アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(459)稲泉連「ドキュメント 豪雨災害」

岩波新書の赤、稲泉連「ドキュメント・豪雨災害」(2014年)は「豪雨災害」をテーマとしたルポタージュである。2011年9月、和歌山県と奈良県と三重県を襲った台風11号は100名近い犠牲者を出す大水害を紀伊半島各地にもたらした。本書はノンフィクション作家である著者が、主な被災地である奈良県十津川村と和歌山県那智勝浦町の災害現場を後に訪れ、現地の人々に実際に話を聞き、そのことをまとめた「豪雨災害」被害の記録だ。

「決壊する河川、崩壊する山々、危険をはらむ土砂ダム…。東日本大震災から半年後、紀伊半島を襲った台風は一00名近くの犠牲者を生んだ。その時、人々は何を見たのか。奈良県十津川村、和歌山県那智勝浦町の現場を、ノンフィクション作家が行く。首都水没予測も含め、豪雨災害の実態を伝える迫真のドキュメント」(表紙カバー裏解説)

近年、特に2000年代以降の日本列島は台風や線状降水帯の発生による短時間に連続して猛烈に降り注ぐゲリラ豪雨に頻繁に見舞われている。それに伴う土砂災害や河川の氾濫がもたらす家屋倒壊、田畑・道路の浸水被害など深刻である。これも地球温暖化による異常気象の一つの深刻な表れなのか。豪雨リスクに無縁な地域は今の日本には、もはやない。

通常、こうした「豪雨災害」がテーマの書籍は、水害の実態を取材し甚大な損失被害の原因問題を分析し、かつての「豪雨災害」の実態から、将来また起こるであろうこの先の「水害予測」の警鐘や災害に向けて被害拡大防止の「減災」アドバイスを行う内容のものがほとんどである。浸水被害想定のハザードマップの事前の周知、河川・裏山に面した地域住民に対する早めの水平避難・垂直避難の呼びかけ、増水した田畑の用水路や河川に係留している船舶の様子を不用意に見に行かないようにの注意、高齢者の早期避難、自動車で避難する際の危険性の喚起、常日頃からの安全な避難所の確保とそこへの安全経路の確認など。何度となく繰り返し聞かされる常識的で当たり前の「災害心得」に関する内容で正直、読んで私はそこまで引き込まれるものではない。

ゆえに岩波新書「豪雨災害」も、最初は大した期待もせず手に取り読み始めたのだが、本新書はこの手の災害を扱った書籍の中で特に私の心に残り、深刻な豪雨被害を扱ったドキュメンタリーであるので不遜(ふそん)な言い方ではあるが、「例外的に面白い」と私には感じられた。本書を読んで「紙の上に文章で書かれたドキュメンタリーの良さの魅力と、他の映像メディアにはない活字メディアの底力の可能性」といったものを改めて再認識させられたのだ。

岩波新書「豪雨災害」の本論にて著者により何度か指摘されているように、紀伊半島一帯に甚大な被害をもたらした台風11号による災害発生は2011年9月であり、同年3月に起きた東日本大震災から半年後のことであった。そのため、台風11号の災害については当時より全国メディアでの扱いは少なく東日本大震災に関する報道が大勢を占めていたため、私も誠に不覚ながら本新書を読むまで同時期の東日本大震災の津波被害や福島第一原発の放射能漏れ事故ほどには、紀伊半島一帯を襲った台風11号による豪雨被害のことは詳しく知らなかった。ゆえに岩波新書「豪雨災害」は、今でも人々に広く読まれるべきものがあると思う。

そうして当時の東日本大震災での津波被害の報道にて、テレビや新聞・雑誌の公的メディアでは、まさに今津波に呑(の)まれ流されている瞬間の人や、震災被災者の直接的な遺体の映像・写真は規制され一般の人々に広く見られることはなかった。私もテレビや新聞の報道にて、それらショッキングな映像・写真を目にしたことはない。その代わり、海外の非公式メディアやネット上の個人サイトにて、そうした痛ましい直接的な被害状況の映像・写真を多く見たけれども。そもそも映像や写真のメディアにて、まさに今津波に呑まれ流されている人の被害状況を記録し、それを公的に発信・発表することは、これはたまたま現場に居合わせてリアルタイムで記録できる偶然性の困難に加えて、あり得ない。映像・写真のメディアの特性上、「なぜその人を助けることなく冷徹にカメラを回し続けたのか。なぜその瞬間に救護・救命の行動に出ることなくシャッターを押し続けたのか(怒)」の倫理的糾弾が、常にそこにはさまれるからだ。この意味で、災害報道のカメラマンや戦闘地域を渡り歩く戦場カメラマンなどは映像・写真メディアのリアルタイム記録特性がもたらす難しい倫理的問題をいつも抱えているといえる。

他方、紙の上の活字メディアは、映像や写真ほどの即時(リアルタイム)の直接記録の再現性はない。後日に執筆の一定の時間経過を必ず伴う「遅れた」メディアであるが、その利点というか、災害事故に関する活字(言葉)が被害当事者や関係者の事後の回想や証言として語たり伝えられることは、「その場に居合わせたのに、救助の行動なく傍観して冷徹にメディア記録を続けた」云々の倫理的糾弾なく公的にできる。そこが書籍や新聞・雑誌の紙の上の活字メディアの優れた所である。

岩波新書「ドキュメント・豪雨災害」のサブタイトルは「そのとき人は何を見るか」である。本書では、人が豪雨水害で流される状況など、災害当事者の住民が「そのとき何を見たか」という内容で各人が非常に生々しく事後に語っている。その語りの一つに、「人まで流れてくる」の節見出しにて紙面に活字の形で掲載されてある。これが「(河川の氾濫による豪雨の濁流にて)人まで流れてくる」の画をリアルタイムでそのまま収めた直接的な映像や写真であったなら、それが公的に発表され情報流通することは公的メデイアの倫理的規制からして困難であったろう。この意味で、本新書にての「人まで流れてくる」の、和歌山県那智勝浦町の被災住民による、後に引用するような台風11号がもたらした「豪雨災害」の生々しい事後の語りに、私はやや大げさに言って「紙の上に文章で書かれたドキュメンタリーの良さの魅力と、他の映像メディアにはない活字メディアの底力の可能性」といったものを改めて再認識させられたのである。

確かに、この那智勝浦町にて河川氾濫の被害にあった那智川流域住民の事後の語りを、例えば映像メディアで本人語りの動画インタビューとして収録するとか、その語りを文字起こしして画像字幕で流す、さらにはそれをナレーターが洪水のイメージ映像を背景に朗読するなどの方法も考えられるだろう。しかし、語られる言葉と語りの文体とでここまで切迫した被害現場の当時の様子を、ある種の倫理的糾弾を回避して事後に効果的に多くの人に伝えられる、そこが「他の映像メディアにはない活字メディアの底力」であって、「紙の上に文章で書かれたドキュメンタリーの良さの魅力」といえる。

本書の中で災害当事者の一人も取材中のインタビューにて、写真や映像メディアと対照させる形で言葉(活字)による自らの回想の語りに関し述べている。「夜中のあの濁流は写真にも映像にも残っていないんですよね…。津波の映像は誰もが知っているけれど、一方で停電した真っ暗の街の中で、家の前で重なり合った流木と車の上を水が滝のようになって流れ、石が跳ね上がり、人まで流れてくるあの状況は、僕らしか知らないんですよね。それがどのような激しいものだったかを…」と。

以下に引用する「人まで流れてくる」の、氾濫発生した那智川流域の被害住民(那智勝浦町の井関地区・石井康夫区長)の事後の切迫した語りの活字記録は、岩波新書の赤、稲泉連「豪雨災害」での幾つかある読み所の内の最良の一つであり、本書にて絶対に読み逃してはいけない優れた箇所であると私には強く思えた。

「『自宅の二階にいると恐怖を感じました。流木や車がどんどん流れてきて、家に当たるたびに揺れるんやから』雨音の轟音の中に、人の声を聞いたような気がしたのはそのときだった。停電によって暗闇に包まれた家々では、住民たちが二階の窓から懐中電灯を振ってお互いに無事を確かめ合っていた。しかし下の道はいくら照らしても木々やゴミが流れる水流が見えるだけで、人の姿を確認することはできなかった。それでもやはり助けを呼ぶ声は近くから聞こえ、ドンドンという音が響いているのが分かった。目を凝らすと、一人の若い男性が必死に家の壁を叩き、自分の存在を知らせようとしているのが見えた。
 石井区長はまだ浸水の始まっていない一階に降りたが、玄関のドアは押してもびくともしなかった。どうやら外の水圧で開かなくなっているらしい。そこで彼は再び二階に駆け上がると、シーツを取り出して二回の窓から男性に向かって投げ降ろした。だが、シーツは一枚では長さが足りず、妻に声をかけてさらに二枚を結び合わせ、再び窓から投げた。男性は幸いにもそれをつかむことができたが、どれだけ引っ張っても流れが強く、引き上げるまでには至らなかった。男性もシーツを体に括り付ける余裕はなく、必死にしがみ付いていることしかできない。『とにかくつかまってろ!』彼は轟音の鳴り響くなか大声で叫び、妻とともに『がんばれ』と励まし続けた。『一時間以上はそうしていたと思います。どうにか二階に上げられたのは、夜が明ける頃のことでした。家に流木がたくさんひっかかったので、それを伝って引っ張り上げることができたんです。流されてきた彼はうちから一五0メートルほど先の人で、外に出てみた途端に足をすくわれて、そのまますこんと倒れて流されたとのことでした。あっちに当たり、こっちに当たりしながら流れてきたので、助け出した時は血だらけでしたよ』
 こう当時を振り返る彼は取材中、ふと黙り込んで『でも…』と続けた。『朝は水が少し引いていましたから、夜中のあの濁流は写真にも映像にも残っていないんですよね…。津波の映像は誰もが知っているけれど、一方で停電した真っ暗の街の中で、家の前で重なり合った流木と車の上を水が滝のようになって流れ、石が跳ね上がり、人まで流れてくるあの状況は、僕らしか知らないんですよね。それがどのような激しいものだったかを…。水の流れはもう川そのもので、ものすごい早さなんです。二時間も三時間もそれが続いて、持ち堪えていた家も何かの拍子で車が当たると流れ始めるんです。そして別の大きな建物に引っかかる。全部流れて行ってしまう。もうこのへんは全部家が流れてきているんですから』」(「第二章・那智谷を襲った悲劇・人まで流れてくる」82─84ページ)