アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(2)林健太郎「世界の歩み」

「人文社会科学の学問をやるなら、どんな分野でも歴史学の世界史の知識が必要だ」ということをある時から痛感し、私は学生時代にそこまで力を入れて世界史を勉強していなかったので、世界史の書物を色々と探して真面目にあれこれ読んでいた時期があった。特にヨーロッパ史である。

例えば哲学でも政治学でも経済学でも教育学でも何でも「××学史」というのがあり、理論形成や概念出自や中核思想の変遷や重要人物を歴史的に遡(さかのぼ)る必要があるわけだが、そのとき専門の学説だけでなく、必ず当時の時代状況や歴史的出来事を絡(から)めて、例えば西洋哲学史でカントを読むのならカントの時代のフランス革命やドイツ領邦国家の絶対主義的状況の世界史に結びつけて彼の哲学を立体的に読み込むことが欠かせない。ゆえに、どんな分野をやるにしても「学問においては歴史学の世界史についての最低限度の基本的知識が必要だ」というわけで世界史、特にヨーロッパ史を中心に重点的に一時期、私は勉強し直したりしていた。

日本史のような「一国史」ではない、世界史は幅広い世界の各地域の歴史を同時進行でやらなければいけないので要領が要(い)る。日本史のように詳しく日本の歴史のみをやる場合、ただ深く掘り下げて真面目にひたすら律儀にやればよいのだろうけれど、世界史はそのように詳しくやる必要はなくて、どちらかといえば各地域の歴史的特色の対照(コントラスト)の濃淡や他地域との関係性が明確になるよう手際(てぎわ)よくやらなければいけないわけである。世界史にて変に詳しく一国史レベルで学習するまでに内容を掘り下げてやるのは、むしろ弊害で、要は世界の歴史を広く浅く、しかし本質的な歴史事項や基本的な歴史理解の枠組みを絶対に落とさずに要領よくやり抜かなければならないので、日本史などの一国史と比べて世界史をやるには「学習のセンス」が案外必要だ。だから、高校で歴史のセンスのない教えるのが下手な社会の教師に世界史を教わったりすると後々、大変に苦労する。世界史の重要用語を羅列し板書して、いきなり「覚えろ!暗記しろ!」など、むやみに機械的に覚えさせて学生に相当な負担を強いる以前に各地域の歴史的特色のコントラストや他地域との関係性を、一国史的な突撃方式では到底対応できない世界史特有の手際の要領をまずは教えてもらいたい。

私の独学の経験からして、おそらく世界史に関しては「正解の教え方」「正統な理解のさせ方」というのは必ずやあるはずだ。例えば近世以後のヨーロッパ史なら、まずは「世界の覇権を握った覇権国家の変遷の流れ」を大きく押さえ理解させて、それから個別の単元の歴史的事象の説明に入る。つまりは大航海時代以後から現在までの世界の歴史でいきなり詳しい解説から入らず、まずは国際覇権国家の変遷「スペイン・ポルトガル─オランダ─イギリス─ドイツ─(第一次・第二次世界大戦)─アメリカ・ソ連─アメリカ」の全体的な図式を示した後に、個々の国別の歴史的事柄を詳説する。

はたまた中世封建社会の分権的支配から近世の絶対主義国家に至る一元的統一支配への移行に関し、十字軍派遣前後での「国王と教皇と商人」の三者それぞれを絶頂の上昇と没落の下降の対比で分けて理解させる。これなどは昔からあるオーソドックスな世界史指導の理解のさせ方だとは思うが、やはりああいうのが世界史の「正解な教え方」であり、「正統な理解のさせ方」だと私は思う。そして、そういう「正解の正統で使える思考の枠組み」をどれだけ数多く知っているか、そういったことをたくさん教えてくれる教師が「世界史の教え方が上手な先生」であり、そういったことを豊富に書いている概説書や参考書が「学生に親切な世界史の良書」といえるのではないか。

さて岩波新書の青、林健太郎「世界の歩み」上下(1949、1952年)、この2冊は近世から近現代の世界史を概説する内容で、歴史の詳しい事項はあまり書いておらず瑣末(さまつ)な歴史の知識に溺(おぼ)れず細かな解説に終始せず、その分本質的な世界史の基本の流れ、おそらくは落としたら絶対にマズいであろう正解で正統な世界史の思考の枠組みを漏(も)れなくソツなく用いて要領よく書き抜いており、「世界史の説明が上手いな。世界史概説に非常にこなれてる人だ」の感慨を一読して持つ。ヨーロッパ史にて、どこまでもイギリスとフランスの相違の対比にこだわり、その英仏対立の基本の歴史軸に後にドイツ、イタリア、ロシアの各国史の解説を重ね、さらにアメリカの歴史を加える著者による世界史記述の手際の良さには、「世界史を学生に教え慣れている先生」の好印象が残る。

昔の学者や書き手は今の時代の人と比べて明らかに圧倒的に史料(資料)や情報が少なく、時に正確ではないことも記載し本一冊にまとめている。昔の人が情報収集や情報処理にて現代の人に劣ることは確かだけれど、しかし少ない情報や限られた知識の中で、それなりに筋道をつけて有機化し上手くまとめて書く。現代の私達が昔の学術研究や論文や著作に対し幾分の物足りなさを感じ「情報量が少ない。説明が詳細でない。記述が正確ではない」など、あからさまに酷評するのは、ある意味正当ではあるけれど「昔のものだから通用しない。今や使えない」で一刀両断に斬り捨てるには、あまりにも惜しい輝ける古典の名著が多数あることも事実だ。林の「世界の歩み」を読み返すたび、いつも私にはそういった思いが去来する。

林健太郎「世界の歩み」上下は、岩波新書の良い書籍である。ついで同書の姉妹書で古代から中世までの世界史を概説した林健太郎「歴史の流れ」(1948年)も、これまた良書だ。