アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(207)桑原武夫「ルソー」

昔からルソーが好きだ、フランス革命に多大な影響を与えたジャン・ジャック・ルソー(1712─78年)が。ルソーについては岩波新書の青、桑原武夫「ルソー」(1962年)を始めとした既刊の詳しい解説書籍が充実してあるので各自参照してもらいたい。桑原武夫はフランス文学者であるが、この人は京都大学人文科学研究所にてルソー研究をまず共同研究でやり、次にそのフランス革命思想つながりで中江兆民の研究をやっており、桑原のグループによるルソー研究ならびに中江兆民研究は相当に優れている。

以下、ルソーの経歴との関係を主にルソーの思想について簡略に述べてみる。

ルソーはジュネーヴ生まれ、非常に不遇な育ちで、父親が夜逃げしたので16の歳から放浪の旅に出るという恵まれない環境の人となったが、文学と音楽に優れた才能を持ち、女性の保護の下で勉強することが出来た。ルソーは学校に行っておらず、全くの独学であった。

このような青年ルソーがパリに出て文筆家として認められるようになったのは、1749年にディジョン・アカデミーが「学問と芸術の復興は人間の習俗を純化するのに役立ったか」という懸賞論文を出したのに応募して1等に当選したからであった。これが、いわゆる「学問芸術論」(1750年)であり、この著作によって一躍文名が上がりルソーは文筆家として立つこととなった。同じアカデミーが1755年に「人間不平等の起源及び基礎は何か、またそれは自然法によって認められるか」という懸賞論文を出したのにもルソーは応募したが入選を逸した。しかし、この論文は内容的にはさらに重要であって、ルソーの文名は完全に確立した。いわゆる「人間不平等起源論」(1755年)である。

ルソーの思想の特質として、その中心には常に人間の尊厳性の主張があった。

まず、ルソーは理性主義というフランス啓蒙主義を乗り越えることができた。ルソーは、百科全書に体裁よく記載されるような主知的理性主義を批判して、人間の美徳や良心や感性にも言及できた。ルソーは理性や道徳を振り回すだけのリゴリストではなく、人間の感性を大切にして、さらに深い心情の心底からの喜びに人は到達できると考えるのである。例えば以下のように。「良心と独立に理性にのみによっては人はいかなる自然法をも立てることができない。全ての自然法は、もしそれが人間の心情の自然な欲求に基づかないなら、一個の怪物にすぎない」(「エミール」1762年)

次にルソーは歴史哲学の思考の掘り下げを通し「人間(の)不平等起源」を追及し、「ある時から土地に囲いをして『これは俺のもの』と宣言し、そのまま自分の所有にしてしまう」ような、政治社会の最初の建設者を「ペテン師のデタラメ」と容赦なく批判する、私有財産起源からの人間の不平等を糾弾できた。のみならず、人間の心のあり方が文明によって歪(ひず)められているという不均衡的「進歩」の文明批判をも遺憾なく徹底的に展開することができた。いわば文明批判としての「人間不平等起源論」である。

そして人間の物質的貧困格差の不平等指摘は、それを見て見ぬふりをして良しとすることで積極的に文明社会の維持・発展をはかろうとする精神的貧困たる文明精神に対する批判にまで、その射程を持つものであった。つまりは、大きな富の不平等がある文明社会の倒錯状態に対し「これも文明」と肯定し醜悪な事実にわざと覆(おお)いをかけて是認した上でさらなる文明化を図(はか)ろうとするする「常識的な」文明論者の偽善的態度そのものまでを問題にする、いわゆる「イデオロギー批判」をルソーは最も早い時代に展開できたのである。これは後のフォイエルバッハやマルクスがやった人間「疎外」の概念による宗教批判や経済学批判の先駆けをなす画期のイデオロギー批判であった。

さらにルソーは、漠然とした非合理な伝統や権威ではなくて、理性と感情に基づく人間の個人主義的観点から「社会契約論」(1762年)を展開し、政治権力の存在理由を極めて合理的に説明できた。特にルソーにおける一般意志とは、個人が参加して作り出される共同体の意志をさす。それは、まさに共同体の全員によって見出だされ共通の利益を志向する所の一般意志であった。

ところでルソーが登場する以前、絶対主義の時代から国家の統一的・実効的支配の力を意味する「主権」の概念は成立していた。これに後のルソーの「一般意志」の概念が隣接する。一般意志は共同体に属する人間の共通目的や利益の意志であるから、この一般意志が国家の主権概念と結びついてルソーの「社会契約論」では、国家は国王・貴族の家産の私有物ではなくて、国民との契約により現に国家に属している人民のために公的にあるとする人民主権の国民国家の成立にまで、もう相当に近い所まで来ている。この意味において、一般意志を主権に結びつけた人民主権の国民国家形成を理論的に促した点で「ルソーの思想はフランス革命に多大な影響を与えた」と言うことが出来る。

以上のように、(1)理性主義を越えた感性や深い心情に基づく人間理解の教育論(「エミール」)、(2)歴史哲学における人間の不平等起源追及の文明に対する、イデオロギー批判をも含めた容赦のない文明批判(「人間不平等起源論」)、(3)伝統や権威に依(よ)らない、やがては人民主権の国民国家の革命理論につながる合理的な政治権力の国家論(「社会契約論」)の3つの点からルソーの思想を簡略に見たわけであるが、私がルソーを読んでいつも感心するのは、それらルソーの思想の主要素がルソー自身の資質や彼の学問の修(おさ)め方に相当程度に由来していることである。

思えばルソーという人は、大学や神学校や軍隊にて体系的に学問を修めた人ではなくて、放浪の果てに女性パトロンの屋敷に寄宿し、その家の書斎の蔵書を手当たり次第読みまくって独学で学を為すような、海千山千の社会経験を積み重ねて物事を知り尽くした安易に社会常識の型にはまらない、雑食的で実に破天荒な人であった。このためルソーは当時の折り目正しい「常識的な」フランスのサロン文化の百科全書派の啓蒙知識人らに対しても、その理性主義の限界を感性の面から軽々と越えることが出来たし、現在進行形の人間の「進歩」の文明に対し、私有財産の人間不平等の点から、財産所有を享受し現状満足している偽善的な知識人たちへ向けての痛切な文明批判を見事に展開できた。ここにルソーの生活出自と彼の思想との関係を確かに読み取ることが出来る。

その反面、ルソーは感情的で虚言や妄想癖があり猜疑心が強く時に人間嫌いになってしまって人格的に相当に問題がある、周りの者からして「非常に困った人」であった。女性との恋愛でもパトロンとの関係でも同時代の知識人の友人らとの交際にても長続きせず、やがては関係破綻し周囲の皆が扱いに困って最後はいつも孤独になってしまう。ルソーの評伝にて定番紹介される、ルソーを助けて交友したばかりにルソーに振り回されルソーから被(こうむ)ったヒュームの苦労のエピソードは読んでいて気の毒な程である。

そうした実生活にて破天荒で破滅的なルソーであればこそ、「進歩」や「調和」を極めたように一見思える文明に対する批判を容赦なく徹底的なまでに展開できたし、この点からしてルソーは現実世界を合理的に説明づけたり体系理論の構築をする人ではなくて、逆に秩序の設定や問題解決のゴールは何ら見えなくても、実際の社会の欺瞞をイデオロギー批判の次元にまで時に掘り下げ、子どもの教育や文明社会の人間不平等や社会契約による一般意志を介しての国家主権の制御(コントロール)に関する問題をどんどん暴いて白日にさらす、いわば「解決策はないけれども、現実社会の根本問題を次々に暴露し明白にしていく」そのラディカルな破天荒さが魅力な誠に大きな人であった。

社会科学において、体裁よくまとめられた理論体系やありきたりの解決策の提示は、もちろんあるに越したことはないけれど、そこまで重要ではない。より切実に求められるべきは、「一体どこの何が問題であるのか」現実世界に対する本質的で根源的な問題指摘であるのだ。

今日でも有効である、ルソーによる代表制批判の優れた指摘に「英国人は自分では自由だと思っているけれども、自由なのは投票する瞬間だけであって、その後は再び奴隷の状態に戻る」というのがある。確かに、民主主義は個人の自由を尊重し各人の意向を踏まえた最良の方法であって、他のものと比べて一番ましな政治決定の施策ではあるけれど、現代の間接民主政の多数決原理では「間接的であること」と「多数決であること」において、自身の政治的決定が反映されない不幸な主権者は必ず出てくる。そもそも人間個人の主権は間接的に代表他者に委任できるようなものではないし、多数決原理にて全員一致はあり得ず、少数派の人々は意見を押しきられて常に不服の禍根(かこん)を残す。この意味で、「英国人は自分では自由を保障された束縛のない主権者だと思っているけれども、彼が自由なのは選挙で投票する瞬間だけであって、その後は多数派に意見や権利を抑え込まれて再び奴隷の状態に戻る」のである。

それは、ルソーが「社会契約論」にて暗に理想のモデルにしていた古代ギリシアのポリスにての直接民主政においても同様だ。民主的決定にて原理的に全員一致はあり得ず、一部の人達に必ず不満を残す。そうした政治の難題(アポリア)をルソーは皮肉まじりに軽々と指摘できた。それは言うまでもなく、対人交際にておざなりの適応調和ができずに破綻を繰り返す彼の破滅型の人間資質と、雑食的に独学にて一人自在に学んだルソーの学問の修め方に明らかに由来していた。

このルソーの「解決策はないけれども、現実社会の根本問題を次々に暴露し明白にしていく」ラディカルな破天荒さは実に魅力的だ。私は今でも選挙の投票に行く度に、「英国人は自分では自由だと思っているけれども、自由なのは投票する瞬間だけであって、その後は再び奴隷の状態に戻る」のルソーの言葉を思い出し噛(か)みしめて苦笑してしまう。