アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(323)吉田裕「昭和天皇の終戦史」(その1)

私は一時期、天皇の公私にわたる発言や会話を記録し紹介した書籍を熱心に読み漁(あさ)っていたことがあった。天皇が日々どういった公式発言や近親の者たちと会話をしたのかに大変に興味があったからだ。そうした記録に残されている昭和天皇(天皇裕仁)と平成天皇(天皇明仁)による、それぞれの一連の発言会話の中で「特にこれは傑作だ」と私に思えたのは以下の2つである。

「(1975年10月31日、アメリカ訪問から帰国後の昭和天皇が、記者会見にて『陛下はいわゆる戦争責任についてはどのようにお考えですか』という記者質問に対し)戦争責任というような言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよく分かりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます」

「(2004年、秋の園遊会にて平成天皇が、東京都教育委員会委員だった時に東京都の公立学校に対する『日の丸・君が代』の義務化に尽力した棋士、米長邦雄の『日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが私の仕事でございます』とした発言を受けて)強制になるということでないことが望ましいですね」

いずれも記録に残る天皇の公式発言として「これらは実に傑作だ」と私には思えた。前者の昭和天皇の発言に関しては、「天皇の戦争責任」が単なる「言葉のアヤ」とか「文学方面」の限定トピックでないことを私達は常識として知っている。例えば戦時に兵器開発に携わった科学者が戦後に「科学者としての戦争責任」を追及されるのは自明のことだ。戦争責任問題は必ずしも文学方面の文系に限ったトピックではなくて、理系と文系に関係なく追及される。ところが、昭和天皇は自身が生物学の理系研究に心得がある自負からか、「そういう文学方面はあまり研究もしていないので」云々と自身への戦争責任問題の議論を巧妙にかわす。結果、天皇の戦争責任はその場では免責される。「昭和天皇は相当な海千山千で、かなりの狡猾(こうかつ)」と別の意味で私は大変に感心した。

他方、後者の平成天皇の発言については、日頃より先の戦争で多大な人的被害を受けた沖縄への慰霊訪問を繰り返し、戦後の日本国憲法の反戦平和と「象徴」としての天皇の地位を守ろうとする、いわゆる「護憲」の立場の平成天皇からして、前東京都教育委員会委員だった米長邦雄の「日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」の発言には、戦前の天皇制ファシズムの全体主義への復古の不快と恐怖を感じたに違いない。だから、本当は直接政治に関与できず、戦後の憲法にて「象徴」の地位にある天皇は特定の政策に対して個人的な思想を公的に表明することは慎まなくてはならないはずなのに「強制になるということでないことが望ましいですね」と、ついポロっと天皇の本音が公的な場で出てしまった。あれは明らかに天皇の失策の失言である。

そうして米長邦雄は、「日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが私の仕事」云々と誇らしく天皇の前で言えば、「よくやってるね」とか「ご苦労様」のねぎらいの言葉を天皇からもらえると暗に期待していたのだろう。ところが「強制は望ましくないですね」の遠回しにやんわりと釘を刺す予想外の天皇発言を受けて、米長が非常にかしこまった様子で何度もお辞儀をしながら、「そう、それは、もちろんそうでございます。素晴らしいお言葉ありがとうございます」と直立で礼を言う。米長は、しどろもどろな返答に終始するのである。右派で保守反動な復古的天皇論思想の持ち主たる米長邦雄の滑稽(こっけい)さに爆笑だ。普段から精緻(せいち)な対人観察を重ねて、俗に言う「空気をよめる」人ならば、米長のような失態の愚は絶対におかさない。だいいち米長邦雄は、常に物事の先を読むプロの将棋指しである。それなのに、戦後の日本国憲法体制に入れ込んで「護憲」の立ち位置にある平成天皇の個人的な心情は一般の人にも明白で容易に推測できるのに、相手の反応の先を読み先を見越して発言できない当時のプロ棋士の米長邦雄に私は噴飯でひたすら爆笑であった。

さて岩波新書の赤、吉田裕「昭和天皇の終戦史」(1992年)の書評を書こうと思ったのだが、前論である歴代天皇の実際の傑作発言についての話がはからずも長くなってしまったので(笑)、その書評内容はまた次回に。