「季節と読書」の関係で言うと毎年、夏の暑い盛りの八月になると、太平洋戦争ら先の日本の戦争についての書籍をなぜか読みたくなる。これは私が紛(まぎ)れもない日本人であるからに相違ない。同様に冬の寒い季節になると、今度はロシア革命に関する書籍を決まって無性に読みたくなるのであった。これには社会主義革命であるロシア革命の運動理論であり、その思想的原動力となったマルクス・レーニン主義に私が一目置き、昔から熱中していたことによる。ただし私は昔も今もこれまでに一度も日本共産党に入党したことはないし、自分が共産主義者だと思ったこともないのだが。
寒い冬の季節にロシア革命についての書物を手に取り読むと、極寒ロシアで当時に革命に関わった人たちのことに思いを馳(は)せ思いが募(つの)り、読んで胸が熱くなる。極寒の厳しい環境の中で生活の困窮から人々が立ち上がり、その流れが社会主義革命の一大潮流にまでなって遂には既存の政治体制打倒の刷新に至り、世界史が大きく転回する。厳しい寒冷気候地域で勃発した史上初の社会主義革命であるというのが、ロシア革命の絶妙な味である。気候的寒さに共産主義志向の社会主義革命はよく似合う。
ここで「ロシア革命」の概要を軽く確認しておこう。
「1917年にロシアで起こった三月革命(ロシア暦二月革命)と十一月革命(ロシア暦十月革命)のこと。特に史上初の社会主義革命である後者を指すこともある。第一次世界大戦中、ロシア社会の矛盾は一層深刻になった。外国資本は引きあげ、低い労働条件はさらに低下し、労働者は革命化した。また軍は拙劣な指導と劣悪な装備のため連敗し、兵士も革命化した。さらに戦争への農民・家畜の動員は農業生産を低下させ、輸送ルートは麻痺して、都会の食糧危機を招いた。1917年3月、首都の食糧危機が原因で革命がおこり、300年あまりに渡ったロマノフ朝の支配は終わった。その後成立した臨時政府はブルジョアジー側に立ってイギリス・フランスとの関係を重視し、戦争継続策をとったが、労・農・兵はパンと平和を求めてソヴィエトに結集し、二重権力の状態となった。ボリシェヴィキの指導者レーニンは亡命先から帰国後、ソヴィエト内での勢力拡大に成功し、11月7日臨時政府を打倒し、社会主義政権を樹立した」
ロシア革命を概説した書籍は昔から数多くある。図版・イラスト豊富な初学者向けの易しい入門書から、箱入り重厚な専門研究書までロシア革命に関する書物は実に様々にある。ジョン・リード「世界を揺るがした十日間」(1919年)、トロツキー「ロシア革命史」全5巻(日本語版、2000年)、E・H・カー「ロシア革命」(1979年)などは、やはり必読で定番の古典であろう。岩波新書でいえば、クリストファー・ヒル「レーニンとロシヤ革命」(1955年)やドイッチャー「ロシア革命五十年」(1967年)らの青版の新書があった。特にクリストファー・ヒル「レーニンとロシヤ革命」は古いものだが、ゆえに最新のロシア革命研究の成果は盛り込まれてはいないけれど、革命指導者であるレーニンに焦点を定め、「革命のまえ」「革命」「革命のあと」の三部構成でレーニンを中心にロシア革命を初学者向けに簡潔に概説していて、本書は名作であると思う。現在でも十分に読まれる価値がある。
またレーニンの主著「帝国主義論」(1916年)に加えて、彼が生涯に渡り書き留めたマルクスについての文章を集成した岩波文庫のレーニン「カール・マルクス」(1971年)も古典の名著であり、その理論的精密さは今でも無心に読まれるべきものがある。
レーニンを始めスターリンや毛沢東ら共産主義者で社会主義革命をなした政治指導者は革命後の政治も含めて、同志間での権力闘争や一党独裁、自身への個人崇拝強要や人民に対する粛清弾圧ら実際に大いに問題もあるけれど、彼ら共産主義者はマルクスの文献を読み込んで政治的実践に臨んでおり、文献を読めるし理論考察もできる知識蓄積と理論研鑽(けんさん)とで相当に鍛えられた、俗に言う「勉強ができて頭が良い秀才」な人達であった。事実、レーニンや毛沢東はマルクス主義の文献を読んで、政治・経済の表面的なものにとどまらない、弁証法的唯物論の物事の道理に関する深い洞察を有していた。彼らは、単なる権力奪取で自身が権力者としてありたい私的欲望の動機のみで動いていたわけでは決してない。
共産主義者が志向する社会主義革命には、前近代の封建的専制に対する批判と、近代の資本主義国の帝国主義的振る舞いに対する理論闘争の明確な批判意識の「革命の大義(正当性)」があった。史上初の社会主義革命であるロシア革命において、革命の理論的正当性は、例えば「平和に関する布告」(1917年)、ブレスト=リトフスク条約(1918年)に見られる「無併合・無賠償・民族自決」という第一次世界大戦でのソヴィエト独自の戦争終結方式の原則のうちに見事に集約されていた。欧米各国の資本主義の帝国主義が戦勝によりアジア・アフリカら第三国を併合し賠償請求して各地域の民族自決を否定し次々に植民地化して覇権を広げていく動きの完全な逆を行って、「無併合・無賠償・民族自決」の原則を掲げ、それら帝国主義的な資本主義国と対抗することでレーニンが指導の社会主義国のソ連は自らを鍛え上げ、ロシア革命の理論的正当性を保持したのであった。第一次大戦下でレーニン指導のソ連は、「無併合・無賠償・民族自決」といった誰もが公然と否定できない国際人道上の正義の看板を味方につけていた。
これら「平和に関する布告」、ブレスト=リトフスク条約に象徴的に見られるロシア革命時のレーニンによる帝国主義戦争に対する批判(「平和に関する布告」)といった自らに理論的正当性を引き寄せる国際政治姿勢の戦略は、現実に当時のソ連が北欧や東欧らの第三国に対し「無併合・無賠償・民族自決」の他国尊重の「平和」の正義で誠実に処したかどうかは別にして、たとえそれが建前上のポーズであったとしても実に見事だという他ない。ロシア革命をなしたウラジーミル・レーニンは確かに「理論的には」正しかったのだ。
最後に岩波新書の青、クリストファー・ヒル「レーニンとロシヤ革命」の帯にある文章を載せておく。
「ロシヤ革命の影響は年をへるごとに世界的にひろまり、現在世界の三分の一では社会主義が現実となっている。いかなる人もこの事実に眼を掩(おお)うことはできないであろう。本書はなんら予備知識をもたない読者を対象に、レーニンの活動と思想の発展のあとを辿(たど)り、彼の生涯の事業であった革命の本質と成果を解明する。著者はイギリスの著名な歴史学者」