アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(166)松沢裕作「生きづらい明治社会」

岩波ジュニア新書の松沢裕作「生きづらい明治社会・不安と競争の時代」(2018年)の概要は以下だ。

「日本が近代化に向けて大きな一歩を踏み出した明治時代は、実はとても厳しい社会でした。社会が大きく変化する中、人々は必死に働き、頑張りました。景気の急激な変動、出世競争、貧困、さまざまな困難と向き合いながら、人々はこの時代をどう生きたのでしょうか?厳しい競争のなかで結果を出せず敗れた人々、そんな人々にとって明治とはどんな社会だったのでしょうか?不安と競争をキーワードに明治社会を読み解きます」(裏表紙解説)

本新書を一読しての率直な感想は、「10代の中高生向けに書かれた岩波ジュニア新書にて、こうした高度に政治的な書籍を出して若い読者に読ませるのは、いかがなものか!?非常にえげつない」の思いが正直した。私はあまり感心できなかった。

というのも松沢裕作「生きづらい明治社会」にて、家からの束縛や貧困差別の不安や立身出世の過酷な競争、その「生きづらさ」に反発して都市騒擾を引き起こし暴発する民衆の「明治社会の生きづらさ」を強調する論旨は、今日の特に2000年代以降の自民党保守政権下での新自由主義政策(ネオリベラリズム)推進による社会保障のケアなく、市場万能原理により過酷な生存競争にさらされ、大多数の人々が使い捨てられて自己責任論にて現状の貧困格差は合理化され放置される現代の社会を、かつての日本の明治社会に重ね合わせ、現政府のネオリベ政策を間接的に、しかし痛烈に批判するものに他ならないからだ。それは同時に新自由主義政策の強行と平行して、これまた2000年代以降の自民党保守政権が強引に進める「明治の礼賛」回路を通じての保守反動な戦前日本の国家主義的回帰の復古政策(例えば2018年に大々的に開催された政府主導の「明治改元一五0年」の各種イベントなど)に異議を唱え、同様に強く批判するものでもあることも明白だ。政府や右派や保守の陣営が進める明治国家の礼賛に「生きづらい明治社会」の歴史的現実を直にぶつけ、「明治国家に学ぶ」現在の「明治礼賛」政治を批判しようとする本書は高度に政治的な書籍である。

なるほど、岩波ジュニア新書の松沢裕作「生きづらい明治社会」は、自民党保守政権が大々的に喧伝する2018年開催の政府主導の「明治改元一五0年」各種イベントに対抗させる形で、同じ「明治改元一五0年」の2018年の出版であった。

岩波ジュニア新書、松沢裕作「生きづらい明治社会」は、近年の同じ岩波書店の書籍でいえば、斎藤貴男「『明治礼賛』の正体」(2018年)と論旨や著者の思想立場や書物に託された言外の高度な政治的意味は同一である。ただ、本書での明治の社会にて「努力すれば報われる、つまりは生活が苦しいのは努力していない人だという、いわゆる『通俗道徳』の固定観念が成立して広がった」云々の話を、そのまま今日の日本の貧困格差の社会にての自己責任論(「貧困で底辺にいるのは本人の怠惰のせいで自己責任」という短絡議論)と同様であると気づき、明治の社会の「通俗道徳のわな」と現代社会にての自己責任論の横行とを重ね合わせて読めるのか。岩波ジュニア新書の対象読者層である10代の中高生が、そういった結論に果たしてたどり着けるか。

しかも「生きづらい明治社会」から、明治国家に対する実に勇ましい、しかし確実に胡散臭(うさんくさ)い富国強兵路線賛美が高まる現代の「明治礼賛」ムード演出にも疑問を呈し、おそらくは著者が暗に若い読者に期待し彼らを誘導したがっているような、近年の政府による「『明治礼賛』の正体」を暴く明確な批判を若い読者から引き出すことができるのか。岩波ジュニア新書、松沢裕作「生きづらい明治社会・不安と競争の時代」の内容そのものよりも、本新書が若い人にどう読まれるか、その読まれ方に私は関心がある。

例えば、中高生の若者が本書を読んで「なるほど、明治は生きづらい社会なのだな。私は明治の時代に生まれなくてよかった。今の時代に生まれて幸運だった」と安堵する極めて素朴な、本書を執筆の著者からすれば誠に期待はずれで残念な読後の感想に終わる可能性も考えられるからである。