アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(462)和田春樹「ペレストロイカ」

近代ロシア史とソビエト連邦史が専門の歴史家、和田春樹による岩波新書の旧ソ連関連書籍には以下の三冊があった。「私の見たペレストロイカ」(1987年)と「ペレストロイカ・成果と危機」(1990年)と「歴史としての社会主義」(1992年)である。

1980年代末から90年代初頭にかけて崩壊前後の旧ソ連を連続して扱った和田春樹の、いわゆる「旧ソ連三部作」とでもいうべき、これら三冊は各冊共に時系列で執筆アプローチもそれぞれに異なっている。まず一冊目の「私の見たペレストロイカ」は、「ペレストロイカ」改革時の1987年春に和田春樹がソ連に二ヶ月間滞在し、その時の見聞や印象を記録しまとめたものである。次の二冊目の「ペレストロイカ・成果と危機」は、1989年に二年ぶりに和田がソ連を再訪して、その間に現地で見聞したソ連の現状と「ペレストロイカ」改革の現時点での成果と今後の課題を記したものである。そうして最後の三冊目の「歴史としての社会主義」は、社会主義を標榜していたソビエト連邦の1991年の崩壊を踏まえ、もはや過去の「歴史」となってしまった社会主義の思想や政治体制を、旧ソ連のみならず東欧諸国や中国らも含め世界史の「歴史」として学術的に概説する内容となっている。

つまりは、一冊目はソ連での個人の滞在記、「私の見たペレストロイカ」の私的な記録・随筆のみであり、二冊目はソ連滞在時の私的な記録・報告と、当時ソ連で行われていた「ペレストロイカ」の改革に関する「成果と危機」の問題指摘の公的な理論的考察との半々の構成となり、そして三冊目は私的な記録・報告を完全に排して、旧ソ連が標榜していた「社会主義」の思想および政治について世界史上の「歴史」の流れと意義を明らかにする「歴史としての社会主義」といった公的な学術的考察の書となっているのだ。

先日、1990年代初頭までソビエト連邦の最高指導者でありソビエト共産党書記長であったミハイル・ゴルバチョフ(1931─2022年)の訃報に接した。そこで久しぶりに岩波新書の和田春樹「ペレストロイカ」を手に取り読み返してみた。「ペレストロイカ」は旧ソ連末期の時代にゴルバチョフが提唱し断行した政治改革の総称である。以下では、1980年代末から90年代初頭にかけての旧ソ連崩壊の前後を連続して扱った和田春樹の「旧ソ連三部作」の内の第二作目に当たる、岩波新書の赤「ペレストロイカ・成果と危機」について書いてみる。

「ソ連をグラスノスチと議会制民主主義の国に変え、冷戦時代を終結させる原動力となったペレストロイカ。しかしそれは、民族問題の噴出、経済改革の停滞、共産党の混迷によって危機にさらされている。発言し行動する歴史家が、大きな成果をあげながらも深刻な危機にあるペレストロイカの現状を報告し、世界史における社会主義の運命を問う」(表紙カバー裏解説)

「ペレストロイカ」は、ソ連末期の時代にゴルバチョフが提唱し断行した政治改革の総称であった。「ペレストロイカ」とはロシア語で「立て直し」の意味であり、これは英語で言えば「リコンストラクション(re-construction・再構築)」、また日本語で言えば「リストラ(re-structuring・組織再編)」の語に該当する。ペレストロイカは共産主義を志向するソビエト連邦にて、国内では共産党指導部による一党独裁体制を、国外ではロシア周辺にある東欧諸国や各地域の社会主義国に対するソ連の直接支配と間接支援の覇権体制を改める改革である。

「ペレストロイカ」の政治改革で国内政治においては、ソビエト共産党による一党独裁の支配体制が批判され、報道の自由、集会の自由、選択肢のある選挙の実施、複数政党制の容認など市民の権利と自由が保障された。全体として「社会民主主義」の体制へと改革移行するものであった。そうした国内政治の「ペレストロイカ」の民主的改革にて支柱をなしたのは、「グラスノスチ(ロシア語で「情報公開」の意味)」とされる。ソビエト共産党による一党独裁の秘密主義の政治や検閲ら情報統制が改められることとなったのである。他方、国外政治においては「ペレストロイカ」の改革断行により、これまでソビエトの直接支配にあった東欧諸地域の各民族の民族自決が尊重され、東欧各国がソ連から分離して独立を果たし、また各地域の社会主義国とソ連本国との覇権支配・連帯の関係も弱まり、結果としてソ連とアメリカの両大国間で続いた軍事的対立の冷戦構造にて、米ソ間での核軍縮条約の締結など、一時的に緊張緩和(デタント)の国際状況を「ペレストロイカ」はもたらした。

先に述べたように、和田春樹による「旧ソ連三部作」の内の第二作目に当たる岩波新書「ペレストロイカ・成果と危機」は、ソ連滞在時の私的な記録・報告と、当時ソ連で行われていた「ペレストロイカ」の改革に関する問題指摘の公的な理論的考察との半々の構成となっており、私的な滞在記録の現地報告の記述と「ペレストロイカ」の現時点での「成果と危機」に関する公的な理論的考察のそれとのバランスが絶妙である。本書の読み味は相当によい。以下に本書の目次を書き出してみると、

「1・ゴルバチョフ、上からの革命、2・世界戦争の時代は終った、3・グラスノスチ、自由の国、4・議会制民主主義の誕生(1)、5・議会制民主主義の誕生(2)、6・連邦の危機、7・民族の身もだえ、8・市場経済への困難な道のり、9・共産党の危機、10・下からの改革、その行方」

本新書は全10章よりなる。全部の章を使って「ペレストロイカ」の改革に関する国内政治と国外政治の問題を全くの欠落なく網羅で挙げているのだ。

1で、まずゴルバチョフの人となりと「ペレストロイカ」改革の全体像を示し、2で「ペレストロイカ」による米ソ冷戦対立の終焉を予測し、3で「グラスノスチ」という情報公開政策による国内メディアの自由化の現状を示し、4と5で共産党一党支配を脱した複数政党による議会制民主主義への模索の動向を記し、6と7でバルト三国ら、ソビエト連邦から分離・独立しようとする東欧諸国の民族独立運動を取り上げ、8でソ連国内での部分的市場経済導入の試みを紹介し、9で今や支配力を失い権威失墜しつつあるソビエト共産党の危機をレポートする。そうして最後に10で「ペレストロイカ」改革の総括と今後の展望をまとめる

というように。

また著者の和田春樹による私的な滞在記録の現地報告の記述の部分でも、和田は当時のロシア在住の知識人や議会、マスコミ関係者、東欧の民族独立運動のリーダーらに直接会って話を聞き、彼らより「ペレストロイカ」の実際の話を現地からの報告としてまとめている。この和田のソ連での人脈の充実ぶりを見るにつけ、確かに本書表紙カバー裏解説文にあるように、和田春樹は近代ロシア史とソビエト連邦史に関し「発言し行動する歴史家」だといってよい。岩波新書「ペレストロイカ・成果と危機」は、情報量が多く大変に密度の濃い「ペレストロイカ」改革に関する力作だと初読時より私は感心していた。本書を読むと1990年当時の改革下のソ連の時代的雰囲気を紙面を通じて如実に感じることが出来る。

さて、岩波新書の和田春樹「ペレストロイカ・成果と危機」のテーマになっている「ペレストロイカ」の政治改革を1980年代末から90年代にかけて進めたゴルバチョフは、2022年8月に亡くなった。奇(く)しくも当時は、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻(2022年2月─)が行われていた。NATO(北大西洋条約機構)への加盟申請など、アメリカら西側諸国への接近を進めるウクライナ、その分ロシアとは距離を取りロシアから離れていく、かつての冷戦時には旧ソ連側陣営に属していたウクライナに対し、自国の覇権回復のため軍事侵攻を進めるロシア大統領のウラジミール・プーチンは、ゴルバチョフ死去に際し葬儀にも参列せず、無関心を貫き冷淡な態度をとった。1980年代末から90年代初頭にかけ旧ソ連にて社会民主主義を志向し「ペレストロイカ」の改革推進をして、ソビエト共産党やKGB(ソ連国家保安委員会。旧ソ連の情報機関・秘密警察)や軍部の支配力低下を招き、遂には1991年にソビエト連邦を崩壊に導いた旧ソ連最後の最高指導者であったゴルバチョフは、「ソ連解体の張本人」として後々までソビエト共産党同志やKGBの秘密警察や軍関係者らから強く恨(うら)まれることとなった。プーチン大統領はKGB出身であり、共産党指導のかつての強いソビエト、さらにはソビエト成立前のロシア革命以前の強大なロシア帝国に憧れ誇り、それへの回帰を希求する熱烈なロシアの帝国主義的愛国者であったのだ。

そうしたプーチンの愛国的心持ちは、ウクライナ侵攻の前より多くのロシア国民に広く共有されていた。あるロシアの独立機関(民間世論調査機関のレバダ・センター)が2017年に実施した調査によれば、ロシア国民の46%がゴルバチョフに対し否定的な意見を持ち、30%が無関心、肯定的な意見はわずか15%ほどであったという。当時ロシア国民の半数近くが、ソ連解体(ロシアの弱体化と混乱)をもたらしたゴルバチョフに対して否定的であった。

しかし、1990年代初頭のソビエト連邦崩壊の時代から早くも過ぎた今日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の最中に亡くなったゴルバチョフについて、彼が旧ソ連時代末期に進めた「ペレストロイカ」という社会民主化を目指した政治改革と共に今一度振り返り、再評価なり再検討をなす時代的気運は再び高まっているのではないか。そういった思いが私はする。