アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(442)大竹文雄「行動経済学の使い方」

岩波新書の赤、大竹文雄「行動経済学の使い方」(2019年)の概要はこうだ。

「私たちの生活は起きてから寝るまで意思決定の連続である。しかし、そのほとんどは、習慣的になっていて無意識に行われている。…人間の意思決定には、どのような特徴があるのだろうか。行動経済学は、人間の意思決定のクセを、いくつかの観点で整理してきた。すなわち、確実性効果と損失回避からなりたつプロスペクト理論、時間割引率の特性である現在バイアス、他人の効用や行動に影響を受ける社会的選好、そして合理的推論とは異なる系統的な直感的意思決定であるヒューリスティックスの4つである。つまり、人間の意思決定は合理的なものから予測可能な形でずれる。逆にいえば、行動経済学的な特性を使って、私たちの意思決定をより合理的なものに近づけることができるかもしれない。金銭的なインセンティヴや罰則付きの規制を使わないで、行動経済学的特性を用いて人々の行動をよりよいものにすることをナッジと呼ぶ」(「はじめに」)

そうして本書の効用として、

「この本では、行動経済学の考え方をわかりやすく解説し、行動経済学を使ったナッジの作り方と、仕事、健康、公共政策における具体的な応用例を紹介する。読者は行動経済学の基礎力と応用力を身につけることができるだろう」(「はじめに」ⅰ─ⅳページ)

としている。

著者がいう行動経済学により解明される「人間の意思決定のクセ」の各項目を、あくまでも本新書にある解説に沿ってまとめるとすれば、およそ以下の通りとなる。行動経済学が解明し整理してきた人間の意思決定の型には主に次の4つがある。

(1)「確実性効果と損失回避からなりたつプロスペクト理論」とは、実際の数値確率によるリスクや効用ではなくて、人は選択時に当人にとって不確実性が伴う意思決定においては、明らかに確実なものと、わずかに不確実を含むものとでは、前者の確実なものを強く好む傾向にある(確実性効果)。同様に、人は利得と損失に対する感情(満足と不満)は必ずしも数値的な対照ではなくて、利得よりも損失の方を大きく嫌う。この結果、利得と損失とが同程度ある場合、人は最初から損失を回避するような意思決定をしやすい(損失回避)というものである。

「確実性効果と損失回避からなりたつプロスペクト理論」に関係する事柄として以下のものがある。「フレーミング効果」(損失回避や確実性効果を背景にして、同じ内容であっても表現方法が異なるだけで人々の意思決定が異なること。例えば、顧客を操作して任意の消費行動に誘導するには「損失回避」と「確実性」を強調するような説明や宣伝の「フレーミング」をやればよい)。「現状維持バイアス」(現状変更が望ましい場合でも、現状を参照点と見なしてそれからの変更を損失と感じてしまう損失回避が発生するため、常に現状維持を好む保守的傾向)。「保有効果」(すでに所有しているものの価値を高く見積もり、ものを所有する前と所有した後で、そのものに対する価値の見積もりを変えてしまう特性のこと。一度所有してしまうと保有効果により現状維持バイアスが働いて、その保有物に対する価値が高くなったり、そのものを手放したくない感情行動、俗にいう「愛着が出る・増す」などの感情に襲われる)。

(2)「時間割引率の特性である現在バイアス」とは、現在時点での一時的な見通しや感情に錯覚依存して、人は遠い将来への行動は先延ばしにして選択行動せず、かつ近い将来の行動は積極的に選択し実践する傾向にある(「現在バイアスから生じる先延ばし行動」)というものである。

「時間割引率の特性である現在バイアス」に関しては、「コミットメント手段の利用」(「現在バイアスから生じる先延ばし行動」を回避するための有効手段利用のこと。例えば、あらかじめ計画して行動手順の段取りを備える、目標や締め切りやノルマを事前に細かく決めておく、ノルマや締め切りを達成したり守れなかったりした場合の賞与と罰則の設定など)がある。また「コミットメント手段」を利用して現在バイアスから生じる先延ばしを防いでいる人のことを、行動経済学では「賢明な人」と呼ぶ。これに対し、現在バイアスがあるにもかかわらず、自分には現在バイアスはないと思っている人のことを「単純な人」と呼ぶ。行動経済学において「単純な人」と呼ばれる人は、先延ばし行動をとってしまい、忍耐強い計画を立てることはできても計画実行の時点になるとその計画を反故(ほご)にしたり先延ばししたりして、結果的に近視的な行動をとる。

(3)「他人の効用や行動に影響を受ける社会的選好」とは、人は自分自身の物的・金銭的選好に加えて、自分以外の社会的な他者の物的・金銭的利得へ関心を示す選好(「社会的選好」)により、当人の経済行動が規定されるというものである。

「社会的選好」には以下の3つがある。(a)「利他性」(他人の満足度が上がると自分も幸福になる利他の心情に基づき、そのように選択行動すること。これには、他人の幸福度が高まることが、そのまま自分の幸福度を高めると感じられる「純粋な利他性」と、他人のためになる行動や寄付等をする自身の利他行動自体に喜びを得て、そのように選択行動する「ウォーム・グロー(暖かな光)」がある)。(b)「互恵性」(他人が自分にしてくれた利得や恩恵行為に対し、それを返すという選好のこと。利得や恩恵を与えてくれた人に対し直接に返す場合は「直接互恵性」、別の人に利得や恩恵を返すことで間接的に返すことを「間接互恵性」と呼ぶ)。(c)「不平等回避」(他人よりも自分が高いことや低いことの、他者との不平等が自身の満足感を下げ、結果その不平等回避となるよう個人が行動すること。「優位の不平等回避」の場合には、自分が他者よりも恵まれている状況に悲しい気持ちになるので、恵まれない他者に再分配して自己の満足を得るような選択行動を取る。逆に「劣位の不平等回復」では、自分よりも恵まれている他者に不満を抱いて自身の劣位の不平等回復を他者や社会全体に求める行動をとる。いつの時代でも社会では優位の不平等回避よりも劣位の不平等回避の方が強い人が多い傾向にある)

(4)「合理的推論とは異なる系統的な直感的意思決定であるヒューリスティックス」とは、合理的な推論に基づくそれではなくて、しばしば人は系統的に偏(かたよ)った非合理な直感的意思決定を行うというものである。従来の伝統的経済学では、人間は得られる情報を最大限に用いて合理的な推論に基づき意思決定すると考えられてきたが、実際にはそうした合理的意思決定に際し情報収集や想定計算ら、あらかじめ思考費用の負担がかかるため、人は「ヒューリスティックス」と呼ばれる時に安直とも思われる安易な直感的意思決定をよくしてしまう。「ヒューリスティックス」とは「近道による意思決定」という意味だ。

「合理的推論とは異なる系統的な直感的意思決定であるヒューリスティックス」には、例えば以下のものがある。「意思力」(精神的あるいは肉体的に疲労している時、人間の意思決定能力そのものが低下し、人は正常な合理的判断ができなくなる)。「選択過剰負荷と情報過剰負荷」(意思決定における選択肢が多い場合、どれを選ぶかが困難になり結局、意思決定そのものをしなくなる。同様に情報が多すぎると情報を正しく評価して良い意思決定ができなくなる)。「利用可能性ヒューリスティックス」(正確な情報を手に入れないか、そうした情報を利用しないで身近な情報や即座に思い浮かぶような知識をもとに意思決定をしてしまう)。「アンカリング効果」(全く無意味な数字であっても、最初に与えられた数字を参照点として無意識に用いてしまい、その数字に後の一連の意思決定が左右される)など。

以上、行動経済学が指摘する人間の意思決定の4つの指標に関する引用説明が長くなったが、岩波新書「行動経済学の使い方」を始めとして行動経済学に関する書籍を読んで私が知る限りでは、かの行動経済学の本領は従前の伝統的経済学への対抗批判にあり、行動経済学の本質をなす幾つかの柱の内で最重要な一番の読み所は、不確実性のもとでの人間の意思決定には無意識な習慣性や時に非合理な心理的なものが相当な割合を占めるので、非合理なそれら心理的要素を経済理論構築に繰り込まなければならないという主張の立場である。従来の経済学では、計算能力が高く情報を最大限に利用して自分の利益を最大にする合理的な行動計画を立て、それを確実に実行できるような人間像を考えてきた。ところが、行動経済学によれば、個人の消費行動でも企業組織や国家法人の経済活動においても、そのような合理的意思決定ではなくて、その時々の極めて非合理で不確実な人間心理(損実回避や確実性確保の衝動、現在バイアスによる錯覚、他者との間での社会的選好、ヒューリスティックスという直感的決定)に人の意思決定や経済行動は大きく左右される、とするのであった。

昨今、流行人気の行動経済学である。私は行動経済学にもともと懐疑的であり、かなり否定的であるので、岩波新書の大竹文雄「行動経済学の使い方」を含めて行動経済学に関する書籍はそこまで真面目に読む気になれなかったし事実、これまで真面目に読んでいない。今の世の中には唾棄(だき)して回避すべき、興味を持って積極的に関わってはいけない恐るべき行動経済学(もどき)な知恵・知識の開陳や方法教授の罠があふれている。このことは、今日のインターネット上での情報商材や街の書店のビジネス書や自己啓蒙書籍に行動経済学理論がよく取り上げられていることからも明白だ。

従来の伝統的経済学への対抗批判として現れ、人間の意思決定や経済行動には、合理的で理性的な判断よりも、時に非合理な心理的要素に左右されるとする行動経済学の理論には、そうした非合理で不確かな人間の心理的錯覚を逆手に取り、顧客を消費選択行動に暗に誘導しようとする霊感催眠商法の詐欺まがいや、今日のネット上での怪しい販売サイトの手法にも通じる「他者の操作」という反倫理的な問題を少なからず含む。

よくよく考えてみれば行動経済学にて理論的に指摘されているものは、わざわざ「行動経済学」という学問として理論化させなくても、昔から路上のテキ屋の物売りや霊感催眠商法の詐欺まがいや今日のネット上での怪しい販売サイトにて、その手法は経験的に知られ、その筋の人達により伝統的に長く一部悪用され続けてきたものだ。

例えば、前述の「確実性効果と損失回避からなりたつプロスペクト理論」における「フレーミング効果」での、買い手の損実回避の嗜好を刺激して購買行動を相手に促すやり方は、映画「男はつらいよ」の主人公・車寅次郎が日常的に毎回やっているような、なめらかな口上の話術にて相手をその気させ、半額から始めて客とのやり取りで最後は7割や8割の異常な値引きをし、客に根負けしたふりをして「こうならヤケだ、持ってけ泥棒!」で買い手の名乗りを上げさせる伝統的なテキ屋の口上、はたまた割と高額な健康サプリメント商品をなぜか日割りに換算して「1日あたり、たったこれだけ!」の割安感を無駄に強調しての商品販売など、その典型だ。特に行動経済学に熟知していなくても、正常な常識的判断ができる人なら「もともとの原価が安く、始めから定価を異常な高額に定めているため、最終的に7割や8割の大幅値引きをしても、それでも利益が出るような仕組みになっているのだろう」と醒(さ)めた目でテキ屋の叩き売り口上を軽くいなしたり、「なぜ商品価格をわざわざ日割り換算にするのか!?どんな高額商品でも日割りに変換すれば数字的に安くなり、割安感をアピールできてしまう 」と健康サプリの「フレーミング効果」を狙った大げさな宣伝広告に冷静なツッコミを入れたりする。その程度の、昔からあって伝統的に悪用され続けてきた「経済理論らしき」だましの手口でしかない。昨今、行動経済学の理論として持ち上げられ、もてはやされているものは。

その他、「合理的推論とは異なる系統的な直感的意思決定であるヒューリスティックス」における「選択過剰負荷と情報過剰負荷」に即し、契約書内容や販売目録にて、わざと選択肢を増やし情報を過剰に提供したり、逆に極度に選択肢を減らし、その中から「不自由な選択」を強制的にさせたりして結果、異常に偏り制約された選択肢と情報提供下にて顧客を購買行動に暗に、しかし強力に誘導する詐欺商法の事例も昔から今日に至るまで数多くある。

岩波新書「行動経済学の使い方」の著者である大竹文雄は、そういった今日、行動経済学の理論とされるものが、本当は昔から路上のテキ屋の物売りや霊感催眠商法の詐欺まがいや今日のネット上での怪しい販売サイトにて、その手法は経験的に知られ、その筋の人達により伝統的に長く一部悪用され続けてきたものであることを実は知っているのである。何しろ、その手の行動経済学の理論に該当するものが昔からあって、霊感催眠商法や一部のネット上での販売サイトや情報商材の商売にて活用されてきた「行動経済学の(不適切で怪しい)使い方」の実態の現実をそもそも知らなければ、わざわざ自著に「行動経済学の使い方」というような、「行動経済学の(適切な正しい)使い方」を読者に指南するような書籍タイトルにしないだろう(笑)。しかも著者の大竹文雄は、本書にて「行動経済学の使い方」を述べる際には「ナッジ」(行動経済学的手段を用いて選択の自由を確保しながら、金銭的なインセンティブや罰則規制を用いないで合理的な行動変容を引き起こすこと)という正当価値誘導への概念を噛(か)ませてた上での限定されて稀有な、行動経済学のより適切で正しい「使い方」を勧めるのであった(いわゆる「スラッジ」への対抗対策)。

以上のことを踏まえると、最終的には行動経済学を肯定し、これを経済学の一分野の学問として確立させたい著者の行動経済学振興の経済学者の立場からして、私のような行動経済学に対し否定的であり不遜(ふそん)な立場の、「よくよく考えてみれば行動経済学にて理論的に指摘されているものは、わざわざ『行動経済学』という学問として理論化させなくても、昔から路上のテキ屋の物売りや霊感催眠商法の詐欺まがいや今日のネット上での怪しい販売サイトにて、その手法は経験的に知られ、その筋の人達により伝統的に長く一部悪用され続けてきたもの」とするような理解に反論し、「確かに行動経済学には他者の意思決定や経済行動を操作し心理的に誘導する要素もあるが、それだけではない。行動経済学は大いに使えるべきものである」旨を著者が力説する、本新書にての「ナッジは危険なのか?」の節(74─77ページ)は、なかなかの読み所と言える。

岩波新書の赤、大竹文雄「行動経済学の使い方」を実際に手に取り読む人は、「ナッジは危険なのか?」の節での著者による行動経済学の擁護と持ち上げの一連の記述に注目していただきたい。この箇所が本新書の一つのヤマの読み所である。