アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(164)渡辺金一「コンスタンティノープル千年」

コンスタンティノープルは現イスタンブールであり、東ローマのビザンツ帝国の首都である。西ローマの諸国が分裂と興亡を繰り返すのに比して、東ローマのビザンツ帝国は首都・コンスタンティーノープルを中心として約千年の長きに渡り栄えた。

岩波新書の黄、渡辺金一「コンスタンティノープル千年」(1985年)は岩波新書の中での異色の傑作だ。本書は、そうした「コンスタンティノープル千年」というビザンツ帝国興亡の歴史に触れてはいるが、従来の岩波新書のように固い歴史概説ではなく、構成と語り共に非常に凝(こ)った軽妙なエッセイのようになっている。本書を読むと、まるで映画監督の伊丹十三や音楽家の小西康陽の洒落た上質エッセイを読んでいるような同様に洗練された思いに私は包まれる。これは野暮(やぼ)で無粋(ぶすい)な子どもが一生懸命に読んで学ぶ書籍ではない。ある程度洗練された上質な大人が余裕を持って手にし軽く読んで満足する大人の新書だ。

確かに、本書は皇帝の選出と退任の具体的エピソードに記述が偏(かたよ)っており、ビザンツ帝国の歴史を総体的に概観したものとは言い難い。とはいえ学術的な裏付けも、しっかりとされている。本新書を開いて最初に引用掲載されてあるブルクハルト「世界史的考察」(1905年)の中の一文をまずは読もう。

「歴史哲学者たちが考察の対象とするのは、発展して現在あるような私たちと対立するものとしての過去であり、そのような現在の私たちの前段階をなすものとしての過去である。それに反して私たちが考察の対象とするのは、繰返されるもの、変化せざるもの、類型的なるものであり、私たちが共感を覚え、理解することができるのも、それなのだ」

前半の「歴史哲学者たちが考察の対象とするのは、発展して現在あるような私たちと対立するものとしての過去であり」云々は、明らかにヘーゲルの世界史の精神の弁証法的発展を指す。そうした発展止揚の歴史に対抗するのが「繰返されるもの、変化せざるもの、類型的なるもの」な反復類型の個性的な歴史である。そうして著者は、ヘーゲル主義の歴史哲学の弁証法を西ヨーロッパの歴史に重ね、しかし本書にて論じる東ヨーロッパのビザンツ帝国の歴史にはヘーゲル流の世界史理解は適合しない、ビザンツ帝国は「繰返されるもの、変化せざるもの、類型的なるもの」の個性の歴史とする次第である。

それから次ページにある「ビザンツ帝国(1025年の国境)」地図にて、本書「コンスタンティノープル千年」のコンスタンティノープルの位置を押さえよう。コンスタンティノープルはビザンツ帝国の都である。その名称はローマ皇帝コンスタンティヌス1世に由来する。東欧はアジア民族の侵入を阻止するヨーロッパ世界の防波堤であり、しかしオリエントの東方専制の文化が混ざるため、都市名に皇帝や為政者の名前をそのままつける。アレクサンドロス大王からアレクサンドリアとか、レーニンからレニングラードなど。いかにも東ヨーロッパの文化である。西ヨーロッパでは都市名に支配者の個人名を露骨に重ねたりしない。

皇帝コンスタンティヌスの名に由来するコンスタンティノープルは、地中海から北上してエーゲ海と黒海の境のかなり入り組んだ所に位置する都市である。対岸にはオリエントの小アジアを臨む。ビザンツ帝国とは旧東ローマ帝国であり、395年のローマ帝国の東西分裂から西ローマは権威は教皇だが権力は皇帝という宗教と政治の二元体制であったのに対し、東ローマは皇帝教皇主義(カエサロパピズム)という皇帝が教皇も兼ねる権威と権力が重なる一元体制であった。

しかしながら、本書にて著者が「ビザンツ皇帝制度を、いわゆる『オリエント的デスポティズム』VS『ギリシア・ローマ的デモクラシー』という図式で説明することは、いささか見当ちがい…いや、この対句は、ビザンツ皇帝制度を理解するためには、むしろ躓(つまず)きの石となりかねない」と断じているように、ビザンツ帝国を皇帝による専制独裁の体制と安易に即断しないで頂きたい。この辺りの皇帝と人民との生き生きとした緊張感のあるやり取りが「コンスタンティノープル千年」の確固とした歴史的伝統としてあるのだ。それは分裂以前のローマ帝国から引き継いだものもあるし、後のビザンツ帝国が独自に形成したものもある。そうして九十人の皇帝就任を経て、滅亡の1453年までビザンツ帝国は千百年の一時代の歴史を築いたのであった。

本論は全六章からなり、各節の各ページ右下に著者による軽妙洒脱な箴言(しんげん)のような一文が掲載されてある。例えば「ソフトな憲法ともいうべきものが、コンセンサスとして」「万人の視線がもっぱら陛下御自身だけに」というように。そして第三章「サーカス対話」の問答体や、「『あとがき』に代えて」にての「あるビザンツ人からのメッセージ」たる「宮仕えの心得」「上司にたいする心得」「部下にたいする心得」の処世術のすすめまで各論に工夫が見られ、非常に洒落て洗練されている。もちろん、学術的な内容にも優れている。

本書に限らず、ビザンツ帝国の歴史に関しては「古代ローマ帝国の衣鉢(いはち)を継ぎ十五世紀まで千年以上にわたって連綿と続いた東ローマ(ビザンツ)帝国が、なぜ千年以上も存続できたのか」、帝国政治の国内システムと周辺諸国との対外関係から理解することが肝要だ。九十人の皇帝就任を経て、滅亡の1453年までビザンツ帝国は千百年の一時代の歴史を継続して築いたのであり、このこと自体が実に驚くべきことである。人類の歴史の中で一つの政治体制にのみ依拠した国家がそのまま連続して千年以上存続することなど滅多にない。まずは、そのことの奇跡に読者諸君には素朴に驚嘆してもらいたい。

岩波新書「コンスタンティノープル千年」のサブタイトルは「革命劇場」である。この副題に引きつけて述べるなら、「コンスタンティノープルの千年は、演者たる皇帝と市民とが入れ替わり立ち替わり革命劇場の壇上に上(あ)がり、皆が芝居を打って演劇の歴史舞台を廻(まわ)した。多くの演者が舞台に現れ、それぞれに芝居を打って舞台袖に捌(は)けて行ったが、そもそものビザンツ帝国のコンスタンティノープルという舞台装置そのものが破壊されることなく千年もの長い間、劇場国家の演劇が延々と続いたのはなぜか?」最終的にはこの問いに尽きる。岩波新書の黄、渡辺金一「コンスタンティノープル千年」は、主に帝国政治の皇帝選出と退任の国内システムの観点から「コンスタンティノープル千年」の存続の秘密を暗に明らかにするものである。ゆえに本新書を読んで「コンスタンティノープル千年」の存続理由の一端を理解できれば、とりあえず本書は読み切れたといえる。

「十五世紀までビザンツ帝国の首都として千年の栄華を誇った大都会コンスタンティノープル(現イスタンブール)。そこで、皇帝と市民はどのような政治を演じたか、歴代皇帝のうち半数がクーデターで失脚という壮絶な抗争の陰に、どんなドラマがあったのか。権力と大衆、さらには国家と選挙と革命をめぐるダイナミズムを生きいきと描く」(表紙カバー裏解説)