アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(510)東大作「ウクライナ戦争をどう終わらせるか」

岩波新書の赤、東大作「ウクライナ戦争をどう終わらせるか」(2023年)のタイトルとなっている「ウクライナ戦争」とは、2022年2月からのロシアによるウクライナ侵攻を指す。

2022年2月24日、ロシア大統領のウラジーミル・プーチンはウクライナへの「特別軍事作戦」に基づき首都キーウをはじめ、ウクライナ各地への攻撃を開始。これを受けてウクライナ大統領のウォロディミル・ゼレンスキー大統領は同日、18歳から60歳までの男性を原則出国禁止にする「総動員令」に署名し、両国は戦争状態に入った。本書はそのロシアのウクライナ侵攻から一年経過し、いまだ終結の兆(きざ)しが見えない戦争継続中に執筆されたものである。

「ロシアによるウクライナ侵攻開始から1年。核兵器の使用も懸念される非道で残酷な戦争を終結させる方法はあるのか。周辺国や大国をはじめとする国際社会、そして日本が果たすべき役割とは何か。隣国での現地調査を踏まえ、ベトナム、アフガニスタン、イラクなど第二次世界大戦後の各地の戦争・内戦を振り返りつつ模索する」(表紙カバー裏解説)

東大作「ウクライナ戦争をどう終わらせるか」の副題は「『和平調停』の限界と可能性」である。本書には以前の戦争・内戦での和平交渉の「限界と可能性」の実態を振り返り、また現今のウクライナ戦争を人道的立場から批判したり、実戦における核兵器使用を懸念したり、このウクライナ戦争でロシアとウクライナの当事国以外の第三国、アメリカや日本が果たすべき役割を提言したりで、あれこれ述べているけれども正直、私はそこまで真剣に真面目に読む気になれなかった。読んでも内容が頭に入ってこなかった。

昨今のウクライナ戦争に関し、「ウクライナ戦争をどう終わらせるか」の「戦争をどう終わらせるか」以前に「なぜ戦争を始めてしまったのか!? 」の疑問の不信感が絶えずいつも先に起こってしまうからだ。

岩波新書「ウクライナ戦争をどう終わらせるか」にて今さら改めて「和平調停の限界」云々を指摘されるまでもなく、私達は同時代に生きる世界史的実感として、一度始めた戦争は容易に終わらせることが出来ないことを既に知っている。そもそも戦争は当事国にて一方の国が、相手国を徹底的に打ち負かし、軍事的な圧倒的勝利が達せられなければ原理的に終結しない。首都陥落とか生物化学兵器・核兵器使用による市民虐殺の大損失を相手側に与える所まで行かなければ一度始めた戦争は終わらない。このことは第二次世界大戦以後の現代世界を概観すれば明白だ。

確かに第二次世界大戦時には、ナチス・ドイツがパリに進軍し軍政の直接支配でフランスを降伏させるとか、英米の連合軍がドイツのベルリンを陥落してヒトラーを死に追いやりナチスのファシズム体制を壊滅させるとか、アメリカが広島・長崎に原爆投下した上で日本に無条件降伏を迫るなど、いずれも相手国を徹底的に打ち負かし、首都陥落や核兵器使用による市民殺害の圧倒的な損失を与えての戦争集結の事例があった。ところが第二次大戦後の今日の世界では、首都陥落のための直接的な無差別攻撃や生物化学兵器・核兵器の大っぴらな使用は人道的観点から国際世論上もはや出来なくなってしまっている。また現代における軍事兵器の、どの国家でもテロ組織であっても比較的安価で容易に入手・使用できる量的拡大と、比較的軽装備でしかし相手に徹底的な相当ダメージを与えることが可能な質的深化とにより、戦争にて交戦の一方国が相手国を徹底的に打ち負かしたり、差をつけた軍事的な圧倒的勝利に達することは今やほとんど不可能になっている。このことは第二次世界大戦後に、いまだ「休戦」状態で実は戦争継続している朝鮮戦争、アメリカが直接に軍事介入して長期化の泥沼を見せたベトナム戦争、幾度も何次にも渡り繰り返される中東戦争の事例からも明白であろう。そして、今般のウクライナ戦争においても。

岩波新書「ウクライナ戦争をどう終わらせるか」出版時で、すでに開戦から一年近くが経過している。だがロシアとウクライナ双方とも相手から軍事的な圧倒勝利を得ることができずに戦局は互いに一進一退の膠着状態の泥沼の様相である。ゆえに戦争は長引いて、終結の兆候は見られない。現代世界において一度始めた戦争はなかなか終わらない。これまでに述べたように、原理的に言って今の時代、一度始めてしまった戦争は容易に終わらせることはできない。昨今のウクライナ戦争に関し、岩波新書「ウクライナ戦争をどう終わらせるか」を手に取り読む以前に「なぜわざわざ戦争を始めてしまったのか!? 」の不信の思いが虚(むな)しく漂(ただよ)うだけである。

確かに今般のウクライナ戦争にて、完全停戦の平和が到来の戦争終結とまでは行かなくても、部分的で一時的な休戦、ないしは戦闘の小康休止の状態はあるのかもしれない。近代の戦争は、それを遂行する交戦権と軍事力とを有する国家の政治権力が主体の、相手を凌駕(りょうが)し圧倒的物量に物を言わせた総力戦であり消耗戦であって、軍事兵器たる武器弾薬と、それら兵器を用いて実際に戦う兵士がいなければ戦争の開始と継続は難しい。そして、それら武器弾薬と戦闘兵士は無尽蔵ではなく限りがあって、武器弾薬の生産供給能力の鈍化や多数の戦闘兵士の死傷にて、やがて物量的に不足し尽きるであろうことから、数十年単位の長期に渡り今回のウクライナ戦争が延々と続くとは考えにくい。

特に動員される多くの前線兵士が死傷する犠牲の人的損失は、人道的観点から大いに問題である。教科書的に言って、近代の人間の権利規範たる人権は「生命・財産・自由の保全」であるが、近代社会における戦争は各人の生命・財産・自由の保全を絶えず危険に晒(さら)し、相当な確率で剥奪するものであるから人道上かなり問題なのである。また戦場以外の銃後にても無差別な都市爆撃、偶発的なミサイル被弾、突発的なテロ攻撃により、子供や女性や高齢者を含む多くの一般市民も時に死傷して深刻な戦争被害を被(こうむ)る。かつ大多数の人々の平和な日常は脅(おびや)かされ、特に大国のロシアを相手に劣勢を強いられがちなウクライナにて、またロシア国内でも厭戦ムードがやがては高まり、「戦争継続反対」の世論がいつ噴出してもおかしくはない。ただそこまでの戦争長期化の段階に行くまでに、戦争に動員される兵士と非戦闘員の一般市民が死傷の大量犠牲の人的損失、都市全体や道路・橋梁・ダムなどの社会インフラ破壊の被害(特に原発施設の破壊は破滅的な結末を即にもたらす!)、その他にも国土の自然環境の荒廃など、一度失ってしまえば回復し取り戻すのに困難な、何しろ戦争で亡くなってしまった人間はもう二度と生き返り戻ってこないのだから、その損失の規模と内実の深刻さたるや相当なものがある。

こうした戦争遂行によりもたらされる人的被害の犠牲や人々の生活環境への負荷や自然環境への悪影響ら諸々の事情を考慮の、いわゆる「リスクとコスト」原則の素朴な損得勘定の観点から考えた場合でも、何度も繰り返ししつこく言って申し訳ないけれども(苦笑)、「戦争をどう終わらせるか」以前に「なぜ戦争を始めてしまったのか!? 」の疑問の不信が先立ち、「そもそも戦争など安易に始めてしまうべきではない」の明確な結論であるのだ。

この点に関し、今回のウクライナ戦争にて共に最終的に開戦決断に傾いたロシアとウクライナの両国、戦争開始に至るまで外交努力で双方の言い分の落とし所を探り、修復不可能な関係決裂の戦闘開始の危険領域にまで後先考えずに突っ込んでしまわないよう、事前に周到に相互に開戦回避できなかったロシアのプーチン大統領とウクライナのゼレンスキー大統領の両人の両国が同程度に問題なのである。どうも世間的には「帝国主義的な領土獲得の野心をもってウクライナ侵攻を始めたロシアのプーチン大統領が全面的に悪で、その大国ロシアに抗する小国ウクライナのゼレンスキー大統領は善で完全正義」というような「善vs悪」の単純図式が広く浸透し共有されて、その図式でウクライナ戦争を安直に語りたがる人がメディアに露出の国際政治の専門家や軍事評論家や日本の政治家にも多くいるが、そういったことではない。「ロシアのプーチン大統領は悪で、ウクライナのゼレンスキー大統領は善」などということは絶対になく、外交的な様々な交渉努力にて事前に戦争回避できず、開戦決断をしてしまったプーチンもゼレンスキーも現代世界では両方が同程度に愚かで悪なのである。

ロシアのウクライナ侵攻から始まるウクライナ戦争(2022年─)の事例から、現代世界に生きる私達は積極的に学ぶべきだろう。そもそも安易に戦争を始めてはいけない。特に東アジアにおいて、今後に発生が懸念される朝鮮半島有事、また台湾海峡有事にて、例えば北朝鮮という国には核不拡散の国際規約に反する核開発疑惑があり、テロ国家やそれに準ずる組織を物資提供の面で秘密裏に支援している疑いもあり、また東アジアの近隣諸国の人々をかつて拉致していた事実があったとしても、そうした「ならず者国家」の北朝鮮に対し、まさかの朝鮮半島有事の際に韓国に味方して、同盟国たるアメリカと日本が軍事協力の武器援助や後方支援をしたり、多国籍軍の友軍として積極的に軍事共闘して戦禍をいたずらに拡大させてはならないのである。

同様に、現在のウクライナ戦争を踏まえ、近い将来の来たるべき台湾海峡有事が懸念されている。以前の冷戦時代にはウクライナを始めとする東欧諸国は、西側陣営と対立する東側陣営のソビエト連邦の一部であり、旧ソ連の支配圏にあった。ところが冷戦終結後に東欧地域でロシアからの独立が相次ぎ、NATO(北大西洋条約機構)加盟を熱望して西側の欧米勢力に急速に接近しつつある事態を懸念したロシアのプーチン大統領の、東欧ウクライナのロシアから離脱の憂慮が、今回のロシアのウクライナ侵攻の主要な動機になっていた。旧冷戦の負債由来の、これと同じ構造が東アジアにもあった。かつての中国共産党たる中華人民共和国と、第二次大戦後の冷戦下での国共内戦にて、その中国から追いやられた以前の国民党たる台湾との戦後における台湾独立をめぐる中国と台湾との対立から、台湾を中国に回収して国共内戦の分裂から中国統一を成し遂げたい「一つの中国」の大国・中国の念願があるため、中国による台湾への侵攻である台湾海峡有事が今日、憂慮されているわけである。

この場合でも、昨今のウクライナ戦争でのウクライナのゼレンスキー大統領ばりに「他国からの不当な侵略支配に対しては断固として戦う。毅然(きぜん)とした愛国心の発露で自由のためには戦争も辞さない」などというような、劇画的な英雄調子(ゼレンスキーは元コメディアンで元俳優なのでヒーロー的な自分に陶酔しがち)の戦争焚付の好戦的態度で、小国の台湾は中国に臨んではいけないし、同様に大国の中国は威圧的な軍事制圧の戦争手段により、台湾回収の「一つの中国」の念願を果たそうとしてはいけない。また中国と対峙する台湾支援のアメリカや日本は、台湾海峡有事にて中国と台湾の双方が修復不可能な関係決裂の戦闘開始に至らないよう、事前に相互に両国が戦争回避するような粘り強い外交努力の働きかけを続けなければならない。アメリカや日本の第三国が、台湾と中国の当事国の背後から「代理戦争」のかたちで無駄に戦争を煽(あお)ってはいけない。

気に入らない他国をガツンと軍事行動の力に訴え強硬に処してやっつければ一時的に溜飲(りゅういん)が下がるかもしれないが、そういうのは現代の国際政治にて賢明ではない。もはや言うまでもなく、原理的に言って今の時代、一度始めてしまった戦争は容易に終わらせることはできない。そして、戦争遂行によりもたらされる人的被害の犠牲ら諸々を考えた場合、いわゆる「リスクとコスト」原則の素朴な損得勘定の観点からして、「そもそも戦争など安易に始めてしまうべきではない」の結論に到達するのは自明だからである。