アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(16)加藤典洋「村上春樹は、むずかしい」

岩波新書の赤、加藤典洋「村上春樹は、むずかしい」(2015年)の表紙カバー裏には次のようにある。

「はたして村上文学は、大衆的な人気に支えられる文学にとどまるものなのか。文学的達成があるとすれば、その真価とはなにか。『わかりにくい』村上春樹、『むずかしい』村上春樹、誰にも理解されていない村上春樹の文学像について、全作品を詳細に読み解いてきた著者ならではの視座から、その核心を提示する」

さらに本書の書き出しは以下である。「この本がめざすのは、村上春樹の文学的達成の実質を計量することである」。書籍のタイトル通り、「村上春樹は、むずかしい」のだろうか。この新書を読む限り、本書にて加藤典洋が展開している村上春樹論に関し「村上春樹は、むずかしい」ことはない、むしろ「わかりやすい」村上春樹、「村上春樹は、むずかしくない」という読後の感想だ。というのも、加藤が本書にて取っている文芸批評の手法が従来のものと違い、つまりは村上文学の各作品に即した主題や事前に綿密に計算された表現技法の試みや記述形式に託(たく)された作家の意図や、その成功可否の見届け、そういったものを作品別に掘り下げていく従来の文芸批評な読みではなくて、村上春樹のデビュー作から現在の最新作に至るまでの彼の文学者としての歩みを時系列の一本線で押さえ追跡し、小説を書き継ぐにつれて、その都度文学的な課題に突きあたり、その課題を乗り越えながら、その途上で「なぜ村上春樹は小説を書き続けるのか」といった文学者にとって作品を創作することの根源的意味の深化の過程を明らかにしようとする、いわば歴史学の思想史研究のような、そういった性格の村上春樹論を加藤は本書に限って、おそらくは自覚的にあえて選択しやっている。だから結果、この書籍での「村上春樹は、むずかしくない」のだろうと私は思う。

本書の概要はおよそ以下の通りである。村上春樹のデビューから現在に至るまで彼の作家キャリアを追跡するにあたり、時系列に整序し主に4つの時代に区分して村上文学の内容深化の過程を述べる。

まずは「第1部・否定性のゆくえ・1979─87年」だ。デビュー作「風の歌を聴け」(1979年)の「金持ちなんてみんな糞くらえさ」「気分が良くて何が悪い?」のコピーを、同時代の村上龍の「うまい!やりたい!うれしい!」の肯定性の単純さのコピーと比較対照させながら、初期・村上春樹において、原初的な近代の単純な否定性を陳腐化して生成された 「悲哀にみちた否定性」という「新しい」否定性を見出だす。その「悲哀にみちた否定性」は「中国行きのスロウ・ボート」(1980年)にて、具体的に日本の大陸での戦争で「戦地で死んでいった人々のため」に祈る村上の実父の「私に入ってくる」イメージ喚起を経て、「死はなぜかしら僕に、中国人のことを思い出させる」という「単純な否定性、単に語られる罪責感で終わらない『否定性』の露出」となり、「貧乏な叔母さんの話」(1980年)では「貧しい人々」(プロレタリアート)への自身の罪障感の強迫意識、「ニューヨーク炭鉱の悲劇」(1981年)では新左翼の学生運動「内ゲバ」死者への関心として具現化され、さらには「パン屋襲撃」(1981年)にて「悲哀にみちた否定性」を否定・無化する高度資本主義なポストモダンの消費社会批判の文脈も加味される。

しかしながら、そうした「悲哀にみちた否定性」やポストモダンな消費社会批判は、やがて理想、反逆、連帯の消失状況の中で時代の喪失感を村上に痛感させ、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」(1985年)にて村上の中で「内閉性の浮上」をきたす。ここに「悲哀にみちた否定性」から「抵抗としてのデタッチメント」(現実離脱)への傾斜を加藤は見る。だが「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」における、そういった現実離脱の「内閉性」の突きつめの抵抗の耐用期限はやがて切れる。

そこで「第2部・磁石のきかない世界で・1987─99年」の次のステージへ移行する。この中期は「ノルウェイの森」(1987年)を契機に、かつての内閉性の「孤=個」を基点とする文学から男女一対の「対」を基軸とする文学へと変わる。居心地のよい現実離脱の「デタッチメントな個の世界」が崩壊し、他者との繋(つな)がりや喪失を味わう「コミットメントな対の世界」へ移行する。さらには「対の世界」を越えた他者が全面的に出てきて、例えばそれは「ねじまき鳥クロニクル」(1995年)での歴史記述の露出、例のあの有名な「ノモンハンでの皮剥ぎ刑」の描写となって作品上に現れる。

このように村上が「個の世界」を手放して、対の他者や共同体の社会の歴史に関与するようになったのは、この時期に彼がアメリカに4年間住んで個人として逃げ出すよりも自分の社会的責任を考えてみたいと思うようになったこと、また物語が個を解体し、しかし、それでも自分の無意識の闇を追究した時、その自身の無意識の底に「歴史」が現れてきたことに由来する。それから「アンダーグラウンド」(1997年)と「約束された場所で」(1998年)にて1995年に起きたオウム真理教の地下鉄サリン事件での被害者と加害者側のオウム真理教元信者への聞き書きを「ノンフィクション的」手法でまとめ、これまで「個の世界」に自閉してた村上春樹が「対の世界」のみならず、自身が所属の共同体の「歴史」や現在進行形の「社会」の事件に直接的に関与し、「時代とのせめぎあい」に自分の身を積極的にさらす大きな転換期を迎える。この転機の大転換についての加藤の述べ方は、「村上春樹、武装解除される」(笑)。

それから「第3部・闇の奥へ・1999─2010年」へ移る。第2部の「対の関係」が主に恋愛や結婚や夫婦といった「横軸」の繋がりであったのに対し、この第3部では先生と生徒、年上と年下、父と子といった「縦軸」へと他者との繋(つな)がりが責任ある社会的役割に拡充する。思えば、村上春樹という人はフリーのいつでも降りられる職業仕事の自由人や独身男性のみで、定職ある会社勤めの社会人や父親など一定の社会的責任の役割ある規範ある父性な人物をこれまで自作品に書いてこなかった。そうした小説上の登場人物の変化は「神の子どもたちはみな踊る」(1999年)、「海辺のカフカ」(2002年)にて一人称の語り手である「僕」からの離脱である「私」から「彼」への三人称への移行の書き方変化に表れている。また「海辺のカフカ」「アフターダーク」における隠喩から換喩へ、他界から異界へ、村上文学の小説世界が単に現実の社会と接点を持ち開かれていくだけでなく、より重層的に充実していく。

そして最後に、「終りに・『大きな主題と小さな主題・三・一一以後の展開」となる。オウムの事件を経て、さらに数十年後に東日本大震災での福島第一原子力発電所の過酷事故が発生した。その三・一一の原発事故を受けてのスペインのカタルーニャ国際賞の授賞スピーチにて、反原発の反核という「倫理と規範」を村上春樹は語る。「唯一の被爆国である日本」が、戦後一貫して原子力エネルギー政策を推進してきたことに対する村上の批判である。ここに至って、原発事故に対する倫理責任追及や戦時暴力の日本の戦争責任問題追及といった「損なわれた倫理や規範の再生」「新しい倫理や規範と新しい言葉とを連結させ、生き生きとした新しい物語をそこに芽生えさせ立ち上げて」いくという自身へ課する「大きな主題」の課題に現在の最新の村上文学は到達している。

以上のように村上春樹の文学仕事の遍歴をデビューから現在まで時代区分を施し、時系列で一貫して追跡して、そうして最後に加藤は村上文学の現在をしみじみと総括する、「思えば村上春樹も遠くまできたのである」と。

「人に歴史あり」だ。やはりデビュー時からの「悲哀にみちた否定性」という著者による分析評論が非常に優れている。村上春樹という人は、やがては来る1980年代のポストモダンな高度資本主義肯定の「ポップなもの」の礼賛は安易に出来ないし、また同様に80年代以前に文化主流であった1960年、70年代よりの政治運動、「戦後民主主義」理念のような「原初的な近代の単純な否定性」にも簡単に行けない。前者の「単純な肯定性」の例として、村上春樹と同時代デビューで単に名字が同じ「村上」だっため(笑)、気の毒なまでに「二人の村上」として何かと比較されていた村上龍を本書でも「単純な肯定性」の例として挙げ、「悲哀にみちた否定性」の村上春樹と相変わらず対比させる。

かたや「原初的な近代の単純な否定性」の例として、不思議なことになぜか本書では具体的に述べらていないのであるが、その例を挙げるとすれば、反核発言や戦争責任の議論を通して「自分とは異質な他者との繋がり模索」を自身の文学の中心テーマとし、一貫して文学の仕事をしてきた大江健三郎になるはずだ。大江は、長編デビューの「芽むしり仔撃ち」(1958年)から「ヒロシマ・ノート」(1965年)や「万延元年のフットボール」(1967年)や「核時代の想像力」(1970年)ら、自由・平和の普遍権利の規範や社会的弱者との共感といった倫理的想像力たる戦後民主主義の、いわゆる「戦後的なもの」の理念を守り、「原初的な近代の単純な否定性」の文学をやってきた人である。大江は文学をやりながら内向せず、外部の歴史や政治や社会の他者に開かれ繋がりを持ち一貫してブレずにやれた。またその過程で障がいをもって生まれた息子のことを即自身の作品テーマに取り入れて、自分には理解できない、自分が試される偉大な他者を自身の中に繰り込んで血肉化させていく作業をその都度やり、自身の文学世界を補強していった。現実世界に対する「原初的な近代の単純な否定性」を連続して保ち、比較的安定した立ち位置で大江健三郎はやってきた。

たが、村上春樹は違った。「悲哀にみちた否定性」から作家キャリアをスタートさせて、後にすぐ「個の世界」の現実離脱な内向性の潜(もぐ)り込みの一定期間を経て、やっとその後に歴史と社会に向き合う「新しい倫理や規範と新しい言葉を連結させた新しい文学」を説く現在位置にまで至る。そういった紆余曲折のジクザクがあって、村上春樹は大江健三郎のように直線的には行かないわけだ。大江文学は、最初から密閉遮断された空間集団の中での人的抑圧関係の政治社会的なモチーフが前面の主要テーマでスラスラ出るが、村上文学は簡単に政治社会に行かない。政治や社会の他者と全く関係のない現実離脱の自閉の世界に一度は潜り込み、そうした一見、他者と没交渉な非政治的な内的世界の若者の生活を描く一定の「個の時代」を通過しないと、村上は他者との触れあいを回復して政治社会的な回路が開かれる現在位置にたどり着けなかった。文学者の現在位置で村上と大江は、反核の「日本人と核」の問題を通じての戦後日本の再度の総括や中国大陸での戦時暴力の戦争責任問題で東アジアの他者に触れる主題など、二人は相当に近い立ち位置にあると思われる。しかし、その現在に至るまでの中途の文学仕事の遍歴が全く異なるので、やはり「人に歴史あり」といった感慨を私は持つ。

なるほど、本書を読んですぐに気づくのは、冒頭で引用したような著者の加藤典洋が最初から相当な前のめりで村上文学の「文学的達成があるとすれば、その真価とはなにか」や「この本がめざすのは、村上春樹の文学的達成の実質を計量すること」など、時系列に歴史的過去に遡行(そこう)し、村上文学の成果の「文学的達成の真価や実質」(?)の獲れ高をやたら声高に叫んで手にしたがることだ。加藤にとって望ましい「村上文学の文学的達成の獲れ高の真価」は、現在の村上春樹の立ち位置たる「新しい倫理や規範と新しい言葉を連結させた新しい文学」であり、より具体的に言えば「個の世界や対の世界に自閉せず、他者との繋がりの倫理や自分たち共同体の歴史への責任の規範を持ち、それを文学の主題にし言葉で明確に述べること」である。すなわち、それは文学を通しての、唯一の被爆国たる日本が福島の過酷な原発事故を自身の内に取り込んでの反核の主張や、アジア・太平洋地域の人々や自国の人達に対する戦時暴力の日本の戦争責任追及の姿勢に他ならない。

特に後者の戦争責任追及に関する問題は、自国兵士の追悼とアジアの民衆犠牲者への謝罪、それら両者の優先順位をめぐる「ねじれ」、さらにはアメリカ主導による戦後の日本国憲法制定の「けがれ」といった加藤典洋の「敗戦後論」(1997年)の一連の仕事に直結しており、ここに至って氏の「敗戦後論」の仕事を総体的に読み解き、その「敗戦後論」の全体の中に氏の村上春樹論の仕事を再度、組み入れて理解する作業が必要になってくるはずである。

現時点での私の見立ては、「敗戦後論」と村上春樹論における日本の国家の戦争責任追及や国家を超える普遍的規範確立の追求姿勢の態度に加藤の中で明らかに温度差があり、かなりの落差がある。「敗戦後論」の一連の論考では、高橋哲哉との論争で顕著なように、加藤は戦時暴力の日本の責任追及にて追悼の優先順位や日本国憲法制定の正統性根拠について自国の日本の共同体を保身するような、かなり保守的な立ち位置にいる。ところが村上春樹論になると、今度は反核主張を通しての日本の自己批判や、日本国の戦時暴力を見つめアジア・太平洋地域の人々の他者に架橋する新たな理性と規範の倫理構築を文学を通し強く訴えて、自国の日本への戦争責任追及のトーンは途端に苛烈になる。

加藤典洋(1948─2019年)は、それら「敗戦後論」と村上春樹論との間にある明らかな温度差、かなりの落差にいつ決定的に気づき、自分の中でこの二元論的並走の回収に後々どのように決着を着けるのか、もしくは今後もずっと放置されたままなのか。私は相当な関心がある。