アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(438)金田章裕「景観からよむ日本の歴史」

私はテレビといえば、せいぜいニュースと天気予報を毎日、軽く見る程度なのだが最近、面白くてよく視聴している番組があった。NHKの「ブラタモリ」(2008─24年 )である。この番組は、歴史地理的な地形や景観に特化した散策ロケ番組で、開墾・干拓事業や街道・水路・護岸・橋の整備や寺院・城・官庁建物の配置、河川・池・坂道の形状や地質学に基づいた長年の地形変化などの知見を街歩きに盛り込んだ学術的な教養バラエティの要素があって面白い。散策する地域も昔の江戸の東京各地、日光、横浜、鎌倉、箱根、大坂、京都、奈良、出雲、博多、別府らの特集回がこれまでにあった。

毎回、タモリがNHKの女性アナウンサーと共に散策して、そこに歴史地理学や地質学の研究者や郷土史家が解説を便宜、加える案内人として参加し番組ロケは進む。その際にタモリに歴史学や地質学の専門的なことを尋ねて毎回、タモリがそれとなく正解を答えて、「さすがはタモリさん、よく分かっていらっしゃる」のような、タモリに尊敬の一目を置く番組雰囲気によくなる。確かに当番組を連続して視聴していると、タモリは歴史の細かな事象や地質学の専門的な事柄を割合よく知っているのである。

しかし最近でこそお笑いタレントのタモリは、なかなかの高齢で、もはや芸能界のベテラン大御所であり、歴史地理にも詳しい教養ある文化人的な落ち着いた大人の好印象であるが、昔はこの人は「クレーム殺到の下品な低俗タレント」な振る舞いと世間一般からの認知で、なかなかヒドかったけどなぁ。私が子どもの頃の1970年代や80年代はタモリも壮年期の30代40代で、何かこの人は男が前面に出て異常にギラギラしていたし。当時、タモリは女性雑誌のランキングで「抱かれたくない男」の第1位によくなっていた(笑)。また「卓球をやっている人はネクラで陰気」とか、「名古屋は東京と大阪にはさまれた田舎で、名古屋弁はおかしい」など卓球や名古屋を馬鹿にして、くだらないことばかり言っていた。昔は下品な低俗タレントのイメージがあったけれど、最近はタモリもイメージチェンジして出世したよな(笑)。

さて岩波新書の赤、金田章裕「景観からよむ日本の歴史」(2020年)は、そんなタモリの「ブラタモリ」の番組を地で行くような歴史地理学の新書であり、内容もかの「ブラタモリ」の歴史地理に特化した街歩き散策のそれにどことなく似ている。近年、東京大学の二次試験の日本史論述でも鎌倉時代の古地図の図版史料を示し、そこから当時の荘園制と地頭支配や産業の発展を答えさせる論述問題があった(2001年度)。もしかしたら今、着実に来ているのか!?歴史地理学の人気で流行の波が。 

「私たちが日ごろ何気なく目にする景観には、幾層にも歴史が積み重なっている。『景観史』を提唱してきた歴史地理学者が、写真や古地図を手がかりに、景観のなかに人々の営みの軌跡を探る。古都京都の変遷、古代の地域開発、中世の荘園支配、近世の城下町形成など各地の事例をよみとくその手法は、町歩きや旅の散策にも最適」(表紙カバー裏解説)

岩波新書「景観からよむ日本の歴史」は読んでそれなりに面白いが、あえて本書の難点を言わせてもらえるなら、まず取り上げる話題が古代の土地区画から中世の境界認識、近世の町村区画、近代の地籍図の話に至るまで、新書一冊の比較的制限された少ない紙数の内に多くトピックを詰め込み過ぎて歴史地理学の各話題にそこまで多くの字数を割(さ)いて深く論じていないため、読んで話が淡白で案外とりとめもない。読了しても、そこまで本新書中の各話題が強く印象に残らない。著者は新書一冊で、もう少し取り上げる話題を厳選吟味し少なくして掘り下げ、より深い所まで詳細な考察を披露してもよかったのではないか。

また本書を読んでいると、「景観史」という言葉は著者が造語して1998年に初めて自著タイトルに使ったとか、「景観史」における「景観」には、自然の営力でできた「自然景観」と、人の営力が加わった「文化景観」があり、さらに、それらとは別に「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの」(文化財保護法による規定)という「文化的景観」もあるという。こうした「景観」をめぐる著者による非常に細かな、私には比較的どうでもよい(笑)、割合に些末(さまつ)な定義解説や、自分が「景観史」の用語を造語し最初に書名に使用して、やがてその定着普及に至ったとする「景観史」提唱に関する著者による「妙な実績自慢」「手柄の取りたがり」記述が正直、読んで鼻につくといったところか。

岩波新書「景観からよむ日本の歴史」の著者である金田章裕が「景観史」を提唱する前から、地理学の知見を利用して歴史を明らかにする、ないしは歴史学の知識から地理への理解を深める「歴史地理学」はあった。歴史地理学の学問は昔からあったのだ。以前に京都大学に歴史地理学専攻の藤岡謙二郎(1914─85年)という人がいた。私は大学時代、藤岡先生の直接の弟子筋に当たる人が担当した「歴史地理学」の講義を一年間、聴講したことがある。邪馬台国(所在地)論争や平城京の条坊制の古代土地区画の話、平安時代の京都の鴨川(賀茂川)の水量(水位)の話など今でも記憶に残っている。その時に「歴史地理学は面白い」の感慨を私は持ったのだった。