アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(433)兼子仁「国民の教育権」

岩波新書の青、兼子仁「国民の教育権」(1971年)は、日本国憲法や教育基本法ら法的理念から、現実の教育をめぐる理念浸透具合の不足ならびに明らかに間違った方向への反動誘導の弊害を実際の学校現場の問題や教育「改革」の政治の誤りとして指摘していく、いわゆる「教育時事」の新書だ。

本書で主に問題にされているのは、教員の勤務評定、全国学力テストの実施、学校行事における「君が代」斉唱「日の丸」掲揚の義務(強制)化、国による教科書検定制度、私立学校における教育の自由と公的補助のあり方、在日外国人学校に対する教育の自由の保障、大学における教育自治、教育委員会の公選から任命制への移行問題、教育基本法改正の問題などである。1971年初版の本新書は1970年代の教育時事をほぼ網羅しており、私はまだ生まれておらず当時のことをリアルタイムで知らないが、後に読んでこの時代の教育をめぐる社会世相の雰囲気を如実に感じることができる。

岩波新書「国民の教育権」の読み味は、同じ岩波新書でいえば、後の「教育とは何かを問い続けて」のそれに似ている。岩波新書の大田堯(おおた・たかし)「教育とは何かを問い続けて」(1983年)は1983年初版であり、本書は80年代の教育時事をこれまたほぼ網羅していて、本書を読んで1980年代の日本の教育をめぐる社会的世相の雰囲気を感得できる。1980年代の大田「教育とは何かを問い続けて」では、1970年代の兼子「国民の教育権」にはない教育行政以外での児童・青年側からの問題、例えば学校内でのいじめや青少年の不良化(シンナー、万引、暴走族など)や校内暴力らが1980年代には深刻に教育現場の学校に露出していることも示しており、そこが同じ教育時事を扱った新書であっても前の時代の兼子の著書とは異なる注目の点だ。

日本国憲法や教育基本法ら法的理念から見た、現実の教育をめぐる理念浸透具合の不足や明らかに間違った方向への反動誘導の弊害を、実際の学校現場の問題や教育「改革」の誤りとして指摘していく「教育時事」は、それら問題がただ漠然とどこからともなく自然に生じてくるのではない。そうした不足の教育行政や明らかに誤った反動的な教育「改革」は、時の内閣や政権与党から強制的になされるのが常であるから、教育時事を論ずる場合、特に戦後日本の教育問題を述べるに際しては、当時の歴代の自民党保守内閣と政権与党であった自民党の教育政策に対する批判や苦言や修正要求の提言となる。事実、岩波新書「国民の教育権」も、以前の自民党保守政権たる岸信介内閣における「教員の勤務評定」への痛烈批判から筆を起こし冒頭に書いている。「教員の勤務評定」(1958年)は、岸内閣にて「警察官職務執行法」(1958年)と共に出された二大国民統制法案であり、「教員の勤務評定」は学校現場での教職員の組合運動活動の抑え込みを「教員に対する勤務評定」の無言の圧力にてはかる、時の政府が日教組(日本教職員組)を標的にした、あからさまな組合潰(つぶ)しの政策であった。そうして岸内閣での「教員の勤務評定」は教育現場での激しい反対闘争にあい、「警察官職務執行法」と共に当時、廃案となったのであった。

1971年初版の岩波新書「国民の教育権」を今日改めて読み返してみると、本書にて問題とされ批判・反対されていた歴代の自民党内閣が推し進める教育政策が、たとえ廃案となっても、後に継続して国会に法案提出され、ちょうど世論が当法案に無理解であったり国民全体の無関心が広がった隙(すき)を突いて、大きな世論形成や国民的議論の背景なく、どさくさにまぎれ誠に絶妙な時宜(タイミング)で教育をめぐる明らかに誤った反動復古的な数々の教育政策が特に2000年代以降の自民党政権下にて連続して成立していることに私は驚く。本新書を1970年代に執筆した著書も、2000年代以降の教育行政をめぐるこの深刻な反動復古の事態は予測できなかったに違いない。そのことを思うと1970年代に出された岩波新書「国民の教育権」を2000年代以降に読んで、私は考えさせられて非常に暗くて重い悲観的な憂鬱(ゆううつ)な気分になるのであった。

以下では、本新書にて様々に取り上げられている数々の教育問題の中で教育基本法改正の教育時事について、本書には書かれざる2000年代以降のこの問題帰結にまで触れ、私なりに述べてみたい。教育基本法改正の問題は、本書では「Ⅴ・教師の教育権の独立」の中の「1・教育基本法一0条が禁ずる教育への 『不当な支配』」にて論述されている。

教育基本法は戦後の1947年3月に制定され、その法制定の趣旨は1946年11月に公布されて翌47年5月に施行された日本国憲法に合致し、教育基本法は日本国憲法に従いその法的根拠の下にあるものである。教育基本法の前文には「ここに、日本国憲法の精神に則(のっと)り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する」とあり、その制定の趣旨は日本国憲法と一致し、確かに教育基本法は日本国憲法の法的根拠の下にあった。それは当たり前で、近代国家における立憲主義では憲法が最高法規であるから、あらゆる各種法律は憲法の法的趣旨に従い、その法的根拠の下にあるのであって、各種の法は法制定の趣旨や法解釈や法の運用において憲法と矛盾や乖離(かいり)があってはならない。

1947年3月制定の教育基本法・第10条の「教育行政」の条文は以下である。

教育行政(第10条)「教育は、不当な支配に服することなく国民全体に直接責任をもって行われることを規定し、教育行政の目標は、教育に必要な諸条件の整備確立とされている」

この教育基本法の第10条の法規的読み方はこうだ。教育法学界の通説によれば、当第10条にて「教育への不当な支配」が禁じられるのは教育活動の自主性を保障するためである。したがって政治勢力が教育を支配することは全てよろしくないが、なかでも国による教育行政が法的拘束力をもって教育活動を統制することは明らかに「教育への不当な支配」に当たる、とする。何だか遠回しな回りくどい言い方だが、より分かりやすく平たく言えば、教育基本法(1947年3月制定)は直近の日本国憲法(1946年11月公布、1947年5月施行)における個人の基本的人権の尊重原則を踏まえ、それに準ずるものであり、教育基本法制定の直後に戦前よりあった「教育勅語の失効」(1948年6月)の議決が国会でなされていることから、本法第10条にての「教育への不当な支配」というのは、戦前日本での教育勅語の発布(1890年)に見られるような、国家による個人への国家主義的ないしは軍国主義教育の強制の政治的圧力を意味すると解釈するのだ妥当だ。

事実、戦後の教育基本法制定時、教育行政の長であった文部大臣の田中耕太郎は次のように述べて、本法第10条に関し、戦前の国による「軍国主義及び極端な国家主義的教育の跳梁(ちょうりょう)」に対する批判と反省とを踏まえ、条文中にある「教育への不当な支配」とは、時の政府の国家による行政的権力支配の行使と地方行政による官僚的支配の不当な政治的干渉であると明確に断定していた。また国会答弁で後の歴代文部大臣も複数人が、これと同様な法的解釈を政府の公的立場として明言している。

「従来の我が国における教育は或いは政治的に或いは行政的に不当な干渉の下に呻吟(しんぎん)し、教育者はその結果卑屈になり、教育全体が萎縮し歪曲せられ、その結果軍国主義及び極端な国家主義的の跳梁(ちょうりょう)を招来するに至ったのである。…教育は政治的干渉より守られなければならぬとともに、官僚的支配に対しても保護せられなければならない。…教育者の使命たるや本来宗教家、学者、芸術家等のそれと性質を同じうして居り、従って官公吏たる教員と雖(いえど)も、上級下級の行政官庁の命令系統の中に編入せらるべきものではない。かような趣旨からして、教育基本法第十条は、教育行政の根本方針を規定している。教育は不当な行政的権力的支配に服せしめられるべきではない」(田中耕太郎「新憲法と文化」1948年)

ところが、本法第10条の「教育への不当な支配」をめぐる法解釈は、後に文部省により「国や地方公共団体による行政的権力支配ではなくて、政党・組合などによる独善的な支配」とその解釈内容が全く別のものに言い換えられてしまう。例えば以下のように。

「国民に主権を与え、国民全体に責任を負う民主主義の政治体制をとる限り、国会に置いて立法上認められた範囲内における行政上の支配は第十条が不当な支配であると否定しているものではないであろう。むしろ、教育基本法が否定しようとする不当な支配とは、国民全体に対し責任を負えないような、政党・組合などによる独善的な支配であると考えられる」(文部省地方課法令研究会「新学校管理読本」)

教育基本法第10条での「教育への不当な支配」というのは、戦前日本の教育勅語体制に見られるような、時の政府の国家による個人への国家主義的ないしは軍国主義教育の強制の政治的圧力を意味し、そうした国家による行政的権力支配の行使と地方行政による官僚的支配の不当な政治的干渉を「教育への不当な支配」の禁止として、多分に警戒し弊害視するものであった。だが、後の文部省当局の行政解釈によると、「むしろ、教育基本法が否定しようとする不当な支配とは、国民全体に対し責任を負えないような、政党・組合などによる独善的な支配であると考えられる」と全く別の意味に言い換えられてしまっている。

ここでは「教育への不当な支配」をなす主体は、国家とその中央の国から命令を受けた各地方官庁ではなくて、ゆえにかつての文部大臣が公式に国会答弁にて示した戦前の国家主義や軍国主義への反省に基づく、国家と官僚が主体の「教育への不当な支配」からの教育行政の保護ではなく、国家と地方行政以外の政党と組合なのである。国と地方官庁は「教育への不当な支配」をなす者から明白に外され、その主体と全く見なされていない。文部省当局による「教育基本法が否定しようとする不当な支配とは、国民全体に対し責任を負えないような政党・組合などによる独善的な支配」とされる場合の「政党と組合」は、文部省の法解釈では国と地方官庁は「教育への不当な支配」をなす者からすでに明確に外されているのであるから、より厳密に言って国(内閣と政権与党)以外の、野党と教育現場の教職員組合(日教組ら)になってしまう。

こういった教育基本法第10条「教育行政」の「教育への不当な支配」の主体は誰かをめぐる法解釈での意味ズラしの言い換えは、内閣政府や地方官庁による立法の政治的権限や行政の上からの命令に対し、異議を唱えたり反対したりする、国民世論に支えられた野党政党の民意や学校現場での教職員組合の運動の方を「教育への不当な支配」と見なして排除し、他方「教育への不当な支配」をなす者からあらかじめ周到に外されている国と地方官庁は、まさに戦前のようにそのまま教育行政への政治的干渉や介入指導の命令を強権的に発動し遂行できてしまう。戦前の国家主義や軍国主義への反省に基づいた、国家と官僚が主体の「教育への不当な支配」からの教育行政の保護という本来の戦後の教育基本法の理念の全くの逆を行く、むしろそのまま国家が教育行政に万能自由に独善的に政治的干渉にて振るまうことができる戦前回帰の、戦後の教育基本法における制定当初の教育行政理念を完全に捻(ね)じ曲げた法解釈と法律運用の理解である。

そうして教育基本法第10条の「教育への不当な支配」の法的解釈をめぐる相違の問題は続き、2006年自民党と公明党の保守連立政権である安倍晋三内閣下にて、教育基本法は遂に改正される。改正後の新たな教育基本法の「教育行政」の条文は以下である。

教育行政(第16条)「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」

改正後の教育基本法「教育行政」の条文を読めば、「教育は、不当な支配に服することなく」となっているが、続いて「教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」とあることから、「適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行」う行政推進の主体と定められている国と地方公共団体は、「教育への不当な支配」をなす者から最初から周到に外されている。むしろ「教育への不当な支配」をなす者として暗に想定されているのは、本条文には必ずしも直接に明記されていないが、「国と地方公共団体とによる適切な役割分担」から外部に押しやられて疎外された、国である内閣と政権与党以外の野党政党と教育現場の教職員組合である。改正後の教育基本法の「教育行政」条文は、前述のかつての文部省地方課法令研究会「新学校管理読本」における「教育行政」にての「教育への不当な支配」に関する法解釈を踏襲している。

そして、この教育基本法改正が巧妙で相当に悪質だと思えるのは、旧教育基本法の第10条での「教育への不当な支配」についての法的解釈をめぐる前史を知らない国民には、「教育への不当な支配」とは誰であるのか必ずしも明記していないため分からず、「教育への不当な支配」を暗に野党政党と現場の教職員組合と想定し彼らを排除して、かつ国家が教育行政を独占し独善的に進めることを是とする、その法改正の真意が教育時事への問題意識や知識がない人々に対し見事に隠されていることだ。加えて、改正後の教育基本法には「国を愛する心」や「伝統の尊重」の条項があり、本法を通してかつての戦前の教育勅語のような国家による国家主義的教育の上からの注入の行政的権力支配の行使と地方官庁による官僚的支配の政治的干渉たる「教育への不当な支配」が、そのまま本法制にて自足して能天気に実現されてしまっているという皮肉なのであった。

岩波新書の青、兼子仁「国民の教育権」にて取り上げられている本書執筆時の1970年代の様々な教育時事の問題は、その後の展開も含めて追跡して見守り真摯(しんし)に考えられるべき教育問題である。そのことは、ここで取り上げた教育基本法第10条における「教育への不当な支配」をめぐる法的解釈と後の教育基本法改正の一連の過程を注視しただけでも、その問題の大きさが理解できる。本新書を足がかりとして本書には書かれざる後にまで至る教育時事の各トピックを追跡し、日本の教育問題について今日、各自が深く考えていくことが切に求められている。