アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(279)添田孝史「原発と大津波 警告を葬った人々」

2011年の東日本大震災による地震動と津波の被害を受けて、東京電力の福島第一原子力発電所は炉心溶融(メルトダウン)の放射性物質漏(も)れ過酷事故を起こす。

そこで事後に、東京電力の社長や会社幹部が口をそろえて「このような高い津波は実際に来ないと考えていた。事前に予測できなかった」旨の、つまりは「まったくの想定外であった」のコメントを出す。実のところ、東電の社長や経営幹部や現場の技術職職らを始めとして政府の中央防災会議も保安院(経済産業省の一機関で原発施設の安全審査を担当の組織)も福島原発過酷事故の危険性と大津波の可能性を、外部の識者と専門家から指摘され警鐘を鳴らされていたにもかかわらずである。そういった官民間の連携失敗、情報隠蔽、対策先延ばしの不作為であるところの倫理欠如の責任を追及し、東電経営陣らを「警告を葬った人々」として激しく糾弾するのが岩波新書の赤、添田孝史「原発と大津波・警告を葬った人々」(2014年)だ。

著者の添田孝史は、元朝日新聞記者で科学・医療分野を担当し、後に退社。以後、フリーランスでサイエンスライターとなり、東電福島原発事故の国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野調査担当の経歴を持つ。それゆえ本書では「福島第一原発は地震の揺れによって壊れた可能性が否定できないが、この本では津波をめぐる動きに焦点を絞っている」と著者はいう。

被災の2日後、東京電力の清水正孝社長は、記者会見にて「想定を大きく超える津波だった」と述べた。東電は事後に「想定外だった」旨の「原発施設への浸水被害は不可避で自社の責任回避」の言説を繰り返すけれども、ならば東京電力にて福島第一原発に事前に「想定」されていた、そもそもの津波被害の高さ予測はどれほどで、その被害想定を未然に防ぐために東電はどういう対策を講じていたのか。著者は情報開示請求を経て膨大な資料を発掘し、さらに関係者へ事後の取材を重ね話を聞き、情報を丹念に読み解いていく。その綿密な検証作業から東電を主とする無責任きわまりない原発事業関係者の姿が見えてくる。

日本海溝沿い、北は三陸沖から宮城県沖と福島県沖の南へかけて昔から大規模地震による津波被害があることは、古文書記録や津波堆積物の地層の痕跡から知られていた。津波高予測のシュミレーションにて、東電は1997年には福島第一原発に8.6mの津波がありうることを知っていた(91ページ)。しかし、そのような大きな津波が発生する可能性が指摘された際、東電は「まだよくわかってないから」「今後の研究の進展を待ちたいと思います」と対策を先延ばしにした(90ページ)。さらに2004年のインドネシアのスマトラ沖地震での大津波の事態を見て福島原発の津波への安全性に疑問を強めた保安院に対し、東電は「津波地震のリスクが小さい」「想定を超える発生頻度は低い」と「確率でごまかす」対策放置の不作為に終始した(94─97ページ)。

2008年2月には勝俣恒久会長も出席した社内会合で津波が7.7m以上になり、さらに大きくなる可能性も記載された調査報告資料が配られた。同年3月には新たなシュミレーションで最大15.7mになるという結果が出て、同年6月には武藤栄・原子力立地副本部長と、津波想定を担当する吉田昌郎・原子力設備管理部長らにこの予測結果が説明された。しかし吉田を含む東電幹部は、この津波想定を握りつぶして対策を講じなかった。また電力会社の意向を汲(く)んだ土木学会の津波評価部会(電事連が全額費用負担し部会メンバーは電力社員が多くを占める、自分達の言い分の権威付けのために設けられた電力会社寄りの「科学」部会)に、「切迫する津波リスクは低い」とする見通し評価の報告を提出させた(99─102ページ)。

さらに2010年、福島県からの安全性確認の質問に対し、東電は「発電所の安全性は確保される。最新のデータに基づいた再評価の結果は、最終報告書で報告する予定」とシュミレーション予測での実態を隠して回答。津波地震への備えが大幅に不足している現状も報告していない。またもや津波地震の想定被害対策を先延ばしで放置する(105・106ページ)。

それから東日本大震災被災の4日前、2011年3月7日に東電は保安院と非公開の打ち合わせをしていた。当日に出された資料には、津波地震発生の際の想定水位が地震のタイプ別に3つ提示されていた。最小で9.2m、最大15.7mの津波高想定である。ここでの最大15.7mの津波の可能性は実は2008年3月に東電の勝俣会長らにすでに社内で示されていたものだ。だが、この15.7mの津波危険性の警告は「後に最終報告に取りまとめ報告する」云々で東電側が隠して津波対策を先延ばしにしていたものである。2008年に社内で分かっていたことを3年後の2011年になって東電は、やっと資料として保安院の外部に開示した(110・111ページ)。

そして、その4日後の3月11日に東日本大震災が発生。地震発生の約51分後に高さ13.1mの津波が福島第一原発を襲い、非常用の発電装置すべてが浸水して全電源喪失(ブラックアウト)。原子炉の冷却が不可能になり、炉心溶融(メルトダウン)で放射性物質が外部に漏れる最悪の事態に至る。

実のところ、2011年3月の時点で福島第一原発の津波想定対策は6.1mである。事前に東電社内で共有されていた最小の9.2mも最大の15.7mの津波想定も、いずれも大きく下回っていた。2008年に15.7mの津波の可能性が指摘されていたにもかかわらず、2011年の震災に至るまで6.1mの想定対策のまま、勝俣会長を始め、武藤・原子力立地副本部長も、吉田・原子力設備管理部長(後に福島第一原発所長)ら東電幹部は津波の想定危険の可能性を「警告」されながら、そのまま不作為で放置していたのだ。何ら対策を講じなかった。だから著者に言わせれば、東電幹部の彼らは「原発と大津波・警告を葬った人々」ということになる。

前述のように、被災の2日後、東京電力の清水正孝社長は、記者会見にて「想定を大きく超える津波だった」とする「想定外だった」旨の発言をし、「原発施設への浸水被害は不可避で自社の責任回避」の言説を繰り返した。そうした東電幹部に対し、岩波新書「原発と大津波・警告を葬った人々」の著者・添田孝史は「それを聞いて頭に血が上った」とか「不謹慎だがおもわず笑ってしまった」の、怒りや時に呆(あき)れの感情筆致になる。著者の添田は、情報開示請求を経て東電の社内文書も入手して某大な資料を読み解き、さらに関係者へ事後の取材も重ね話を聞いて、時系列で津波地震想定被害つぶしの不作為たる、東京電力を主とする無責任きわまりない原発事業関係者の姿を知っていたからである。そのことは本新書を読んだ読者の私達にしても同様だ。本書の読後には「福島原発の津波被害は想定外だった」の発言をなす東電幹部に対し、私も怒りや失笑を禁じ得ない。

例えば原発事故当時、福島第一原発の所長であった吉田昌郎は、2008年6月の時点で最大15.7mになる津波予測の危険警告を知っていた。この時、彼は津波想定を担当する原子力設備管理部長の役職にあったが、最大15.7mの津波被害想定を握りつぶして対策を講じなかった本社の当事者でもあったのだ。その後、吉田昌郎は2010年6月末に福島第一原発所長に異動。皮肉にも所長就任から約8ヶ月後、以前に会長らと共に自身も想定つぶしに関わった巨大津波と吉田は対峙することになる。東電福島原発事故の発生後、福島第一原発所長の施設責任者として現場に残り事態収拾の指揮をとり、テレビ電話を介して社長ら東京本社の東電幹部と時に激しくやりあう吉田所長をして「現場密着で叩き上げの気骨ある人物」と英雄視するようなマスコミ報道も当時はあったけれど、それは相当な「茶番」であって、本書を読んで原子力設備管理部長時代からの吉田昌郎を知る、私も含めた読者は「吉田所長を英雄視」論調の報道に、もはや冷笑せずにいられない。

この点に関し、岩波新書「原発と大津波・警告を葬った人々」に掲載されている、新潟工科大学特任教授で福島第一原発の安全審査を担当し、20年以上前から原発施設の津波への脆弱性を指摘し続けてきたという高島賢二への以下のようなインタビュー、事故後の福島第一原発や所長の吉田昌郎に対する「悔しかった」「一般の方に迷惑をかけてしまった」「吉田所長は本社で津波想定をつぶした一人だ」とする高島の発言は、いま読み返しても非常に重い。

「(福島第一原発が津波でやられたと聞いて、どう感じましたか。)がっかりした。家内には泣き言いいましたけどね。悔しかった。一般の方に迷惑をかけてしまった」「吉田所長は本社で津波想定をつぶした一人だ。対処するために何を備えておけばよいか、考えておいてほしかった。予備のバッテリーがあるだけでも被害は違ったでしょう」(128・129ページ)

2008年の時点で15.7mの津波の可能性がすでに指摘され、浸水危険の可能性を「警告」されていたにもかかわらず、2011年の震災に至るまで6.1mの想定対策のまま東電幹部は不作為で放置していた。何ら対策を講じなかった。その後に東日本大震災が発生して高さ13.1mの津波が福島原発を襲い、放射能漏れの過酷事故の最悪の事態となった。もし前々から知っていた15.7mの想定津波の対策を先延ばしで放置することなく、速やかに東京電力がやっていれば、女川原発や福島第二原発ら同様に太平洋沿岸地域に位置した他原発の地震・津波被害の実態から勘案して、福島第一原発は津波浸水被害による電源喪失の炉心溶融(メルトダウン)と、それに伴う外部への放射性物質漏れを起こすまでの重大事故にはならなかった可能性は相当に大きい。この意味で今回の福島第一原発の事故ケースは、地震の危険性と大津波の可能性を外部の識者と専門家から事前に指摘され警鐘を鳴らされていたにもかかわらず、何ら対策を講じなかった東京電力の不作為が招いた本来は防ぎ得た原発事故といえるのだ。

このような津波対策放置の不作為を促し支えたのは、「防潮工事には費用と手間がかかる」「津波被害想定を公表すると地元住民に不安を生じさせる。結果、対策完了まで原発稼働できない運転停止のリスクが生じる」といった相当に強い懸念が、いつの時代でも原発事業者の東京電力に一貫して強くあったことによる。このことは岩波新書の赤、添田孝史「原発と大津波・警告を葬った人々」に発掘掲載されてある、東電社内の当時の生々しい内部文書や原発事故後の関係者へのインタビューを読むとよく分かる。

「けっして『想定外』などではなかった…。科学の粋を集めたはずの原子力産業で、地震学の最新の科学的知見は、なぜ活かされなかったのか。どのような議論で『補強せず』の方針が採られたのか、綿密な調査によって詳細に明らかにする」(表紙カバー裏解説)