アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(67)十川信介「夏目漱石」(その1)

日本近代文学史における「近代」ということの意味を突き詰めて考えた場合、「近代」は人間中心主義の時代であり、前近代の呪術性・魔術的なものから人間が解放され、遺憾なく主体性を発揮できる一方で、人間の欲望、エゴイズムの負の問題も絶えずついてまわる。もちろん、前近代の人間にも欲望エゴイズムの問題はあるが、自分自身のエゴを見つめ意識化して修正できるのは「近代」の人間のみである。それゆえ「近代」文学は、この人間悪のエゴイズムの問題に深く切り込まなければならない。

夏目漱石は、まぎれもない日本「近代」文学の文学者であった。東京帝国大学講師を辞めて、朝日新聞社に入社し朝日の専属作家になった夏目漱石の新聞連載第一作目は「虞美人草」(1907年)である。「吾輩は猫である」(1905年)にて本格的に小説を書き出した漱石は、従来のような雑誌「ホトトギス」同人作家ではなく、職業作家として新聞連載の商業小説を書かなければならない。新聞読者を惹(ひ)きつけ読ませて面白く、しかし安易な娯楽作の提供にのみ堕さない。商業作家であり、かつ前述のように、人間悪のエゴイズムの問題に深く切り込まなければいけない日本の近代文学者としての矜持(きょうじ)と戦略が漱石にはあった。人間悪のエゴイズムの問題に深く切り込まなくてはいけない、だがそれだけでは読み物として面白くない。

漱石は朝日新聞連載の「虞美人草」にて、読者にウケる世俗的な複数男女の恋愛を描いて、「誰と誰が最後に一緒になるのか」恋愛の行く末を読者に感じさせハラハラさせながら、男女交際にて結婚と金銭と名誉と世間体と自己のプライドとの全てを自分のものにしなければ気のすまない藤尾というエゴイズムの権化(ごんげ)のような悪女をその中心に置き、作中にて最後に漱石は近代人の人間悪の象徴たる女、藤尾を憤死で死に至らしめる。作者の漱石みずからが作中の藤尾の息の根を止めて葬り去る。「虞美人草」にて悪人は藤尾のみである。悪女の藤尾に見初められた優柔不断な男の小野は誠に気の毒な被害者であり、悪の藤尾と対照的な小夜子は善で、そのまま藤尾の恋敵であり、藤尾の兄・欽吾や糸子や宗近ら登場人物は皆、藤尾が作者の漱石により成敗されて自死するのを傍観する善良な見届け人である。藤尾の強烈なエゴイズムは「虞美人草」が近代文学であるがゆえに最後に必ず成敗されなければならない。しかし、これでは勧善懲悪になってしまう。夏目漱石「虞美人草」には勧善懲悪の単純な講談調という欠点があった。

そこで、商業作家としての娯楽性と近代文学者としての人間悪の追及の双方を同時に志向する漱石が発見したのが男女の恋愛における三角関係であった。「虞美人草」以降、漱石は自らの作品にて、男女の恋愛の三角関係を何度も執拗に多用し書き重ねていく。なぜなら恋愛にての三角関係は男女二人が恋愛成就して幸福になると必ず一人の不幸な失恋者を出す、「他者の不幸の上に自分たちの幸福を築く」究極のエゴイズムの発露に他ならないからだ。後に「則天去私」の哲学を自己のうちに見出し、男女の恋愛の三角関係モチーフを通して一貫して人間悪の問題と格闘した夏目漱石は、人間エゴの「近代」の課題に「文学」を通して正面から誤魔化しなく取り組んだ。その点で彼は超一流の破格な日本の「近代文学」者であった。

「虞美人草」以後の「それから」(1909年)にて、かつて代助は友人・菅沼の妹の三千代を友人の平岡に「周旋」して夫婦にさせたのに、後に三千代への自分の思いに気づいて平岡から三千代を奪い、その不義のために経済的援助を受けていた父や兄から勘当され、また三千代の病のために代助と三千代は結ばれない。高等遊民である代助は、男女の三角関係にて自らの恋を成就しようと相手を求めた結果、自身が社会から抹殺されてしまう。

続く「門」(1910年)は、「それから」の実質的続編である。仮に「それから」の代助と三千代にて、代助が高等遊民ではなく官吏として自活しており、また三千代も病に倒れずに二人が夫婦になっていたとしたらの話である。友人の安井から内縁の妻のお米を奪って夫婦となった宗助は、お米と今では静かに暮らしていたが、お米の以前の亭主の安井が隣家の主人と知り合いで近々近所に訪ねて来ることを知る。宗助は鎌倉に参禅して一時的に逃避する。幸い宗助は安井と出会わずにすんだが、宗助とお米は、いつまた安井に会うか気が気でない。恋愛における三角関係から自分たちの思いを貫いて男女二人が一緒になると、その不義の罰として一生死ぬまで気苦労と憂鬱(ゆううつ)の生活を強いられる。

「こころ」(1914年)は上中下の三つの部からなる。最後の「下・先生と遺書」にて、私が慕(した)う先生が友人Kを同じ下宿の隣室に自ら招いて住まわせ、下宿先のお嬢さんに対するKの思いを知っていたにもかかわらず、Kを出し抜いて結婚の申し込みをして、お嬢さんと一緒になってしまう。それを知ったKは自殺し、後にお嬢さんと夫婦になった先生は罪の意識に苛(さいな)まれ「明治の精神」に殉死する決心をする。男女の恋愛の三角関係にて自らの思いを遂げると、ついには恋敵の相手を死に至らしめ、そして自身も最後に死を決意する。

恋愛における三角関係は男女二人が恋愛成就して幸福になると必ず一人の不幸な失恋者を出す、「他者の不幸の上に自分たちの幸福を築く」究極のエゴイズムの発露である。だから、相手を押しのけて恋愛成就した主人公は幸せになれるはずだったのに、他者の不幸の上に築いた自身の「幸福」から最後は「社会的に抹殺される」(「それから」)か、「憂鬱(ゆううつ)の生活を一生強いられる」(「門」)か、「自から死を選ぶ」(「こころ」)しかない。ここでは生来からのエゴイズムの権化であるような典型的悪人を設定して、その人物の息の根を止めて痛快に話を終わらせる勧善懲悪の単純な講談調の欠点(「虞美人草」)は見事に克服されている。しかも、漱石は作品を書き継ぐにつれ「社会的抹殺」から「一生涯の憂鬱」、そして「人間の死」へと作品ごとに徐々に結末悲劇の傾斜を強める書き方をしている。

さらには「門」と「こころ」の間に漱石は、「彼岸過迄」(1912年)と「行人」(1913年)をはさむ。一見、男女の恋愛の三角関係のような様相を取りながら実は主人公の自意識過剰の神経衰弱の単なる思い込みに過ぎない、普通の人からしてみれば取るに足らない何ら大したことではないのに、本人にとっては深刻で複雑に勝手に男女の三角関係(らしきもの)に苦悩する当人による「思い過ごし」な小説も漱石は書く。

「彼岸過迄」は五つの話からなる。なかでも四番目の「須永の話」にて須永は自意識過剰な「恐れる男」であり、須永と許嫁(いいなずけ)の千代子は「恐れない女」である。高木という新たな男の出現にて、恋愛の三角関係の嫉妬を勝手に感じ一人で苦悩して煮え切らないでいる須永を千代子は詰問する。「行人」では兄嫁の直と自身との不義の疑惑を抱かれ、二人で一泊旅行をして妻の貞操を試してくれと兄の一郎から弟の二郎は依頼される。兄嫁との間には三角関係も男女の不義も何もないのに二郎は、兄の一郎から信頼できない男だと疑われ、訳が分からずなすすべなく、他方、兄の一郎は「このままでは死ぬか、気が違うか、宗教に入るしかない」という苦悩を抱えたままである。「一郎と二郎」などという、どこにもありがちな平凡な名前を作中人物に付けることで、漱石は「行人」のような男女の三角関係を介しての相互不信の誤解や不義の状況が誰にでも社会一般にありうることを示唆している。

「彼岸過迄」も「行人」も読者からすれば須永や一郎が実のところ、一体何を悩んでいるのか分からないし、いっこうに要領を得ない。漱石による、あらかじめの計算づくの書きぶりに誘導されて、読者は許嫁の千代子と弟の二郎の立場から小説を読んで小説内の須永と一郎に不思議の思いで接するはずだ。作中にて実際の恋愛の三角関係にて自身の思いを遂げた結果、主人公が現実に最後は「社会的に抹殺」されたり「一生涯憂鬱(ゆううつ)」になったり「自ら死を選ぶ」他作品とは対照的に、間に挿入されたこの二作は、実際には男女の恋愛の三角関係など存在しないのに勝手にそれらしきものを考え、こしらえて悩む、自意識を持てあまし自身のエゴイズムの影に恐怖し苦悩して陰気になる男の様を描いている。そうした現実にはない男女の三角関係の疑いを自ら勝手に妄想し勝手に苦悩して最後は勝手に自滅する筋書きのパターンまで用意して、男女の恋愛の三角関係モチーフを通して一貫して近代人の人間悪の問題を執拗なまでに描き切る漱石は、実に周到である。この点で、確かに夏目漱石は超一流の破格な日本の近代文学者であったのだ。

この記事は次回へ続く。