アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(231)安丸良夫「神々の明治維新」

岩波新書の黄、安丸良夫「神々の明治維新」(1979年)の概要はこうだ。

「維新政権が打ちだした神仏分離の政策と、仏教や民俗信仰などに対して全国に猛威をふるった熱狂的な排斥運動は、変革期にありがちな一時的な逸脱にすぎないように見える。が、その過程を経て日本人の精神史的伝統は一大転換をとげた。日本人の精神構造を深く規定している明治初年の国家と宗教をめぐる問題状況を克明に描き出す」(表紙カバー裏解説) 
  
解説文中の「維新政権が打ちだした神仏分離政策と排斥運動は、変革期にありがちな一時的な逸脱にすぎないように見える。が、その過程を経て日本人の精神史的伝統は一大転換をとげた」ことに関し、著者の安丸良夫は本論にても次のように述べている。 

「割りきっていえば、本書は、神仏分離と廃仏毀釈を通じて、日本人の精神史に根本的といってよいほどの大転換が生まれた、と主張するものである。…神仏分離と廃仏毀釈を画期とし、またそこに集約されて、巨大な転換が生まれ、それがやがて多様な形で定着していった、そしてそのことが現代の私たちの精神のありようをも規定している、本書はそうした視角にたっている」(「はじめに」)   

「これは安丸良夫、岩波新書の一般読者の前でハッタリの大風呂敷を広げたな」と正直、私は思った。岩波新書「神々の明治維新」は、日本史をある程度知っている者からすれば何てことはない、ありふれた日本通史の近代史、明治時代の神仏分離と廃仏毀釈を内実とする「国家神道成立史序説」のような常識的な概説内容である。「維新政権が打ちだした神仏分離政策と排斥運動は、その過程を経て日本人の精神史的伝統に一大転換をもたらした」云々の安丸の口上は、いかにも大袈裟(おおげさ)すぎる(笑)。玄人プロのヤクザな歴史学者が、新書読者の素人ノンプロのカタギの衆の前で見栄の口上を切って凄(すご)んでみせる滑稽(こっけい)さに似ている。

本書で述べられている「神仏分離と廃仏毀釈を通じて、日本人の精神史に巨大な転換が生まれ、そのことが現代の私たちの精神のありようをも規定している」とする旨の安丸良夫の主張について、本新書に書かれざる前提の話もまとめて要約するとすれば以下の通りだ。

従前の明治維新研究にて指摘されるように、明治国家は、その成立当初みずからを支える確固たる固有の階級基盤を持ち得なかったがゆえに超階級的な国民の陶酔的支持を求めざるを得ず、いわば「教化国家」としての性格を余儀なくされていた。近代国家の支配下にて、人々が自国の有り様に無関心であるような、もはや国民が統治の客体であることは許されず、まさに「国民とは国民たろうとするとするもの」の謂いであるから、そこに明治国家における民衆の内面教化という後々まで連続する近代天皇制国家の特質が貫徹せしめられていた。当時政府の中枢のあった伊藤博文から在野の福沢諭吉に至るまで、明治の思想家たちにとっての愁眉の課題は、国家意識を持たない広範な人々に「いかにしてナショナリズムの観念を植え付けるか」ということにあった。そのためにあらゆる思想が動員された。儒教主義、家族国家観、記紀神話、社会有機体説、進化論、そして「国体神学」としての国学と神道である。

本書「神々の明治維新」のテーマである神仏分離と廃仏毀釈は、近代天皇制国家における教化のための宗教(利用)政策としてあった。神道という日本の伝統的な民族宗教に依拠する形で、民衆間の私的な祖先崇拝から国家の強制による公的な皇祖神崇拝の天皇信仰への接木は、現在の天皇制国家の政治支配の正統性根拠を確保して人々の内面収奪の精神的支配を理論的にならしめた。例えば明治初年度から順次、全国各都道府県より示された「人民告諭」にて、日本が神州たる所以(ゆえん)、皇室の尊いこと、人民の受ける国恩の広大にして極まりないこと、天子親政のありがたいこと、王政復古諸事は正大公明なことが説かれたのであり、明治新政府の統治イデオロギーとして神権的天皇制がその理論支柱として常にあった。

ここから国家神道体制の成立をなす、「神仏分離と廃仏毀釈」の明治新政府の一連の宗教政策は展開される。まず神仏分離令によって、これまで渾然一体としてあった神仏習合の日本の宗教的伝統に政府が圧力をかけ、国家の意思で絶対的な分割線を引いて神道と仏教を分離する(神仏分離)。その上でインド・中国由来の外来の仏教に対しては排仏論の立場で厳しく処し排斥する(廃仏毀釈)。他方、神道は民族的伝統にふさわしい日本古来の宗教として手厚く保護し振興に努めた(神道国教化)。すなわち、頂点に天皇の宮中祭祀と伊勢神宮を置き、中間に各地の官・国幣社を配置し、底辺に村々の産土神を据えて、国家規模での神社祭祀の統一的体系に日本人の宗教生活の全体を編成し帰属させるという神道国教体制の構築こそが、明治政府の目標であった。

明治国家の神道国教化政策は、そのまま国家神道体制を期するものである。国体神学の神道に基づき天皇の皇祖神と現体制の天皇制国家への陶酔的支持を宗教信仰を介して民衆から確保しょうとするものであるからだ。「神道国教化=国家神道・国体宗教=天皇制イデオロギー」と定式化してよい。

このように維新政府の神道国教化の一連の宗教政策は、国家神道の国体宗教を民衆に押し付けるものに他ならないのだから、在野の宗教教団からの政府への反発も当然出てくる。廃仏毀釈にて徹底的に排斥された仏教、特に門徒を多く抱えた浄土真宗の反発はもちろんのこと、同じ神道でも天皇信仰を介さない村々の非政治的な民俗信仰や民間神道教団からの反発があった(それらのうち幾つかは国家から公認された「教派神道」として神道国教化体制に組み込まれていった)。

こうした政府が国家神道の成立を目指す、明治初年度よりの国家が公認推進の近代天皇制と結びつけた神道政策は、試行錯誤のジグザクな迷走を当初は見せた。例えば、神祇官から神祇省、教部省の設置から内務省への吸収の教化組織の相次ぐ改編。神仏分離令、廃仏毀釈、宣教師の設置、大教宣布の詔など。そうして既存の神道、仏教、キリスト教ら他宗教との衝突回避とともに、国民教化の柱となるべき神道の優越性確保のための最終的に国家により打ち出されたのは、神道国教化政策から神道非宗教論への戦術的転回、すなわち神道習俗論の擬制であった。神道の国教化で宗旨を国が強制すると、天皇や国体信仰に関係のない神道各派や仏教やキリスト教の他宗派との摩擦・衝突になるので、その回避のために(国家)神道を「宗教ではなくて実は日本人の伝統習俗であり非宗教である」と強弁した上で、神道による国民教化を果たす明治政府による宗教(利用)政策の帰結である。「神道は宗教に非(あら)ず」と非宗教の道徳習俗論の擬制を言い張ることによって、露骨な神道国教化政策に代わる国家神道体制は確立の軌道に乘ったのであった。

このような神道非宗教(習俗)論は、帝国憲法下での「信教の自由」の規定にて一応の完成を見ることになる。明治初年度の神仏分離令(1868年)を機にした廃仏毀釈、大教宣布の詔(1870年)を経て大日本帝国憲法制定(1889年)まで実に20年以上の、時に失敗の迷走を伴う明治国家の宗教政策たる国家神道体制確立の過程であった。

神道非宗教論の擬制に基づく、天皇と国体とを信奉する国体神学たる国家神道体制完成の帝国憲法「信教の自由」条項の歴史的意義について、安丸良夫「神々の明治維新」から該当の記述を引こう。

「帝国憲法第二十八条の規定は、『日本臣民ハ、安寧秩序ヲ妨ゲズ、及臣民タルノ義務ニ背カザル限ニ於テ、信教ノ自由ヲ有ス』となっている。この規定の特徴は、…『安寧秩序ヲ妨ゲズ、及臣民タルノ義務ニ背カザル限』という漠然とした制限つきになっていることにある。このあいまいな制限規定は、実際問題としては、一般的な規範や習俗への同調化をそれみずからで共用したり、そうした強要を容認したりすることを容易にした。…こうした漠然とした制限規定のもとでは、『信教の自由』は、国家が要求する秩序原理へすすんで同調することと同義にさえなりかねなかった。そして、神社崇拝は、その基盤で民衆の日常的宗教行為につらなることで現実に機能しているのだから、法的には神社崇拝とはべつだと強弁されても、『安寧秩序』や『臣民タルノ義務』に背くまいとすれば、神社神道の受容とそれへの同調化が、それぞれの宗派教団にはほとんど極限的なきびしさで求められてしまうことにさえなったのである」(「Ⅵ・大教院体制から『信教の自由』へ」)

「安寧秩序ヲ妨ゲズ、及臣民タルノ義務ニ背カザル限ニ於テ」という相当に漠然とした為政者の勘案でいくらでも個人の内面信仰を制限できてしまう帝国憲法下にて、「信教の自由」は実質なし崩しにされた。個人には何ら信教の自由は保障されていなかったのである。しかも「神道は宗教に非ず」と非宗教論を強弁することにより、露骨な神道国教化に代わり、神道を宗教としてではなく習俗の道徳として超越して人々に強要することができた。神道を「宗教」から一つ次元を上げ、あえて「習俗道徳」にして民衆に強制することで伝統的な民俗信仰や仏教やキリスト教の他宗教との衝突を回避し、かつ「信教の自由」原則を名目上は守りながら、国家規模での神社祭祀の統一的体系に日本人の宗教生活の全体を編成し帰属させることができたのである。帝国憲法下にて「信教の自由」が骨抜きの無効にさせられた上で、本来は宗教であるのに非宗教の習俗と強弁して神社祭祀を国民に強制する明治期の天皇制国家による一連の宗教政策である神道国教体制の確立を、本書の中で安丸良夫は「過剰同調的特質」と呼ぶ。

さらに「宗教」ではなくて「習俗」として国家が神道を規定したため、近代日本の人々は、たとえ仏教門徒やキリスト者であっても「初詣」と称して正月に神社に参詣したり、家屋の新築時には地鎮祭をとり行い、「日本人の伝統的習俗」として神社神道の宗教儀礼を遂行するようになってしまった。だが、よくよく考えてみてほしい。「神仏分離と廃仏毀釈」で始まった近代天皇制国家の神道国教化の宗教利用において、神道は仏教と拮抗する紛(まぎ)れもない一つの宗派の宗教なのである。ただ国家神道体制構築の過程で神道国教化政策の露骨な宗旨強制でうまく機能しなかったため、中途で国家が戦術転回して「神道は日本人の伝統的習俗の非宗教」と強引にしただけである。そうした国による神道国教化挫折の前史も知らずに、近代の日本人は今日に至るまで「神道は日本人にとって当たり前の習俗道徳」と素朴に思い込んで各種神道(宗教)儀礼を日常的に遂行してきた。

しかも、近代天皇制国家にて国が公認し推進する神道は、従来の祖先崇拝と自然信仰の伝統的な神道ではなくて、皇祖神たる天皇崇拝と日本の国体信仰へ国家により政治的に改変させられた、後期国学と水戸学に由来する神道の中でも極めて特殊な復古神道を基盤とする国家神道なのであった。

こういった神道非宗教論に依拠し神道を他宗教より一つ高い次元に置き他宗教を排撃して、国家神道への教化を国民に強要し結果、近代日本では「信教の自由」が形式だけの骨抜きの無効なものに帰せしめられたこと。また、そうした国家神道体制確立過程の歴史を知らず、近代以降、ほとんどの日本人が「神道は宗教ではなく伝統的な日本の習俗」と信じて疑わず、仏教門徒であってもキリスト者であっても現在まで神道的宗教儀礼を日本人全般が広く日常的に遂行してしまっていること。より明確に言って近代日本の人々は現代まで依然として、たとえ仏教門徒やキリスト者でも、神道を信仰していない無宗教の無神論者でも「初詣」と称して正月に神社に参詣したり、家屋の新築時には地鎮祭をとり行い、「日本人の伝統的習俗」として神社神道の宗教儀礼を何の疑問もなく遂行するようになってしまったこと。

「神々の明治維新」の中で安丸良夫は、それら「神仏分離と廃仏毀釈」から始まる神道非宗教(習俗)論の定着、すなわち国家神道体制の確立をして、「維新政権が打ちだした神仏分離政策と排斥運動は、…その過程を経て日本人の精神史的伝統は一大転換をとげた」「神仏分離と廃仏毀釈を通じて、日本人の精神史に根本的といってよいほどの大転換が生まれた。…そしてそのことが現代の私たちの精神のありようをも規定している」と主張し、かの「日本人の精神的な一大転換」を問題視するのであった。

以上が岩波新書の黄、安丸良夫「神々の明治維新」の主旨である。これら理論的な事柄が実際の歴史の史実と史料を挙げて詳細に論述されている。安丸「神々の明治維新」は国家神道史研究のみならず、歴代の岩波新書の中で今でも読まれるべき名著であるに違いない。

だが、それにしても本新書の内容は日本史をある程度知っている者からすれば何てことはない、ありふれた日本通史の近代史、明治時代の神仏分離と廃仏毀釈を内実とする「国家神道成立史序説」のような常識的な概説内容であるのだから、「維新政権が打ちだした神仏分離政策と排斥運動は、その過程を経て日本人の精神史的伝統に一大転換をもたらした」云々の安丸の口上は、いかにも大袈裟すぎる(笑)。玄人プロのヤクザな歴史学者が新書読者の素人ノンプロのカタギの衆の前で見栄の口上を切って凄んでみせる滑稽さに似て、どうしても私は笑ってしまう。やはり安丸良夫は、岩波新書の一般読者の前でハッタリの大風呂敷を広げすぎの感は否(いな)めない。