アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(32)三木清「哲学入門」

岩波新書の赤、三木清「哲学入門」(1940年)は「入門」のタイトルがついてはいるが、題名をそのまま信じて初学の方が「哲学入門」として読むと確実に大怪我をする新書本である。初学者向けの「哲学入門」とするには、余りにも内容にクセがあり過ぎる。

著者の三木清も「序」にて「本書は、哲学概論ではない。従って、それは世に行われる概論書の如く哲学史上に現れた種々の説を分類し系統立てることを目的とするものではなく、或いはまた自己の哲学体系を要約して叙述することを目的とするものでもない」旨を述べている。哲学史や哲学概論のように時系列や分野別に系統立て整理して哲学を詳説するのではなく、大まかな議論の流れは想定してあるのだろうが、その都度、哲学概念などに関し三木が考えていることをブレインストーミング的に連発し比較的、自由奔放に述べる。そして三木が挙げた哲学概念と類似な概念をまた次々に挙げてそれとの異同を論じたりで、先が読めない哲学談義が続く。だから、三木の「哲学入門」を読んでいると時系列の歴史展開で構成がしっかりしている哲学史とは異なり、論旨を追って読んではいるが内容を明確に把握できないような、何だか漠然としたフワリとした捉え所のない読後感に包まれる。同様に三木の「人生論ノート」においてもそうだ。しかし、そういった哲学史や哲学概論の定番な論じ方に終始しない奔放自由な議論の運びが、三木清「哲学入門」の読み所の魅力であるともいえる。

三木の「哲学入門」は、冒頭に「序論」を置き全二章からなる。なかでも最初の「序論」は「哲学とは何か」についての三木の論じ方が秀逸であり、読んでいてその論述運びの巧(たく)みさに思わず舌を巻く。三木清は相当にこなれた哲学者の書き手である。冒頭の「序論」での議論の流れを半(なか)ば強引に、あえて公式的にまとめれば以下のようになろう。

「出発点(哲学とは何か)─人間と環境(主観と客観の成立)─本能と知性(人間と動物の相違)─経験(行為)─常識(社会性)≠科学(科学と常識の相違)≠哲学(哲学と科学の相違。哲学とは何か)」

最初に「出発点」たる「哲学とは何か」の問いから始めて、「哲学には考察の対象はない…哲学は無前提の学」と言っておいて、次に「人間と環境」で「人間は環境と共にある現実的存在で、主観と客観の成立」を述べ、続けて「本能と知性」で「人間と動物の相違」を自律的な知性の有無に求める。そして「経験」にて、人間の自律的な知性は「経験」によって知る「経験」の行為に関するもので「経験」行為は習慣形成となる。それから「経験」と類似概念の「常識」を持ってきて、個人の個別的な「経験」に集団文化の社会性が加味されると社会にて法的強制力を持つ「常識」となる。さらには「常識」と類似概念の「科学」を新たに持ってきて、「常識」は技術的・日常的・実定的であるが、「科学」は理論的・観想的・批判的であるとする。そして最後に冒頭で示した「出発点」たる「哲学」を再度持ってきて、今度は「科学」と「哲学」の相違を述べる。「科学」は分化的・専門的で価値中立的で非感情的な客観的・対象的なものの見方であるが、「哲学」は全体の学であり前提の学である。「科学」が客観的な見方に立つのに対し、「哲学」は人間の主体的立場に立つ学で価値の問題を含む。「哲学」は、どこまでも主体的な見方に立つもので、科学の前提となるものを求める学が「哲学」であるとする。そうして「科学」とは異なる「哲学」について、「主体」や「自覚」などの各項目概念に関し、ニーチェやヘーゲルを引用して詳述し「哲学とは何か」の規定内容を詰める。

「序論」の「出発点」にて、三木清は「哲学には考察の対象はない…哲学は無前提の学」と無愛想に語っていたのに後に続く奔放議論な過程を経て「人間と動物」や「経験と常識」や「科学と哲学」など類似概念をその都度ブレインストーミング的に三木が連発し重ね、両者の異同を論じることを通して、結果「序論」の最後には「哲学とは何か」の輪郭(りんかく)が、いつの間にか不思議と浮き出し明確になってくる。哲学史や哲学概論の定番な論じ方に終始しない、こうした奔放自由な、しかし実は事前に練(ね)って十分に考えられているであろう実に巧みで見事な議論の運びが三木清「哲学入門」の最初の読み所であるといえる。

それから第一章「知識の問題」にて認識論を扱い、続く第二章「行為の問題」にて実践倫理を論じる。三木清「哲学入門」は全体にヘーゲル哲学の影響が強く、よって日本近代哲学史の中ではヘーゲルの主客統一問題と終始、共に格闘した西田哲学の京都学派に類する哲学で(例えば本書でも「哲学は学として、特に究極の原理に関する学として統一のあるものでなければならぬ…かようなものとしてここで予想されているのは、私の理解する限りの西田哲学である」とする西田哲学支持の三木の記述あり)、やはり三木清を始めとして西田哲学の京都学派の面々、近代日本の戦前昭和の主な哲学者たちが「なぜに、あそこまでヘーゲルに傾倒し惑溺(わくでき)するヘーゲリアンのヘーゲルイカれ派になってしまうのか」の問題は、三木の「哲学入門」を読む際にも一貫して考えられなければならないだろう。戦前昭和の哲学者たちがヨーロッパ留学して主にドイツ観念論の哲学者に師事したという外的な事情だけでなく、ドイツ観念論哲学と京都学派の戦前の日本哲学との内的連関まで押さえた内在的理解が必要だ。

三木清「哲学入門」は戦時中の1940年初版の岩波新書であるが、それにしても第二章「行為の問題」での三木の実践哲学の書き方がヒドい。第二章「行為の問題」は「道徳的行為」「徳」「行為の目的」の三つの節からなり、カントやヘーゲルを援用した「超越的なもの…真に自己自身に内在的なもの…世界の呼び掛けに応えて世界において形成的に働くこと…自己形成的に働くこと…自己を殺すことによって自己を活かすこと…人間は使命的存在である」の一連記述が、戦時日本の近代天皇制国家の総力戦体制下での国家総動員の主旨に合致する、高度の自発的服従性を国民から遺憾なく引き出す見事なまでの「主体性」理論の哲学になっている。ここまで「自己を殺すことによって自己を活かすこと…人間は使命的存在である」の暗に国家への献身を一心に説く三木清の哲学文章に、当時の戦争遂行の挙国一致内閣や軍部の指導者は必ずや小躍りして喜んだに違いない。それほどまでの時局に迎合した三木清の哲学的文章である。冷静に読んで「カント哲学やヘーゲル哲学への冒涜(ぼうとく)」にも思え、とりあえず私は苦笑いするしかない。結局のところ、この事態は本家ドイツ観念論におけるカントやヘーゲルの志向する絶対や普遍と、戦前昭和の日本哲学の西田幾多郎や三木清らがいう「絶対」や「普遍」のスケール内実が大きく食い違うから、ということになりそうだ。

最後に三木清その人については、三木の生涯そして三木の最期、48歳での若すぎる死。特に彼の死に関し、あまりにも悲痛で残念でここに彼の死の詳細を具体的に記述する気持ちになかなかなれない。三木の家族や親族、友人や同僚たちは非常に残念で悔(くや)しかったと思う。哲学を学んで留学もし学問を立派に修めて、あれほどの著述を世に出すことができた人物が最期にああいう亡くなり方をするというのは。誰よりも三木清本人が一番に残念で悔しかったはずだ。

三木清の生涯を振り返って見ると、大学卒業なりヨーロッパ留学から帰国のタイミングで彼が母校の京都大学文学部哲学科に奉職できなかったことが三木の人生において相当な痛手で、もし三木が京都大学で教師の職を得て哲学研究に邁進していたら、ジャーナリズム畑に足を突っ込んで日本共産党と接触を持ったり、近衛文麿の昭和研究会に出入りしたりでフラフラすることもなかった。三木清の悲劇は、彼が希望していた京大での教師の職を得ようとしたけれど遂には得られなかった、そのことに尽きるような気がする。

私の人生を振り返ってみても、また身近な家族や親族や知人、著名な同時代人や歴史上の人物に関しても、人には生涯に一度か二度「どうしても自分の思いを遂げなければならない、絶対に譲れないし落としてはいけない人生の勝負の岐路」があって、そこで自分の思い通りに出来た人は、その後の人生も比較的スムーズに運よく上手く行く。しかし、その肝心な人生の岐路で自身の思いを遂げられず失策して運を落としてしまった人は、後々もその不運を長く引きずる。そうして後に振り返ってみて、「あのとき失策して上手く行かなかったことに自分の人生の全ての不幸が遠回しに由来している」、そういった人生の真理が人間にはあるように思う。