自閉症に関する症例判別の問題は専門療育の精神医療現場のみならず、近年では「発達障害」や「アスペルガー症候群」の言葉がメディアを通して一般的によく聞かれるようになり、社会一般でも混同や勘違いがよくみられる。そこで岩波新書の赤、平岩幹男「自閉症スペクトラム障害」(2012年)に依拠して、それら用語の整理をまずしておこう。
本書によれば、そもそも「発達障害」という概念が大きくあって、「発達障害」概念の中に(1)「自閉症スペクトラム障害」、(2)「注意欠陥多動性障害」、(3)「学習障害」、(4)その他の周辺群の4つがあるとする。さらに(1)の「自閉症スペクトラム障害」の中に「カナー型自閉症」と「高機能自閉症」の2つがあるとされる。近年、メディアを介してよく耳にする「アスペルガー症候群」(知的障害のない自閉症)というのは、著者によれば精神医療の現場では自閉症スペクトラム障害の中の高機能自閉症の概念に統一されつつあるらしい。よって「アスペルガー症候群」は「高機能自閉症」と同義と考えてよい。そして本新書はそのタイトル通り、「カナー型自閉症」と「高機能自閉症」を内実とする「自閉症スペクトラム障害」について長年、自閉症の診療に当たってきた臨床医の著者が、その療育と対応について述べたものである。
さらに「自閉症スペクトラム障害」に含まれるカナー型自閉症と高機能自閉症とを区別する主な要因は、知的能力の違いとされる。高機能自閉症における「高機能」とは「知的に障害がない」という意味であるから、高機能自閉症は普通に発話できるのに対し、カナー型自閉症では自発語がない、声を自発的にほとんど出さないなどの症状を伴う。
カナー型自閉症の主要症状は以下の3つである。
(1)社会的相互作用の質的な障害(人と関わることが苦手。急な変更に対応できない。社会の一員であるという認識が困難)(2)コミュニケーションの質的な障害(表情の変化が少ない。自発語がない。視線が合わない。相手の目を見ることが苦手)(3)限定された興味や活動(こだわりが強い。常同行動やクレーン現象を伴う。感覚過敏と感覚鈍麻がある。状況対応や他者理解における想像力の障害)
同様に、高機能自閉症の主要症状には以下のものが指摘される。
「表情の変化が少ない。視線が合いにくい。抑揚のない話し方をする。一方的に話す。会話がうまく出来ない。身振り・手振りなどが理解できない。感情表現や感情のコントロールが苦手。集団での指示に従えない。友達ができない(少ない)。場の雰囲気が読めない。感覚過敏がある。興味のあるものには過剰なほど集中する。得意なことと不得意なことの差が大きい」
前述のようにカナー型自閉症と高機能自閉症とを区別する主な要因は知的能力の違いであり、両者とも同じ自閉症スペクトラム障害の範疇(はんちゅう)に分類されるもので、ゆえに症状としては共通なものが多い(「スペクトラム」とは一連の続きもの、連続体という意味)。
これら自閉症は一人の時や症例に理解ある家族の家庭内にては問題ないが、本人が困難を感じるのは他者と社会的人的関係を結ぶ時であり、つまりは就園、就学、就職、恋愛や結婚の社会適応時においてである。この社会適応に際して、人間関係が構築できず学校や職場で孤立してしまう、集団行動に馴染めず学業や仕事にて失敗を重ねる不適応を繰り返すと、孤立感や疎外感や挫折感を募らせていき、無気力や引きこもり、ノイローゼやうつ病、時に反社会的行為の犯罪に走るの二次障害の発症につながることもある。こうした二次障害にならないよう、自閉症スペクトラム障害者に対しての周囲のサポートが大切だ。つまりは、そうした二次障害の状況は本人のセルフ・エスティーム(自尊感情、自己肯定感)が低い心的状態から引き起こされるので、あらかじめセルフ・エスティームを上げるような対応が必要である。その上で、これと平行して社会適応をスムーズになす現実作業のトレーニング(感情認知や発話や適切行動)を重ねていくことが療育の基本となる。
要はセルフ・エスティームを低下させない方策を中心に加療を施せばよいわけである。この点に関し本書では療育の具体方針として、「ほめること」「失敗を少なくすること」「とにかく細かく指示を出すこと(スモールステップ化)」を挙げている。このセルフ・エスティーム(自尊感情、自己肯定感)を低下させずに常に高めるというのは、実は自閉症だけでなく、人間の精神的健康にとってかなり重要な要素である。精神的に困難を抱えている人は、一般に自己への信頼感情が希薄な傾向が強いとされる。
ただその一方で、こうした自閉症スペクトラム障害の問題が現代社会にてピックアップされてきたのは、現在の社会にて対人相互反応における質的向上や濃密なコミュニケーションが個人に対し異常に強烈なまでに求められるからであって、その高すぎる社会からの要求ハードルの結果の「不適応」で、シンドロームの「症候群」や「障害」が社会的に新しく生成される面もあるはずだ。
昔の時代と違い、今の現代社会は幼児期から若年、成年大人に至るまで社会参加の強制強迫が実に熾烈(しれつ)で、学生の学校生活でも社会人の会社勤めでも、対人相互反応の質的優良さや濃密なコミュニケーション(集団生活における協調性、分業・協業作業での相互確認・情報共有のコミュニケーション、画一的・機械的ではない状況と相手に応じた柔軟な個別対応の機転など)、俗にいう「空気を読む」ことが、相当に高いレベルまで各人に求められる誠にシビアな非寛容社会である。
自閉症スペクトラム障害の定義や症例指摘がない昔の社会でも、カナー型自閉症や高機能自閉症の症状に該当する人は少なからずいたに違いない。しかし、昔の時代は現代社会のように個人に対し厳しい社会参加適応の強迫要請がなく、ゆえに自閉症スペクトラム障害における障害論点とされる対人相互反応の質やコミュニケーションの濃密度はそこまで各人に過酷に要求されず、社会全体にある程度の余裕や寛容があり、二次障害を引き起こすような辛い困難な状況に個人が追い込まれることも少なかったように思う。やはり、現代社会からの高すぎる要求ハードルの結果の「不適応」で、シンドロームの「症候群」や「障害」が社会的に新しく生成される側面も少なからずあるのではないか。
また現代にて、対人相互反応の質的優良さや濃密なコミュニケーションで「空気を読む」ことができる能力の高い優秀な人物の典型は、例えば人気のお笑い芸人やテレビタレントやセールス商談にて成績優秀な会社員になるのだろうか。そうした人達は確かに話が上手く機転がきいて場の雰囲気も読めてコミュニケーション巧(たく)みだが、私の感慨からしてあまり感心しない。初見の場や初対面の人と短時間で即対応できたり、すぐに打ち解けたりできる人は、逆に「この人は人として信用できない」軽薄な印象が私の場合、正直残る。実際に、お笑い芸人やテレビタレントの会話やり取りや優秀会社員の商談用セールストークを聞いていると、「ちょっと頭がおかしい。ある部分で精神が欠落している」、人として何かを犠牲にして不自然なまでに強迫的に適応結果の疑いが私には拭(ぬぐ)えない。
岩波新書の赤、平岩幹男「自閉症スペクトラム障害」は、著者が臨床医として医療現場にて自閉症の診断診療をやっている方なので、どうしても療育と対応の現実的ケアの話だけになってしまう。そうした自閉症スペクトラム障害を新たに生成拡散させて、時に個人を追い詰める現代社会の強迫的な社会参加要請や対人相互の濃密コミュニケーション過酷要求の社会全体の問題、さらには現代社会にて優秀と認められ重宝される「空気を読める人」に対する私の不信感情をすくいあげていないため、それらの点で物足りず、少し残念な読後感が残るのも正直な所だ。