アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(498)豊下楢彦 古関彰一「集団的自衛権と安全保障」

「集団的自衛権」とは、「ある国家が武力攻撃を受けた場合、直接に攻撃を受けていない第三国が共同で防衛対処する国際法上の国家の権利」のことをいう。直接に攻撃を受けている他国を第三国が援助し、これと共同で武力攻撃にて対処する、つまりは攻撃を受けた他国の「自衛」に第三国が共同で「集団的」に相互に当たることを意味する。また「安全保障」とは、「国家の独立や国民の生命・財産に対して何らかの脅威が及ばぬよう手段を講じることで安全な状況を保障すること」である。その場合の「安全な状況の保障」とは、主として他国からの防衛を主眼とするものであって、一般に「安全保障」という語は「国防」と同義である。

そして「集団的自衛」が「安全保障」に直結するかどうか、つまりは「集団的自衛権により国家と国民の安全保障はなされるか」の議論は、昔から継続的にされてきた。特に「戦後日本の集団的自衛権の行使」といった場合、日本国とアメリカ合衆国との間での日米安全保障条約(1951年)と日米新安全保障条約(1960年)の締結による日米間の軍事同盟のことであるから、先の「集団的自衛権により国家と国民の安全保障はなされるか」の議論は、より具体的には「(直接に日本が攻撃を受けた場合、第三国であるアメリカが日本を援助し、日本と共同で他国に武力攻撃で対抗する)日本とアメリカとの日米安全保障条約による日米安保体制は、日本国民の生命・財産に他国からの脅威が及ばないような安全な状況を提供・保障できるか」の、日米安保の有効性の議論へとそのままつながっている。

「集団的自衛権により国民の安全保障はなされるか」の抽象議論、また現実的には「日本とアメリカの間での日米安全保障条約による日米安保体制は、果たして日本国民に生命と財産の安全をもたらしうるか」の疑義は、理論上だいたいの決着は着いている。すなわち「集団的自衛権により国家と国民の安全保障は何らされない。日米安保の集団的自衛による安全保障の目論見は原理的に破綻している」の結論である。その際の「集団的自衛は安全保障に何ら直結しないし寄与しない」根拠として、以下の3点が昔から主に指摘されてきた。

(1)集団的自衛権行使による集団的自衛体制を敷いても、現代の国際社会では他国からの攻撃抑止にはならない。つまりは「集団的自衛体制が軍事攻撃抑止の安全保障にはつながらない原理的破綻」。

(突発的なミサイル攻撃やテロの緊急有事に対し、国家の集団的自衛体制では国民の生命・財産の安全は保障されない。これだけ各国が経済的に緊密となり、人々が自由相互に海外を行き交う「信頼」を前提とした国際社会である今日では、国防軍事の警戒強化だけでは、もはや国民の安全保障は維持できない。軍事力への対抗抑止には、むしろ軍事以外の協調外交の方が主要であり不可欠である。例えば、アメリカ同時多発テロ事件(いわゆる9・11事件、2001年)の際、当時の日本の識者はほとんど誰も指摘してくれなかったが、冷戦終結後に、あれほど国防に熱心で軍事的に突出した軍事超大国のアメリカであっても突発的なテロには全くの無力で、国民の生命・財産の安全保障をアメリカ合衆国はなし得なかったのである。また集団的自衛体制の軍事同盟は、第三国からの無用な武力攻撃を誘発する重大リスクを生じさせる。例えば、戦後日本の日米安保体制(集団的自衛)は、敵基地先制攻撃などにより、在日米軍基地への他国から軍事施設を標的にした軍事攻撃を日本の国土に誘発する。結果、軍事施設周辺地域の国民の生命・財産の安全は武力攻撃とテロのリスクに絶えずさらされ続けることになる)

(2)集団的自衛権の行使による他国との軍事同盟は、地域の安定平和を不安定にし、むしろ戦争リスクの軍事対立の緊張を不断に引き起こす。また軍事衝突の有事の際には、集団的自衛により、同盟国と共同歩調をとる強迫的な戦争参加を求められることになる。つまりは「集団的自衛体制が逆に地域の安定平和を乱すリスク」。

(そもそも原理的にいって集団的自衛=軍事同盟は、ただ漠然となされるわけではなく、必ず特定の仮想敵国があって、それに対抗してなされるのであるから、ある国家間での集団的自衛権の行使は当該地域での仮想敵国との軍事的対立の緊張を絶えず高め、地域の安定平和を不安定にする。例えば、戦後日本のアメリカとの日米安保体制(集団的自衛)にて、冷戦時には米ソ対立下にて旧ソ連を、冷戦終結後には朝鮮半島有事の想定で北朝鮮を、近年のアジア・太平洋地域の覇権争いでは台湾海峡有事の想定で中国を、それぞれ仮想敵国にして日米共同の集団的自衛体制は制定され機能している。そのため、日米安保の情誼(じょうぎ)からして日本はアメリカと共同歩調をとって、それら仮想敵国との有事以前の軍事的緊張は日米安保体制により、不断に潜在的に高められる。結果、日米安保はアジア・太平洋地域の安定平和を不安定にし、むしろ戦争リスクの軍事対立の緊張を絶えず引き起こす。さらにこの先、朝鮮半島有事や台湾海峡有事の事態でアメリカが直接的軍事行動に出た場合、日本は独自の第三極の人道的立場からの仲介的説得立場は取れず、日米安保体制に引きずられてアメリカ支持の軍事支援に即まわる強迫的な戦争参加のリスクも、日米間の集団的自衛体制はもたらす)

(3)「集団的自衛権により国民の安全保障をなす」とする場合の「自衛」の内容は、往々にして曖昧(あいまい)で恣意的な解釈がなされるため、ある国家が「集団的自衛権の正当な行使」を主張しても、その「自衛」が自国民の生命・財産の安全保障の専守防衛(正当な国防)にはつながらず、拡大解釈でなし崩し的に、同盟国との侵略戦争や覇権争いの他地域での戦争遂行に口実的・名目的に使われる危険性がある。つまりは「集団的自衛権の権利濫用の問題」。

(戦後日本の集団的自衛権の行使は、日本国とアメリカ合衆国との間での日米安全保障条約の締結(1951年)から始まる。厳密な原則論でいえば、集団的自衛権とは「ある国家が武力攻撃を受けた場合、直接に攻撃を受けていない第三国が共同で防衛対処する国際法上の国家の権利」のことである。しかし現実には朝鮮戦争(1950─53年)、ベトナム戦争(1954─75年)でのアメリカ軍の出動は在日米軍基地からの日本の補給・修理の軍事的後方支援に多く拠(よ)っており、これら在日米軍基地敷設と日本のアメリカ軍への後方支援は日米安保条約の集団的自衛体制に法的根拠を持っていた。ここにおいて、日米安保の集団的自衛権の行使が、「ある国家が武力攻撃を受けた場合、直接に攻撃を受けていない第三国が共同で防衛対処する国際法上の国家の権利」の共同「自衛」原則の範囲から完全に逸脱して、日本国にとっての専守防衛以外の他地域での、アメリカ合衆国による侵略的覇権戦争に日本国が動員・加担させられていること(「東アジアにおける国際平和及び安全の維持」などの拡大解釈にて、なし崩し的に集団的自衛権の適用がエスカレートしていく事態!)での、日米安保の集団的「自衛」権行使の欺瞞(ぎまん)は、もはや誰の目にも明らかだろう)

さて岩波新書の赤、豊下楢彦・古関彰一「集団的自衛権と安全保障」(2014年)である。本書の表紙カバー裏解説には次のようにある。

「集団的自衛権の行使は、日本の安全性をほんとうに高めるのか─?現実を見ない机上の論理、現状分析のない提言、国際感覚の欠如が、『他国防衛』のための戦争へと日本を駆り立てている。安全保障と憲法論の第一人者が問いかける、日本の今。安全保障とは、憲法とは、集団的自衛権とは…。必読の一冊」

岩波新書「集団的自衛権と安全保障」は現行の日本の「集団的自衛権行使」に否定的であり、「アメリカとの日米安保による集団的自衛体制を敷いても、何ら他国からの攻撃抑止にはならない」立場の、集団的自衛権行使が安全保障にはつながらない原理破綻の無効性を説く内容である。だから、表紙カバー裏解説の書き出しの「集団的自衛権の行使は、日本の安全性をほんとうに高めるのか?」の疑問に対する著者たちの答えは、「集団的自衛権の行使は、日本の安全性を全く高めやしない」の主旨で本論にて極めて明確である。そしてその理由、続く表紙カバー裏解説文中の「現実を見ない机上の論理、現状分析のない提言」の部分は、先に述べた「集団的自衛は安全保障に何ら直結しないし寄与しない」主な3つの根拠のうちの(1)「集団的自衛体制が軍事攻撃抑止の安全保障にはつながらない原理的破綻」と(2)「集団的自衛体制が逆に地域の安定平和を乱すリスク」に該当し、同様に表紙カバー裏解説文中の「国際感覚の欠如が、『他国防衛』のための戦争へと日本を駆り立てている」の部分は、(3)「集団的自衛権の権利濫用の問題」にそれぞれ対応している。このことは本新書を実際に読んで是非とも確認してもらいたい。

私が見るところ、戦後日本の国際政治での「集団的自衛権と安全保障」をめぐる議論は、日本の外交史にての以下の4つの時代のものに区分できる。

(1)日本国の主権回復=サンフランシスコ平和条約(1951年)と日米安全保障条約(1951年)の締結。(2)日米相互強力及び安全保障条約=日米新安全保障条約(1960年)の締結。「安保闘争」の時代。(3)冷戦終結後の国際情勢変化に伴う自衛隊海外派兵の動きを受けての国際平和協力法、いわゆるPKO法の成立(1992年)。(4)北朝鮮のミサイル問題、尖閣問題など中国の覇権国家としての東アジアでの台頭による、集団的自衛権の新たな解釈と憲法改正への動き(2000年代以降)

これら4つの時代カテゴリーのうち、岩波新書の豊下楢彦・古関彰一「集団的自衛権と安全保障」は、(4)「北朝鮮のミサイル問題、尖閣問題など中国の覇権国家としての東アジアでの台頭による、集団的自衛権の新たな解釈と憲法改正への動き(2000年代以降)」の時事問題に即して、「(日本の)集団的自衛権と安全保障」を述べたものである。そのため、本新書では「北朝鮮からのミサイル攻撃の虚実」や「中国脅威論と尖閣問題」らの外交時事が主に取り上げられ、本書発行時の2014年に政権担当していた第二次安倍政権下での集団的自衛権に関しての議論に対する、著者らの容赦のない徹底批判の内容となっている。