アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(276)吉見俊哉「大学とは何か」

2000年代以降の岩波新書の力作の良著で私にまず思い浮かぶのは、吉見俊哉「大学とは何か」(2011年)だ。本新書は内容もさることながら、著者の吉見俊哉の硬質な文章がよい。失策のない社会科学の硬い文体であり、考察内容はともかく文章記述がよいだけでその書籍はある程度の名著になってしまうものなのだ。逆に言えば、いくら内容が優れていても内容を吐き出す文章記述がよくないために結果、その書籍が駄本になってしまう残念な場合もよくある。

一般に「××とは何か」のタイトル書籍は、その定義文を押さえれば一応は読み切れたといえる。よって岩波新書「大学とは何か」にても「大学とは××」の著者による主張の定義文を押さえて読むことが肝要だ。しかも本書は読み始める前に目次を一瞥(いちべつ)すると、

「第Ⅰ章・都市の自由、大学の自由、第Ⅱ章・国民国家と大学の再生、第Ⅲ章・学知を移植する帝国、第Ⅳ章・戦後日本と大学改革」

というように全4章の構成にて、「大学とは何か」についての考察が中世ヨーロッパでの大学の誕生(第Ⅰ章)から、近代国民国家での大学の再生と発展(第Ⅱ章)、世界各国の帝国主義体制下での大学の果たした役割(第Ⅲ章)、戦後日本の大学改革のあり様(第Ⅳ章)まで、時代を遡(さかのぼ)る歴史的概観になっている。このことを事前に知るなら本書にての「大学とは何か」は、過去の各時代の大学教育や大学の社会的役割の知のシステムの諸問題を踏まえた上での、歴史的な批判や検討や総括に基づいた時間軸での「これからの大学はどうあらねばならないか」という意味にての著者の見解を示す、理念(理想)記述である「大学とは何か」であろうことは本論を読む前から容易に察しがつく。

事実、著者は各章にてヨーロッパでの大学の誕生から欧米での大学システムのあり様、そして近代日本と戦後日本の大学改革と今日の日本社会での大学をめぐる諸問題を、時の政治権力(キリスト教会、中世自由都市、近代国民国家、帝国主義国家、現代のグローバル経済体制)からの抑圧、自律、対抗、従属、共存の時代ごとの時系列の各相にて、著者がいう所の大学にまつわる歴史的に「複雑な対抗的連携」を押さえた上で「大学とはどうあるべきか」の可能性の理念的再定義を以下のようにまとめている。ここが、岩波新書「大学とは何か」にて絶対に読み逃してはいけない著者の強い主張部分だ。

「かつて発見・発明・開発の知は、人類の外部、まだ発見されていない未開拓のフロンティアが存分に残っていた時代には、世界を拡張し、未来を創造する基軸とされてきた。…しかし今日、多くの分野で知の飽和化が進んでくると、すでに膨張した既知の諸要素は、互いに矛盾し、衝突し、問題を発生させながら拡散していく。次世代の専門知に求められているのは、まったく新しい発見・開発をしていくという以上に、すでに飽和しかけている知識の矛盾する諸要素を調停し、望ましき秩序に向けて総合化するマネジメントの知である。このような専門知を発達させるには、既存分野の枠内に異分野の要素を取り込むようなやり方ではだめで、そうした枠を超えて新たな専門知を創出していく必要がある。それと同時に、近代国民国家と連動してきた『教養』ではなく、むしろ中世の『自由学芸』に近い新たな横断的な知の再構造化が、ここに要請されてくるはずである」(243・244ページ)

今日の多くの分野での知の飽和化を見越した上で、専門知の全く新しい発見・開発をしていくことよりも、むしろそれら孤立し閉鎖した飽和しかけている各知識の矛盾する諸要素を調停し、望ましき秩序に向けて統合し総合化するマネジメント知の形成こそが、大学以外の政府や企業やマスコミや地域共同体には困難で出来ない、まさに今日の大学だけがなしうる。近代の国民国家的な一国知の「教養」形成を超えて中世の「自由学芸」に近い新たな横断的な知の再構造化が、現在の大学を通して要請される。以上が「これからの大学はどうあらねばならないか」という意味での「大学とは何か」、本書にての著者による大学についての理念的再定義である。

あらかじめ釘を刺しておくと、本書は学生が「大学でどう学ぶか」とか「大学生活をどう過ごすべきか」といった内容での「大学とは何か」ではない。こうした内容記述を期待して読む人は、本新書への評価は自然と低くなるはずだ。本書は、そうした個人の学びの生涯にての「大学とは何か」の助言指南(アドバイス)の生ぬるい新書ではなくて、大学のそもそもの出自と成立理念とを歴史的に概観することを通して現代社会における大学の社会的役割、知識教授や教養形成や政治作為の可能性を真剣に見極めようとする硬派な新書である。

優れたよい書物とは、情報量が多く論述されている事柄が幅広く、かつ考察が深く掘り下げられていて内容が濃い。ゆえに一読で済ませるには不十分であり、繰り返し読める。読むたびに新しい問題やそれに関する著者の考えを、直接には紙面に書かれざる言外のものも含め、毎回新たに発見できる。だから優れたよい書物は何度でも繰り返し読める。

岩波新書の赤、吉見俊哉「大学とは何か」について、私は本当は本格的に指摘したい本書の考察の良さ、読むべき優れた論点記述を幾つか詳しく紹介したいのだけれど(例えば、一八世紀末のカントの大学論を、市場原理主義に基づく現代日本のグローバル経済下での新自由主義(ネオリベラリズム)的な官僚制的経営体に鋳直そうとする大学「改革」たる「選別と集中」論に対抗させる、意味ある引用記述の素晴らしさ。敗戦後に東京大学総長に就任した、キリスト者であり政治学者であった南原繁の戦後日本の大学改革論に対する著者の考察の見事さなど)、そうすると書評の文章が異常に長くなり際限がなくなるので。本新書を未読な方は実際に手に取って是非とも読んでいただきたい。

「いま、大学はかつてない困難な時代にある。その危機は何に起因しているのか。これから大学はどの方向へ踏み出すべきなのか。大学を知のメディアとして捉え、中世ヨーロッパにおける誕生から、近代国家による再生、明治日本への移植と戦後の再編という歴史のなかで位置づけなおす。大学の理念の再定義を試みる画期的論考」(表紙カバー裏解説)