アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(445)梅本克己「唯物史観と現代」

ある人の生涯最後の上梓や絶筆は、それがどのようなものであっても無心に読まれるべきものがある。その書物には著者の生の存在の全てが、最期に渾身(こんしん)の力の重みをもって賭けられているような気がするからだ。

岩波新書の青、梅本克己「唯物史観と現代」(1974年)は梅本の絶筆である。本新書の末尾には岩波新書編集部による以下のような「編集部あとがき」の文章が掲載されている。

「本書の著者梅本克己先生は、本年一月十四日朝永眠された。突然のことであった。本書の御原稿は御逝去の前々日に完成されたものである。本書の作製に際しては、千代子夫人はもちろんのこと、実に多くの方々のご協力を得た。とくに武井邦夫・丈子氏ご夫妻と田辺典信氏にはやっかいな校正の労をとっていただいた。衷心からお礼申し上げたい。本書を梅本先生のご霊前にささげ、ご冥福をお祈り申し上げる。一九七四年六月・岩波新書編集部」

著者の梅本克己は前々日に原稿を完成した後に急逝したのである。1974年1月に亡くなり、本書が出版されたのは同年6月であった。岩波新書「唯物史観と現代」は、主にマルクス主義の哲学・社会思想史専攻であった梅本克己の生涯最後の上梓であり絶筆であった。ゆえに軽く読み流せない重みが本新書にはある。少なくとも私は、そうした梅本克己の人間存在の重みを感得して本書を決して軽く読み流せないのであった。事あるごとに頻繁に何度も読み返してしまう。

梅本克己「唯物史観と現代」ではなくても、唯物史観解説の類書はいくつもある。梅本以外にも向坂逸郎、大内兵衛、芝田進午、平田清明ら優秀な同時代の唯物論解説の書き手が私には思い浮かぶ。彼らの著作もよいのだけれど、梅本克己の絶筆の岩波新書「唯物史観と現代」を私はよく読み返してしまう。本書は特別でやはり重いのだ。

岩波新書「唯物史観と現代」は、まずマルクス主義哲学に対する通俗イメージの偏見を取り除き、次に「唯物史観」の哲学内容を概説し、そして最後に「現代」の時代状況、本書執筆時の1970年代のベトナム戦争の時事問題に引き付けて、東西冷戦下の米ソ両大国の「代理戦争」たる、かの戦争に関し、西側の資本国陣営のアメリカ・日本のみならず、東側の共産国陣営のソ連・中国に対しても何ら不当に肩入れ応援することなく、マルクスの唯物史観を支持する著者の梅本はそれら当時の共産国の国際政治の振る舞いに疑問を呈している。

ここでは、「旧ソ連や中国の現実の政治体制に見られるように、マルクス主義は一党独裁体制の政治を信奉するもの」とか、「唯物史観の唯物論は、物質以外の観念的なものを一切認めずに観念論を排する思想」とか即断してマルクスの思想を安易に全否定してしまうような日本の保守論壇や反共論者など、無視して放っておいてよい。こういう人達は(おそらくは)そもそもマルクスら唯物論の基本の文献すら真面目に読んだことがないだろうから。ないしは読んでも内容を理解できなかっただけの人達であるから、相手にする必要はない。

岩波新書「唯物史観と現代」に極めて簡潔に解説されているが、唯物論ないしは唯物史観を本当に学び知るには、

「存在、運動、矛盾、実践、労働、生産、欲望、意識(イデオロギー)、物象・疎外、連帯、革命」

最低限これら各項目について、有機的に系統建てて唯物論の観点立場から知らなければならない。もちろん、それら唯物論的思想を無批判に肯定して受け入れなくてもよい。これら各項目に対する解釈の相違の理解の幅は、実のところ各人にある。マルクス主義を正当に批判するには、こうした各項目認識へのまっとうな批判が必要であろう。それをできた人だけが、同様にまっとうな反共論者やマルクス主義への批判者になれる。マルクスないしは共産主義に対し、一党独裁とか観念論の排斥など、妙な偏見イメージのみで空想批判する人達は(そういう人々は昔から保守論壇にて多数いる)全く相手にならない。

梅本克己は、以前に戦後の思想論壇でいわゆる「主体性論争」をやって注目された人であり、この論争は日本共産党の共産主義者同士の内輪のセクト闘争にならずに、非マルクス主義の社会学者や文学者ら多数を巻き込んで、戦後日本思想の大きな争点になった。それは戦前戦中の近代日本にて、「人間が、ある思想を有するとはどういうことなのか」思想生成の仕組みや原理が個人の主体性に絡(から)めて、かつて一度も合理的な理論的視点から検討吟味されたことがないという日本社会の伝統的思想風土の根本欠落の深刻な問題に由来していた。人間の「主体性」といったものについて、これまで深く考えた経験が、戦前の一部の共産主義者を除いて多くの日本人にはほぼ皆無であったのだ。

梅本克己の著作は現在では絶版品切が多く今日、梅本の仕事を読み返して再評価するには、なかなか厳しい環境下にある。梅本克己その人が今では一般の人々にあまり知られていないのでは、の危惧すらある。しかし、そうした状況の中で梅本に関係する書籍が近年、例外的に復刻再刊される事例があった。梅本克己・佐藤昇・丸山眞男「現代日本の革新思想」(1966年、2002年に岩波現代文庫より上下二冊で復刊)である。本書は座談のメンバーに政治学者の丸山眞男がいたため、昨今の丸山ブームの丸山眞男の人気を当て込んでの復刊だと思われる。マルクス主義と日本共産党への批判の丸山眞男から座談にて終始攻められ、マルクス主義擁護で割と防戦一方な梅本克己が本書にて読める。「公式主義」とか「理論信仰」とか「ミニチュアール天皇制の温存」などと、共産主義批判の丸山から厳しく攻め込まれても、逃げることなく応戦し苦戦するマルクス主義擁護の梅本克己の誠実な人柄が「現代日本の革新思想」を読んで偲(しの)ばれる。

岩波新書の書評(444)池上彰「先生!」

岩波新書の赤、池上彰「先生!」(2013年)の概要は以下だ。

「『先生!』─この言葉から喚起されるエピソードは何ですか?池上彰さんの呼びかけに、現場で実際に教えている人のほか、作家、医師、職人、タレントなど各界で活躍の二十七名が答えた。いじめや暴力問題にゆれ、教育制度改革が繰り返されているけれど、子どもと先生との関係は、かくも多様でおもしろい!希望のヒント満載のエッセイ集」(表紙カバー裏解説)

本書は池上彰の編であり、ジャーナリストの池上彰が各人に呼びかけて集めた「先生!」に関するエッセイを掲載したものである。「池上彰さんの呼びかけに、現場で実際に教えている人のほか、作家、医師、職人、タレントなど各界で活躍の二十七名が答えた」とあるが、エッセイを本新書に寄せた二十七名は、例えば太田光、押切もえ、しりあがり寿、乙武洋匡、天野篤、平田オリザ、山口香、パックン、武田美穂、武富健治、鈴木邦男、山口絵理子、関口光太郎、鈴木翔ほかである。

私は本書を手に取り実際に読み出して初めて気付いたのだが、これは将来学校教員になりたい、教員志望の大学生に教員免許取得の教職課程で読ませて、本書に関してのレポートを書いてこいと指示するような「学校教員志望の学生のための教材書籍」である。

岩波新書「先生!」に掲載の各人のエッセイは主に次の二つのタイプに分かれる。まず自身の主に小中高校時代に実際に接した教師の思い出のエピソード(いじめや不登校や自信喪失や習得困難の問題に対する先生の親身の指導、先生からの助言・気配り、先生から受けた自身への世界観や価値観の影響、後の自分の人生にもたらした転機、反面教師としたい駄目な先生から学んだことなど)を語ることを通して「先生という仕事とは何か」「先生は生徒に対しどうあるべきか」を読み手に知らしめるタイプのもの。もう一つは、今日の先生を取り巻く問題(過酷な労働環境、学級崩壊やいじめ・不登校の問題、進学主義、保護者からのクレームなど)への対処の仕方(子どもへの適切な接し方、いよいよの時の休職・離職のすすめなど)をあらかじめ教えようとするもの。前者のタイプは、例えば押切もえ、山口香、鈴木邦男ら、後者のそれには武富健治、石井志昴、鈴木翔らのものが該当する。

私は学校の先生にあまり興味も関心も持っていないので、そこまで本新書を真剣に読めなかった。自身の小中高校時代を振り返ってみても、私は幸運なことに学校生活にて、いじめや不登校や留年や退学などの過酷体験を持ったことはなかったし、特に学校の先生からお世話になったとか大変よく助言・指導をしてもらったといった、本新書コンセプトのような自分から「先生!」とハキハキと呼びかけることが出来る格別に思い入れのある「先生」体験を有していないのである。義務教育が終わって大学進学して、大学でたまたま相当に自分と気の合う指導教授に会って自分は幸運だったと思うけれど。私にとって思い出の深い「先生」といえば、その人だけである。

また私は教員の仕事をやったことがある。学校教員の仕事は確かに過酷である。とにかく長時間労働である。日々の教材研究や教材・試験作成と採点、通常の授業からイレギュラーな校務の雑務まで、やるべきことは実に多い。家に持ち帰っても仕事はなかなか終わらない。その他、教室の学生や職員室の同僚や上司(学年主任とか教科主任とか進学指導部の先生など)に気遣う日々の心労ストレスも大きかった。

岩波新書の赤、池上彰「先生!」を読んでいて、編者の池上彰による漫才師でタレントの太田光への巻末掲載のインタビュー(「学問を武器にして生徒とわかり合う」)の中での、「テレビの学園ドラマの熱血先生に憧れて、それを意識しているような先生はダメで…」云々の太田の話、児童・生徒の関心を無駄に引いたり、妙に生徒に取り入って親しく人気者になろうとしたり、親身になって熱血指導をやたらやりたがる教師が抱きがちな「教育の理想論」をバッサリ斬(き)って否定する彼の語りに私は共感した。

「いま、やけに学校に対して期待が大きすぎると思う」「やっぱり学校にそこまで期待しないほうが、正しいと俺は思うんですけどね」(インタビューでの太田光の発言)

もちろん、学校の先生は毎日の教務を手抜きでいい加減にやってよいわけではないし、生徒の方もそれなりに真剣に勉学に励み、真面目に学校生活を送らなければならないが、変に妙に学校の「先生!」に皆が期待し過ぎる社会は果たして健全なのか、常々私も疑問に思う。

岩波新書の書評(443)徳永恂「現代思想の断層」

私は一時期、大学進学後も遊びで大学入試問題を解いていたことがあった。そのとき、国立の大阪大学の二次試験問題の日本史や英語は年度によっては東京大学や京都大学のそれらよりもレベルの高い良問・難問で、「ここまでの大学入試問題を作成できるとは、大阪大学は相当に良い大学だ。大阪大学の教授陣は非常に優れている」の感慨を持った。

(※ 念のため、私は国立大阪大学のかつての卒業生でも現在の大学関係者でもありません。私程度の低い学力と能力では大阪大学に入学できたり、大阪大学の教室・キャンパスに立ち入ることなど到底あり得ないのである(苦笑)。)
 
そんな国立大阪大学所属の優れた研究者の書き手といえば、例えば古くは日本中世史専攻の黒田俊雄、日本近世史専攻の脇田修、近年では日本思想史専攻の子安宣邦らがいる。アドルノに師事したドイツ哲学専攻の徳永恂も国立大阪大学で教鞭をとり今日、大阪大学名誉教授にある人であって、氏は私が昔から好きな「大阪学派」とも称すべき優秀な人達の内の一人なのであった。
 
岩波新書の赤、徳永恂(とくなが・まこと)「現代思想の断層」(2009年)の書籍タイトルになっている「断層」には、私が本書を読む限り以下の意味が込められている。

(1)本書にて取り上げられているヴェーバーからアドルノまでの「現代思想」と、キリスト教文化を基層としてきた従来の西洋思想との間に思想史上の裂け目や断裂の非連続が存在していることを指摘する文脈で、「断層」を「西洋の以前の近代主義と今日の現代思想との間に大きく横たわる断絶」という意味で用いている。

(2)本書にて取り上げられているヴェーバーからアドルノまでの四人の「現代思想」の思想家たちの思考を横断的に概観し、彼らの問題意識の共通を明らかにする過程で、「断層」を「西洋の以前の近代主義の上層に積み重なり位置する今日の現代思想とで、両者を共に貫ぬき連続してある断面図の縦の深さの共通項(「大きな物語」)」という意味でも用いている(これは著者の自身の入院体験での、循環器系統の断面写真による検査からヒントをもらったそうである。つまりは一定の視点から何枚かの断面図をとり、それらを重ね合わせることで断面の縦の流れの変異を察知するという医学的CT画像診断の病状把握の方法に、かの近代思想と現代思想とを共通して貫き走る「断層」あぶりだしの方法論は依拠しているという)

しかしながら岩波新書「現代思想の断層」を読み中途で、私はこれら2つの著者からする「断層」の意味に加え、さらに以下のものも早急に読み込みたい強い衝動に駆られていた。すなわち、

(3)本書にて取り上げられているヴェーバーからアドルノまでの四人の「現代思想」の思想家たちが以前に語った、しかし後に様々な新しい思想が現れ上積みされて、今となっては古層として地中深くに埋もれ一時的に忘れられている「現代思想」が、後の人々に新たに発掘され再発見され改めて読まれ驚かれて、後世の人々の価値意識を一挙に揺るがし強烈な影響を与える。そう、地中深くに眠っている「断層」が長い年月を経て、ある時に突如、大きくズレて揺れ動き地表にいる後の人々の価値意識や思想を一挙に破壊し再構築を激しく促す、「(活)断層」のような「現代思想」といった意味として。

思えば、「断層」という言葉が世間一般に広く知られるようになったのは1995年に発生した兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災によってであった。少なくとも私は「断層」という言葉を阪神・淡路大震災を契機にその時、初めて知った。阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震は、淡路島から大阪北部に位置する六甲・淡路島断層帯での断層のズレにより、あの激しい地表の揺れはもたらされた。活断層とは、あたかも以前に密(ひそ)かに知らず知らずのうちに地中深くにセットされた強力な破壊力を有する時限爆弾装置のようなものでもある。それが人々が忘れた頃に装置が作動し断層がズレて大きく動き、地中深くから地表の人々に甚大な地震の被害をもたらす。こういった「(活)断層」の意味も、岩波新書「現代思想の断層」のうちに私としては読み込みたい心持ちなのである。

岩波新書、徳永恂「現代思想の断層」の概要は以下だ。

「神は死んだ─ニーチェの宣告は、ユダヤ・キリスト教文化を基層としてきた西欧思想に大きな深い『断層』をもたらした。『神の力』から解き放たれ、戦争と暴力の絶えない二0世紀に、思想家たちは自らの思想をどのように模索したか。ウェーバー、フロイト、ベンヤミン、アドルノ、ハイデガーらの、未完に終った主著から読み解く」(表紙カバー裏解説)

さらに本書の目次も見よう。本新書は「はじめに」と「断層の断面図あるいは、『大きな物語』の発掘─あとがきに代えて」をそれぞれ冒頭と巻末に置き、本論は全四章よりなる。

「第1章・マックス・ウェーバーと『価値の多神教』、第2章・フロイトと『偶像禁止』、第3章・ベンヤミンと『歴史の天使』、第4章・アドルノと『故郷』の問題」

岩波新書「現代思想の断層」の副題は「『神なき時代』の模索」である。一般に「近代」は理性主義や科学主義の立場から宗教否定の脱宗教の時代と捉えられがちであるが、実はそうではない。このことは「西洋近代の思想家」といわれるデカルトからロック、カントやヘーゲルに至るまで西洋近代思想史を概観するだけですぐに分かる。デカルトから始まってヘーゲルに至る「近代」の思想家たちはいずれも熱烈なキリスト者であり、神の存在を認めていた。そうしてキリスト教の一神教的な神の存在を世俗的な文明社会の人間の主体性に落とし込む形で彼らは、ある種の普遍的原理の確立を目指したのであった。

ところが、そのようなかつての「近代」の思想を、(本書でもよく引用される)ニーチェによる「神は死んだ」の宣告後の近代以降のポストモダン(脱近代)の明確に宗教が否定される(もしくは多くの人々が宗教的価値意識により生きなくなってしまった)「神なき時代」の現代において、宗教的な一神教の神の措定には頼れない所で、神に代わる新たな普遍的原理の規範構築が必要とされてきた。そうした「神なき時代」の近代以降のポストモダンな状況下で、ヴェーバー、フロイト、ベンヤミン、アドルノの「現代思想」の4人による宗教的神に代わる普遍的原理や規範の構築をめぐる格闘に関する考察(「神なき時代」の模索!)として、私は本書を「神なき時代」の現代に生きる一人の人間の立場から相当な共感を持って極めて好意的に読んだ。加えて本書にて、近代の普遍規範(理性や人権や民主主義など)を安易に全否定し、結果として眼前の細かな実証主義的禁欲主義に終始する昨今流行し流通している低俗な近代批判のポストモダン論が、著者により一貫して厳しく明白に批判されていることは、もはや言うまでもないであろう。

岩波新書の徳永恂「現代思想の断層」の「はじめに」にある、ハバーマス「未完のプロジェクトとしての近代」に引き付けて「未完」の言葉に「今後、なお継承発展させるべき」(ないしは「引き継ぐべきリレーのバトンを受け取る」)の肯定的意味を読み込み、理性や民主政など実はキリスト教の宗教的神の普遍性に由来している「近代」の諸価値を、宗教的な一神教の神の措定には頼れない「神なき時代」の現代における、神に代わる新たな普遍的原理の規範構築への模索という、その思想史的営為の意味の再確認を読者に促し、そして「近代」から続く普遍原理の規範構築への模索の重要性を引き続き説く、以下のような著者の言葉は至言という他ない。

「ハバーマスは先年、『未完のプロジェクトとしての近代』という表題を掲げて、先走ったポストモダン論者を批判し、未だ守るべきものとして─理性や民主制などの─近代の諸価値を擁護した。それは個人としての彼の信念であるとともに、ヨーロッパのオピニオンリーダーとしての彼の社会的責任の表白でもあろう。その場合の『未完の』とは、『今後、なお継承発展させるべき』という肯定的な意味で使われている。しかし、私がこの本で、二0世紀中葉までの思想家たちに見てとれる挫折と中断の跡を、『未完の断章』と言うとき、私はそこに挫折の必然性を見届け、中途で倒れた志の墓碑銘を刻み、鎮魂の花束を捧げようとしているだけではない。『歴史が未完であるかぎり、物語もまた未完でなければならない』という方法的配慮もそこに働いている」(「はじめに」)

岩波新書の書評(442)大竹文雄「行動経済学の使い方」

岩波新書の赤、大竹文雄「行動経済学の使い方」(2019年)の概要はこうだ。

「私たちの生活は起きてから寝るまで意思決定の連続である。しかし、そのほとんどは、習慣的になっていて無意識に行われている。…人間の意思決定には、どのような特徴があるのだろうか。行動経済学は、人間の意思決定のクセを、いくつかの観点で整理してきた。すなわち、確実性効果と損失回避からなりたつプロスペクト理論、時間割引率の特性である現在バイアス、他人の効用や行動に影響を受ける社会的選好、そして合理的推論とは異なる系統的な直感的意思決定であるヒューリスティックスの4つである。つまり、人間の意思決定は合理的なものから予測可能な形でずれる。逆にいえば、行動経済学的な特性を使って、私たちの意思決定をより合理的なものに近づけることができるかもしれない。金銭的なインセンティヴや罰則付きの規制を使わないで、行動経済学的特性を用いて人々の行動をよりよいものにすることをナッジと呼ぶ」(「はじめに」)

そうして本書の効用として、

「この本では、行動経済学の考え方をわかりやすく解説し、行動経済学を使ったナッジの作り方と、仕事、健康、公共政策における具体的な応用例を紹介する。読者は行動経済学の基礎力と応用力を身につけることができるだろう」(「はじめに」ⅰ─ⅳページ)

としている。

著者がいう行動経済学により解明される「人間の意思決定のクセ」の各項目を、あくまでも本新書にある解説に沿ってまとめるとすれば、およそ以下の通りとなる。行動経済学が解明し整理してきた人間の意思決定の型には主に次の4つがある。

(1)「確実性効果と損失回避からなりたつプロスペクト理論」とは、実際の数値確率によるリスクや効用ではなくて、人は選択時に当人にとって不確実性が伴う意思決定においては、明らかに確実なものと、わずかに不確実を含むものとでは、前者の確実なものを強く好む傾向にある(確実性効果)。同様に、人は利得と損失に対する感情(満足と不満)は必ずしも数値的な対照ではなくて、利得よりも損失の方を大きく嫌う。この結果、利得と損失とが同程度ある場合、人は最初から損失を回避するような意思決定をしやすい(損失回避)というものである。

「確実性効果と損失回避からなりたつプロスペクト理論」に関係する事柄として以下のものがある。「フレーミング効果」(損失回避や確実性効果を背景にして、同じ内容であっても表現方法が異なるだけで人々の意思決定が異なること。例えば、顧客を操作して任意の消費行動に誘導するには「損失回避」と「確実性」を強調するような説明や宣伝の「フレーミング」をやればよい)。「現状維持バイアス」(現状変更が望ましい場合でも、現状を参照点と見なしてそれからの変更を損失と感じてしまう損失回避が発生するため、常に現状維持を好む保守的傾向)。「保有効果」(すでに所有しているものの価値を高く見積もり、ものを所有する前と所有した後で、そのものに対する価値の見積もりを変えてしまう特性のこと。一度所有してしまうと保有効果により現状維持バイアスが働いて、その保有物に対する価値が高くなったり、そのものを手放したくない感情行動、俗にいう「愛着が出る・増す」などの感情に襲われる)。

(2)「時間割引率の特性である現在バイアス」とは、現在時点での一時的な見通しや感情に錯覚依存して、人は遠い将来への行動は先延ばしにして選択行動せず、かつ近い将来の行動は積極的に選択し実践する傾向にある(「現在バイアスから生じる先延ばし行動」)というものである。

「時間割引率の特性である現在バイアス」に関しては、「コミットメント手段の利用」(「現在バイアスから生じる先延ばし行動」を回避するための有効手段利用のこと。例えば、あらかじめ計画して行動手順の段取りを備える、目標や締め切りやノルマを事前に細かく決めておく、ノルマや締め切りを達成したり守れなかったりした場合の賞与と罰則の設定など)がある。また「コミットメント手段」を利用して現在バイアスから生じる先延ばしを防いでいる人のことを、行動経済学では「賢明な人」と呼ぶ。これに対し、現在バイアスがあるにもかかわらず、自分には現在バイアスはないと思っている人のことを「単純な人」と呼ぶ。行動経済学において「単純な人」と呼ばれる人は、先延ばし行動をとってしまい、忍耐強い計画を立てることはできても計画実行の時点になるとその計画を反故(ほご)にしたり先延ばししたりして、結果的に近視的な行動をとる。

(3)「他人の効用や行動に影響を受ける社会的選好」とは、人は自分自身の物的・金銭的選好に加えて、自分以外の社会的な他者の物的・金銭的利得へ関心を示す選好(「社会的選好」)により、当人の経済行動が規定されるというものである。

「社会的選好」には以下の3つがある。(a)「利他性」(他人の満足度が上がると自分も幸福になる利他の心情に基づき、そのように選択行動すること。これには、他人の幸福度が高まることが、そのまま自分の幸福度を高めると感じられる「純粋な利他性」と、他人のためになる行動や寄付等をする自身の利他行動自体に喜びを得て、そのように選択行動する「ウォーム・グロー(暖かな光)」がある)。(b)「互恵性」(他人が自分にしてくれた利得や恩恵行為に対し、それを返すという選好のこと。利得や恩恵を与えてくれた人に対し直接に返す場合は「直接互恵性」、別の人に利得や恩恵を返すことで間接的に返すことを「間接互恵性」と呼ぶ)。(c)「不平等回避」(他人よりも自分が高いことや低いことの、他者との不平等が自身の満足感を下げ、結果その不平等回避となるよう個人が行動すること。「優位の不平等回避」の場合には、自分が他者よりも恵まれている状況に悲しい気持ちになるので、恵まれない他者に再分配して自己の満足を得るような選択行動を取る。逆に「劣位の不平等回復」では、自分よりも恵まれている他者に不満を抱いて自身の劣位の不平等回復を他者や社会全体に求める行動をとる。いつの時代でも社会では優位の不平等回避よりも劣位の不平等回避の方が強い人が多い傾向にある)

(4)「合理的推論とは異なる系統的な直感的意思決定であるヒューリスティックス」とは、合理的な推論に基づくそれではなくて、しばしば人は系統的に偏(かたよ)った非合理な直感的意思決定を行うというものである。従来の伝統的経済学では、人間は得られる情報を最大限に用いて合理的な推論に基づき意思決定すると考えられてきたが、実際にはそうした合理的意思決定に際し情報収集や想定計算ら、あらかじめ思考費用の負担がかかるため、人は「ヒューリスティックス」と呼ばれる時に安直とも思われる安易な直感的意思決定をよくしてしまう。「ヒューリスティックス」とは「近道による意思決定」という意味だ。

「合理的推論とは異なる系統的な直感的意思決定であるヒューリスティックス」には、例えば以下のものがある。「意思力」(精神的あるいは肉体的に疲労している時、人間の意思決定能力そのものが低下し、人は正常な合理的判断ができなくなる)。「選択過剰負荷と情報過剰負荷」(意思決定における選択肢が多い場合、どれを選ぶかが困難になり結局、意思決定そのものをしなくなる。同様に情報が多すぎると情報を正しく評価して良い意思決定ができなくなる)。「利用可能性ヒューリスティックス」(正確な情報を手に入れないか、そうした情報を利用しないで身近な情報や即座に思い浮かぶような知識をもとに意思決定をしてしまう)。「アンカリング効果」(全く無意味な数字であっても、最初に与えられた数字を参照点として無意識に用いてしまい、その数字に後の一連の意思決定が左右される)など。

以上、行動経済学が指摘する人間の意思決定の4つの指標に関する引用説明が長くなったが、岩波新書「行動経済学の使い方」を始めとして行動経済学に関する書籍を読んで私が知る限りでは、かの行動経済学の本領は従前の伝統的経済学への対抗批判にあり、行動経済学の本質をなす幾つかの柱の内で最重要な一番の読み所は、不確実性のもとでの人間の意思決定には無意識な習慣性や時に非合理な心理的なものが相当な割合を占めるので、非合理なそれら心理的要素を経済理論構築に繰り込まなければならないという主張の立場である。従来の経済学では、計算能力が高く情報を最大限に利用して自分の利益を最大にする合理的な行動計画を立て、それを確実に実行できるような人間像を考えてきた。ところが、行動経済学によれば、個人の消費行動でも企業組織や国家法人の経済活動においても、そのような合理的意思決定ではなくて、その時々の極めて非合理で不確実な人間心理(損実回避や確実性確保の衝動、現在バイアスによる錯覚、他者との間での社会的選好、ヒューリスティックスという直感的決定)に人の意思決定や経済行動は大きく左右される、とするのであった。

昨今、流行人気の行動経済学である。私は行動経済学にもともと懐疑的であり、かなり否定的であるので、岩波新書の大竹文雄「行動経済学の使い方」を含めて行動経済学に関する書籍はそこまで真面目に読む気になれなかったし事実、これまで真面目に読んでいない。今の世の中には唾棄(だき)して回避すべき、興味を持って積極的に関わってはいけない恐るべき行動経済学(もどき)な知恵・知識の開陳や方法教授の罠があふれている。このことは、今日のインターネット上での情報商材や街の書店のビジネス書や自己啓蒙書籍に行動経済学理論がよく取り上げられていることからも明白だ。

従来の伝統的経済学への対抗批判として現れ、人間の意思決定や経済行動には、合理的で理性的な判断よりも、時に非合理な心理的要素に左右されるとする行動経済学の理論には、そうした非合理で不確かな人間の心理的錯覚を逆手に取り、顧客を消費選択行動に暗に誘導しようとする霊感催眠商法の詐欺まがいや、今日のネット上での怪しい販売サイトの手法にも通じる「他者の操作」という反倫理的な問題を少なからず含む。

よくよく考えてみれば行動経済学にて理論的に指摘されているものは、わざわざ「行動経済学」という学問として理論化させなくても、昔から路上のテキ屋の物売りや霊感催眠商法の詐欺まがいや今日のネット上での怪しい販売サイトにて、その手法は経験的に知られ、その筋の人達により伝統的に長く一部悪用され続けてきたものだ。

例えば、前述の「確実性効果と損失回避からなりたつプロスペクト理論」における「フレーミング効果」での、買い手の損実回避の嗜好を刺激して購買行動を相手に促すやり方は、映画「男はつらいよ」の主人公・車寅次郎が日常的に毎回やっているような、なめらかな口上の話術にて相手をその気させ、半額から始めて客とのやり取りで最後は7割や8割の異常な値引きをし、客に根負けしたふりをして「こうならヤケだ、持ってけ泥棒!」で買い手の名乗りを上げさせる伝統的なテキ屋の口上、はたまた割と高額な健康サプリメント商品をなぜか日割りに換算して「1日あたり、たったこれだけ!」の割安感を無駄に強調しての商品販売など、その典型だ。特に行動経済学に熟知していなくても、正常な常識的判断ができる人なら「もともとの原価が安く、始めから定価を異常な高額に定めているため、最終的に7割や8割の大幅値引きをしても、それでも利益が出るような仕組みになっているのだろう」と醒(さ)めた目でテキ屋の叩き売り口上を軽くいなしたり、「なぜ商品価格をわざわざ日割り換算にするのか!?どんな高額商品でも日割りに変換すれば数字的に安くなり、割安感をアピールできてしまう 」と健康サプリの「フレーミング効果」を狙った大げさな宣伝広告に冷静なツッコミを入れたりする。その程度の、昔からあって伝統的に悪用され続けてきた「経済理論らしき」だましの手口でしかない。昨今、行動経済学の理論として持ち上げられ、もてはやされているものは。

その他、「合理的推論とは異なる系統的な直感的意思決定であるヒューリスティックス」における「選択過剰負荷と情報過剰負荷」に即し、契約書内容や販売目録にて、わざと選択肢を増やし情報を過剰に提供したり、逆に極度に選択肢を減らし、その中から「不自由な選択」を強制的にさせたりして結果、異常に偏り制約された選択肢と情報提供下にて顧客を購買行動に暗に、しかし強力に誘導する詐欺商法の事例も昔から今日に至るまで数多くある。

岩波新書「行動経済学の使い方」の著者である大竹文雄は、そういった今日、行動経済学の理論とされるものが、本当は昔から路上のテキ屋の物売りや霊感催眠商法の詐欺まがいや今日のネット上での怪しい販売サイトにて、その手法は経験的に知られ、その筋の人達により伝統的に長く一部悪用され続けてきたものであることを実は知っているのである。何しろ、その手の行動経済学の理論に該当するものが昔からあって、霊感催眠商法や一部のネット上での販売サイトや情報商材の商売にて活用されてきた「行動経済学の(不適切で怪しい)使い方」の実態の現実をそもそも知らなければ、わざわざ自著に「行動経済学の使い方」というような、「行動経済学の(適切な正しい)使い方」を読者に指南するような書籍タイトルにしないだろう(笑)。しかも著者の大竹文雄は、本書にて「行動経済学の使い方」を述べる際には「ナッジ」(行動経済学的手段を用いて選択の自由を確保しながら、金銭的なインセンティブや罰則規制を用いないで合理的な行動変容を引き起こすこと)という正当価値誘導への概念を噛(か)ませてた上での限定されて稀有な、行動経済学のより適切で正しい「使い方」を勧めるのであった(いわゆる「スラッジ」への対抗対策)。

以上のことを踏まえると、最終的には行動経済学を肯定し、これを経済学の一分野の学問として確立させたい著者の行動経済学振興の経済学者の立場からして、私のような行動経済学に対し否定的であり不遜(ふそん)な立場の、「よくよく考えてみれば行動経済学にて理論的に指摘されているものは、わざわざ『行動経済学』という学問として理論化させなくても、昔から路上のテキ屋の物売りや霊感催眠商法の詐欺まがいや今日のネット上での怪しい販売サイトにて、その手法は経験的に知られ、その筋の人達により伝統的に長く一部悪用され続けてきたもの」とするような理解に反論し、「確かに行動経済学には他者の意思決定や経済行動を操作し心理的に誘導する要素もあるが、それだけではない。行動経済学は大いに使えるべきものである」旨を著者が力説する、本新書にての「ナッジは危険なのか?」の節(74─77ページ)は、なかなかの読み所と言える。

岩波新書の赤、大竹文雄「行動経済学の使い方」を実際に手に取り読む人は、「ナッジは危険なのか?」の節での著者による行動経済学の擁護と持ち上げの一連の記述に注目していただきたい。この箇所が本新書の一つのヤマの読み所である。

岩波新書の書評(441)鬼頭昭雄「異常気象と地球温暖化」

岩波新書の赤、鬼頭昭雄「異常気象と地球温暖化」(2015年)の概要は以下だ。

「熱波や大雪、『経験したことがない大雨』など人々の意表をつく異常気象は、実は気象の自然な変動の現れである。しかし将来、温暖化の進行とともに極端な気象の頻度が増し、今日の『異常』が普通になる世界がやってくる。IPCC報告書の執筆者が、異常気象と温暖化の関係を解きほぐし、変動する気候の過去・現在・未来を語る」(表紙カバー裏解説)

確かに、私の日常生活の実感からしても近年は「異常気象」が多く「地球温暖化」が確実に年々進行しているように思える。まさに「経験したことがない大雨」で、まるで熱帯地方で降り注ぐような強烈なゲリラ豪雨、それに伴う深刻な浸水被害が近年ではほぼ毎年、日本各地で発生するようになった。また日本は四季を通じて、いつの季節でも全体として気温上昇の傾向にあり、着実に年々暑くなってきていると感じる。通常、8月が過ぎた9月や10月は秋の季節であり、徐々に涼しくなっていくはずだが、事実、私が子どもの頃はそうだったが、昨今では10月になってもまだ残暑の延長のようで暑い。秋冬物への衣替えが9月に入っても必要にならない。今日、日本列島は一部、熱帯気候帯に属しているようでもある。

岩波新書「異常気象と地球温暖化」の内容は、そのタイトル通り、こうした今日の気象現象や環境問題の理論を取り上げて、気候学専攻である著者が気象学に専門外な一般読者へ向け易しく丁寧に解説している。本新書の著者の鬼頭昭雄は、本書執筆時には筑波大学生命環境系主観研究員の役職にあり、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第1作業部会の第2次から第5次報告書までの執筆を務めた人でもあった。

本書を読んでまず、私が「少しだけ良い」と好感を持てたのは、今日の「異常気象」の頻発は「地球温暖化」の影響によるものとした場合に、著者が「それは火力発電の排気や自動車の排出ガスなど二酸化炭素の温室効果ガスの大量排出によるものだ(怒)」と一面的に判断し、経済的で快適な日々の生活にて知らず知らずの内に、石炭を用いた火力発電や自動車の排出ガスや工場の排気など化石燃料の燃焼に伴う二酸化炭素を主とした温室効果ガス濃度の上昇を招いている現在の人々の生活習慣や消費行動を有無も言わさず叱(しか)りつけたり、一部の文明批判な科学者や熱烈な環境問題活動家(エコロジスト)のように、いつの間にか自身が優越の高みから一方的に倫理的説教を打(ぶ)ったりしていない所だ。私が見るところ、現在進行中の「異常気象と地球温暖化」には、人々の生活や経済活動家よりなる温室効果ガス濃度の上昇を内実とする「人為の温暖化」以外にも、そもそもの地球の気候自体における寒冷化と温暖化の長期気候変動サイクルからの影響も確実にある。

事実、本書によれば、地球の長期的気候変動は最近は約10万年周期で氷期と間氷期が繰り返されており、直近の氷期は約1万年前に終了し、現在の地球気候は間氷期に当たる。千年単位の過去の世界の気温は、19世紀までは全地域で寒冷化していたが、20世紀には南極以外の全地域で温暖化に転換しているという。現在の2000年代以降、21世紀の地球は、これまでの寒冷化のサイクルから温暖化のそれに長く連続して移行しており、ゆえに今日、南極の氷が徐々に溶け出しているとかシベリアの永久凍土が地表露出しているとか、かつて寒冷気候であった地域が温帯化や熱帯化しているなどの地球温暖化現象は、人類による二酸化炭素ら温室効果ガス排出の蓄積云々に関係なく、いくらかは自然に進行する地球自体の温暖化現象というのが根底にある。だからといって、今日の「異常気象と地球温暖化」が地球の長期気候変動から、ある程度は説明され得るとしても、現在の地球温暖化の温度上昇ペースはかつての地球の歴史にはないほどに異常で速く、実に憂慮すべきものがあり、二酸化炭素ら温室効果ガス削減の取り組みへの努力を今の人類が開き直って完全放棄してよいことには全くならないが。

今日の「異常気象と地球温暖化」の原因の考察に当たり、そういった化石燃料の燃焼にての二酸化炭素排出による温室効果ガス濃度の上昇という「人為の温暖化」以外での、そもそもの地球の寒冷化から温暖化への傾向という、ある意味、極めて当たり前で自然な現象である長期気候変動サイクルも勘案して、それへの理解を促す記述が本書には控えめであるが見られる。その証左は先に引用した表紙カバー裏解説で言えば、「熱波や大雪、『経験したことがない大雨』など人々の意表をつく異常気象は、実は気象の自然な変動の現れである」とする書き出し文だ。ここに、「かつて『経験したことがない』異常気象や地球温暖化が今日生じたとしても、そうした気象変動は人為以外での地球そのものの本来的な自然現象からも想定され、ある程度は説明しうる」旨の、「異常気象と地球温暖化」の問題に処する際の著者の科学者としての冷静で公正な態度を私達は確かに読み取るべきであろう。

鬼頭昭雄「異常気象と地球温暖化」の副題は「未来に何が待っているか」である。「異常気象と地球温暖化」の進行の未来がもたらすこと、自然科学的なこと(このまま地球温暖化が年々進むとして、将来的に例えば「永久凍土の融解による凍土中のメタンの大気放出で温暖化は加速されるか」「アマゾンの森林は枯渇するか」「北極の海氷は消滅するか」ら)について、著者は「定量的な予測は困難」「結果の予測は困難」「結論づけるのは困難」など、つまりは「現時点では予測できず、わからない」をやたら連発する(笑)。その分、「現時点では何も予測できないし何もわからない」地球温暖化がもたらす科学的な影響以外での、「異常気象と地球温暖化」がもたらす「未来の人類に待っている」社会的困難については、かなりの断定口調であり相当に悲観的である。例えば以下のように。

「地球温暖化という長期的な気候変動は、水循環の変化、自然生態系の変化をもたらし、それは農作物や人間の健康への悪影響につながり、気象・気候の極端現象たる熱波、干ばつ、洪水、台風、山火事のハザードの頻度が高まる。より具体的には、食糧生産と水供給の断絶、インフラや住居の損害、羅病率や死亡の増大といった人間の精神的健康と人間の福祉に深刻な影響を及ぼす。そうして、ついには人間社会の不平等・貧困の拡大、暴力的紛争の発生を引き起こす。今、早急に対策を始めないと後で後悔することになる。『後』とは、子や孫の世代だけでなく、自分自身の世代でもあるのです」

地球温暖化という気候変動リスクが誘発する科学分野以外での人間社会の行く末には割と、はっきりと断定し未来予測して警鐘を鳴らしている。地球温暖化がもたらす科学的なことに関し「現時点では何も予測できないし何もわからない」を連発する著者の科学者としての慎重さとは対照的に、「地球温暖化という気候変動リスクがもたらす、科学分野以外での人間社会の行く末」について、「社会の不平等・貧困の拡大、暴力的紛争の発生を引き起こす。今対策を始めないと後で後悔することになる」などと、やたら危機感をもって前のめりで脅迫的に強く訴える著者の姿勢が岩波新書の赤、鬼頭昭雄「異常気象と地球温暖化」を一読して後々まで私の中で深く印象に残る。

岩波新書の書評(440)菅直人「大臣」

現職の国会議員が、自身が取り組む目下の政策や自己の政治観や国家観を人々に広く知らしめるために、党代表の重職に就いたり、総理大臣に就任して内閣を組閣する際の節目に自著を上梓することはよくある。その事例として、古くは小沢一郎「日本改造計画」(1993年)や、近年なら安倍晋三「美しい国へ」(2006年)、岸田文雄「岸田ビジョン」(2020年)などが挙げられる。公明党や日本共産党ら自党の出版メディアを持っている政党に所属の政治家なら、その出版社から直接に書籍を出すのだろうが、自民党ら独自の出版メディアを有していない政党の政治家は既存の商業系の出版社から自著を出す他なく、前述の政治家書籍の例でいえば、安倍晋三「美しい国へ」は文藝春秋からであったし、小沢一郎「日本改造計画」と岸田文雄「岸田ビジョン」は講談社から出ていた。社会の注目を集める、いわば「時の人」である重要ポスト就任の現職政治家による著作は非常に多くの人々に読まれ、相当な売り上げをたたき出すはずだから、書籍を編集して出す側の各出版社も、そうした現職政治家が執筆の著書なら是非とも自社で担当販売したいと思っているに違いない。

こうしたことから、「どれだけ現職政治家の執筆書籍を自社担当に誘導して自分たちの仕事にできるか」は、その出版社の編集者や営業担当社員の力量の優秀さを示す腕の見せ所といえる。有権者の世間の目を気にして、絶えず自身の政治家の良イメージ形成維持に細心の注意を払う現職の政治家は、だいたい実績がある大手出版社を選んで無難に自著を出す。彼らは、変な噂や過去に失策があった三流新興の怪(あや)しい出版社から滅多に自著は出さない。そういった危ない橋は絶対に渡らないものだ、有能でデキる国会議員や都道府県知事や市長ら現役政治家というのは。

さて古くからの歴史がある老舗(しにせ)で大手の岩波新書から現職政治家の書き下しの新書が出ていたか、ふと思いめぐらしてみたら確かに以前にあった。岩波新書の赤、菅直人「大臣」(1998年)である。

菅直人という人は、なかなかの異色な日本には珍しいタイプの政治家であると、かねがね私は感心し菅の政治活動にその都度、注目してきた。何よりも菅直人は政治家一族の家柄出身ではない非世襲議員である。祖父や伯父(叔父)や父親がかつて国会議員であったという親族の地盤・看板・カバン(支持基盤・知名度・政治資金)を引き継いだ世襲議員や二世議員が異常に多い「日本の政治」の伝統風土の中で世襲の二世議員ではなく、市民運動から自力で頭角を現し国会議員になって遂には内閣総理大臣に就任した。菅は戦後の国政において非常に稀(まれ)な例外ケースで、非世襲議員から首相にまでなった政治家であった。私は菅直人という人は日本の戦後政治にて、間違いなく後世の歴史にまで名が残る特筆すべき歴代総理大臣であり、優れた有能な政治家だと思う。

ここで菅直人の政治家仕事の経歴を概観すると以下のようになる。

1980年・衆院選で初当選(これまで二度の落選を経て34歳で国会議員になる)
1994年・新党さきがけに入党。村山富市自社さ連立政権にて、新党さきがけの政策調査会長の要職を務める。
1996年1月・第一次橋本龍太郎内閣に厚生大臣(第80代)で初入閣。薬害エイズ事件、病原性大腸菌集団感染問題(0−157とカイワレ風評問題)に対応。
1996年9月・鳩山由紀夫が旗揚げした民主党に参加。鳩山と共に党代表となる。
2009年・自民党から政権交代を果たした民主党、鳩山由紀夫内閣発足に副総理で入閣。国家戦略担当大臣も兼務。
2010年・鳩山内閣の退陣を受け、民主党代表選挙に勝利し首班指名選挙を経て、第94代内閣総理大臣に任命される。菅直人内閣発足。
2011年3月・東日本大震災、福島第一原子力発電所事故が発生。総理大臣として災害・事故の対応に当たる。
2011年9月・民主党の野田佳彦内閣発足に伴い、総理大臣退任。
2016年3月・維新の党らと合流した民進党に所属。
2016年10月・民進党のリベラル派議員からなる立憲民主党に参加。

岩波新書の菅直人「大臣」は初版が1998年で、後に加筆した増補版が出されたのは2009年であるから、先に挙げた菅直人の政治家仕事の経歴と重ね合わせて見ると、1996年に自社さ連立政権の橋本龍太郎内閣に厚生大臣で入閣し、まさに厚生「大臣」として薬害エイズ事件や病原性大腸菌集団感染問題(0−157とカイワレ風評問題)に対応した際の自身の「大臣」経験と、長年に渡る自民党保守政権から念願の政権交代を果たし、政府与党の立場にあった2009年に鳩山民主党内閣にて副総理と国家戦略担当大臣就任時の自身の振り返りを踏まえて、岩波新書「大臣」は執筆されていることが分かる。確かに菅直人「大臣」の内容は、

「1996年1月、橋本内閣の厚生大臣に就任。以後300日、薬害エイズ、介護保険法案、O−157、豊島産廃不法投棄と、さまざまな課題に直面するなかで、何を求め、どう動いたか。市民派政治家が体験した『大臣』という仕事の虚実を具体的に公開し、大臣・内閣、国会、官僚組織ひいては日本の政治の目指すべき姿を熱く説く」(「初版」表紙カバー裏解説)

「官僚依存を脱し、政治主導へ。鳩山政権の副総理・国家戦略担当大臣である著者が『官僚内閣制』から『国会内閣制』へ転換するための具体的な道筋を説く。国家戦略局とは何か。厚生大臣の経験をもとに内閣や大臣の実態を描いた一九九八年の旧著に、新たに民主党政権の理念と方針、イギリス議会政治の視察報告などを加えた増補版」(「増補版」表紙カバー裏解説)

であり、直近の自社さ連立政権にての自身の厚生「大臣」の経験に基づく日本の政治に関する分析考察と、増補時の民主党政権与党議員であり当時の内閣副総理と国家戦略担当大臣の役職にあって、日本の戦後政治にて長期に渡り続いた自民党保守政権に対する容赦のない菅直人による批判言説になっている。つまりは、本新書にある菅直人の言葉「大臣三百日で見えたもの」「一九九六年の厚生大臣の経験から」というのは、自社さ連立政権での自身の厚生「大臣」の経験にて菅直人が痛感した日本政治の問題の指摘であり、また「国民主権への道」「民主党政権は政治主導をどう進めるか」というのは、増補版執筆時の、自民党より政権交代を果たした民主党政権からする、かつての長期の自民党保守政権時代の日本の政治に対するこれまた問題指摘の話である。菅直人「大臣」の書籍は、以上の2つの主な内容からなっているのだ。

それら子細な内容は実際に本新書を手に取り各自で熟読してもらうしかないが、ここで本書の概要を大まかに述べるとすれば、著者の菅直人により繰り返し問題にされ深刻に語られるのは、「政治家を差し置いての官僚主導の日本の政治の問題」である。これは「日本政治にての立法をないがしろにした行政肥大の問題」と言い換えてもよい。つまりは次のようなことだ。

そもそも戦後日本の日本国憲法下にて、国内政治は立法と行政と司法の三権分立よりなる。その内の「立法」は公的選挙により国民の投票信託を受けた国会議員が国会に属して立法権を行使し、また「行政」は、立法と行政とが接続する「議院内閣制」により、立法に属する国会内での最大議席獲得政党(政権与党)の代表が内閣総理大臣に指名され、その首相が各大臣を任命し組閣して、総理と各大臣は「行政の長」となり、行政権を初めて行使できるのである。そうして、さらに地方自治ではない、国内の中央政治には立法の国会議員とは出自が別な各中央省庁(俗にいう霞が関の役所)に属する「官僚」がいるわけである。彼ら官僚は、通常は難関な国家公務員試験を合格して各省庁に大学卒業後の新卒採用で入省してくるエリートたちであり、優秀なキャリア組の官僚である。彼ら官僚は「霞が関」とか「役人」とも呼ばれる。このように中央政治の「行政」には立法の国会から来る国会議員でもある首相と各大臣がいて、それとは別に元から各省庁に属している国家公務員の官僚(役人)もおり、しかし日本の場合は総じて国会議員の「首相と大臣」よりも、国家公務員の役人である「官僚」のほうが力を持ち決定権と実行力を以て行政権を発揮し官僚主導で政治を行ってしまう。遂には首相と各大臣は「行政の長」でありながら無力な飾りに過ぎす、現実は官僚が実働し時に暗躍して、政治家の「首相と大臣」は役人たる「官僚」の指示に従い、言いなりになってしまう。この現象をして「政治家を差し置いての官僚主導の日本政治の問題」とか、「日本政治にての立法をないがしろにした行政肥大の問題」と一般に指摘にされる。

以上のような「政治家を差し置いての官僚主導の日本政治の問題」には、もともと首相や各大臣になり行政担当する国会議員の任期が非常に短かく(長期政権の安定した内閣でも総理の在職は長くて数年、総理以外の各大臣に至っては内閣改造でわずか数カ月で大臣が頻繁に変わることはよくある)、それに比べて、国家公務員として大卒の新卒採用で入省してくる役人の官僚は定年退職時まで雇用保障され、一つの省庁の特定分野の行政を数十年に渡り継続して担当するため、役人である官僚の方が行政政策に知悉(ちしつ)の政策通なプロの専門家になり、他方で任期が少ない就任期間が不安定な政治家である首相と大臣は、政策全般に精通しておらず結果、行政に際して政治家が官僚の言いなりになってしまうの事情背景があった。その他にも、首相と大臣の政治家らの行政に対する根本的な理解不足の政策勉強不足の問題や、自身の選挙票田の支持母体である特定団体・業界に対し非合理で無理筋な利益誘導を強引になす「族議員」存在の問題(例えば、全国医師会や各地の医療法人や製薬会社を支持母体とし「厚生」分野を票田にして議員当選を果たした国会議員は、彼ら厚生関係団体・業界に利するよう規制緩和の行政改革ないしは既得権益確保のための行政保護政策といった露骨な利益誘導政治をなすことから、そうした国会議員は「厚生族議員」と否定的に蔑称されたりする)が、結果として政治家不信で官僚主導の行政を誘発する事情などよく指摘される。

これは事実、相当に深刻な大問題なのである。このような「政治家を差し置いての官僚主導の日本政治の問題」、ないしは「日本政治にての立法をないがしろにした行政肥大の問題」があれば、霞が関の中央官庁の役人たる官僚が、「行政指導」の名のもとで独自に政治判断をし時に暴走して、遂には行政指導対象の民間企業や法人団体が官僚に対し手心を加えた行政施策を期待・強要するため、役人たる官僚が接待(飲食を介した利益提供)や天下り(官僚が退職後に出身官庁が管轄する業界団体や民間企業に再就職斡旋を受ける利得行為)の利権享受をなして、さらに官僚が権力を持ち肥大化し腐敗してしまう。また首相と大臣からなる時の内閣の行政組織は、彼らは同時に国会に属する公的選挙にて国民からの投票信託を制度上は受けた「(行政)権力行使の正統性」を有する政治家であるが他方、国家公務員試験をパスして新卒採用で各中央官庁に配属されるキャリア組の官僚は、実はただの行政官庁機関の役人でしかなく、その就任選出には公的選挙を経ての国民一般からの投票信託を受けていない。そういった政治家ではない、霞が関のただの行政官庁の役人に過ぎない官僚が、政治家を差し置いて行政権力を大々的に行使するのは、民主主義下の民主政治のあるべき点、「(行政)権力行使の正統性」有無の観点からして相当に非民主的で反民主主義であり、かなり問題あることなのである。

岩波新書「大臣」の中で、「内容をともなっていない国民主権の実態」や「官僚主権国家における民主主義の不在」といった、民主政治の欠落として「政治家を差し置いての官僚主導の日本の政治の問題」が頻繁に語られ非難され、「脱官僚主導」や「官僚主権から本来あるべき国民主権へ」というように、「日本政治にての立法をないがしろにした行政肥大の問題」の解決が今後なされるべき民主政治回復の文脈にて繰り返し強く主張されるのは、以上のような昔から伝統的に今日でも日本の政治にて継続する官僚主導による行政肥大の深層問題に由来している。

岩波新書の赤、菅直人「大臣」は、これまで述べてきたように、執筆時に直近の菅直人本人による1996年に自社さ連立政権の橋本内閣に厚生大臣で入閣し、まさに厚生「大臣」として薬害エイズ事件や病原性大腸菌集団感染問題(0−157とカイワレ風評問題)に対応した際の自身の「大臣」経験を踏まえた上で書かれた日本の政治問題指摘の書籍であった。

この後、菅直人は2010年の鳩山内閣退陣を受け、民主党代表選挙に勝利して首班指名選挙を経て第94代内閣総理大臣に任命され、菅内閣が発足する。そうして2011年3月に東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の放射能漏(も)れ事故が発生し、その原発過酷事故に菅は、一国政治の最高責任者である内閣総理大臣として一貫して責任ある対応を厳しく迫(せま)られることになる。

岩波新書「大臣」にてクローズアップして取り上げられた「日本政治にての立法をないがしろにした行政肥大の問題」以外にも、菅直人が首相在任中に向き合った前代未聞の過酷原発事故をめぐる当時の内閣府の首相官邸の判断・行動や、原発運営管理者であり原発事故の当事者であった「東京電力」という民間企業に対する、事故収束対応に関する政治家の内閣と監督官庁たる中央省庁の官僚よりの行政指導の政治指示の内実、さらには内閣総理大臣であった菅直人から出された自衛隊への司令命令の実態を、より詳しく知りたいと私はかねがね願ってきた。赤版の「大臣」に引き続き、岩波新書から福島第一原発事故をめぐる菅直人の詳細な回想録もしくは聞き取りのロングインタビュー集が今後出ることを、多分に望み薄であるが、私は密(ひそ)かに期待している。

岩波新書の書評(439)ロワン=ロビンソン「核の冬」

岩波新書の黄、ロワン=ロビンソン「核の冬」(1985年)のタイトルになっている「核の冬」とは、核戦争によって地球上に大規模環境変動が起き、人為的に極度の気温低下の氷期が発生するという現象を指す。

核戦争による「核の冬」現象は、核兵器の使用にともなう爆発そのものや広範囲の延焼火災によって巻き上げられた灰や煙などの大気中を浮遊する微粒子により、日光が遮(さえぎ)られた結果、発生するとされる。太陽光が大気の透明度の低下で極端に遮断されることから、海洋植物やプランクトンを含む植物が光合成を行えずに枯れ、それを食糧とする動物が飢えて死に、また気温も急激に下がることが予想されるなど、人間が生存できないほどの地球環境の悪化を招くとされる。特に将来、世界で全面核戦争が勃発した場合、世界各地で熱核爆発によって発生した大規模火災を経て数百万トン規模のエアロゾル(浮遊粉塵)が大気中に放出され、これが太陽光線を遮蔽(しゃへい)することにより、数カ月に渡る生態系の壊滅的な破壊や文明の崩壊が予測されるという。

仮に未来にあり得るとして、核戦争勃発による「核の冬」現象に伴う人類の滅亡について、岩波新書「核の冬」の中でも、英国の科学者であり「私自身、過去に星を取り巻くちりの雲が星の光におよぼす影響について研究してきて、…こんどは地球を取り巻くちりや煙の雲という問題について考え始めることになった」という宇宙よりの地球環境を分析研究してきた著者から、非常な危機感を持って例えば以下のように、将来の大規模核戦争にてもたらされる「核の冬」現象による「人類の絶滅」が指摘されるのであった。

「一九八三年の秋にワシントンで『核戦争後の地球』に関する国際会議が開かれ…会議では数多くの科学者によってきわめて限定的な核使用、たとえば米ソの現有の核のわずか約0・八パーセントが燃えやすい都市に対して使われただけでも、『核の冬』現象が生じて地球の気候やエコシステム(生態系)がいちじるしく撹乱(かくらん)され、核が全面的に使われたような場合には、人類の絶滅さえ可能なことが初めて明らかにされたのです」

「核戦争が起こると地球は急速に寒冷化し氷期になる。氷河時代よりなお寒い『核の冬』により、文明は崩壊し人類は絶滅する」と指摘する「核の冬」議論は誠に衝撃的だ。核兵器の爆発からの爆風、火球による人々の即死や負傷ら事後の直接的被害や、放射性降下物(フォールアウト)による直近の被曝の健康被害だけでなく、地表での核爆発にて大量の土砂が空中に吹き上げられたことによる灰と塵(ちり)の充満が地球表面を長期に渡って覆(おお)い結果、地球全体の寒冷化現象に至る「核の冬」という地球気候への後々までの悪影響にこそ、本当に憂慮すべき深刻な問題があるのだ。

従来、核戦争勃発後の社会や人類に関して、例えば近未来世界が舞台のバイオレンス映画「マッドマックス2」(1981年)では、核戦争後における放射能汚染を受けて、人々は汚染されていない水や油田の石油や限られた食糧を求め奪い合い、なぜかモヒカンヘアーで無茶に暴れまわる暴走族ら(笑)、不条理な暴力が世界を支配する世紀末人類の時代設定であったが、岩波新書「核の冬」では、核戦争勃発後の地球人類の様子は、そのような「生ぬるい劇画調バイオレンス映画」の未来想定をはるかに超え突き抜けている。地表での核爆発にて大量の土砂が空中に吹き上げられ長期に渡る灰と塵が充満の結果、太陽光が遮断され地表全体が極度の寒冷化の氷期に至り、この「核の冬」現象により人類を含む地球上の動植物の全ての生物が活動・生存できず、ほぼ死に絶える点にこそ、(仮に将来あるとして)核戦争勃発後の人類の本当の危機が存することを本書は私達に教えてくれる。

この「核の冬」にともなう太陽光遮断と地球の急速な寒冷化による「人類滅亡」に関する理論的考察は当然、人々に単に恐怖を煽(あお)るだけの無責任な「オカルト未来想定」の根拠なき予言めいたものではない。本新書の著者を始め、主に1980年代から「核の冬」理論を大々的に唱え始めた論者は、地球物理学や環境気候学が専門の科学者たちであるから、その主張は厳密な科学的理論の想定に基づいている。本新書にても、巻末に「付録」として「核の冬による地表の温度低下を概算する」という数値データの数式を用いて各ケース別に細かに分析予測した「地表の温度低下」の概算が、抄録の形で大まかではあるが収録されている。

核戦争勃発後の「核の冬」の警鐘に対し、それを疑問視し否定する反論意見(「仮に核戦争が勃発しても急速でそこまで極端異常な寒冷化の氷期には突入しない。想定予測の手法に問題があり非科学的で極度に悲観的すぎる」など)も昔から根強くある。こうした「核の冬」理論の信憑性や想定の是非について、私は専門の科学者ではないし、岩波新書の一読者として、本書を始めとして「核の冬」についての書籍を数冊読んでも、「もし仮にこの先の未来の世界で核戦争が起きるとして、これは想定予測の話であるから正直、仮にあるとして核戦争勃発後の地球の人類ならびに地球上の動植物や気候環境への影響に関し、現時点では誰も確かなことは何も言えないし、そう単純化して結論は出せない」の慎重な感慨を有する。だが、他方で「本新書で述べられているような核戦争後の地球にての『核の冬』到来は荒唐無稽な想定ではなく、あながちあり得るのでは!?」の思いも正直、持つ。

最後に、岩波新書の黄、ロワン=ロビンソン「核の冬」には直接に書かれていないが、本書を始め「核の冬」理論に接して議論や検討するに当たり押さえておかなければならないであろうこと、岩波新書「核の冬」を読んで私が気づいた事をいくつか挙げておく。

(1)核戦争勃発後の「核の冬」の想定が大々的に出てきてマスコミら人々の注目を集め出したのは1980年代からであり、「核の冬」は意外に新しい想定理論といえる。これには1980年代にアメリカとソ連の二大国による冷戦の核軍備の軍拡競争がいよいよ熾烈(しれつ)を極め、世界各国での米ソ両陣営に対する反軍拡・核核兵器廃絶の市民運動の高まりから、米ソ両大国の報復の核ミサイル撃ち合いによる全面的核戦争回避を訴える思想的な反核平和世論の強力な後押しが、科学的理論たる核戦争後の人類予測に関する「核の冬」理論を強力に支えている構造を見切るべきだ。「核戦争の勃発が最終的には地球上の人類を滅亡に導く」と明確に結論づける(「だからこそ現在、主要な大国は核兵器配備の軍拡競争たる冷戦体制の不毛な対立を即刻やめるべき」の議論にやがては至る)、かの「核の冬」理論は、実のところ反核平和の政治的主張を支える強力な科学理論根拠にもなっているのだ。

ゆえに思想的・政治的心情にて米ソ両国の冷戦構造下における軍拡競争を批判し核軍縮や核兵器の廃棄を訴える科学者や市民運動家は、「客観的な」政治的中立の立場を装いながらも、概して「核の冬」の科学理論を肯定し支持する傾向にある。他方、核兵器配備が一定の抑止力をもたらし、現時点での国際政治の「平和」に少なからず寄与できると目する核兵器保有の軍拡競争を是認する立場の科学者や政治家、核工学が専攻で核兵器の開発研究をなす者、また核兵器開発を推し進める国家や団体の政治的かつ経済的支配下にある研究機関の科学者たちは、反軍拡・核兵器廃絶世論に暗に支えられている「核の冬」の議論を、「荒唐無稽なありえない理論」「あまりに悲観的すぎる極端想定」などとして一笑に付したり、意地になって強力に反論・否定する傾向にある。

(2)核戦争勃発後の地球の気候環境や地球上の人類や生物への影響をまとめて総合的に判断し考察しようとする「核の冬」理論が表立って出てきたのは1980年代からと、これは意外に新しい想定理論であるが、このことに従来型の分野別に各専攻の科学者が個別に自身の専攻分野のみを研究するそれではなく、80年代以降の専攻分野の垣根を越えて各専門の知見を持ち寄り総合的に研究をなす「総合科学」成立の社会的動きを見ることができる。事実、「核の冬」理論の形成・精査に際しては、宇宙物理学や環境気候学や生物学ら、様々な分野の科学者が複数参加しているのである。

また「核の冬」理論は、「将来に核戦争が起こるとして、そのときの地球気候や人類や地球上生物に対しての影響」に関する「もし仮に起こるとしたら」の未来想定の話でしかなく、未だ発生していない科学的現象を事前に予測するのはそもそも相当に困難なことといえる。しかし1980年代以降、コンピューターの本格導入によるシュミレーションにて、大気循環や気候変動ら個別要素を分析した上でそれらの相互作用まで勘案し、最終的に一つの総合的なシュミレーションに落とし込んで予測モデルを立てる、そうした想定科学の技術手法が格段に進歩した現代の社会状況と研究環境整備の流れも理解しておきたい。「核の冬」の研究は2000年代以降の今日でも継続され、近年ではAI(人工知能コンピューター)の予測計算にて、「仮にインドとパキスタンの二国が核戦争に突入する限定核戦争が起これば、地表温度が2度から5度ほど低下する異常気象が最大10年間続き、世界的な食糧危機がおとずれる」とするシュミレーション報告(2019年)もある。

(3)地表での核爆発にて大量の土砂が空中に吹き上げられ長期に渡る灰と塵が充満の結果、太陽光が遮断され地表全体が極度の異常な寒冷化現象の氷期に至り、この現象により人類を含む地球上の動植物の全ての生物が活動・生存できず、ほぼ死に絶えるとする「核の冬」理論は、巨大隕石の地球衝突により、大規模火災が発生し、また地表の土砂が大量に巻き上げられ大気中に煙や粉塵が長期浮遊の結果、太陽光が遮断され急速な寒冷化が進み氷河期を迎えて地球上の恐竜が一気に絶滅に至ったとする、かつての恐竜絶滅に関する「隕石衝突説」をかなり参考にし、そこから発想やイメージの基本を膨(ふく)らませているようなフシが私には強く感じられた。岩波新書「核の冬」を始めとする「核の冬」予測の書籍をある程度、連続して読んでいると、特に「核の冬」の理論想定を肯定し積極的に唱える識者は、彼らは必ずしも自説の「核の冬」理論が恐竜絶滅に関する「隕石衝突説」の影響下にあることを明かしてはいないが(なかには両者のつながりの関連について絶対に触れず終始、強情に隠している著者もいるが)、「核の冬」提唱の論者には、同時に太古の恐竜絶滅に関する「隕石衝突説」の支持者も多くいて、その理論的影響を相当に受けている感触を私は持った。

「核戦争が起ると地球は急速に冷えて、氷河時代よりなお寒い『核の冬』が訪れる。文明は崩壊し、人類は絶滅するだろう。核先制攻撃や核シェルターなど一切の生残り戦略を無効にしたこの予測は、米ソの政治家や軍人に深刻な衝撃を与えた。二0世紀の黙示録=『核の冬』とは何か、その政治的・軍事的意味は何か、をやさしく説く」(表紙カバー裏解説)

岩波新書の書評(438)金田章裕「景観からよむ日本の歴史」

私はテレビといえば、せいぜいニュースと天気予報を毎日、軽く見る程度なのだが最近、面白くてよく視聴している番組があった。NHKの「ブラタモリ」(2008─24年 )である。この番組は、歴史地理的な地形や景観に特化した散策ロケ番組で、開墾・干拓事業や街道・水路・護岸・橋の整備や寺院・城・官庁建物の配置、河川・池・坂道の形状や地質学に基づいた長年の地形変化などの知見を街歩きに盛り込んだ学術的な教養バラエティの要素があって面白い。散策する地域も昔の江戸の東京各地、日光、横浜、鎌倉、箱根、大坂、京都、奈良、出雲、博多、別府らの特集回がこれまでにあった。

毎回、タモリがNHKの女性アナウンサーと共に散策して、そこに歴史地理学や地質学の研究者や郷土史家が解説を便宜、加える案内人として参加し番組ロケは進む。その際にタモリに歴史学や地質学の専門的なことを尋ねて毎回、タモリがそれとなく正解を答えて、「さすがはタモリさん、よく分かっていらっしゃる」のような、タモリに尊敬の一目を置く番組雰囲気によくなる。確かに当番組を連続して視聴していると、タモリは歴史の細かな事象や地質学の専門的な事柄を割合よく知っているのである。

しかし最近でこそお笑いタレントのタモリは、なかなかの高齢で、もはや芸能界のベテラン大御所であり、歴史地理にも詳しい教養ある文化人的な落ち着いた大人の好印象であるが、昔はこの人は「クレーム殺到の下品な低俗タレント」な振る舞いと世間一般からの認知で、なかなかヒドかったけどなぁ。私が子どもの頃の1970年代や80年代はタモリも壮年期の30代40代で、何かこの人は男が前面に出て異常にギラギラしていたし。当時、タモリは女性雑誌のランキングで「抱かれたくない男」の第1位によくなっていた(笑)。また「卓球をやっている人はネクラで陰気」とか、「名古屋は東京と大阪にはさまれた田舎で、名古屋弁はおかしい」など卓球や名古屋を馬鹿にして、くだらないことばかり言っていた。昔は下品な低俗タレントのイメージがあったけれど、最近はタモリもイメージチェンジして出世したよな(笑)。

さて岩波新書の赤、金田章裕「景観からよむ日本の歴史」(2020年)は、そんなタモリの「ブラタモリ」の番組を地で行くような歴史地理学の新書であり、内容もかの「ブラタモリ」の歴史地理に特化した街歩き散策のそれにどことなく似ている。近年、東京大学の二次試験の日本史論述でも鎌倉時代の古地図の図版史料を示し、そこから当時の荘園制と地頭支配や産業の発展を答えさせる論述問題があった(2001年度)。もしかしたら今、着実に来ているのか!?歴史地理学の人気で流行の波が。 

「私たちが日ごろ何気なく目にする景観には、幾層にも歴史が積み重なっている。『景観史』を提唱してきた歴史地理学者が、写真や古地図を手がかりに、景観のなかに人々の営みの軌跡を探る。古都京都の変遷、古代の地域開発、中世の荘園支配、近世の城下町形成など各地の事例をよみとくその手法は、町歩きや旅の散策にも最適」(表紙カバー裏解説)

岩波新書「景観からよむ日本の歴史」は読んでそれなりに面白いが、あえて本書の難点を言わせてもらえるなら、まず取り上げる話題が古代の土地区画から中世の境界認識、近世の町村区画、近代の地籍図の話に至るまで、新書一冊の比較的制限された少ない紙数の内に多くトピックを詰め込み過ぎて歴史地理学の各話題にそこまで多くの字数を割(さ)いて深く論じていないため、読んで話が淡白で案外とりとめもない。読了しても、そこまで本新書中の各話題が強く印象に残らない。著者は新書一冊で、もう少し取り上げる話題を厳選吟味し少なくして掘り下げ、より深い所まで詳細な考察を披露してもよかったのではないか。

また本書を読んでいると、「景観史」という言葉は著者が造語して1998年に初めて自著タイトルに使ったとか、「景観史」における「景観」には、自然の営力でできた「自然景観」と、人の営力が加わった「文化景観」があり、さらに、それらとは別に「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの」(文化財保護法による規定)という「文化的景観」もあるという。こうした「景観」をめぐる著者による非常に細かな、私には比較的どうでもよい(笑)、割合に些末(さまつ)な定義解説や、自分が「景観史」の用語を造語し最初に書名に使用して、やがてその定着普及に至ったとする「景観史」提唱に関する著者による「妙な実績自慢」「手柄の取りたがり」記述が正直、読んで鼻につくといったところか。

岩波新書「景観からよむ日本の歴史」の著者である金田章裕が「景観史」を提唱する前から、地理学の知見を利用して歴史を明らかにする、ないしは歴史学の知識から地理への理解を深める「歴史地理学」はあった。歴史地理学の学問は昔からあったのだ。以前に京都大学に歴史地理学専攻の藤岡謙二郎(1914─85年)という人がいた。私は大学時代、藤岡先生の直接の弟子筋に当たる人が担当した「歴史地理学」の講義を一年間、聴講したことがある。邪馬台国(所在地)論争や平城京の条坊制の古代土地区画の話、平安時代の京都の鴨川(賀茂川)の水量(水位)の話など今でも記憶に残っている。その時に「歴史地理学は面白い」の感慨を私は持ったのだった。

岩波新書の書評(437)広岡達朗「意識改革のすすめ」 野村克也「野村ノート」

(今回は岩波新書ではない、広岡達朗「意識改革のすすめ」、野村克也「野村ノート」についての文章を「岩波新書の書評」ブログではあるが、例外的に載せます。念のため、広岡「意識改革のすすめ」と野村「野村ノート」は岩波新書ではありません。)

「名将」といわれるプロ野球監督の書籍は野球の事柄にとどまらす、一般的な上達法や指導法や組織論として学生の勉強法や社会人の仕事術にも幅広く適用でき、その種の野球書籍は読んでなかなか刺激的で大変に参考になる。

今回は、現役時代は巨人でプレーし引退後はヤクルトと西武の監督を務め両チームをリーグ優勝と日本シリーズ制覇の日本一に導いた広岡達朗、そして現役時代は南海と西武でプレーし現役の時から南海にて選手兼任監督(プレイングマネージャー)を務め、引退後はヤクルトと阪神と楽天の監督をやりチームをリーグ優勝ならびに日本一に何度も導いた野村克也、彼らの野球論の書籍から野球以外でも私達の日常の勉強や仕事にも当てはまる教訓、いうなれば「人が正しく賢明に生き抜くための人生のコツ」の人生訓のようなものを抽出して、以下に明らかにしたい。私は日本のプロ野球や高校野球やメジャーリーグの野球観戦全般が好きなのだが、これらは私が広岡達朗や野村克也の野球論の書籍を読んで昔から「なるほど」と痛く納得し感心して自身の人生訓にして日々思い返し、出来る限り実践してみたいといつも考えていることなのである。

広岡達朗の野球書籍には「意識改革のすすめ」(1983年)や「勝者の方程式」(1988年)がある。広岡達朗は広島県呉市出身で、呉は昔は帝国海軍の軍事施設がある軍港であり、そのため広島呉出身の広岡が指導する厳格規律の組織的野球は厳しい規律の軍隊組織を彷彿(ほうふつ)させ、「海軍野球」とも評されて一時期、話題となった(広岡の著書に「私の海軍式野球」1979年というのがある)。だからというわけでもないだろうが、広岡達朗の野球論の著書を読んでいると、帝国海軍大将で連合艦隊司令長官であった山本五十六の以下の言葉をよく引用し、それを選手を育てる指導者や組織を統率するリーダーのあるべき姿の心得として広岡は頻繁に語っている。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」

私は、広岡達朗の書籍を介して山本五十六のこの言葉を目にし、自分の中で反復する度に「なるほど」と思い知らされる。まず「やってみせ」である。最初に自分が「やってみせ」るのである。人に教えたり指示を出したりする場合、ただこちらから高圧的に「やれ」と命令するだけでは駄目なのである。それでは相手の心に届かず響かない。第一に自分が「やってみせ」て模範の手本を相手に示さなければならない。また実際に「やってみせ」ることで、「この人は自身でも出来る実力ある優れた人なのだ。この人に是非とも教えてもらいたい、この人の命令指示なら何でも一生懸命に聞いて積極的にやろう」の、他者との間での信頼感の醸成、信頼関係の構築にもつながる。事実、広岡達朗は現役時代から遊撃手の守備が非常に上手い選手であって、広岡の守備指導は広岡自身が選手の前で実際に捕球の一連動作を「やってみせ」の指導であったという。何となれば「指導者は自身の身体で見本を示さなければならない」が広岡達朗の野球指導での持論であったのだ。

そうして実際に「やってみせ」選手に手本を示した後、今度は「言って聞かせて」である。ただのヤマ勘や感性の感覚や不毛な根性論ではなくて、しっかりとした筋道の通った合理的な理論の理屈の言葉で説明して、つまりは「言って聞かせて」指導や指示の道筋を出さなくてはいけない。それからやっと初めて相手に「させてみ」る。その上でさらに今度は「ほめてや」る。相手の努力や成果を肯定し認めるようにする。この場合、あからさまに、わざとらしく賞賛したり賛美する褒(ほ)めちぎりでなくてもよい。他者との比較ではなく、過去の自身と比べての上達具合の進歩を認めて「ほめて」あげる。また人によっては、ほめるよりも、あえて厳しく接して当人の反骨心を刺激し相手をノセる指導者としての機転の工夫も時にあるようである。この辺りの事も広岡達朗の書籍を連続して読んでいると頻繁に語られている(例えば西武の監督就任後、ベテランの田淵幸一や若手の石毛宏典に対し、広岡は罵倒し挑発し故意に厳しくして奮起を促し、他方で新人の工藤公康には優しく指導して伸ばす方針をとるなど、選手に応じ臨機応変に指導態度を変えていたという)。

以上のように、最初に「やってみせ」て、次に「言って聞かせて」、それから「させてみせ」、さらに最後に「ほめてや」る(ないしは故意に厳しくする)の順序を経て初めて「人は動く」のであった。これは特に野球指導に限ったことではない。仕事遂行の上でも組織やグループをまわす際にも広く適用できる原理、人間社会での真理のようなものであると私は思う‥

野村克也の野球書籍には「一流の条件」(1986年)や「野村ノート」(2005年)がある。野村克也が志向する野球は「ID野球」と称され一時期、話題となった。野球の動作の際に常に考える、作戦を立てる、過去のデータを活用する、相手の裏をかいて駆け引きで勝つなど。それは従来ともすれば、全力で投げて打って走るだけの思考理論不在の力任せの野球(パワーベースボール)に対する「反」(アンチ)としてあった。また野村克也のID野球は、体力や技術で劣る弱いチームが強いチームに勝つための、いわば「弱者の兵法」としてもあった。

より具体的に言って野村のID野球は、例えば投手と捕手のバッテリーで打者を抑える際、また逆に打者がバッテリーを攻略する際に球種や球筋のコースを考え常に先をよみ予測して相手に勝つ、データや理論重視の頭脳野球である。野村克也の愛弟子にヤクルトで長年、正捕手を務めた古田敦也がいる。野村の著書を読んでいると古田の話はよく出てくる。野村らヤクルト首脳陣は当初「古田は守備の選手であり、打者として全く期待していなかった」という。その古田が打者としても開眼し、下位打線ではなく三番四番のクリーンナップを打ち、ついにはシーズンを通して首位打者にもなった。古田敦也はバッティング技術そのものが他選手よりも突出して優れていたわけではなく、彼は野村の指導の下で捕手の視点から配球で先を読んでヤマをはったり、相手バッテリーとの駆け引きで事前に勝っていた(例えばツーアウトでランナー不在の打席にて、明らかにヒット性の当たりを確実に打ち返せる自身の得意な球種・コースであるのにわざと大袈裟に空振りして「苦手な球筋、明らかにタイミングが合っていない」と思わせる「捨て打席」を事前に作り相手バッテリーをだましておいて、次にランナーがたまったチャンスの打席で、その球種・コースを再度、投げさせ今度はタイムリーを打って手堅く得点するなど、相手を欺(あざむ)く演技の高度な駆け引きのバッティングを古田敦也はよくやっていたという)。

野村克也の野球論の著書を読んでいて、野球人としてあるべき姿として、野村によればそれは「もとはインドのヒンズー教の教えからの引用で、東北のある住職が一部アレンジした」ということだが、次のような格言がよく語られる。私は、野村克也の書籍を介してこの言葉を目にし自分の中で反復する度に、これまた「なるほど」と思い知らされ毎度、感心させられるのであった。

「心が変われば意識が変わる。意識が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わる」

これは儒教の朱子学における「修身、斉家、治国、平天下」(身を修め、家を斉(ととの)え、国を治め、天下を平(たい)らかにする)の言葉を思い起こさせる。国家を治めたり天下を平定する大事に臨み、いきなり「国」や「天下」のそこから始めず、まずは自身に関する「自己修養」の身の回りの小さなことから着実に成して、次に自分の「家」を整え、次第に「国」や「天下」の政治に及んで広く人々を救済する徳治の段階的発展を示すものだ。なるほど、徳治の政治過程が「一身─ 家─ 国─ 天下」と身近な小事から天下の大事へと徐々に段階的に移行している。儒教において、そもそも自己への「修身」をも満足になし得ない徳のない人が、他者を含む「家」や「国」や「天下」を治めることは不可能とされる。まさに「修己治人」(しゅうこちじん・「己を修めることによって人を治める」という儒教における道徳政治の理念)なのであった。

先に引用した野村克也の言葉もそれに似ている。いきなり自己の「運命」や「人生」を変えたりせずに、まずは自身の中にある自己の「心」や「意識」を見つめ直して変える小さなことから着実に始めて、次第にその「心」や「意識」の自己の内面の変化が「行動」や「習慣」となり定着し外部に自然と滲(にじ)み出て、その人の風格の「人格」を形成していき、そうすると形成確立された当人の揺るぎない「人格」が他の人や社会から認められて、遂にはその人の「運命」が変わり「人生」そのものまでもが変わるという趣旨である。ここにおいても自己の気付きの変化の成長の過程が「心─意識 ─行動─習慣─ 人格─運命─人生」と、即で瞬時に変更できる日常的な身近な「心」や「意識」の小事から、なかなか修正が困難な「運命」や「人生」の大事へと徐々に段階的に移行していることが分かる。自身の普段よりの「心」や「意識」の根源から変えていかなければ、自己の「運命」や「人生」など到底、変わるべくもないのである。

これは「名将」といわれた野球監督、野村克也の金言として読んで私はいつも感心する他ない。とりあえず毎回、「心が変われば意識が変わる」から始めて「行動」と「習慣」を改め、せめて自身の「人格」を変え整える所まで何とか到達したいと常々、私は思っている次第である。

岩波新書の書評(436)細谷史代「シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり」

私は前からずっとやってみたくて昔、一回だけやったことがある。寿司屋に入り大トロを食べビールを飲みながら、詩人でありシベリア抑留帰還者であった石原吉郎の「望郷と海」(1972年)を読み返してみたかったのだ。誠に不遜(ふそん)で、亡くなった石原本人や石原吉郎の関係者からお叱(しか)りを受けるかもしれないが、一度はやってみたかった。そして、それをやった時のあの奇妙で複雑な心持ちの感触を一生涯、私は忘れることはないだろう。

石原吉郎は詩人であり、シベリア抑留帰還者であった。「シベリア抑留」に関しては、以下のように簡略にまとめることができる。第二次世界大戦の敗戦時、満州ら主に中国東北地域にて武装解除し投降した多くの日本兵捕虜は、ソビエト連邦からシベリアなどへ移送隔離され長期に渡る抑留生活と奴隷的強制労働を強いられた。このシベリア抑留により、多くの日本人がロシアの地で命を落とした。投降した日本人兵士は強制収容所(スターリン体制下にて、ソ連国内の政治犯や敵国の捕虜を囚人として収容し思想矯正を行う施設)に隔離収容され、満足な食事や休養も与えられず、極寒ロシアの極限の環境下にて材木伐採や鉄道敷設の苛酷労働を長期間に渡り強要されたのであった。

こうした強制収容所(ラーゲリ)での自身の苛酷体験を告白した「収容所文学(ラーゲリ文学)」とでもいうべきものが、かつてナチスのドイツ支配下にて弾圧を受けたユダヤ人や、旧ソ連のスターリン体制下にて「反革命分子」の政治犯として粛清(しゅくせい)された旧ソ連の人々らにより一時期、多く書かれ、非人道的な20世紀の人類の苛酷体験を記録した文学の一分野として後に確立した。詩人でシベリア抑留帰還者であった石原吉郎が復員後に書いた「望郷と海」も、日本人の手によるそのような収容所文学の代表的な名作であると言ってよい。

石原吉郎(1915─77年)は静岡県伊豆の生まれ。東京外国語大学ドイツ部に進学し、在学中はエスペラント語も学び、また詩作や批評の文芸にも励んだ。大学卒業後は民間企業に就職し、後に洗礼を受けキリスト者になっている。そして1939年に応召され帝国陸軍に入隊。石原は外国語大学卒業の経歴から語学優秀であり、ロシア語が出来たため対ソ諜報でハルピンの関東軍情報部に配属される。その後、1945年8月、石原吉郎は29歳の時にハルピンにて日本の敗戦を迎え、同年に石原はソ連軍により逮捕。日本への帰国は許されず、そのままロシアに移送され、多くの日本人捕虜と同様、石原もシベリア抑留にて収容所に拘束され強制労働を余儀なくされる。ただ石原吉郎はロシア語通訳として関東軍情報部に所属していたことから、スパイ罪の戦犯として「有罪」宣告の上での懲役刑の強制労働であった。ゆえに一般の日本人抑留者は戦争捕虜に準じる扱いを受けていたが、スパイ罪の戦犯で懲役刑に処されていた石原の待遇は、通常のシベリア抑留者よりも厳しかったようである。だが、他方で石原はロシア語が出来たため、日本人グループの代表となって監視のソ連兵と交渉の末、収容所内での句会の文化活動なども率先し行った。

そうして1953年12月、石原吉郎はついに復員した。日本の敗戦の1945年からロシアに強制移送され抑留で留め置かれ強制労働に従事させられて、すでに八年の年月が経っていた。今日「詩人・石原吉郎」の名は私達に広く知られているが、日本に帰国当初の石原は当時、大勢いたシベリア抑留帰還者の内の無名の一人でしかないのであって、他の抑留帰還者同様、石原も職を探せど敗戦後の混乱の中で見つからず。ロシア語を始め語学が出来たことから、通訳・翻訳の職種での事務職を見つけるも、当の石原吉郎からすれば「自分が就職し、自分が職場で頭角を現した代わりに同僚が馘首(かくしゅ)され失職する。そのように他人を押しのけてまで自身の職を得たくはない」旨から自主的に退職してしまう。肉体労働に関しては「身体的に働けはするが、かつてのシベリア抑留時の苛酷な屋外労働の記憶が思い起こされ精神的に苦痛で肉体労働そのものに激しい嫌悪を抱く」旨の理由から長期に渡り就労できず。もうこれは、かつてベトナム戦争や湾岸戦争に従軍した米国兵士の間で近年、大きな社会的問題になっている戦争帰還兵に特有の精神的外傷(ストレス)による社会復帰が困難な社会不適応病例の典型症状である。専門の医療従事者による投薬治療やカウンセリング、ならびに国による経済面での公的援助の物心両面からの支援を要する深刻な事態に他ならない。ところが、戦後日本の多くのシベリア抑留帰還者と同様、石原吉郎も戦争の後遺症に人知れず苦しみ、日本の戦後社会の中で新たな時代の流れに乗れず、疎外され孤立していた。

そこで生活のために詩作を始めて懸賞投稿し、またシベリア抑留の自身の苛酷体験も文筆して、それが戦後の日本文学文壇や出版編集者や一般読者に注目され認められる。詩人であり、シベリア抑留帰還者であった石原吉郎の文学的名声は日に日に高まっていった。しかし当の石原本人は、かつてのロシアでの抑留体験を書くことが苦痛で仕方がない。執筆の度に石原は足裏に血豆ができ、それがつぶれて足が血だらけになるまで歩き続けたり、日々飲酒していないと自身の精神を保つことが出来ないような、ほぼアルコール中毒に近い状態になっていた。食事も取らず深酒し、体調を崩して入退院を繰り返す石原へ、知人からの「とにかく酒を断って生きなくちゃいけない」の説得に対し、「生きて、どうすればいいの」と晩年の石原吉郎は答えたという。もう肉体的にも精神的にも相当に疲弊して、追い詰められたギリギリの状態にまで石原は来ていた。

1977年11月、石原は自宅の浴槽で亡くなっているのを、電話に出ないことを心配した知人の訪問により発見される。発見された時、石原は死後一日以上経過していた。飲酒した上で風呂に入ったことが原因の急性心不全とみられている。62歳没。石原吉郎には最期まで苦しい苛酷な人生であった。

以前に石原吉郎「望郷と海」を初めて読んだ時の、生と死の人間実存を考えさせられ心をわし掴(づか)みにされて震撼するような、あの衝撃を私は忘れることができない。石原「望郷と海」は、昔は高校の現代文教科書に教材として載っていた。高校の国語教科書に掲載されていたのは、石原「望郷と海」の「確認されない死のなかで」の部分であったと記憶している。なるほど、石原吉郎「望郷と海」の中でも最良の本当に最高な読み所の箇所を抜粋し掲載している。教科書編集者の抜粋選択眼は非常に確かで優れている。「確認されない死のなかで」の、あの「胴がねじ切れたまま営倉に無造作に放置されている一人のルーマニア人の死体」の衝撃光景の描写はとても印象深く、石原「望郷と海」の幾つかあるクライマックスの読み所のヤマの内の一つではある。

石原吉郎「望郷と海」に関しては、極寒ロシアの強制収容所内での寒さ、飢え、極度の疲労、それに糞尿と嘔吐物にまみれた、人間の尊厳など微塵(みじん)も認められない苛酷な生活環境と強制労働のシベリア抑留体験に加えて、石原がシベリア抑留の厳しい強制労働環境の中で生き延び、ロシアから日本へつながる「海」を日々眺めては日本への引き揚げの「望郷」の思いを重ね、ついに念願かなって日本へ帰国した後、日本の親族たちから彼はどのような仕打ちを受けたのか。旧ソ連共産党の「アカの手先」と疑われ、親族から絶縁を突き付けられる石原吉郎「望郷と海」における苛烈な「望郷」の結末を、私は多くの戦後の日本人に知ってもらいたい。石原にとって誠に辛(つら)かったであろう「望郷」の結末に、「望郷と海」を読み返し石原吉郎のことを思うとき、いつも私は心痛むのである。