現職の国会議員が、自身が取り組む目下の政策や自己の政治観や国家観を人々に広く知らしめるために、党代表の重職に就いたり、総理大臣に就任して内閣を組閣する際の節目に自著を上梓することはよくある。その事例として、古くは小沢一郎「日本改造計画」(1993年)や、近年なら安倍晋三「美しい国へ」(2006年)、岸田文雄「岸田ビジョン」(2020年)などが挙げられる。公明党や日本共産党ら自党の出版メディアを持っている政党に所属の政治家なら、その出版社から直接に書籍を出すのだろうが、自民党ら独自の出版メディアを有していない政党の政治家は既存の商業系の出版社から自著を出す他なく、前述の政治家書籍の例でいえば、安倍晋三「美しい国へ」は文藝春秋からであったし、小沢一郎「日本改造計画」と岸田文雄「岸田ビジョン」は講談社から出ていた。社会の注目を集める、いわば「時の人」である重要ポスト就任の現職政治家による著作は非常に多くの人々に読まれ、相当な売り上げをたたき出すはずだから、書籍を編集して出す側の各出版社も、そうした現職政治家が執筆の著書なら是非とも自社で担当販売したいと思っているに違いない。
こうしたことから、「どれだけ現職政治家の執筆書籍を自社担当に誘導して自分たちの仕事にできるか」は、その出版社の編集者や営業担当社員の力量の優秀さを示す腕の見せ所といえる。有権者の世間の目を気にして、絶えず自身の政治家の良イメージ形成維持に細心の注意を払う現職の政治家は、だいたい実績がある大手出版社を選んで無難に自著を出す。彼らは、変な噂や過去に失策があった三流新興の怪(あや)しい出版社から滅多に自著は出さない。そういった危ない橋は絶対に渡らないものだ、有能でデキる国会議員や都道府県知事や市長ら現役政治家というのは。
さて古くからの歴史がある老舗(しにせ)で大手の岩波新書から現職政治家の書き下しの新書が出ていたか、ふと思いめぐらしてみたら確かに以前にあった。岩波新書の赤、菅直人「大臣」(1998年)である。
菅直人という人は、なかなかの異色な日本には珍しいタイプの政治家であると、かねがね私は感心し菅の政治活動にその都度、注目してきた。何よりも菅直人は政治家一族の家柄出身ではない非世襲議員である。祖父や伯父(叔父)や父親がかつて国会議員であったという親族の地盤・看板・カバン(支持基盤・知名度・政治資金)を引き継いだ世襲議員や二世議員が異常に多い「日本の政治」の伝統風土の中で世襲の二世議員ではなく、市民運動から自力で頭角を現し国会議員になって遂には内閣総理大臣に就任した。菅は戦後の国政において非常に稀(まれ)な例外ケースで、非世襲議員から首相にまでなった政治家であった。私は菅直人という人は日本の戦後政治にて、間違いなく後世の歴史にまで名が残る特筆すべき歴代総理大臣であり、優れた有能な政治家だと思う。
ここで菅直人の政治家仕事の経歴を概観すると以下のようになる。
1980年・衆院選で初当選(これまで二度の落選を経て34歳で国会議員になる)
1994年・新党さきがけに入党。村山富市自社さ連立政権にて、新党さきがけの政策調査会長の要職を務める。
1996年1月・第一次橋本龍太郎内閣に厚生大臣(第80代)で初入閣。薬害エイズ事件、病原性大腸菌集団感染問題(0−157とカイワレ風評問題)に対応。
1996年9月・鳩山由紀夫が旗揚げした民主党に参加。鳩山と共に党代表となる。
2009年・自民党から政権交代を果たした民主党、鳩山由紀夫内閣発足に副総理で入閣。国家戦略担当大臣も兼務。
2010年・鳩山内閣の退陣を受け、民主党代表選挙に勝利し首班指名選挙を経て、第94代内閣総理大臣に任命される。菅直人内閣発足。
2011年3月・東日本大震災、福島第一原子力発電所事故が発生。総理大臣として災害・事故の対応に当たる。
2011年9月・民主党の野田佳彦内閣発足に伴い、総理大臣退任。
2016年3月・維新の党らと合流した民進党に所属。
2016年10月・民進党のリベラル派議員からなる立憲民主党に参加。
岩波新書の菅直人「大臣」は初版が1998年で、後に加筆した増補版が出されたのは2009年であるから、先に挙げた菅直人の政治家仕事の経歴と重ね合わせて見ると、1996年に自社さ連立政権の橋本龍太郎内閣に厚生大臣で入閣し、まさに厚生「大臣」として薬害エイズ事件や病原性大腸菌集団感染問題(0−157とカイワレ風評問題)に対応した際の自身の「大臣」経験と、長年に渡る自民党保守政権から念願の政権交代を果たし、政府与党の立場にあった2009年に鳩山民主党内閣にて副総理と国家戦略担当大臣就任時の自身の振り返りを踏まえて、岩波新書「大臣」は執筆されていることが分かる。確かに菅直人「大臣」の内容は、
「1996年1月、橋本内閣の厚生大臣に就任。以後300日、薬害エイズ、介護保険法案、O−157、豊島産廃不法投棄と、さまざまな課題に直面するなかで、何を求め、どう動いたか。市民派政治家が体験した『大臣』という仕事の虚実を具体的に公開し、大臣・内閣、国会、官僚組織ひいては日本の政治の目指すべき姿を熱く説く」(「初版」表紙カバー裏解説)
「官僚依存を脱し、政治主導へ。鳩山政権の副総理・国家戦略担当大臣である著者が『官僚内閣制』から『国会内閣制』へ転換するための具体的な道筋を説く。国家戦略局とは何か。厚生大臣の経験をもとに内閣や大臣の実態を描いた一九九八年の旧著に、新たに民主党政権の理念と方針、イギリス議会政治の視察報告などを加えた増補版」(「増補版」表紙カバー裏解説)
であり、直近の自社さ連立政権にての自身の厚生「大臣」の経験に基づく日本の政治に関する分析考察と、増補時の民主党政権与党議員であり当時の内閣副総理と国家戦略担当大臣の役職にあって、日本の戦後政治にて長期に渡り続いた自民党保守政権に対する容赦のない菅直人による批判言説になっている。つまりは、本新書にある菅直人の言葉「大臣三百日で見えたもの」「一九九六年の厚生大臣の経験から」というのは、自社さ連立政権での自身の厚生「大臣」の経験にて菅直人が痛感した日本政治の問題の指摘であり、また「国民主権への道」「民主党政権は政治主導をどう進めるか」というのは、増補版執筆時の、自民党より政権交代を果たした民主党政権からする、かつての長期の自民党保守政権時代の日本の政治に対するこれまた問題指摘の話である。菅直人「大臣」の書籍は、以上の2つの主な内容からなっているのだ。
それら子細な内容は実際に本新書を手に取り各自で熟読してもらうしかないが、ここで本書の概要を大まかに述べるとすれば、著者の菅直人により繰り返し問題にされ深刻に語られるのは、「政治家を差し置いての官僚主導の日本の政治の問題」である。これは「日本政治にての立法をないがしろにした行政肥大の問題」と言い換えてもよい。つまりは次のようなことだ。
そもそも戦後日本の日本国憲法下にて、国内政治は立法と行政と司法の三権分立よりなる。その内の「立法」は公的選挙により国民の投票信託を受けた国会議員が国会に属して立法権を行使し、また「行政」は、立法と行政とが接続する「議院内閣制」により、立法に属する国会内での最大議席獲得政党(政権与党)の代表が内閣総理大臣に指名され、その首相が各大臣を任命し組閣して、総理と各大臣は「行政の長」となり、行政権を初めて行使できるのである。そうして、さらに地方自治ではない、国内の中央政治には立法の国会議員とは出自が別な各中央省庁(俗にいう霞が関の役所)に属する「官僚」がいるわけである。彼ら官僚は、通常は難関な国家公務員試験を合格して各省庁に大学卒業後の新卒採用で入省してくるエリートたちであり、優秀なキャリア組の官僚である。彼ら官僚は「霞が関」とか「役人」とも呼ばれる。このように中央政治の「行政」には立法の国会から来る国会議員でもある首相と各大臣がいて、それとは別に元から各省庁に属している国家公務員の官僚(役人)もおり、しかし日本の場合は総じて国会議員の「首相と大臣」よりも、国家公務員の役人である「官僚」のほうが力を持ち決定権と実行力を以て行政権を発揮し官僚主導で政治を行ってしまう。遂には首相と各大臣は「行政の長」でありながら無力な飾りに過ぎす、現実は官僚が実働し時に暗躍して、政治家の「首相と大臣」は役人たる「官僚」の指示に従い、言いなりになってしまう。この現象をして「政治家を差し置いての官僚主導の日本政治の問題」とか、「日本政治にての立法をないがしろにした行政肥大の問題」と一般に指摘にされる。
以上のような「政治家を差し置いての官僚主導の日本政治の問題」には、もともと首相や各大臣になり行政担当する国会議員の任期が非常に短かく(長期政権の安定した内閣でも総理の在職は長くて数年、総理以外の各大臣に至っては内閣改造でわずか数カ月で大臣が頻繁に変わることはよくある)、それに比べて、国家公務員として大卒の新卒採用で入省してくる役人の官僚は定年退職時まで雇用保障され、一つの省庁の特定分野の行政を数十年に渡り継続して担当するため、役人である官僚の方が行政政策に知悉(ちしつ)の政策通なプロの専門家になり、他方で任期が少ない就任期間が不安定な政治家である首相と大臣は、政策全般に精通しておらず結果、行政に際して政治家が官僚の言いなりになってしまうの事情背景があった。その他にも、首相と大臣の政治家らの行政に対する根本的な理解不足の政策勉強不足の問題や、自身の選挙票田の支持母体である特定団体・業界に対し非合理で無理筋な利益誘導を強引になす「族議員」存在の問題(例えば、全国医師会や各地の医療法人や製薬会社を支持母体とし「厚生」分野を票田にして議員当選を果たした国会議員は、彼ら厚生関係団体・業界に利するよう規制緩和の行政改革ないしは既得権益確保のための行政保護政策といった露骨な利益誘導政治をなすことから、そうした国会議員は「厚生族議員」と否定的に蔑称されたりする)が、結果として政治家不信で官僚主導の行政を誘発する事情などよく指摘される。
これは事実、相当に深刻な大問題なのである。このような「政治家を差し置いての官僚主導の日本政治の問題」、ないしは「日本政治にての立法をないがしろにした行政肥大の問題」があれば、霞が関の中央官庁の役人たる官僚が、「行政指導」の名のもとで独自に政治判断をし時に暴走して、遂には行政指導対象の民間企業や法人団体が官僚に対し手心を加えた行政施策を期待・強要するため、役人たる官僚が接待(飲食を介した利益提供)や天下り(官僚が退職後に出身官庁が管轄する業界団体や民間企業に再就職斡旋を受ける利得行為)の利権享受をなして、さらに官僚が権力を持ち肥大化し腐敗してしまう。また首相と大臣からなる時の内閣の行政組織は、彼らは同時に国会に属する公的選挙にて国民からの投票信託を制度上は受けた「(行政)権力行使の正統性」を有する政治家であるが他方、国家公務員試験をパスして新卒採用で各中央官庁に配属されるキャリア組の官僚は、実はただの行政官庁機関の役人でしかなく、その就任選出には公的選挙を経ての国民一般からの投票信託を受けていない。そういった政治家ではない、霞が関のただの行政官庁の役人に過ぎない官僚が、政治家を差し置いて行政権力を大々的に行使するのは、民主主義下の民主政治のあるべき点、「(行政)権力行使の正統性」有無の観点からして相当に非民主的で反民主主義であり、かなり問題あることなのである。
岩波新書「大臣」の中で、「内容をともなっていない国民主権の実態」や「官僚主権国家における民主主義の不在」といった、民主政治の欠落として「政治家を差し置いての官僚主導の日本の政治の問題」が頻繁に語られ非難され、「脱官僚主導」や「官僚主権から本来あるべき国民主権へ」というように、「日本政治にての立法をないがしろにした行政肥大の問題」の解決が今後なされるべき民主政治回復の文脈にて繰り返し強く主張されるのは、以上のような昔から伝統的に今日でも日本の政治にて継続する官僚主導による行政肥大の深層問題に由来している。
岩波新書の赤、菅直人「大臣」は、これまで述べてきたように、執筆時に直近の菅直人本人による1996年に自社さ連立政権の橋本内閣に厚生大臣で入閣し、まさに厚生「大臣」として薬害エイズ事件や病原性大腸菌集団感染問題(0−157とカイワレ風評問題)に対応した際の自身の「大臣」経験を踏まえた上で書かれた日本の政治問題指摘の書籍であった。
この後、菅直人は2010年の鳩山内閣退陣を受け、民主党代表選挙に勝利して首班指名選挙を経て第94代内閣総理大臣に任命され、菅内閣が発足する。そうして2011年3月に東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の放射能漏(も)れ事故が発生し、その原発過酷事故に菅は、一国政治の最高責任者である内閣総理大臣として一貫して責任ある対応を厳しく迫(せま)られることになる。
岩波新書「大臣」にてクローズアップして取り上げられた「日本政治にての立法をないがしろにした行政肥大の問題」以外にも、菅直人が首相在任中に向き合った前代未聞の過酷原発事故をめぐる当時の内閣府の首相官邸の判断・行動や、原発運営管理者であり原発事故の当事者であった「東京電力」という民間企業に対する、事故収束対応に関する政治家の内閣と監督官庁たる中央省庁の官僚よりの行政指導の政治指示の内実、さらには内閣総理大臣であった菅直人から出された自衛隊への司令命令の実態を、より詳しく知りたいと私はかねがね願ってきた。赤版の「大臣」に引き続き、岩波新書から福島第一原発事故をめぐる菅直人の詳細な回想録もしくは聞き取りのロングインタビュー集が今後出ることを、多分に望み薄であるが、私は密(ひそ)かに期待している。