アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(77)鈴木良一「豊臣秀吉」

「豊臣秀吉研究」と言われて今さらながら白々しく思えてしまうのは、豊臣秀吉その人が、人も羨(うらや)む立身出世譚の成功人物としてであったり、リーダーシップに長(た)けた人心掌握の見本人物として、これまであまりにも俗っぽく語られすぎたからに違いない。豊臣秀吉に関しては、きちんとした歴史研究対象としてではなく伝記評伝的に俗に語られ続けてきた悪印象が私には強い。

しかしながら、そうした立身出世譚の成功人物や人身掌握術の見本人物といった自己啓発的な安易な読まれ方ではなくて、他方で豊臣秀吉ないしは豊臣政権に関する真摯(しんし)な歴史研究の蓄積があることも確かだ。

徳川統治の幕藩体制が磐石であり、約250年間に渡り江戸時代が続いたことは、他国の歴史の世界史からしても希(まれ)であって実に驚くべきことである。しかも江戸時代の幕藩体制の崩壊は、欧米列強からの外圧契機によるものであり、国内における市民階級の革命遂行の自生的な下からの反封建闘争はほとんど成果をあげず、最終的には諸外国による「開国要求」の外圧の直接契機によって長きに渡る江戸時代は終わりを告げたのであった。そうした体制を根本的に動揺させる市民革命など国内内乱が発生せず、幕藩体制があまりにも長く継続した理由に関しては様々な要因が考えられるが、その内の有力なものの一つに江戸幕府の封建支配体制の巧妙さがあった。そして徳川幕府の体制支配の巧みさは、そのまま直近の豊臣政権から引き継いだものが多い。この意味で徳川家康の徳川幕府は実質上、豊臣秀吉の豊臣体制の継承政権といってよいほどだ。

まずは太閤検地があった。自己報告制の指出検地ではなくて検地奉行を各地へ派遣し度量衡統一のもとでの全国斉一の検地施行により、古代、中世からの荘園制は消滅した。「作合(さくあい)の否定」である「一地一作人の原則」定着によって、後の江戸時代へ連なる小農経営の本百姓体制が確立された。さらに秀吉による身分統制令にて各階層の移動なく身分が固定化された。兵農分離が徹底されて、帯刀は武士身分の象徴とされ農民には刀狩令が施行された。中世の複雑な「職(得分)の体系」は否定されたが、代わりに独立自営農を基盤とする小農経営にて、石高制に沿って穀物生産を主とする定められた貢租基準に見あった封建貢租の収納を義務づけらた階層に農民はなった。

武士は全国的な検地施行により独自の在地支配権を奪われ、豊臣政権支配下にて武士身分に伴う「役」として公儀の軍役と領地の支配を任ぜられる大名領国の体制に取り込まれていった。秀吉は、これまで領国内にて限定的であった分国法の私闘禁止(喧嘩両成敗)を全国的に広げた惣無事令の発令により全国レベルにて諸大名間の戦闘停止を為し、領地の確定を秀吉に委任させ、群雄割拠の戦国時代の中世的な分権支配状況の混乱を終わらせて、近世の新たな全国統一の中央集権的支配体制を敷いた。その上で兵農分離の原則に基づき農業生産から武士を分離し、大名や給人に所領宛行(あてがい)をして時に城割りをやり、論功行賞に名を借りて大名の配置換えを行い、全国の諸大名を完全に支配する大名知行制を確立させた。こうした豊臣政権にて確立した諸大名に知行地を与える形式を通しての諸国支配の正統性の付与と、その反面で中央からの改易・減封・転封の厳しい処置を伴う大名知行制は、後の江戸時代の徳川幕府による大名統制策たる武家諸法度に、そのまま継承されている。

以上のような豊臣政権下における農民政策や大名統制の封建的支配の基調は、紛(まぎ)れもなく約250年間の長きに渡る体制支配を維持した江戸時代の徳川幕藩体制のそれであった。徳川家康の江戸幕府は実質的に豊臣秀吉の豊臣政権から封建支配体制の巧(たく)みさを継承したといってよいほどだ。こうした農民政策や大名統制以外にも、キリスト教の禁教政策や自身の神格化、朝廷・天皇権威の利用、全国の重要直轄地と産業地の直接支配、財力を有する市民階級の成長が体制崩壊を促すことを事前に本能的に知った上での封建支配者による商人に対する規制の貫徹など、徳川幕府が豊臣政権から引き継いだものは実に多い。

より広い視点から言って、日本史研究にて一般に中世から近世への移項は豊臣政権の成立以降とされる。時代区分論において近世は豊臣政権以降から始まるのであり、豊臣政権には以前の中世の時代とは異なる、近世の新たな画期が認められる。豊臣秀吉の歴史的意義は、こうした日本史研究の観点から、きちんとした研究対象として突き詰められ押さえられるべきである。豊臣秀吉その人を人も羨む立身出世譚の成功人物であったり、リーダーシップに長けた人心掌握の見本人物として伝記評伝的に安易に処するのではなく。

岩波新書の青、鈴木良一「豊臣秀吉」(1954年)は古い書籍ではあるが、豊臣秀吉に関して新書の体裁にて要点が一冊の内にコンパクトにまとめられている。本書は「秀吉は一五三六年尾張中村の一農家の子に生まれた」の書き出しから始まり、「八月十日彼の意識はにごった。十八日息をひきとった。六十三歳だった」の末文にて終わる。秀吉の農民からの出発の幼年期から、全国統一を果たした天下人の晩年までの事績とその歴史的意義を一気に書き抜いており、豊臣秀吉ならびに豊臣政権の概要を手早く知るのに適している。