アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(444)池上彰「先生!」

岩波新書の赤、池上彰「先生!」(2013年)の概要は以下だ。

「『先生!』─この言葉から喚起されるエピソードは何ですか?池上彰さんの呼びかけに、現場で実際に教えている人のほか、作家、医師、職人、タレントなど各界で活躍の二十七名が答えた。いじめや暴力問題にゆれ、教育制度改革が繰り返されているけれど、子どもと先生との関係は、かくも多様でおもしろい!希望のヒント満載のエッセイ集」(表紙カバー裏解説)

本書は池上彰の編であり、ジャーナリストの池上彰が各人に呼びかけて集めた「先生!」に関するエッセイを掲載したものである。「池上彰さんの呼びかけに、現場で実際に教えている人のほか、作家、医師、職人、タレントなど各界で活躍の二十七名が答えた」とあるが、エッセイを本新書に寄せた二十七名は、例えば太田光、押切もえ、しりあがり寿、乙武洋匡、天野篤、平田オリザ、山口香、パックン、武田美穂、武富健治、鈴木邦男、山口絵理子、関口光太郎、鈴木翔ほかである。

私は本書を手に取り実際に読み出して初めて気付いたのだが、これは将来学校教員になりたい、教員志望の大学生に教員免許取得の教職課程で読ませて、本書に関してのレポートを書いてこいと指示するような「学校教員志望の学生のための教材書籍」である。

岩波新書「先生!」に掲載の各人のエッセイは主に次の二つのタイプに分かれる。まず自身の主に小中高校時代に実際に接した教師の思い出のエピソード(いじめや不登校や自信喪失や習得困難の問題に対する先生の親身の指導、先生からの助言・気配り、先生から受けた自身への世界観や価値観の影響、後の自分の人生にもたらした転機、反面教師としたい駄目な先生から学んだことなど)を語ることを通して「先生という仕事とは何か」「先生は生徒に対しどうあるべきか」を読み手に知らしめるタイプのもの。もう一つは、今日の先生を取り巻く問題(過酷な労働環境、学級崩壊やいじめ・不登校の問題、進学主義、保護者からのクレームなど)への対処の仕方(子どもへの適切な接し方、いよいよの時の休職・離職のすすめなど)をあらかじめ教えようとするもの。前者のタイプは、例えば押切もえ、山口香、鈴木邦男ら、後者のそれには武富健治、石井志昴、鈴木翔らのものが該当する。

私は学校の先生にあまり興味も関心も持っていないので、そこまで本新書を真剣に読めなかった。自身の小中高校時代を振り返ってみても、私は幸運なことに学校生活にて、いじめや不登校や留年や退学などの過酷体験を持ったことはなかったし、特に学校の先生からお世話になったとか大変よく助言・指導をしてもらったといった、本新書コンセプトのような自分から「先生!」とハキハキと呼びかけることが出来る格別に思い入れのある「先生」体験を有していないのである。義務教育が終わって大学進学して、大学でたまたま相当に自分と気の合う指導教授に会って自分は幸運だったと思うけれど。私にとって思い出の深い「先生」といえば、その人だけである。

また私は教員の仕事をやったことがある。学校教員の仕事は確かに過酷である。とにかく長時間労働である。日々の教材研究や教材・試験作成と採点、通常の授業からイレギュラーな校務の雑務まで、やるべきことは実に多い。家に持ち帰っても仕事はなかなか終わらない。その他、教室の学生や職員室の同僚や上司(学年主任とか教科主任とか進学指導部の先生など)に気遣う日々の心労ストレスも大きかった。

岩波新書の赤、池上彰「先生!」を読んでいて、編者の池上彰による漫才師でタレントの太田光への巻末掲載のインタビュー(「学問を武器にして生徒とわかり合う」)の中での、「テレビの学園ドラマの熱血先生に憧れて、それを意識しているような先生はダメで…」云々の太田の話、児童・生徒の関心を無駄に引いたり、妙に生徒に取り入って親しく人気者になろうとしたり、親身になって熱血指導をやたらやりたがる教師が抱きがちな「教育の理想論」をバッサリ斬(き)って否定する彼の語りに私は共感した。

「いま、やけに学校に対して期待が大きすぎると思う」「やっぱり学校にそこまで期待しないほうが、正しいと俺は思うんですけどね」(インタビューでの太田光の発言)

もちろん、学校の先生は毎日の教務を手抜きでいい加減にやってよいわけではないし、生徒の方もそれなりに真剣に勉学に励み、真面目に学校生活を送らなければならないが、変に妙に学校の「先生!」に皆が期待し過ぎる社会は果たして健全なのか、常々私も疑問に思う。