アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(244)三浦俊章「ブッシュのアメリカ」

岩波新書の赤、三浦俊章「ブッシュのアメリカ」(2003年)は、まず何よりもタイトルが傑作である。アメリカは独裁の絶対主義国家ではなくて民主主義の国民国家であるはずだから、どう間違えても「ブッシュのアメリカ」の大統領個人(とその側近たち)の私的所有にはならない。言ってみればアメリカ国民全員の「みんなのアメリカ」の公的国民国家である。だが、あえて「ブッシュのアメリカ」と皮肉を込めて著者はいう。これは傑作タイトルだ。ここでの「の」は所有格である。私は新書タイトルだけで苦笑せずにいられない。

同じタイトル語りの要領で、2010年代の同時代の日本にて「安倍の日本」も成立する。長期政権で政治的同伴の友人関係者や支持団体にのみ利するような、あかさらまな手心、公的国家の私物化たる利益誘導の強権政治を「安倍(とその仲間たち)の日本」、すなわち「安倍の日本」と揶揄(やゆ)しても、あながち的(まと)はずれではあるまい。

岩波新書「ブッシュのアメリカ」の概要はこうだ。

「9・11、アフガン戦争、そしてイラク戦争へと突き進んだブッシュの帝国。その時、ホワイトハウスでは何が話し合われ、大統領の決断に世論はどう反応したのか。ネオコンや宗教右派はどう動いたのか。多様で寛容な社会はどこへ行ってしまったのか。戦時社会アメリカの動きをさまざまな現場から報告する」(表紙カバー裏解説)

著者の三浦俊章は、本新書執筆時は朝日新聞東京本社政治部記者である。2001年4月から2003年5月までアメリカに駐在して朝日新聞アメリカ総局員を勤めた。岩波新書「ブッシュのアメリカ」は、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの発生から、アフガニスタンのタリバーン政権にかくまわれているとされる国際テロ組織アルカイダの主要容疑者、オサマ・ビンラディンらの即時引き渡し要求を経ての、米軍によるカブール空爆、アフガニスタン戦争の開始(2001年)。さらにテロ勢力の後ろ楯としてイラク、イラン、北朝鮮の三ヵ国をブッシュが「悪の枢軸」と読び、特にサダム・フセイン体制のイラクを「無法者国家」として国連で糾弾(2002年)。米英軍によるイラク攻撃を開始。バグダッド陥落、フセイン体制の崩壊を見てイラク戦争のアメリカ戦闘終結宣言(2003年)まで。それらアメリカ同時多発テロを受けてのアフガニスタン戦争とイラク戦争の開始と終結に至るアメリカ、ホワイトハウスのブッシュ大統領とその側近たちによる政治決定の過程をつぶさに描いている。

2010年代の今になって読み返してみると、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、パウエル国務長官、ライス補佐官ら当時メディアにてよく目にした、今となっては「往年の懐かしの大スター達」ではある(笑)。本書レポートを読んでいると、次々に登場するホワイトハウスの側近らに加えて、ブッシュ政権に開戦を積極的に働き掛け、背後で政権を動かしていたとされる「新保守主義」(いわゆる「ネオコン」。先制攻撃の肯定と国連による集団安全保障体制から距離をとる単独行動主義の思想をもつ好戦的な「新しい」保守層)と、「キリスト教右派」(聖書を字句通り神の福音と見なす熱烈な排他的宗教感情を有する原理主義的プロテスタント)も登場する。

岩波新書「ブッシュのアメリカ」は、大統領の開戦決断をアメリカ国内での政治的多様性の抑圧排除の問題として捉え一貫して批判し糾弾する論調である。「ブッシュ大統領のブッシュ政権は、なぜそこまでイラク先制攻撃に固執するのか!?」その際に「当時のアメリカ国内は、中東諸国や非キリスト者のイスラム宗教勢力に対し必ずしも攻撃的な強硬姿勢の一枚岩で一致していたわけではない。すなわち9・11の同時多発テロ以降、『星条旗をうち降り愛国心一色に染まったアメリカ』のステレオタイプで単純化したアメリカ理解」を著者は否定し排そうとする。

その点からして、イラク戦争に反対を表明した国内知識人やジャーナリズム、アメリカ人の愛国戦争ムードの高揚に疑問を呈した地方警察、共和党のブッシュ政権でありながら同じく与党の共和党穏健派による政権批判についての本書レポート(報告)は、読んで誠に感慨深い。「ブッシュ(とその側近たち)のアメリカ」が開戦決断をなし国内一元化の戦時体制への強権発動に際しても、開戦批判を含むアメリカ国民の多様な政治的立場が実は様々にある「多様性のせめぎあいを保持するアメリカの健全さ」を本書を通して改めて思い知らされるからだ。

それにしても岩波新書の赤、三浦俊章「ブッシュのアメリカ」を読んで、つくづく痛感させられる現代政治の異様さ、不可解さ。つまりは今般のイラク戦争への遂行に導くアメリカ・ブッシュ政権と、その政権を背後で強力に動かしたとされるネオコンとキリスト教右派に共通して見られる短絡的な善悪二元論の正戦論の気持ち悪さよ。あなたもそう思わないか。

ブッシュ大統領の一般教書演説にてイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼ぶ発言に見られる思想。当然、特定他国を名指しして一方的に「悪」呼ばわりする当人はめでたくも自身は主観的に「善」であり、自国のあらゆる行為が「正義の鉄槌」として果てしなく正当化されるわけである。そこには、当然ながら社会での多様性の確保も他者への寛容の精神も存在の余地はない。これは2010年代の日本の安倍政権にての、特定東アジア諸国(中国、韓国、北朝鮮)を敵対視し人々の敵愾心(てきがいしん)を煽(あお)って政権支持を取り付ける、その政治手法と同様だ。誠に残念なことに、いまだそうした他国家や他民族に対する単純な善悪二元論の敵対の憎しみ(ヘイト)にて現代政治は少なからず動いている。