アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(228)バターフィールド「近代科学の歩み」

岩波新書の青、バターフィールド「近代科学の歩み」(1956年)は西洋自然科学史の基本概説のようなテキストで、理系の専門分野に専攻精通していない一般読者でも読めて、主にヨーロッパ自然科学の歴史を概観できる、誠に知性あふれる教養書の上品な面持ちだ。こうした書籍を毎日の忙しい日常生活の合間に時間を作ってゆっくり読めるのは、充実した人生のよい生き方であるように思える。

本書は「近代科学の歩み」に関する各分野の専門家の寄稿による分筆の合本である。全16章からなり、基本は主要分野とその分野の代表的人物についての記述であり(例えば「コペルニクスと惑星」「ハーヴィーと血液循環」「ダーウィンの種の起源」など)、その間に「なぜ中世に科学は後退したか?」や「十七世紀の科学革命は、ほかの思想分野にどんな影響を及ぼしたか」といった総括概論的な内容の章が時にはさみ込まれてある。

本書はイギリス本国にて1951年に出版され、日本語訳の岩波新書が出たのは1956年であった。そのためか、後の時代や近年の科学論のような近代の自然科学の真理・普遍性を相対化してどこまでも疑うパラダイム・シフト論のような科学認識理論や、「近代科学が国家や資本主義と結びついて人間を疎外する」と告発するような科学帝国主義批判の生々しい殺気だった議論がない(本書の最終章にて、わずか数ページ、現代の科学技術の戦争兵器への転用批判記述があるのみだ)。どこまでも科学の進歩を信じ肯定して穏(おだ)やかに解説する各章論者の筆致が、よい意味での一昔前の高踏余裕の教養文化主義の上品さを感じさせる。

原書はイギリス本国にて1951年の出版であるが、1950年代といえば第二次世界大戦の終戦を経て、現実に広島・長崎の原爆投下の惨事を人類は経験し、近代科学の問題として原子力分野の発展や問題も本書編集者と執筆者らは当然知っているはずなのに、本新書では原子力に関しての抽象理論的な話に終始している。原子(アトム)の発見とかブラウン運動とかエックス線の回析だとか。古代・中世から近代まで西洋の自然科学史を時系列に章立てし論じてきて、近代科学の実質最後の章は「原子」の純理論的な話だけを述べたものとなっているのだ。

今日「近代科学の歩み」のような科学史の書物を編(あ)むとして、終わり近くに近代科学の原子力分野の章にて核兵器や原子力発電の問題について詳述することがなければ、その書籍は「考察不十分」や「内容ごまかし」の悪評は、やはり避けられないであろう。

しかしながら、例えば「1・ダンテの宇宙観」にて、なぜヨーロッパ中世の詩人で思想家であったダンテが優れた自然科学の人で彼の宇宙論が今でも読まれる必要があるかといえば、ダンテの宇宙観が今日の自明な科学的真理に一致していないその誤謬(ごびゅう)を批判し責めるのではもちろんなく、ダンテの宇宙観が、神や霊魂や世界に関する当時のヨーロッパ中世社会の人々の考えを広く取り込んで一般化し、それなりに理論体系化している同時代性の体現において非常に卓越している、ゆえにヨーロッパ中世の人々の世界観の考え知りたい現代の人には、代表的で典型的な中世科学の思想が集約されているダンテの宇宙論の科学は有用で読まれる必要があるとする趣旨の論述は、私は読んで見事な思いがする。

「ダンテの宇宙観」についての、こうした考察からも本書は各章、誠に読み心地がよい。後の時代や近年の科学論のような科学の真理や普遍性や科学の使われ方に関する有用性への生々しい批判の殺気だった議論がほぼ皆無で、どこまでも科学の進歩を肯定し信じて穏やかに解説する一昔前の時代の、よい意味での高踏余裕の教養文化主義の上品さを感じさせる岩波新書の青、バターフィールド「近代科学の歩み」である。

最後に岩波新書「近代科学の歩み」に関し、岩波新書編集部が出している公式の紹介文を載せておく。

「イギリスの一流の科学者、歴史家、経済史家、文学者など、さまざまな分野の人たちの協力によって生まれた興味深い科学史。人類が叡智(えいち)という武器をとって自然の謎を解きはじめてから今日にいたるまで、科学の発達のあとをたどり、あわせて、科学が文学その他の思想分野におよぼした影響に説きおよんでいる」