岩波新書の黄、芝原拓自「世界史のなかの明治維新」(1977年)は無自覚にそのまま読んでしまうと、ありきたりの日本近代史概説だが、この新書が1977年初版であり、当時隆盛を極めていた国内の経済体制矛盾に基づく社会経済学的アプローチと、階級史観に依拠したマルクス主義史観一辺倒の維新史研究との乗り越えを志向した著者の執筆意図を勘案して読むと、実に味わい深く読めるのだから不思議だ。
現在でこそ本新書のような明治維新史概説はありきたりなものに感じてしまうが、特に後者のマルクス主義に基づいた絶対主義体制期の、ないしは市民革命期の諸階級対立の展開として構想する明治維新研究が1970年代は、まだまだ支配的であった。そこで、そうしたマルクス主義などの従来の社会科学分析の正当性を否定するものではないことを著者は断った上で、
「明治維新の変革が、ヨーロッパ諸国のそれとは明らかに異なる歴史的段階で、資本主義世界体制確立の後の国際政治と世界経済の圧力をまともにうけた一九世紀後半の変革であったことの意味と問題性とを、あくまでもその世界史的条件に密着させて考えてみようとおもう」
ヨーロッパ諸国のそれとは明らかに異なる日本の歴史の独自性、当時の日本が置かれていた国際政治と世界経済の状況圧力を踏まえて書かれている。ゆえに本書のタイトルは「世界史のなかの明治維新」なのである。題名に「世界史のなかの」とあるからといって、世界史の西洋史の歴史概念に日本の近代を無理に当てはめて解釈したり(「明治維新の革命は絶対主義革命か、さもなくばブルジョワ市民革命か」)、対外関係の外交史に偏重して本書は明治維新史を概説するものではないことにまずは注意したい。
本新書は史料掲載が頻繁であり、説明の地の文の前後にその内容にあった史料引用がよくなされる。法令条文、図表数値データ、著作引用、発言談話などだ。この地の文を裏打ちする史料引用の出し入れが誠に周到であり、あたかも精巧な打ち筋の詰め将棋の定跡(じょうせき)のように「こういう見通しがあって、史料の内容がこうなのだから、こう言えて結果おのずとこうなる」とするような一つ一つ議論を丁寧に積み重ね、堅実に考察を前に進めていく通史概説の著者の論述が読み手の心に着実に響く。
確かに定番地味ではあるが、堅実堅調な重い感触の読み応(ごた)えがある。芝原「世界史のなかの明治維新」と同手法の明治維新研究として、例えば萩原延壽(はぎはら・のぶとし)「遠い崖・アーネスト・サトウ日記抄」(1980─2001年)、ノーマン「日本における近代国家の成立」(1940年)を挙げることができる。芝原の本書や萩原やノーマンの著作での論述展開とそれに絡(から)めた史料の出し入れを精読し、私は分析的に研究したことが一時期あった。史料引用のタイミングと引用史料の適度な長さ、芝原も萩原もノーマンも事前に精密に考えており、しかしさりげなく自然に記述されていて実に上手いのだ。「この三者はいずれも相当にデキる人達だ」の感慨を私は持った。
ただ私が20代の頃は、本書「世界史のなかの明治維新」のような一つ一つ議論を丁寧に積み重ねて着実に議論を前に進めていく事後実証的な通史概説の明治維新研究よりも、あらかじめ昭和ファシズムの大日本帝国の1945年の敗戦の崩壊があって、そこから逆算して「なぜ日本の近代は国家主義の大陸膨張路線で戦争を繰り返す近代天皇制国家になってしまったのか」を内在的に問い詰めるような、派手で問題史的な思想史研究の方が好きだった。この系統として、例えば藤田省三「天皇制国家の支配原理」(1966年)、橋川文三「ナショナリズム・その神話と論理」(1968年)を挙げることができる。なぜ日本の近代は民主的な国民国家形成が出来ず、絶対主義的で復古な近代天皇制国家になってしまったのか。昭和の超国家主義や日本ファシズムの由来を明治維新や幕末思想にまで遡(さかのぼ)って問題史的に考察する、まさにヨーロッパでのドイツのファシズム原因追及の戦後のフランクフルト学派の日本版のような、ゆえに近代日本に対し総じて批判的であり歴史評価が非常が厳しくなる藤田や橋川の近代思想史研究の仕事が若い時分の自身の好みに合っていた。日本の近代にはアジア・太平洋地域の人々や自国民に対する戦時暴力や市民抑圧の戦争責任の問題があるにもかかわらず、明治維新からの日本近代の歴史を肯定の賛美で美化する保守や右派、反動の国家主義者らに卑劣さを感じ、私は一貫して嫌悪していたから。
しかし、歳をとってくると若い頃の日本近代史研究に関する嗜好(しこう)が変わって、藤田省三や橋川文三のような問題追及の性急で派手な思想史研究よりも、芝原拓自や萩原延壽やノーマンのような一つ一つ議論を丁寧に事後実証的に積み重ねて堅実に議論を前に進めていく地味な通史の近代史概説の方が好みになっていくのだから、自分のことながら意外であった。
さて、芝原「世界史のなかの明治維新」は確かに堅実でオーソドックスな明治維新研究の概説的な名著で読み応えがあるけれど、思想史研究の問題史的な維新論と対照されるように、「なぜ日本の近代は近代天皇制国家であり、富国強兵路線で大陸膨張の衝動を押さえきれずに戦争に明け暮れてしまうのか」その説明がなされない難点がある。それは芝原自身の力量の不足ではなくて、氏が選択した分析の方法論が常に事後説明的で「なぜそうなるのか」問題追及的な内在の考察を明治維新に対し展開できないからだ。常にその論述は既成事実の後追い追認であり、史料を後に添えて堅実堅調に立証を重ねるのみである。
こうした弱点は本書での以下のような著者の記述に象徴的に現れている。東アジアの日本をめぐる資本主義世界体制の圧力、世界市場支配と国際政治への対応を余儀なくされた「世界史のなかの明治維新」について、「幕府の倒壊や維新政府=天皇制国家の威信確立のキイ・ワードは、常に万国対峙であり国威宣揚・国権拡張であった。新政府の威権が、当初から天皇の神権的絶対性にたいする国民の畏怖と服従を媒介として成り立たっていたわけではなかったが、不安定ながらも明治国家は天皇の神権性に依拠した形で内政・外交ともに万国対峙・国威宣揚の施策を一貫して行った」旨を述べた後、芝原は、
「しかしながら、これを『ナショナリズム』で総括することは、かんたんなようでじつはむずかしい。とくに、この語にからむわが国での曖昧(あいまい)な価値的なひびきに、私はこだわった。この語のために、本来は説明が必要なことが説明されたことのようにとりあつかわれる傾向があることを知っているからである。それゆえ、この本ではこの語を禁句として、問題の具体的な考察でおきかえることにしている」
近代日本における天皇制国家の対外政策に関し、東アジアへの国権拡張路線の源泉を探ると、十五年戦争の端緒たる満州事変ではなく、ましてや韓国併合を戦勝後に遂げた日露戦争や台湾を手中に治めた日清戦争でもなく、さらには初期議会の山県有朋の「朝鮮半島は日本の利益線」の外交政略演説でも初期外交の日朝修好条規の不平等条約でもなくて、明治初年に木戸孝允が岩倉具視に進言した征韓断行にまでその源(みなもと)をたどることが出来るのであった。そのことは芝原「世界史のなかの明治維新」を熟読すると、よく分かる。しかも木戸の征韓論の理由とは、対外緊張の切迫を前面に押し出して士族の不満解消と明治新政府の威信強化を内実とする富国強兵路線を推進のため、さらには中国や朝鮮の東アジア諸国に対する優越感と蔑視がそこには併存されていた。ここに「明治外交の原型」があり、明治国家のそれは後にそのまま受け継がれた「近代日本の外交の基本の型」となった。
明治初年において、日本は欧米列強の植民地化支配に抗する自衛戦争画策の危機的状況にはなく、欧米列強からのアジア解放の志向もなく、むしろ木戸孝允の征韓論、同様に大久保利通の征台論の主張にも東アジア諸国への優越蔑視の感情が動機の一つとして根強くあった。このことは史料を添えて本書にて明らかにされている。近代日本の東アジアへの国権拡張の大陸膨張路線の根本は、今日の保守や右派、反動の国家主義者らが称揚するような「自国防衛のためのやむなき自衛戦争」や「対白人からのアジア民族解放のための大義の戦争」ではなかった。明治初年といえば、原料や労働力や市場を求めての列強各国による領土分割で植民地争奪戦の、いわゆる「世界史における帝国主義的段階」の時代にすら未だ入っていなかったのであるから、帝国主義的ナショナリズムのそれですらなかったのである。
確かに「世界史のなかの明治維新」の著者・芝原拓自がいうように近代日本の東アジアへの国権拡張での大陸膨張の支配衝動を「ナショナリズム(の魔術)」の便利な言葉で総括し片付けてしまうのは安直すぎる。だったら、なぜ日本は近隣アジア諸国への侵略的対外政策を明治初年から一貫してブレることなく遂行してきたのか。本当は近隣アジアと協力し連帯して欧米列強の理不尽な圧力に立ち向かう選択もあったはずだからである。しかしながら現実の日本の近代天皇制国家は、そうしたアジアとの連帯の線にはいかなかった。それはなぜなのか。この辺りのことを「ナショナリズム」という価値的な用語で簡単に総括したくない旨を本書にて述べた著者の芝原拓自に対して、机を叩いて身を乗り出して私は問いただしたい所である。だが、その点について本新書では明らかにされない。
本書にて著者の選択している方法が、あくまでも「世界史のなかの明治維新」という外的条件に反射し呼応する形での厳密に史料を付した事後説明であって、「なぜそうなるのか」問題追及的な内在の考察を明治維新史に対し展開できないからである。常にその論述は既成事実の後追い追認の歴史解説であり、史料を後に添えて堅実堅調に実証的に立証を重ねる方法に依拠しているためである。そして著者の芝原拓自が、そうした方法を選択しているゆえである。
方法論とは対象に接近する一つの選択であり、多数ある方法のなかから一つを選ぶということは、その選んだ方法における長所の良さを取って同時に短所の難点も受け入れるということに他ならない。分析のある面にて効果的で遺憾なく長所を発揮するが、他方で至らなさの短所も包含するのが「方法」である。長所のみで構成されて難点や弱点を一切持たない万能な方法など、そもそも存在しない。だから方法論は常に多数ある方法の中からの、長所と短所の双方を押さえた上での主体による自覚的な選択利用であるべきだ。そうした歴史研究における「万能な方法への断念」と「現実的な方法選択の過酷さ」を改めて思い知らされる点でも、岩波新書の芝原拓自「世界史のなかの明治維新」は、史料を絡めた堅実な通史概説の展開記述に加えて明治維新研究の古典の名著といえる。