アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(227)山本浩「スポーツアナウンサー」

「スポーツアナウンサー」といえば、1970年代生まれの私には80年代にアントニオ猪木の新日本プロレスの金曜夜8時のテレビ中継が絶頂人気で、その際の古舘伊知郎の実況が定番だったりする。

当時は小学生で今でもよく覚えているが、「アントニオ猪木の鉄拳制裁」とか「爆弾小僧、ダイナマイト・キッド」とか「人間山脈、アンドレ・ザ・ジャイアントのひとり民族大移動」とか(笑)。それら必殺のフレーズを古舘伊知郎は当時から事前に考えて毎週、必ず放送の中で言おうとしていたのだと思う。古舘伊知郎の場合、実況の上手さよりは時折、発せられる流暢(りゅうちょう)な喋(しゃべ)りの独自フレーズが面白かった。当の古舘も視聴者もその笑いを共に狙って期待している所があった。

岩波新書の赤、山本浩「スポーツアナウンサー」(2015年)は、古舘伊知郎のプロレス実況とは違って比較的真面目なアナウンサー論である。著者の山本浩はNHK所属のスポーツアナウンサーであり、サッカー中継を中心に実況担当していた。私もこの人のサッカー実況を視聴したことはあるし、NHK解説委員としてスポーツ問題の解説論評を番組内ですることも多く、著者の顔もテレビを通して知っていた。

近年では大学に出講し、ジャーナリストやアナウンサー志望の学生に指導しているらしい。事実、本書によれば「実況アナウンサーを志す人は引きも切らない。私のところにはいまでも、『実況について話を聞かせてほしい』と学生から突然の電話が寄せられるぐらいなのだ」ということが著者の場合、頻繁にあるそうだ。そのため、岩波新書「スポーツアナウンサー」は「スポーツ実況の本質は何か」の基本の考え方から、「どうしたら良いスポーツ実況が出来るか」の技術的手法を解説する全体的に割合、真面目な記述となっている。そういった意味からして本書は「スポーツアナウンサー」志望やスポーツ番組制作スタッフ希望の人が熱心に読んで学んで会得するテキストのようでもある。本書を通して「アナウンサーがスポーツ実況する際には、こういう心がけの姿勢態度で、このように技術的に遂行すればよいのだ」の輪郭(りんかく)は、おおよそつかめる。

「スポーツアナウンサーとは何のためにあるか」のスポーツ放送の中心理論について、著者は本書にて以下のように述べている。

「(動きに遅れることなくプレイヤーの動作とシンクロしてその様子を言葉で伝える、スポーツアナウンサーにとっての必須の技術である)即時描写がなぜそれほどまでに大切にされるのか。それは、スポーツ実況を楽しむ人たちの、いま行われている試合やレースを同時に楽しみたいという根本的な要求に応えるために他ならない。即時性を大切にすることで、伝えられるスポーツのリズムを感じ取ることができる。それを耳にしながら、同時体験を実感する。スポーツの現場から離れていても、それを間近に感じ、感動を共有することで、至福の(時には悲嘆に暮れることもあるが)時間を過ごせるからだ」(20ページ)

この部分が本書の核心部分であって、著者の山本浩の中での「スポーツアナウンサーとは何か、スポーツアナウンサーとはどうあるべきか」の理念記述のように思える。スポーツアナウンサーとは、競技の即時描写の基本技術に加えて、どの種目競技にも必ずあるとされるそのスポーツのリズムを視聴者に伝え同時体験を実感させる、たとえスポーツの現場から離れていても、それを間近に感じ感動を共有することで至福の(時には悲嘆の)時間を視聴者と共に過ごすことにある、とする旨である。

その上でさらにスポーツアナウンサーに必要なこととして、解説者との連携(あいづちはポイントだけにして解説者の話を視聴者に届ける)、競技によるリズムの違いを理解し生かす、プレーの濃さを見極める、数字の適切な操り方に努める、取材の基本は試合を見ることと、人と言葉を交わして信頼関係を結び適切なタイミングに適切な質問をすること、スポーツによって異なるドラマのパターンを見極める。つまりは七つの基本原則(実況描写、情報提示、分析、予測、質問、会話、つなぎ)。さらにはリズム、温度、時間への考慮、事前の綿密周到な取材準備の必要性となる。

いかにも実況アナウンサー志望の学生や放送局の新人社員に向けた「スポーツアナウンサー」の技術論のようでもある。スポーツ実況の基本の根底をなす即時描写について、「ボールゲームの実況の基本原則は、まず何よりもボールの動きを中心に描写すること。ボールの動きを言葉で過不足なく追えるようになれば、最初の関門は突破できたことになる。あとはボールの動きが止まったときに何を伝えるか。この工夫で放送の出来不出来が左右される。さらに経験を積んだアナウンサーは、野球実況にて『第一球を投げました』の短いフレーズの中でもその都度、言葉の強弱や間の調子を変えて巧みな緩急をつけ実況する」(25・26ページ)の具体的な実況指南は、スポーツアナウンサーを志している人には大変ためになる技術教授の記述に相違ないが、スポーツ放送の仕事に無縁な、普段スポーツ中継を適度に楽しむ程度の私のような一般読者が読む分には「確かにそうかもね」くらいの軽い感慨しかない。

だが、なかには参考になる「なるほど」と腑(ふ)に落ちて大変に納得できる記述もある。例えば「うるさい放送」についてだ。実際、著者のもとにもスポーツ中継に関する意見で実況アナウンサーの「うるさい放送」のクレームが時に寄せられるという。しかしながら「うるさい放送」とは、ただ単に「実況アナウンサーが喋り過ぎ」だとか「アナウンサーの声が大きい」ということではなくて、著者によれば「放送がうるさく聞こえる要素」には以下のものがあるという。

「(1)映像の伝える局面、場面と関係ない話をしている。(2)誰もが知っているような情報を必要以外の場面で伝える。(3)アナウンサーと解説者の間だけで放送が終始している(視聴者を忘れている)。(4)プレーの温度と放送のトーンとの間に隔たりがある。(5)肝心な情報が抜けている。(6)決まり切った表現しか使えない。(7)間投詞の『さあ』や、接続詞の『しかし』などが多い」(174ページ)

「うるさい放送」に関するこれらの指摘は、スポーツアナウンサーとして現場で経験を積んだ著者ならではの分析して知りうる貴重な事柄だ。岩波新書の赤、山本浩「スポーツアナウンサー」を読んで、実況アナウンサー志望の人は自身が後々「うるさい放送」をしないために上記の7つの項目に注意して現場でスポーツ実況に努めればよいわけだし、スポーツ中継の仕事に従事していない私のような一般読者は、お茶の間でたまたま運悪く「うるさい放送」に出くわした際には、「この実況アナウンサーは上記の7つの項目のいずれかに該当なのだ。だからうるさいダメな実況に聞こえてしまうのだ」と心静かに納得できるのである。