アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(447)安岡章太郎「アメリカ感情旅行」

岩波新書の青、安岡章太郎「アメリカ感情旅行」(1962年)の書き出しはこうだ。

「私は一昨年(一九六0年)ロックフェラー財団の留学生として十一月二十六日に羽田をたち、翌年五月十七日にかえってきた。その間ほとんどテネシー州のナッシュヴィルにおり、ニューヨーク、メンフィス、ニューオリヤンズ、アイオワ・シティー、サンフランシスコ、ハワイ等に二、三日から十日間程度の滞在をしただけで、他の場所をみる機会はまったくなかった。だから本当はこれはナッシュヴィルとその周辺の半年間の見聞記であるにすぎない。一枚の朝鮮アザミの葉を食うことは朝鮮アザミを食うことになるとしても、私のアメリカでの体験がいかに幅が狭く、浅薄なものかは、明白なことであって、私自身この旅行でアメリカを理解したとは万々もおもってはいない」(「はしがき」)

本書は、作家である安岡章太郎による1960年11月から翌61年5月にかけての約半年間(六ヶ月)に渡るアメリカ旅行の滞在記である。その間、著者の安岡は「ほとんどテネシー州のナッシュヴィルにおり、…他の場所をみる機会はまったくなかった」という。そうして「私のアメリカでの体験がいかに幅が狭く、浅薄なものかは、明白なことであって、私自身この旅行でアメリカを理解したとは万々もおもってはいない」と書いて、つまりは「アメリカ旅行の滞在記とはいっても私の場合、ほとんどナッシュヴィルにいて動かず、アメリカの他地域は見聞してはいないので、この旅行記を介しての私のアメリカ理解は相当に幅が狭く深さも浅薄なものだから、本書を読む読者はそのことを認識しておいてもらいたい」旨の弁明を最初にするのであった。つまるところ岩波新書「アメリカ感情旅行」を読んで、「安岡のアメリカ理解は偏(かたよ)りがあって一面的すぎる。アメリカの負の陰のマイナスの部分、犯罪多発の治安の悪さや人種差別や貧困格差の悲壮な問題ばかりを恣意的に取り上げて強調している」などの感想や書評はするな、「読者よ、絶対にそれはするなよ!」の予防線を書き出しの冒頭からあらかじめ周到に張っているわけである。私は本新書を初読の時から、安岡「アメリカ感情旅行」の冒頭の書き出し文を読んだだけで以後も再読の度に毎回、爆笑してしまう。いかにも書き手の安岡章太郎の気弱な性格が現れた書き出しではないか。これは著者の人柄が最初に如実に示された、ある意味「名文の名書き出し」ではある(苦笑)。

岩波新書「アメリカ感情旅行」における「感情」とは、楽しみや喜びや希望の陽の明るいプラスの感情ではない。むしろ悲しみや怒りや絶望の陰に満ちた暗い憂鬱(ゆううつ)なマイナス感情よりなる「アメリカ感情旅行」の記録である。このことは、例えば今回のアメリカへの旅についての著者による総括のまとめに当たる最終章「旅行者の見たハエについて」のタイトル付けからして明白だ。著者の安岡章太郎は「旅行者の見たハエについて」いう、

「私自身は、こんどのアメリカ旅行で何びきかのハエを発見した。真冬のニューヨークのカフェテリアのテーブルの上をあえぎ這(は)いまわっているハエを発見したし、ナッシュヴィルのアパートのうらのゴミ鑵(かん)のまわりをウナリながら飛びまわっている胴の太いガッシリとした体つきのハエを見た。そうした何びきかのハエを、私は『アメリカのハエ』として記憶した部分がないとは言えない。…むしろ私はハエの性質を、それを自分自身のこととして考えたい。私が、たとい何処ですごそうと結局、私は私なのだから…」(「ⅩⅣ・旅行者の見たハエについて」)

この人はわざわざアメリカまで行って、なにゆえに「ニューヨークのカフェテリアのテーブルの上をあえぎ這(は)いまわっているハエ」や「ナッシュヴィルのアパートのうらのゴミ鑵(かん)のまわりをウナリながら飛びまわっている胴の太いガッシリとした体つきのハエ」など、アメリカのハエの話ばかり、今回の旅の最後の締めくくりにてするのか。

思えば、著者の安岡が主に行って滞在していたのは、黒人に対する人種差別と貧困格差が厳しい過酷なアメリカ南部のナッシュヴィルなのであった。そして、そこからほとんど移動していない。ずっと動かずにアメリカ南部のナッシュヴィルに安岡章太郎はいる。ニューヨークとかサンフランシスコとかハワイなど、当時のアメリカの最新都市や観光地のリゾートに行けば、裏通りや場末のアメリカのハエなど目にせず、それなりに楽しく喜びや希望に満ちた「アメリカ感情旅行」にもなったであろうに。そして、著者がアメリカ南部のナッシュヴィルに滞在した1960年から翌年61年は公民権法制定(1964年)の直前に当たり、この時期はアメリカ各地にて公民権運動(アメリカの黒人に参政権や市民権ら公民権の適用と、人種差別の解消を求める大衆運動)が最も激しい時代なのであった。

最終章での「旅行者のみたハエ」における「アメリカのハエ」とは、著者が実際にアメリカ滞在中に目にした実物のハエのことでもあるが、同時にこの「ハエ」は「アメリカ感情旅行」に際して著者が見つめて感じた現実の病(や)めるアメリカ社会の暗部の比喩(ひゆ)にもなっている。その上で著者の安岡章太郎は、「むしろ私はハエの性質を、それを自分自身のこととして考えたい。私が、たとい何処ですごそうと結局、私は私なのだから…」とさえ述べて、「アメリカのハエ」に例えられるアメリカ社会の暗部の差別や貧困の問題を自分自身のこととして自身の身に引き付けて、より深く考えようとするのであった。

また、この「アメリカで見たハエ」の記述の前には、「中共にはハエが一ぴきもいない。旅行中に中国でハエを一ぴきも見なかった」という中国旅行者の話がある。その他人の中国旅行と今回の自身のアメリカ旅行とを暗に対比して、かの中国への旅では中国共産党により外国の旅行者に自国の不名誉になるような不潔な所や現実の中国社会の暗部(「中国のハエ」)は前もって見せないよう隠され、常に監視され管理されて「中国の旅」演出が巧妙になされているが、今回の自身の「アメリカ感情旅行」には、外国の旅行者があまり精力的に見ることのない現実のアメリカ社会の暗部(つまりは「アメリカのハエ」)まで、自分はごまかすことなく自由に真実をしっかり見てきた、の著者・安岡章太郎の「アメリカ感情旅行」の旅への並々ならぬ自信の自負も、確かに感じられるのである。