アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(203)勝俣鎮夫「一揆」

日本史における「一揆」の定義はこうだ。

「一揆とは、揆(はかりごと)を一(いつ)にするという意味。武士・農民が特定の目的の下に地域的集団を結成すること。神仏に誓約して一味同心(いちみどうしん)の集団をつくった。武士の血縁的結合の党に対し、一揆は地縁的結合によるものであった。土民(その土地に住む人の総称)による中世の土一揆(つちいっき)に対し、近世には百姓一揆が、明治には農民一揆が起こった」

中高生に日本史を教えていると、古代史の山上憶良「貧窮問答歌」の所で「古代の律令国家の下で人民は過酷な税制の収奪に苦しんでいたのに、なぜ当時の人々は、後の時代の一揆のような一致団結した民衆蜂起にて反抗しなかったのか?」の質問が時にあったりして、「なるほど見所ある、なかなかスジのよい質問だね」などと大人の教師がなったりするのだが、それはなぜかといえば、古代の律令国家の時代には、まだ農業技術が未発展で生産力の増大が見込めず、そのため余剰作物や商品作物が大量に市場に出回らず、よって貨幣経済が社会全体に浸透しておらず、封建貢租の金納もなく地下請ないしは村請制(村々の名主や百姓が領主から年貢徴収を一括して請け負うこと)の慣習もないため人々は地縁の一体的な階級意識を持ち得ず、同様に貨幣経済未成熟なため被収奪階級としての納税以外での経済外的強制の不当な支配も明確に意識化できないから、古代律令体制下にては、どんなに民衆の生活が苦しくとも原理的に一揆の団結的蜂起は起こり得ないのである。せいぜい浮浪や逃亡や偽籍の個別的な消極的反抗のみであった。

事実、日本史をよくよく概観してみると、民衆蜂起であり、かつ人民闘争の一形態でもある団結的な一揆の発生は、人々が従来の血縁から地縁の結合へと移行重視する惣村(そうそん)が各地に成立し、生産力が増大して余剰作物や商品作物や奢侈品(しゃしひん・贅沢品)が市場に大量に出回り流通して、貨幣経済が社会に浸透する室町時代からである。日本の歴史にて室町以前の時代には一揆の社会現象は見られない。

一揆についての従来研究が優れているのは、一揆の現象を当時の人々の神仏への宗教意識に結びつけて考察する先行研究の蓄積が豊富にあることだ。例えば、「一味神水(いちみじんすい・惣にて村民らが神前に供えた神水を飲んで心は一つで脱落しないことを誓い合う)」や、「起請文(きしょうもん・惣の村民らが契約し合った内容を守ることを神仏に誓い、違反した場合には神仏の罰を受けることを記した証拠文書)」など、常に一揆は神仏信仰の宗教的連帯意識と共にあった。

岩波新書の黄、勝俣鎮夫「一揆」(1982年)は、そうした一揆成立の原理を神仏信仰の宗教面から、しっかりと押さえて各時代の一揆の形成や形態を幅広く概説しており、従来の一揆研究の成果を十全に踏まえた新書になっている。一揆の考察に際し、神仏信仰の宗教的契機を押さえることは必須であるといえる。

そもそも歴史における宗教観念の状況への役割は、世俗の体制打破のための新たな規範の提供と、旧来の体制維持のイデオロギー的役割遂行との両端を持つ。前者の世俗の体制打破のための新たな規範提供の点については、例えばヨーロッパ中世史におけるキリスト教規範に依拠した農民一揆の反封建闘争、ワット・タイラーの乱(「アダムが耕しイヴが紡いだとき、いったいだれが領主だったか」)を、後者の旧来の体制維持のためのイデオロギー的役遂行の宗教利用論の事例については、例えば日本近代史における明治国家の神道国教化政策、政府による一連の「国家神道」政策を、それそれ挙げることが出来る。そうして日本史での一揆を通しての人々の宗教意識の顕現は、旧体制打破のための民衆蜂起の起爆剤ともなりうる可能性、前者の宗教的意識による規範創造の側面をも原理的には持つ、例えば江戸時代の反封建闘争の一形態たる「百姓一揆」においてかなり明確になるのであった。

先日、若尾政希「百姓一揆」(2018年)と山﨑善弘「徳川社会の底力」(2017年)の比較的若い研究者による近年の百姓一揆研究の書籍を連続して読んだのだけれど、正直あまり感心できなかった。それら研究が一揆における宗教要素への視点を決定的に欠き、これまでの主な一揆研究を人民闘争史(もしくは階級闘争史)とするマルクス主義の史的唯物論的見方と安易に即断して、幕藩体制下での過酷な収奪にて生活困窮に由来する民衆蜂起という「悲惨な」一揆の一般イメージを良いものに改変させたり、それに類する「暗黒の江戸」史観の従来理解のあり方に、ただ反発するだけの非常に中身の薄い百姓一揆研究でしかなかったからだ。

特に岩波新書の若尾政希「百姓一揆」にて、同じく昔の岩波新書の勝俣鎮夫「一揆」は厳しく批判されているけれど、どうしてなかなか、私は蜂起主体の民衆における宗教意識を勘案した民衆史からの勝俣の「一揆」理解の方が歴史の本質を押さえており、的確に思えた。そうした宗教思想史観点からの百姓一揆研究に安丸良夫「日本の近代化と民衆思想」(1974年)が以前にあって、あれは必読の古典の名著だと私には思える。安丸の「日本の近代化と民衆思想」は、時代の人々(民衆)の神仏信仰、通俗道徳、民族宗教意識を押さえ江戸時代の百姓一揆を考察して、百姓一揆における民衆の主体的エネルギーの発動の行く末を後の明治国家の近代化論に繋(つな)げるのであった。言うまでもなく、近代化というのは国家の政府が上から一方的に強要するだけでは不十分であって、下からの国民(民衆)の広範で、ある程度の自発的な主体性があって初めて成り立つものである。明治国家の近代化の源泉の一端を江戸時代の百姓一揆の反封建闘争の民衆の宗教的基盤に求める「日本の近代化と民衆思想」に代表される、安丸良夫による民衆史の一連の仕事は非常に優れており、現在でも無心に読まれるべきものがある。そうして、もちろん幕藩体制下での百姓一揆が体制批判に連なる反封建闘争とはなり得なかった、せいぜいのところ体制枠内での農民からの封建領主へ向けての貢租削減や仁政の要求運動に終始した、いわゆる一揆における「敗北の質」にまで安丸は論及している。

同様に勝俣鎮夫「一揆」も優れている。その新書にて著者の勝俣が、「私はこれまで一揆を専門として研究してきた者ではない」と遠慮して述べながらも、「はじめに」の書き出しにて「農民の歴史を『日常性』の歴史として解明する必要を強調していた民俗学者の柳田國男は、かつて一揆は『非日常的』現象であって非本質的な歴史的事柄であると退けたが、しかし私は柳田と違って、非日常的な一揆という歴史事象を通して、歴史の基層に生きつづけた日本人の集団心性を掘り起こすことが可能であると考える」旨の、半(なか)ば柳田國男とその一派に喧嘩(けんか)を売るような野心ある挑発的な文章は、今読み返してみても正当であり誠に痛快傑作である。岩波新書の勝俣鎮夫「一揆」のこの書き出しは、近年の岩波新書の若尾政希「百姓一揆」にても引用紹介されている。ただし批判的文脈にてであるが。

「日本の中世は一揆の時代といわれる。この時期、あらゆる階層や地域に、共通の目的達成の手段として一揆が結ばれた。これら一揆とよばれる特異な集団は、どのような論理で結ばれ、支えられていたのか。一揆内部の作法や参加者の意識に光を当て、日本社会を深層から規定する集団形成のあり方を明らかにする」(表紙カバー裏解説)