎ・耳そぎ─文字に示すとおりの肉刑である。不倫の男女関係がばれ、男は陰茎切り、女は鼻そぎになった例もある」(残酷な刑罰である。「肉刑」とはよく言ったもので、文章を読んでいるだけで文面からして痛い。特に男性の「肉刑」の「切り」は相当痛いに違いなく、誠に気の毒だ。)

「奴(やっこ)─女に科せられる奴隷刑である。亭主が抜荷重罪を犯し、女房がその連帯で年季なしの奴奉公に出された例、両親の命に背いて好きな男のもとに走った娘が、年季なしの遊女奉公に出された例もある」(これも実に気の毒な刑罰である。女性に対して気の毒である。江戸時代の女性は亭主と連帯責任であり、両親の命にも絶対服従であった。刑罰で無期限奉公を強いられる女性はツラく、しかし、この刑罰では無期限奉公先の商家や遊郭の主人は、かなり一方的に得をしてしまう。)

「火罪─火あぶり。放火もしくは放火の計画をしたものがこの刑に処せられている」(放火の罪を犯したものは、そのまま火あぶりというのは何のヒネリもない。他人に火をつけた者は、最期は自分が火あぶりにされるという因果応報な復讐原理に基づく極めて分かりやすいシンプルな刑罰である。)

さて、続く「第二部・犯科帳」は長崎奉行所に持ち込まれたもめ事、相談事、犯罪の具体的な事件簿記録となっている。「密貿易」や「かたり」や「女の犯罪」や「キリシタン」や「にせもの」や「火事」など各カテゴリーに分けて、事件の概要とそれに対する長崎奉行の判決処置を著者が「犯科帳」の古文書史料を現代語訳し記述している。記載の事件は相当数あるが、その中から私が面白いと思うもの、特に印象に残るもののあらすじを、これまた後ろのカッコ内にて適当な茶々の解説を入れながらいくつか挙げてみる。より詳しい内容は、本新書を実際に手にし各自で読んでもらいたい。

「子どもの喧嘩で父親が自殺─せがれが喧嘩で怪我をして泣きながら帰ってきたので、その父親が相手の子の親の家に怒鳴り込みに行った。怒鳴り込まれた親は詫(わ)びを入れ謝罪するが、父親の怒りは収まらずトラブルは続き、後日、怒鳴り込まれた親が役所に相談して町役人も許すように説得するも、父親は町役人までが『自分ら親子を小馬鹿にしている』と益々ひがみ、最後は町役人から『仲裁の言いつけを聞かぬものは町内から立ち退き』の命が下される。すると、これまで強気であった子どもの父親は一転しょげかえり、『町内立ち退きを命ぜられたこと』を苦に自殺してしまった。この父親の自殺を受け、相手の父親と町役人が長崎奉行にて裁かれた。☆判決・相手の父親─叱り。町内立ち退きを言いつけた町役人─急度叱り(1826年)」(読んでいて馬鹿馬鹿しくなるような嘘のような実話である。子ども同士の喧嘩に親が興奮して介入すべきではないの教訓話か。この父親も変に強情でありながら後に急変して気弱になり、町内立ち退きを命ぜられたくらいで何も自殺まですることはないと思うが。残された子どもが不憫(ふびん)である。)

「無賃旅行─長崎へ向かう旅の途中で旅費を使い果たし文無しになった男が無賃旅行をするために一策を案じ、『宗門の儀について長崎奉行所に訴え出たいことがある旨』の虚偽の申告を旅の途中の役所に駆け込んで申し出た。役所は『これは一大事』と、さっそく男を丁重に長崎に護送した。男は思惑通り旅費なしの無銭で長崎に到着できたが、同時に無賃旅行の企(たくら)みもバレてしまい、『一身の都合のため宗門の儀など軽からざる偽りを方便に用いたかど』で捕らえられた。☆判決─五島へ流刑(1703年)」(長崎という場所柄、役所による外国人やキリシタン関連の密告奨励が当時からなされていた。本件はそれを悪用した典型事例である。この他にも仲の悪い身内やご近所さんを『あいつはキリシタン』と虚偽の密告を役所にし罪に落とし入れようとするも、最後は嘘がバレて逆に密告主が処罰される案件が当時は多くあったという。)

「蘭船祝砲日本人を誤殺─長崎港に停泊中の阿蘭陀(オランダ)船が阿蘭陀国王嗣子(しし)誕生の佳日に祝砲を発射した。ちょうどそのとき、阿蘭陀船の近くまで来ていた日本人が乗った小舟を祝砲がかすめ、砲撃の衝撃はずみで男一人が海中に転落し死亡。蘭人たちは祝砲発射の際の舷側(げんそく)不注意で長崎奉行の裁きを受けた。☆判決・石火矢打ち(祝砲着火手)─国禁。按針役(航海士)─急度叱り。水夫頭─叱り。船長とカピタン(商館の最高責任者)─厳重注意(1818年)」(「祝砲が命中しかけて周囲の日本人が激怒し大騒ぎしているのに、状況を把握していない蘭人の船員一堂が、日本語が理解できないため余計に何の騒ぎか分からずキョトンとしている」云々の当時の書き手の記録描写が絶妙であり面白い。長崎奉行管轄では外国人と日本人との喧嘩や外国人がらみの密貿易や詐欺など、外国人関係の事件は実に多い。ところで、この祝砲誤殺事件にて亡くなった日本人男性には老母と幼少の子どもがおり、妻は懐妊中だった。このため、奉行が同情して男の法事料と家族扶助米を支給している。長崎奉行による恩情処置である。このケースでは、長崎に出入りの外国人に重刑・極刑を科すと国際問題に発展するため強気に裁けない、長崎奉行の後ろめたさが被害者家族への手厚い恩情配慮に作用したとも考えられる。)

岩波新書の青、森永種夫「犯科帳・長崎奉行の記録」を読むと「現代人と同様、昔の人も人間というのは相変わらず馬鹿だねぇ」の面白くて思わず笑い出したくなる愛すべき人間たちへの親密の情を私は新たにする。

(※岩波新書の青、森永種夫「犯科帳・長崎奉行の記録」は近年、「岩波新書の江戸時代」として改訂版(1993年)が復刻・復刊されています。