アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(458)田中優子 松岡正剛「江戸問答」

岩波新書の赤、田中優子・松岡正剛「江戸問答」(2021年)の概要はこうだ。

「江戸問答とは、江戸の社会文化から今に響きうる問いを立てることである。近世から近代への転換期に何が分断され、放置されたのか。面影、浮世、サムライ、いきをめぐる、時間・場を超越した問答から、『日本の自画像』を改めて問い直す。ロングセラー『日本問答』に続く、第二弾」(表紙カバー裏解説)

本書は日本近世文化史・アジア比較文化学専攻の田中優子と、編集工学研究所所長であり、ネット上で屈指の人気書評コンテンツ「千夜千冊」を連載している松岡正剛の二人による江戸時代についての対談である。一人が数ページに渡り長く語り、交代で同様に相手が長く延々と語るというようなロングの対談形態ではなく、一人が割りかし短い発言をなし、それを受けてもう一人が瞬時に反応してブレインストーミング的に新たな話題が次々に出て話がどんどん展開していく。おそらくは事前に何を語るか当事者たちは厳密に決めておらず、その場の空気や偶然の話の流れで対談のやり取りは早く進んでいく。そうした二人の語り口のなめらかさ、テンポの良さが本書の何よりの魅力であり、この意味で岩波新書「江戸問答」は、タイトル通りの「江戸」に関する丁々発止の「問答」と言ってよい。読んで紙面から直に伝わるのだが、田中と松岡の二人が日頃から懇意で互いに気心知れた間柄であるに相違なく、とにかく田中優子と松岡正剛の両人の発話の早いテンポが本書は読んで心地よい。

「江戸問答とは、江戸の社会文化から今に響きうる問いを立てることである」と表紙カバー裏解説文にあるように、本新書は江戸時代そのもの、例えば江戸の幕藩体制や封建社会経済や江戸思想史(学問と宗教)それ自体を必ずしも正面から本質的に丁寧に語り尽くすものではない。むしろ今の現代日本の問題から、その問題の由来や解決方向を往時の江戸の社会や人々から積極的に学び活かそうとする語りの姿勢が顕著である。この意味で、確かに今回の「江戸問答」は、以前に出た日本人論ないしは日本文化論の広いテーマを扱った、同じく田中優子と松岡正剛による岩波新書「日本問答」(2017年)の続編であり、「問答」シリーズの第二弾であるといえる。まずは前著の「日本問答」を読み、その上でこの「江戸問答」を読むの順序を踏むのがよいと思える。

私は、江戸時代の日本近世史を大学時代に専攻した歴史学徒でもなければ、その筋の江戸の専門的な研究者でもない。ただ人並みか世間一般の人よりかは、ほんの少しだけ多く江戸時代について知っている。私は江戸時代に関しては、特に江戸の思想史が好きで、その分野の先行研究に親しんできた。近世江戸の学問流派なら古学の荻生徂徠と国学の本居宣長が筆頭であり、他の江戸時代人より頭二つくらい抜きん出て、この二人は何よりも外せない。徂徠と宣長は特に読まれるべきだと思う。また研究では吉川幸次郎や小林秀雄、丸山眞男と丸山学派の松本三之介、尾藤正英、源了園、平石直昭、子安宣邦らの著作を私は昔から愛読している。

そうした江戸時代への自分の向き合い方からして、前述のように、本書「江戸問答」は後の時代の問題を江戸の社会や人々から積極的に学び活かそうとする田中と松岡の両人の語りの姿勢が顕著であるから、江戸そのものを主な対象として中心的に深く掘り下げて語っていないの不満は残る。「江戸問答」のタイトルに期待して読むと正直、肩透かしを食らう。この書籍でなされる「江戸問答」は、あくまでも最初に現代日本社会の問題(ナショナリズム、コロナ禍、自然災害、SNSでの匿名による中傷被害など)や、後の明治の時代の政治家・思想家たち(西郷隆盛、内村鑑三、岡倉天心、清沢満之ら)が実は江戸の学問に案外強く影響を受けていたり、彼らの思想基盤が近世江戸にあることを受けて、そこから江戸への言及に遡(さかのぼ)る語りになっているのだ。このことを了解した上で、「江戸問答」などと言いながら「必ずしも江戸の話題が中心ではない、ここでの江戸は現代日本や後の明治期の日本の特質を読み解き深く理解するための手がかりの従的手段としてある」意識をもって、あらかじめ本書に臨むことも必要だろう。

それにしても岩波新書「江戸問答」では、持続可能なエコロジー型の循環社会とか、儒学の各学派や藩校・私塾の乱立の学問「自由」の多様性とか、町人文化における「いき」の非境界性の闊達(かったつ)さなどの各観点から、江戸時代の社会や文化や江戸の日本人に田中優子も松岡正剛も相当に好意的であり、全般に高評価を下している。これも戦後歴史学にて長い間主流であったマルクス主義の唯物史観的立場、「日本の江戸時代は、まぎれもない封建時代の封建社会であって多くの人は過酷に収奪され、市民的自由の権利保障もなく不当な抑圧に人々が苦しむ、やがては近代社会の到来にて克服されるべき苦しく暗い時代であった」の、「暗黒の江戸時代」史観に対する反動であるのか。

岩波新書の赤、田中優子・松岡正剛「江戸問答」を始めとして、最近の日本近世史の研究者や江戸に関する文筆の識者たちは、今度は逆に日本の江戸時代全般を無駄に不必要なまでに褒(ほ)めすぎだ(苦笑)。各人に対する人権尊重の意識に基づく市民的自由の各保や民衆への参政権付与らの欠損不在といった、江戸時代にはやがては後の時代により克服されるべき課題や問題点が多くあった。江戸の都市文化は表面的に多様性や多重性が一見あるように見えて、その表層の「多彩さ」とは裏腹に幕府により巧妙に監視統制された文化でもあった。ゆえに、そこまで江戸の政治体制や社会文化や思想学問や江戸時代の日本人を賞賛して高く評価する必要はない。日本の近世江戸を過激に全否定して切り捨てる必要はないが、かといって逆に誰も彼もが江戸礼賛一辺倒の最近の風潮に正直、私は不満である。