岩波新書の赤、田中彰「小国主義」(1999年)は、タイトルの「小国主義」の反対である「大国主義」を「国際関係において、大国が自国の強大な力を背景に小国を圧迫する態度」「経済力・軍事力にすぐれた国がその力を背景に小国に臨む高圧的な態度」という辞書的意味定義から、その大国主義をして「明治維新以後の日本近代史は、ひたすら大国への路線を歩み、戦争につぐ戦争をくり返した大国主義の歴史にほかならなかった」(ⅱページ)というように、かの大国主義的衝動に終始し翻弄され続けた近代日本の歩みを批判的に総括しようとするものだ。こうした内容に合致して、本書の副題は「日本の近代を読みなおす」になっている。
思えば明治維新以来、近代日本の大日本帝国は日清・日露戦争、第一次世界大戦の東アジア戦線、ロシア革命に伴う対ソ干渉戦争たるシベリア出兵、満州事変、対中国の日中戦争と対アメリカの太平洋戦争とを主な内実とする十五年戦争(アジア・太平洋戦争)ら、対外戦争を重ねに重ね、軍事的・経済的な覇権をもって海外の植民地獲得と現地支配に躍起し奔走する「大国主義」の典型であった。著書の田中彰は書籍タイトルである「小国主義」の立場から、近代日本のそうした大国主義の潮流を非常に厳しく徹底的に批判する。これには本書執筆時の1999年の90年代には自衛隊の海外派遣がなされ、専守防衛の平和主義を規定している第9条の書き換えを争点にした憲法改正論議がいよいよ盛況となったことについての「日本の軍事大国化路線への転換」といった右傾化・反動化の認識が強くあり、それら動きを戦前日本への回帰として再びの日本の大国主義化を憂慮する、著書の田中彰の現状に対するかなりの危機意識があることも押さえておくべきだろう。
本書の中で、著者は「大国主義か、さもなくば小国主義か!?」の非常に限定された二項対立思考にあえて固執し事実、近代日本の歴史は大国主義のそれに他ならなかった、近代日本は小国主義の姿勢・立場を貫徹できなかったの趣旨で、日本にとっての「未発の可能性」である「小国主義」への移行を暗に強烈に望み、それとは反対の近代日本の大国主義の歴史を極めて厳しく批判する。また「近代の時代は日本のみならず、欧米列強がアジア・アフリカ地域に侵出し、各地域を植民地支配しようと各国が覇権のしのぎを削る大国主義で領土拡張の帝国主義戦争の時代であったのだ。だから近代日本が維新の開国以来、明治と大正そして戦前昭和の各時代において朝鮮半島や台湾の実質現地支配に始まり、遂には北は華北と満州、南は東南アジアと太平洋各諸島に至るまで、大国主義の方針でアジアの各地域を広く占領支配したとしても、それは当時は当たり前の国際常識であり、何も近代日本の大日本帝国だけが集中的に非難される事柄ではない。そのような大国主義への衝動欲求は当時の国際政治にて当たり前で自然なことだった」とするような日本の大国主義擁護の意見に反論するかのように、近代日本でも当時から同時代にて大日本帝国の大国主義を批判し、日本は近隣アジアへの無理筋の大陸膨張路線はやめて、維新の開国当時の日本列島国内領土の保全に専念し、その分、海外進出の国外政治ではなく国内政治での民主化や近代化に注力するべきという近代日本における、大国主義批判の「小国主義」の水脈の伏流を本書にて明治・大正・昭和の時系列で順次紹介していく。すなわち、
「Ⅰ・近代日本の選択肢を求めて・岩倉使節団のめざしたもの。Ⅱ・自由民権期の高揚と伏流化・植木枝盛・中江兆民の位置。Ⅲ・『小日本主義』の登場・大正デモクラシーの中で・三浦銕太郎・石橋湛山。Ⅳ・日本国憲法をめぐって・小国主義の理念の結実」
以上の全4章にて、明治・大正・昭和の各時代の「小国主義」の事例を取り上げ、必ずしも対外膨張路線の大国主義は、当時から当たり前の国際常識であったわけではない、近代日本にて明治の岩倉使節団から自由民権運動、大正デモクラシー、昭和の敗戦後の日本国憲法制定ら、各時代にて各人や制度・事柄による大国主義批判の「小国主義」の主張・運動は確実にあった証左を順次、歴史的に示していくのである。
そもそも原理的に考えて、対外膨張して自国以外の所での他国の領土支配や他地域での覇権伸張をもくろむ大国主義は、相手国の国権や民族自決や地域の経済自立を軽視し、時に明確に否定した上でなされるものであり、大国主義は他国に戦争を仕掛けて軍事侵攻で戦勝の結果に多額の賠償を得たり、軍事的・経済的圧力でもって不平等条約の締結を相手国に強要したり、領土割譲したり自国の要人を送り込んで保護国化したり、遂には植民地化支配したりすることでなされるものである。他者尊重の健全な常識的振る舞いにて国家は滅多なことで、そう簡単に大国化したりしない。
ゆえに国際政治上での法的措置がなく違法規制がなくとも、大国主義には他国や他民族の他者に対する権利侵害の、人道的な悪の後ろめたさが常に伴う。近代日本の歴史を大国主義の見地から概観するとき、中国本土や朝鮮半島に対外侵出の、かの大日本帝国の大国主義に関し、中国・朝鮮の人達のことを考えて日本の大国路線を批判的に理解したり、今日でも「軍事大国アメリカの脅威」とか「現代中国の大国化の懸念」など、アメリカや中国の大国主義への志向を胡散(うさん)くさく怪しいものと感じてしまうのは、大国主義に他国の他者に対する権利侵害の反倫理の悪の要素があるからに他ならない。岩波新書の赤、田中彰「小国主義」は、そうした大国主義の倫理的悪の胡散くさい怪しさを読む者に教えてくれる。そこが本新書の最良さだと私には思えた。
最後に田中彰「小国主義」に関し、岩波新書編集部が出している公式の紹介文を載せておく。
「明治期に中江兆民が『小国主義』を唱え、大正期には三浦銕太郎や石橋湛山らが『小日本主義』を主張して、政府の『大国』路線を厳しく批判したことはよく知られている。日本近代史上、ときに浮上し、ときに伏流化した小国論とは何であったか。日本国憲法こそ小国主義の結実とする著者が示す、知的刺激に満ちた日本近現代史」