アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(514)川喜田二郎「発想法」

(今回は、中公新書の川喜田二郎「発想法」についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、川喜田二郎「発想法」は岩波新書ではありません。)

川喜田二郎「発想法」(1967年)は、昔からよく読まれている書籍で有名である。本書の概要は以下だ。

「長い間、書斎科学・実験科学だけにとじこもっていたわれわれは、『現場の科学』ともいうべき野外科学的方法に眼をむけるときにきている─と提言する著者が、問題提起→外部探検(情報集め)→観察→記録→分類→統合にいたる野外科学的方法とその応用について具体的に説きながら、独創的発想をうながす新技術として著効をうたわれるKJ法の実技と効用とを公開する。職場で書斎で、会議に調査に、欠かせぬ創造性開発のための必読書」(表紙カバー裏解説)

本書はタイトル通り「発想法」の具体的方法を教授するものだ。本書のサブタイトルは「創造性開発のために」となっている。「発想法」といっても様々なものがある。例えば、「ブレインストーミング」(判断・結論は下さないの前提で自由に思いつくままに大量のアイデアを連続で出していくことで、相互交錯の連鎖反応や新発想の誘発を期待する方法)、「ディベート」(あえて自分とは対立する立場の人との論争競技を通して、思考の弱点・強みを再発見したり、改善を加えて考えを深めていく方法)、「水平思考」(分析的で論理的な垂直方向の思考の積み重ねではなく、一見突飛で非常識で主観的な、多面的な水平方向の思考から新たにアイデアを掘り起こす方法)などが昔からあった。

そして川喜田二郎「発想法」で述べられているのはKJ法とされるものである。なぜKJ法と呼ばれるのかといえば、それは著者みずからが自身の名前の川喜田二郎(kawakita・Jiro)のイニシャルを取って勝手に「KJ法」と命名しているだけなのだが(笑)。だが、しかし川喜田二郎が奨励する「発想法」が、すでにKJ法の名称で一般的に広まっているのも今日では確かなようである。

「発想法」の著者である川喜田二郎は文化人類学者である。川喜田が自身の研究を進める上で取られた発想の方法なため、「発想法」の本書でも冒頭から「書斎科学と実験科学の相違」「野外科学の方法と条件」など氏が専攻の文化人類学についての話が長く続く。本書を読む読者はそうした文化人類学の学問内容ではなくて、文化人類学の研究を進めるうちに川喜田二郎が発見し会得したという「発想法」の概要を、どのような分野の学問研究であっても、また一般の学生の勉強や社会人の仕事にも幅広く適用でき活用できる川喜田二郎の名前由来のKJ法という発想法の抽象的原理や具体的方法を知りたいのであるから、「文化人類学における野外科学の方法と条件」云々の話は飛ばして、「一体、KJ法とはどういった発想法であるのか!?」の解説部分に傾注して重点的に読むのが賢明であろう。

ここで改めて川喜田二郎が提唱の発想法であるKJ法の概要を要約するとすれば、以下の通りだ。

「KJ法とは文化人類学者の川喜田二郎がデータをまとめるために考案した発想の手法である。まず(1)データ・知識・アイデアを収集しカードに記述して(カードの作成)、次に(2)カードをグループごとにまとめ、見出しをつけ(グループ編成)、続いて(3)それら断片的なカードを統合して全体として図解し(図解化)、最後に(4)その図解を論文等の文章に落とし込んで形にする(叙述化)。こうした4つの作業の各過程を経ることで、最初に集めた雑多なデーター・知識・アイデアが相互に関係づけられ整理され統合されて、全体的な図解化による気付きや発見を通して新たな発想が生まれ、後にそれを言語で文章化し明確な形に仕上げるというわけである。その際、断片的なカードを統合して全体として図解する(3)の「図解化」の工程はKJ法A型、全体図解を論文等の文章に落とし込んで形にする(4)の「叙述化」のそれはKJ法B型と川喜田により、それぞれに名付けられている。(1)(2)の情報収集メモからカード作成とカードのグループ編成の詳しい手順は本書48・49ページにイラスト図掲載で詳しく説明されている。(3)のKJ法A型の図解の実例は、例えば90・91ページにある「自然と自然災害」に関するような、全体の意味関係図が書ければよい。また(4)のKJ法B型の叙述の実際は、例えば153ページにKJ法A型の図解をKJ法B型の文章に落とし込んだ対応図の実例があるので、これを参考にするとよい。その他、KJ法A型図解法におけるグループ編成の基礎となる『基本的発想データ群(BAD)』への言及(105─114ページ)も参考になる」

私は川喜田二郎「発想法」を初読の際、そこまで驚かなかったし、正直そんなに感心もしなかった。本書で川喜田二郎は、あたかも自身が初めて発見し生み出した画期的な発想法であるがごとく、KJ法という自分のイニシャル表記から命名の専売特許のように誇らしげに得意そうに終始述べているけれども、ここに書かれてある「発想法」のKJ法とか、私は本書を読む以前の10代の大学生の頃から早くも当たり前のようにやっていたけどなぁ(笑)。当時、私は川喜田二郎「発想法」は未読でKJ法という言葉を全く知らなかったが。私の周りの人達も大学のゼミ発表やレポート提出、卒業論文の執筆にて、川喜田二郎「発想法」に書かれてあるKJ法のようなことは、ほぼ皆が普通にやっていた。

確かに川喜田が言うように、最初に雑多なデーター・知識・アイデアを収集しグループごとにまとめ、後にそれら断片を統合して全体として図解化することは創造的発想法として理にかなっている。考えがまとまらない時に、とりあえず今考えていることを全て書き出して自身の思考を視覚化し客観化させると、欠落の穴や議論の全体像や順序が見えて次に考えるべきことが分かったり新しいアイデアが呼び寄せられたりで、停滞していた作業が前に進むことは私の経験からして実際よくある。私の日頃の実感からしても、川喜田二郎「発想法」での独創的発想をうながす技術の効能には深く共感できる。

川喜田二郎が専攻の文化人類学とか実験科学とか野外科学的方法などの特殊個別的な事象は外して、氏が奨励の「発想法」たるKJ法を一般の人々の日々の読書と文書作成の知的活動に当てはめてみれば、KJ法の4つの過程のうち、なるほど断片的なデータ・情報を統合して全体として図解する(3)の「図解化」のKJ法A型の手続きは、読みながら本から得た情報の図解まとめやメモ作成を通して深く全体理解する読書の文章読解にあたり、また全体図解・メモを論文等の文章に落とし込んで形にする(4)の「叙述化」のKJ法B型のそれは、読書の時に作成した図解のまとめ・メモを明確な言葉の形にする執筆の文章記述に該当するわけである。

私達は読書で文章を読み、その意味内容を理解する際には、一文ごとの一文字ずつの文字配列を機械的に正確に覚えているわけでは決してなく、文全体の中での核となるキーワードや重要センテンスや先々の論理展開など一度は頭の中で図解化しイメージ化して幾つもの了解を重ねていっている。それら多数の了解の積み重ねが文章理解の読書というものである。

よって学術書を読むとき私はそのまま漠然と読み流さずに、必ず書き抜きのメモを取ったり、要点のまとめや全体構成の展開図などをノートに書きながら、各部分相互の関係性に留意し掘り下げて読書するし、小説でも複雑な人間関係の長編推理小説などでは人物相関図や家系図、時系列の簡略な出来事年表を作成メモしながら、伏線らに注意して慎重に読み進める。つまりは川喜田二郎が奨励の「発想法」における「データ・情報収集から図解化へ」のKJ法A型のようなことは読書の際には、もう無意識に頭の中で、もしくは実際のメモやノートを作成しながらすでにやっている。同様に文章記述の際にも、ただ何となくの無計画でいきなり書き始めたりせず、それなりによく使う言葉や決めの重要センテンス、伏線の張り巡らしと回収、文章の全体の流れの図解を頭の中に想定して、もしくは事前に紙に書き出してからその構想メモに従って実際に文章を書いている。すなわち、川喜田二郎が奨励の「発想法」における「図解から叙述化へ」のKJ法B型のようなことも執筆の時、すでに当たり前のようにやっているわけなのである。

だから、川喜田二郎「発想法」の表紙カバー裏解説にあるような、「独創的発想をうながす新技術として著効をうたわれるKJ法の実技と効用とを公開する。職場で書斎で、会議に調査に、欠かせぬ創造性開発のための必読書」云々の妙に変に力の入った紹介文も何だか読んでいて恥ずかしい思いがする。本書で川喜田二郎が発見・奨励の「発想法」のKJ法など、私は本書を読むはるか前から早くも当たり前のようにやっていたし、川喜田の著書を未読であっても川喜田二郎「発想法」に書かれてあるKJ法のようなことは人々には既知であると思うので。