アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(183)小森陽一「岩波新書で『戦後』をよむ」

岩波新書の赤「岩波新書で『戦後』をよむ」(2015年)は各分野専攻の大学教授ら、いわゆる「プロの読み手」の三人が「戦後」に刊行された岩波新書から、それぞれの時代状況を如実に反映したり、発行当時に大きな反響があり広く読まれた戦後日本社会の、その時々の節目で重要と思われる岩波新書を21冊ピックアップして、合評座談の俎上(そじょう)に載せ、対象新書をその当時の日本の「戦後」状況とともに、本書発行の2015年の現在的視点から容赦なく斬って斬って斬りまくるという、ある意味、痛快な座談書評の新書だ。

戦後70年を10年ごとに区切り全七章の構成にて、それぞれの時代で3冊を選んで、それら岩波新書に関する討論が収められている。第五福竜丸事故から安保闘争、水俣病、ソ連崩壊など時代を象徴する出来事を扱ったものや、愛国心や若者や家族や豊かさなど時代の雰囲気を伝えるような題材の取り上げた方も非常に上手く、「『戦後』日本の全体トピックからに実に偏(かたよ)りなく選択している」の好印象を残す。

その際の三人の参加者は以下である。

小森陽一、1953年生まれ、東京大学大学院総合文化研究科教授、日本近代文学専攻。成田龍一、1951年生まれ、日本女子大学人間社会学部教授、歴史学・近代日本史専攻。本田由紀、1964年生まれ、東京大学大学院教育学研究科教授、教育社会学専攻(以上のデータは本書刊行時のもの)

それぞれに戦後に生まれた時代も専攻も異なる、各人各様の三人の評者である。

今回あらためて合評に際し読み返してみて、「この時代で、すでにここまでのことを考え叙述できているとは」の驚きや、「この時代から以後も著者の立ち位置や思想は全くぶれていない」の尊敬など、過去の岩波新書に対しての称賛肯定の書評も多くある。だが、本新書を読む一読者の私としては、三人の座談参加者が過去の岩波新書を容赦なく批判し斬りまくっている書評座談の方が確実に面白い。その意味でいえば、本書の中で非常に辛辣(しんらつ)に厳しく評されている「第1章・一九四五─一九五五年―敗戦と復興」にての清水幾太郎「愛国心」(1950年)、「第3章・一九六五─一九七五年―高度成長の足もとで」にての田代三良「高校生」(1970年)、「第5章・一九八五─一九九五年―バブル・昭和・冷戦の終わり」にての暉峻淑子(てるおか・いつこ)「豊かさとは何か」(1989年)の三新書に対する合評座談が誠に強烈で面白く、読後も強く印象に残る。

「岩波新書で『戦後』をよむ」といった場合、ただ漠然と「戦後」に刊行された岩波新書を読み返して合評しているわけでは、もちろんない。討論時の2015年現在にある「戦後」日本の問題を踏まえながら各論者、三人ともが「岩波新書で『戦後』(の日本を)よ」んでいる。その際の座談に参加の本田由紀の発言にて繰り返し出てくる「よんでいて非常につらい」という言葉が、とても印象的だ。その「つらさ」とは、「過去の岩波新書にて扱われている日本のある戦後の問題に関し、2015年現在の時点では論点も問題構造も明らかにされ自明であるのに、過去の岩波新書の中でそれへの言及や考察が抜け落ち欠落している」という意味での「今読み返してみて非常につらい」という意味と、「過去の岩波新書にて早くもここまで明確に、日本のある戦後の問題が指摘され論点も問題構造も解明されているのに、戦後社会にて私達が何ら解決をつけず、問題を放置したまま現在に至っている」ので「今読み返してみて非常につらい」の二つの意味があった。

前者は、戦後の問題に処する岩波新書の書きぶりの不足や至らなさに由来する「つらさ」であり、後者は、すでに過去の岩波新書にて見事に指摘され問題摘出されているにもかかわらず、手つがずのまま問題放置で現在までズルズルときた私たち、戦後の日本人の精神的怠惰に由来する「つらさ」である。

この二つの「つらさ」のうち、過去の岩波新書を読んでいて私にかなり応(こた)えるのは後者の「つらさ」の方であって、例えば本書の最終章たる「第7章・二00五─二0一五年―模索の時代」は実際、私は「よんでいていて非常につらい」のであった。第七章にて書評される岩波新書は、湯浅誠「反貧困」(2008年)と、師岡康子「ヘイト・スピーチとは何か」(2013年)と、内橋克人「大震災のなかで」(2011年)である。それぞれについての「戦後」日本の問題を簡潔に言い換えるなら、湯浅「反貧困」は「貧困格差」であり、師岡「ヘイト・スピーチとは何か」は「自国民(民族)中心主義と排外」であり、内橋「大震災のなかで」は「大震災」を原発の放射能漏(も)れ過酷事故に引き付けて、「経済的利益の優先による安全規範のないがしろ」と読み替えることが出来る。そして、これら三つの「二00五─二0一五年・模索の時代」の「戦後」日本の問題は、昨日今日に突然に降って湧(わ)いた問題ではなくて、実はまさに「過去の岩波新書にて早くもここまで明確に、日本のある戦後の問題が指摘され論点も問題構造も解明されているにもかかわらず、戦後社会にて私達が何ら解決をつけず今に至っている手つがずのまま問題放置で現在までズルズルときた私達、戦後の日本人の精神的怠惰に由来する戦後日本の問題」なのであった。

その証左に本書「岩波新書で『戦後』をよむ」にて取り上げられている過去の岩波新書に各問題をそれぞれ対応させてみると、湯浅誠「反貧困」の「貧困格差」は、1980年代の暉峻淑子「豊かさとは何か」(1989年)にて、すでに指摘された問題であった。同様に師岡康子「ヘイト・スピーチとは何か」の「自国民(民族)中心主義と排外」は、1950年代の金達寿「朝鮮」(1958年)で早くも問題にされていた。さらに内橋克人「大震災のなかで」の、原発の放射能漏れ過酷事故に引き付けての「経済的利益の優先による安全規範のないがしろ」は、1950年代の武谷三男「死の灰」(1954年)と1970年代の原田正純「水俣病」(1972年)と同質な反復の問題である。

このように一読して、すでに過去の岩波新書にて見事に指摘されているにもかかわらず、手つがずのまま問題放置で現在までズルズルときた私たち、戦後の日本人の精神的怠惰に由来する「つらさ」を私は噛(か)みしめざるを得ない。そうした怠惰による問題放置で現在まできた「戦後」日本に対し、今更ながら最終章の2005年から2015年の直近の十年をして、「問題の所在」は既出で明確であるのに未だ「模索の時代」などと呼称するのは、とても白々(しらじら)しく虚(むな)しい思いがする。そういった意味で、岩波新書の赤「岩波新書で『戦後』をよむ」の読後感は残念ながら私には相当に良くない。

「戦争が終結して70年、日本の何が変わり、何が変わらなかったのか。戦後の知は何を問うてきたのか。時代の経験と『空気』が深く刻み込まれた21冊の岩波新書を、文学者・歴史学者・社会学者が読み解くことで、今を生きる私たちにとっての『戦後』の意味を塗り替えていく。現在と歴史の往還の中で交わされた徹底討議!」(表紙カバー裏解説)