アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(89)石川達三「生きている兵隊」

(今回は岩波新書ではない、石川達三「生きている兵隊」についての書評を「岩波新書の書評」ブログではあるが、例外的に載せます。念のため、石川「生きている兵隊」は岩波新書には入っていません。)

私は普段から人並み程度にしか読書をしないので正確に的確には何とも言えないが、それでも「世界の文学」と比べて「日本近代文学はスゴい」と時に感嘆するときがある。特に戦争文学の「軍隊小説」と呼ばれるジャンルのレベルと蓄積が。例えば大西巨人「神聖喜劇」(1980年)である。あれは、さすがにスゴい。読んでいて思わず舌を巻く。日本の軍隊を「暴力的」や「非人間的」や「非合理的」と外部から安易に否定するのではなく、大西巨人の分身たる主人公・東堂太郎の目を通して軍隊組織を内部から内在的に批判し尽くしている。非常に精密に構想され、しかも硬質に書かれており、大西の「神聖喜劇」が出てから、どうしても「神聖喜劇」と比較されて他の日本の戦争文学や軍隊小説は、かなり分(ぶ)が悪くなった所が正直あると思う。

そうした事前に精密によく練られ考えられた大西巨人「神聖喜劇」の正反対の対極にあるのが、戦中に石川達三が大陸に行って従軍取材して書いた「生きている兵隊」(1938年)であると私には思えるわけだ。つまりは、石川の「生きている兵隊」は事前にあまり深く考えられていない。本当に取材して、そのとき自分が見たことを小説にしてサラリとそのまま素朴に書いてある。

「生きている兵隊」は、南京攻略戦に参加し行軍を続けて南京に入るまでの部隊の話である。前線部隊には兵糧輸送がなく現地徴発主義だから、町や村に入るとまず「徴発」をやる。食糧や生活物資調達の他に、なぜか「姑娘」(クーニャン)の若い女性も探しに行く。いわゆる「生肉の徴発」である。「やがて徴発は彼らの外出の口実になった。…殊(こと)に生肉の徴発という言葉は姑娘を探しに行くという意味に用いられた。彼らは若い女を見つけたかった」。また話の前半で抵抗する老婆の襟首(えりくび)をつかんで力のかぎりに泥田の中に引き倒し、水牛を取り上げる日本兵の場面は特に印象に残る。「おい、婆さん、俺達は日本の軍人だが、お前の所の牛が要り用だ。気の毒だが貰って行くよ」「どけイ…じたばたすると命にかかわるぜ」。

当時の日本軍は、敵兵の捕虜はその場で即に殺す。「こういう追撃戦ではどの部隊でも捕虜の始末に困るのであった。自分たちがこれから必死な戦闘にかかるというのに警備をしながら捕虜を連れて歩くわけには行かない。最も簡単に処理をつける方法は殺すことである。しかし一旦つれて来ると殺すのにも骨が折れてならない。『捕虜は捕らえたらその場で殺せ』。それは特に命令というわけではなかったが、大体そういう方針が上部から示された」。同様に行軍の過程で南京に近づくと「支那軍の正規兵」のみならず「女子供」の非戦闘員も日常的に殺す。「南京に近づくにつれて抗日思想はかなり行きわたっているものと見られ一層庶民に対する疑惑はふかめられることにもなった。『これから以西は民間にも抗日思想が強いから、女子供にも油断してはならぬ。抵抗する者は庶民と雖(いえど)も射殺して宜(よろ)し』。軍の首脳部からこういう指令が伝達された」。

最後は南京陥落後、兵隊らが芸者屋に行って酒を飲む。疲労で張り詰めた気持ちのなか「生きている兵隊」が、「俺あ、また女を殺したくなって来た」とつぶやく。すると芸者が「女を殺すなんてよくないわ。…だって女は非戦闘員でしょう。それを殺すなんて日本の軍人らしくないわ」。芸者の正論に思わずかっとなる「生きている兵隊」は発作的に拳銃の引き金を引き、芸者を撃って怪我をさせてしまう。

確かに作者の石川達三は末尾に「本稿は実戦の忠実な記録ではなく、作者はかなり自由な創作を試みたものであり、従って部隊名、将兵の姓名なども多く仮想のものと承知されたい」という付記を置いている。結局、これは「どの部隊がモデルになっていて作中の将兵らは一体誰なのか」具体的な追及の混乱を避けるための著者の石川達三の配慮であって、この作品に書かれていること、「生肉の徴発」と称して若い女性を探したり、捕虜や女性・子供の非戦闘員を容赦なく日常的に殺したりするのは石川が従軍取材して実際に目にしたことだと思う。ただこの人の場合、そういった前線部隊での「生きている兵隊」の実態を書きはするが、そこに「人道的立場からの反戦意識」や「戦時暴力に対する倫理的糾弾」など、ない。本当にあまり深く考えずに現地での日本軍の見たままを捕虜・非戦闘員の虐殺も別に悪びれず殊更(ことさら)に隠すこともなく、そのまま素直に正直に素朴に書くだけである。

作中で、他ならぬ自分らが直接に手を下したにもかかわらず、陥落後の南京の惨状を目の当たりにした日本兵らが、まるで他人ごとのように語る。

「南京市として失われた富が幾十億あるだろうか。僕は戦争の勝敗は別としても、この戦争が日本の国内でなかったことを心から有難いと思うな。国富は失われ良民は衣食にも苦しみ女たちは散々な眼にあって、これがもし日本の国内だったとしたら君たちどう思う?」…「自分はもう南京は復興できんと思いますな。まあ三分の二は焼けて居ます。あの焼け跡はどうにもなりませんわ、実際戦争に負けたものはみじめですわ。何とも仕様がありませんからなあ。自分は思ったですな、戦争はむやみにやっちゃあかんが、やるからにはもう何ンとしても勝たにゃならんです。それは孫子の代まで借金を残しても勝たにゃならんです」

「戦争はやっちゃいかん」と常識的に答えられはするが、しかし「ひとたび戦争をやったら、何としても勝たなくてはいけない。自分たちが負けた場合の被害の損失を考えたら、絶対に勝たなくてはならない」。実に愚劣な損得のみに依拠した小市民的感情である。

ここで何度でも強調し確認しておきたいのは「戦争はよくない」といくら口で言えても、「敗戦の際に自国が被る被害の損害を考えたら戦争は嫌だ、よくない」といった常識的な「反戦平和」は実は明確な反戦ではなくて、せいぜい「自国が負ける負け戦だけは嫌」程度の「厭戦」でしかないということだ。仮に自分たちに勝利の見込みが大いにあるなら、「自国が得する戦争は本当はよくないけれど、最終的にやってもよい」の戦争支持の好戦衝動に最後は押し切られる。相手に勝って相手を負かして他国を食い物にして、その他国の犠牲の上で自分たちの国が得して繁栄して自国民だけの主観的「平和」の享受を望む、そうした程度のナショナリズムでは、見かけの常識的「反戦平和」なポーズと裏腹に戦争支持の戦争遂行に走る。他ならぬ自分らが直接に手を下した陥落後の南京の惨状を他人ごとのように眺め、「戦争はむやみにやっちゃあかんが、やるからにはもう何ンとしても勝たにゃならんです」と感想を述べる「生きている兵隊」作中の日本兵のように。

だから、戦前の日本人が強力に決して原理的に戦争そのものに反対できず、嫌々のしぶしぶであれ、最後は戦争参加の協力の支持に結果的になってしまうのは、戦争による損害・被害の損失を損得勘定で考えて、「自分たちが負ける戦争は嫌だが、自国が勝つ戦争なら容認できる」判断が働くから。つまりは「勝利する自分たちには関心・要求の興味が強いが、負ける相手の被害を被る他国の国民のことなど何も考えてやしない。他国を食い物にして、その犠牲の上に自分らの国が栄えるのは構わないし許されるエゴイズム発露のナショナリズム」が一貫してあるから。

以上のような決して本当の意味での反戦平和にまで昇華しない、せいぜい自分らが負けて損する戦争だけに対する損得勘定の「厭戦」レベルで自分の国が勝って得する戦争には強く反対しない結果、最後は戦争遂行に押し切られる心貧しい自国中心主義のナショナリズムの心性を、私は石川達三の「生きている兵隊」を読むと強く思い知らされて非常にやるせない気持ちになる。加えて、現代の私達は戦前の日本人と同じ、他国を食い物にしてその犠牲の上に繁栄を享受する損得の自国内「平和」ナショナリズムと一線を画し、果たしてそこから脱し切れているかどうか。

「確かに戦争はよくない。だが、とにかくやるなら負けた相手国民のことはどうでもよいから、とりあえず自分たちは負けたくない。何としても勝ちたい」。この素朴で愚劣な小市民感情を石川達三も当時の多くの日本人と同様、共有していた。だから「生きている兵隊」のような、大陸前線での日本軍の反倫理的で日常的な戦時暴力を特に隠したり別に悪びれたりすることなく、深く考えずに石川達三はそのままサラリと書けてしまうのである。