アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(361)大木毅「独ソ戦」

岩波新書の赤、大木毅「独ソ戦」(2019年)は、中央公論新社が主催の優れた新書へ投票される「新書大賞」の2020年度の大賞を受賞しており、異例の大ヒットで大変に人気で広く読まれているらしいので先日、私も読んでみた。本新書は、戦闘員と民間人の大量死を伴う、いわゆる「絶滅戦争」の要素も付する「独ソ戦」に関するものであり、非人道的で不条理な内容を含むのでこうした言い方は不謹慎ではあるが、一読して「確かに面白い。本書が人気で『新書大賞』受賞作であるのに納得だ」の心持ちが私はした。

そもそも本書のテーマである「独ソ戦」の概要はこうだ。ヨーロッパでの第一次世界大戦以来の独と英仏との対立を軸とする第二次世界大戦の前哨戦(ぜんしょうせん)たるスペイン内乱(1931年)がまずあって、スペイン内乱に介入したドイツのヒトラーに対し、イギリスとフランスは第一次世界大戦の再現を恐れ、ドイツの暴発を抑制的に見守って宥和(ゆうわ)政策をとり、逆にナチスのヒトラーをヨーロッパにのさばらせる結果となった。他方で東ヨーロッパのソ連はナチスに強硬に接し、スペイン内乱にてドイツのファシズムとの対決姿勢を明確にして、ここにドイツのヒトラーのファシズムとソ連のスターリンの共産主義との第二次世界大戦前夜の対立が明確となる。世界大戦開戦前夜、当然ドイツはソ連に敵対する「反共」であり、やがて同じく「反共」国策の方針を取る東アジアの日本は「防共」を標榜し、日独防共協定(1936年)にてドイツとともに反ソ連勢力の結集を政治課題としつつ次の軍事同盟を討議していた。ところが長年、敵対しあっていたドイツとソ連が独ソ不可侵条約(1939年)を締結し、激しい敵対関係にあった独ソが提携。ドイツは、これまでのソ連に対する「反共」から「容共」の立場にいきなり転ずる。この事態を受けてドイツと軍事同盟を結んて「反共」姿勢でソ連に処そうとしていた日本は、ドイツからソ連包囲網の「防共」共同戦線の梯子(はしご)を一方的に突然に外され、当時の日本の首相の平沼騏一郎が絶句し、「欧州情勢は複雑怪奇」の言葉を残し内閣総辞職してしまう逸話は有名だ。そして世界各国を二分する第二次世界大戦がいよいよ勃発(1939年)。だがしかし、独ソ不可侵条約のわずか二年後にドイツのヒトラーは不可侵条約を一方的に破棄し、スターリンのソ連に進軍して戦争を仕掛けてしまう。これが第二次世界大戦における東ヨーロッパ戦線の「独ソ戦」の始まりであった。

要するにドイツのヒトラーの対ソ連政策は、独ソ両国間の信頼の「情誼(じょうぎ)」や、「反共かさもなくば容共」のイデオロギー対立ではなく、第二次世界大戦開始時のドイツのポーランド侵攻に当たり、西の対英仏と東の対ソ連を同時に相手にする二正面作戦の不利回避のための当面の軍事戦術上のゆえであった。だから世界大戦勃発1ヶ月前の直前の独ソ不可侵条約締結により、ドイツは開戦当初、対英仏の西部戦線に傾注して華々しい戦果を上げることできた。そして、後に「東方生存圏」を標榜し、わずか二年足らずでドイツは独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連への全面奇襲攻撃で独ソ戦争(1941─45年)は開戦に至る。

1941年6月にドイツは宣戦布告しソ連に侵攻開始。「独ソ戦近し」の情報が欧州各国の情報機関からソ連本国に事前に報告されていたが、スターリンはこれを「独ソ間の離反を企てる西側諸国の宣伝」の情報操作と解して信用せず、そのため準備不足のソ連軍は開戦緒戦にて大敗を喫し、ドイツ軍は大躍進。ドイツ軍は北部ではレニングラードを包囲し、南部では1941年9月にキエフを占領して10月には首都・モスクワへの進撃を開始。ドイツ軍は10月下旬にはモスクワ近郊にまで迫った。しかし、ソ連軍の必死の抵抗とロシアの冬将軍到来の極寒気候で苦戦を強いられたドイツ軍は進軍できず、逆にソ連の反撃により押し戻された。開戦当初、ドイツは短期決戦でソ連の首都・モスクワを陥落させるつもりだったが、独ソ戦争は長期化で消耗戦の様相であり、特に越冬して戦闘を強いられるドイツ側の消耗は激しかった。ナポレオンのロシア遠征以来の、西ヨーロッパ諸国にとって極寒地域の東欧での戦争は「鬼門」であるのか、西部戦線でのフランスのパリ陥落の快進撃とは対照的に、ドイツは対ソ連の東部戦線では苦戦を余儀なくされた。

1942年5月ドイツは攻勢に出てウクライナ、コーカサス方面の確保を企てた。穀物、石油、鉱物資源を獲得し、スターリングラードを奪取して首都・モスクワに向かう作戦であった。8月下旬にスターリングラードを包囲するもソ連軍はこれに全力を上げて反攻し、ドイツ軍は逆に包囲され敗北。スターリングラードの戦いでのソ連の勝利、ドイツの手痛い敗北は、後のドイツ軍の大敗後退、独ソ戦におけるドイツ敗北の呼び水となり、スターリングラードの戦いが「独ソ戦の一大転機」と称される所以(ゆえん)である。スターリンの名を模した「スターリングラード」での市街戦がソ連のスターリンの優勢契機となり、ドイツのヒトラーの敗戦への一大転機の攻防となったのは誠に印象深い。スターリングラードでドイツ軍を撤退させ勝利を握ったソ連はさらに反攻に出て、1943年7月にクルスク戦車戦でドイツ軍を撃破。8月にソ連は全戦線に渡り総反攻に出てキエフを奪回し、レニングラードを解放。1944年にソ連領よりドイツ軍を駆逐し東欧諸国に侵出。1944年6月の西部戦線での英米連合軍によるノルマンディー上陸作戦に呼応するかのように東部戦線のソ連軍も1944年8月には東プロイセンに侵出し、1945年4月にはドイツの首都・ベルリン郊外にまで達する。そして、この4月にヒトラーは自殺し、1945年5月7日にドイツは無条件降伏をして独ソ戦を含む第二次世界大戦のヨーロッパ戦線は終結した。

以上が独ソ戦の概要である。岩波新書「独ソ戦」の大きな読み所は、従来の独ソ戦の研究書籍がともすれば開戦前夜のヒトラーとスターリンとの国際政治的な駆け引きや欧州各地での諜報活動を通しての外交官や各国スパイが暗躍の見えざる情報戦の攻防から広く概説していくのに対し、本新書では最初から最後まで「独ソ戦」の実際の戦闘に限定し、その他の政治や外交工作の要素を出来る限り捨象して、終始一貫して作戦と用兵の戦史・軍事史に考察を集中している所だ。それは本書の奥付(おくづけ)を参照すると、自身の専攻はドイツ現代史と国際政治史としながらも、防衛省防衛研究所講師や陸上自衛隊幹部学校講師の職歴があることから明白であるが、著者がヨーロッパの戦史・軍事史研究を熟知している人であることによる。

また、この人は本書のような軍事史研究以外にも「赤城毅」のペンネームで戦記本や戦争小説を多数上梓している。そのため戦史・軍事史に関する知識が元々あって明るいことに加え、「戦争それ自体を非常に書き慣れている」の好印象が岩波新書「独ソ戦」を一読して強く残る。冒頭で述べたように、戦闘員と民間人の大量死を伴う現実に行われた戦争であって、非人道的で不条理な内容を含むため不謹慎ではあるが、本書での地形戦略図を掲載しての詳細な解説、短い文章を重ね性急に畳(たた)みかけるように実際の戦闘の緊張感を出す工夫の文章記述など、やはり一読して「なるほど面白い。著者は確かに戦争それ自体を常日頃から非常に書き慣れている」の感心の思いがする。

戦争の戦闘軍事にのみ特化して異常によく知っており、作戦計画や実際の戦闘経過や戦闘参加の部隊編成や装備兵器の仕様・型番など、ただ「それらが好きだから」という理由だけで好事家の趣味気質でのめり込む、いわゆる「軍事マニア」や「ミリタリーおたく」に私は全く共感できないし、正直くだらないと思う。また趣味の一分野としてすでに広く確立されているが、「バルバロッサ作戦」や「ノルマンディー上陸作戦」の実際の戦闘を素材にしたボードゲーム(ウォーゲーム)に熱中する人達がヨーロッパやアメリカには多くいて、彼らはそれぞれの戦闘や作戦の詳細を一般人が驚くほど深くよく知っている。そうした戦争ゲームマニアは日本にも多くいる。現実に多数の戦闘員が戦死し、非戦闘員の一般市民も戦時暴力に巻き込まれ多くの人々が亡くなっているのに、そういった近代の戦争に関し、マニア気質やゲーム素材の点から興味を持ち熱中する人は人間的に大いに問題があると思うし、私は戦記本や軍事小説も含めた好事家的なマニアックな戦争読み物書籍は普段から敬遠してあまり読まない。だが、たまにその種の戦記本や軍事小説を読んでみると「綿密な作戦戦略や戦場にて要求される適時の判断ら、どこか精巧な詰め将棋の打ち筋を探究しているようで確かに面白い」と感じてしまう瞬間が多々あるのだから自分のことながら不思議であり、複雑な心境ではある。

独ソ戦争について、戦史の面では戦争開始の直後のドイツ軍の奇襲攻撃のバルバロッサ作戦とか、「独ソ戦の一大転機」とよく評されるスターリングラードの戦いとか、近代機械兵器の戦車の大量投入による「史上最大の戦車戦」とされるクルスク戦車戦の概要を以前は私は浅く知るのみであったが、岩波新書「独ソ戦」を読むと、それら主要な戦闘以外にもドイツ軍の最初の対ソ作戦計画として、マルクス・プランやロズベルグ・プランら複数の作戦計画があったことなど、諸戦の詳細を知ることができる。またクルスク戦車戦以前に、最初の奇襲のバルバロッサ作戦の初期段階で、すでに参加戦車数ではクルスクをしのぐ大規模な戦車戦が展開されていたという本書での指摘記述は私には誠に興味深い。

さらに本新書の優れた読み所として以下の点が挙げられる。

(1)「冷戦終結とソ連崩壊後に機密解除された文書をもとに」というような記述が本論に頻出することからも明瞭なように、本新書は1989年の東欧社会主義圏の解体と1991年のソ連崩壊による各国政府や軍組織の新たな内部公開文書に基づく独ソ戦研究の比較的新しい学術成果を盛り込んで論述されている。(2)独ソ戦の実証主義的な単なる戦争史実の解明にとどまらず、パウル・カレルらナチス政権の中枢人物や、かつてのドイツ軍人の、どちらかといえば自分達の自国の軍隊の自画自賛に終始しがちであった、史実に反する回想(「ドイツのソ連侵攻は、スターリンの先制攻撃に対する予防戦争であった」「独ソ戦にてドイツ軍は、民間人の殺害略奪らの戦争犯罪を犯していない」など)に疑義を呈し、史料批判の観点から彼らの言説を「歴史修正主義の歪曲」として批判的に読み返す作業を行っている。(3)独ソ戦の戦争事実に即する形で近代の戦争について、「通常戦争」と「収奪戦争」と「世界観戦争(絶滅戦争)」という3つの戦争概念を提示し、それら三要素からなる「複合戦争としての(ドイツにとっての)対ソ戦」という抽象理論的な戦争分析をしている。これは現代思想や昨今の政治学にて近代の戦争に関する「全体主義」や「総力戦体制」と同義な戦争分析であり、特に新しい概念提示分析ではないが、独ソ戦の戦闘実態の具体論を踏まえ独ソ戦に即した形で述べられている所に大きな意義がある。

これら3つのうち特に(2)と(3)は重要であり、岩波新書の大木毅「独ソ戦」が、独ソ戦争の戦闘の現実を実証主義的に明らかにするだけの従来のありがちな、ただの「軍事マニア」や「ミリタリーおたく」気質な戦記本や軍事小説的な戦争読み物とは明白に一線を画(かく)する画期が確かにそこにはあった。おそらく(2)の自分達がなしたのかつての戦争と自国の軍隊への自画自賛的な読み込み歪曲が跋扈(ばっこ)する戦後ドイツでの歴史修正主義に対する批判的視点と、(3)の近代の戦争についての「絶滅戦争」ら概念を介した抽象理論的考察がなければ、本書はただの独ソ戦マニア向けの戦争読み物でしかなく、そもそも岩波新書として世に出ることはなかったであろうし、また2020年度の「新書大賞」を獲るような、そこまで異例の大ヒットで一般読者に広く読まれるほどの人気の跳(は)ね方はしなかったであろうと思われる。

「『これは絶滅戦争なのだ』。ヒトラーがそう断言したとき、ドイツとソ連との血で血を洗う皆殺しの闘争が始まった。想像を絶する独ソ戦の惨禍。軍事作戦の進行を追うだけでは、この戦いが顕現させた生き地獄を見過ごすことになるだろう。歴史修正主義の歪曲を正し、現代の野蛮とも呼ぶべき戦争の本質をえぐり出す」(表紙カバー裏解説)