アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(282)藤原帰一「デモクラシーの帝国」

昨今の2000年代以降の日本では、日本国の自国賞賛と近隣東アジア諸国への強硬ヘイト路線でひたすら押しまくる保守、国家主義、歴史修正主義の右派論壇の方が一般ウケがよく、新聞でも書籍でもネット配信記事でもそのほうが確実に売れるし、よく読まれる傾向にある。

事実、商業誌には右派保守のオピニオン誌が多く、逆に左派リベラルのものが非常に少なかったため、音楽雑誌「ロッキング・オン」を出していた株式会社ロッキング・オンの社長・渋谷陽一が「SIGHT」という左派リベラルの論壇誌を創刊したことがあった。その中で政治学者の藤原帰一を大々的に売り出そうとしたけれど、雑誌「SIGHT」も藤原帰一もそこまで注目されず、結局のところ何となくの不発に終わった感がある。

私は政治学者の藤原帰一は、もっと世に知られ氏の著作もかなり売れて、より広く深く人々に読まれてよいと思うのだが。同様に一橋大学の渡辺治や法政大学の杉田敦が私は好きで日々、著作を愛読している。「この人達は政治学者として非常に優れている。優秀である」と一目置いて感心させられるのだけれど、どうしてもなかなか一般人気は出ないらしく、彼らの書籍はそうまで爆発的に売れて大ヒットになったりはしないのである。その辺りが、いつも私はもどかしい。

政治学者の藤原帰一は専攻が国際政治学であるが、藤原の政治学の柱には、(1)誰もが容易に反論できない民主主義(デモクラシー)の絶対的な「正しさ」の名の下に各地域にどんどん膨張侵出して世界に覇権を張っていくアメリカの帝国主義を批判する、思想史研究にてよく言われるところの「擬似的な普遍主義の問題」と、(2)今日では「反戦平和」と言えば単なる理想主義の「キレイごと」として全否定され、「力こそ正義」の弱肉強食の権力政治を肯定して、それに便乗する国際政治の趨勢(すうせい)に押されつつあるけれど、しかし安易で直情的で短絡的な軍事行動の「戦争」に至らず、工夫して戦略的に「平和」を構築し維持していく方が国際政治のリスクとコストの点からして有益であるとする戦略的な「現実(リアリズム)平和」の主張とがある。

以上の2つは藤原帰一の著作では、(1)は例えば岩波新書の「デモクラシーの帝国」(2002年)にて、(2)は「平和のリアリズム」(2004年)で主に考察されている。

私は藤原の政治学における「平和のリアリズム」論に昔から痛く感心する所があった。特に2000年以降の国際政治にて、アメリカが遂行する戦争だけが、なぜか「正しい戦争」と言い張る「正戦論」を前面に押し出しての、中東へのあからさまな軍事介入を行うアメリカ(イラクとイランと北朝鮮の三ヵ国をブッシュ大統領が「悪の枢軸」と読び、特にサダム・フセイン体制のイラクを「無法者国家」として国連で糾弾した上で、米英軍によるイラク攻撃とフセイン体制の崩壊をなすイラク戦争・2003年など)、そして、そのアメリカの軍事行動に対し、同盟国として即に「支持同意」の政治的立場を毎度表明する歴代の日本国政府を私は憂慮し、また否定的に苦々しく思っていたからだ。

加えて、近年の日本の対近隣東アジア諸国に対する「強硬姿勢で強く出ないと相手にナメられる」とするような「力こそ正義」のチンピラ思考が、日本の右派や保守や国家主義者に蔓延(まんえん)し、さらに世論の主流になりつつあること(拉致問題や核開発問題で北朝鮮を「ならず者国家」呼ばわりして対北朝鮮へ強硬姿勢を貫くよう煽(あお)ること。歴史認識問題や戦争責任の議論にて韓国を安易に「反日国家」認定して、経済政策にて対韓国への懲罰的な敵対政策を日本が打ち出すことなど)が、私には相当に異常に思える。

一方的に「自分達が正義で相手が悪」の善悪二元論で、かつ「強硬姿勢で強く出ないと相手にナメられる」のチンピラ思考の「力こそ正義」の権力政治にて、ついでに「反戦平和」の主張など単なる理想主義の「キレイごと」と全否定して、毅然(きぜん)とした対応で気に入らない他国をガツンと軍事行動や経済制裁で強硬にやっつければ溜飲(りゅういん)が下がるかもしれないが、そういうのは国際政治にて賢明な方策ではない。分かりにくく一見「弱腰の軟弱な外交」に思えるかもしれないけれども、戦争の武力行使や経済制裁や国交断絶の安易で直情的な短絡行動に走らずに、相手との落とし所を詰めて互いに策略を巡らし宥和(ゆうわ)の、時にあいまいな現状維持や緩やかな関係改善に努める「現実的(リアリズム)な平和」の方が良いに決まっている。実際に、その方が国際政治における余計なリスク回避とコスト削減の効率原則に見合うのである。直情短絡的な経済制裁や軍事行動の「戦争」よりも、「現実的(リアリズム)な平和」の方が人道上の原則と利益にかなうことは、もはや言うまでもない。

そういった国際政治における「平和のリアリズム」の賢明さを政治学者の藤原帰一は、書籍を介して今日の私達に教えてくれる。例えば以下のように。

「現実に向かうと戦争を肯定する、理想を唱えるとハト派になるって、そんなバカなことじゃない。現実の分析っていうのは、目の前の現象をていねいに見て、どんな手が打てるのかを考えることです」「一言いっておきたいんですけど、平和って、理想とかなんとかじゃないんです。平和は青年の若々しい理想だとぼくは思わない。暴力でガツンとやればなんとかなるっていうのが若者の理想なんですよ。そして、そんな思い上がった過信じゃなく、汚い取り引きや談合を繰り返すことで保たれるのが平和。この方がみんなにとって結局いい結論になるんだよ、年若い君にとっては納得できないだろうけどもっていう、打算に満ちた老人の知恵みたいなもんです。そういうことをね、伝えていきたいんです」(藤原帰一「『正しい戦争』は本当にあるのか」2003年)

藤原帰一、この人は政治学者として非常に優れている。優秀である。破格で上質な政治学者である。藤原帰一がもっと世に知られ氏の政治論の著作もかなり売れて、より広く深く人々に読まれることを私は切に望む。藤原帰一は昨今では本業の国際政治学よりも趣味的な映画評論の文筆の書き仕事が好評なようだが、本当はこの人は専門の国際政治学の仕事で書籍を売り、広く読まれて世に売れなければいけない人である。