アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(266)中村禎里「血液循環の発見」

岩波新書の青、中村禎里「血液循環の発見」(1977年)は副題に「ウィリアム・ハーヴィの生涯」とある通り、ハーヴィの評伝である。この新書には教養ある感嘆すべき二人の人物がいる。一人は著者の生物学者で科学史家、厳密には生物史学者の中村禎里である。もう一人はその中村禎里から評伝記述される、血液循環論を立証した生理学者のウィリアム・ハーヴィーである。

著者の中村禎里(1932─2014年)で注目すべきは、本書を貫く氏の丁寧で高踏な語りだ。本新書は何よりも文章が良い。

「科学史上著名な人物といいますと、一七世紀においてはガリレイ、ケプラー、ボイル、ホイヘンス、ニュートン、などの名前があげられるでしょう。本書をお読みのような方がたには、これらの人々の存在、そして場合によっては彼らの事跡さえ常識の範囲に属します。けれども、チェザルピーノ、ファブリチオ、コイター、ハーヴィ、あるいはロウアとなると読者の方にとって必ずしも聞きなれた名とはいえないでしょうし、なかでも彼らの科学への主要な貢献をただされても多くは答えに窮するのではないかと失礼ながら推察します」(「はじめに」)

以上は本新書にての中村禎里の書き出しである。読者に敬意と配慮を示す、上述の氏の丁寧な語りに象徴されるように昔の人の書いた書籍を読むと、この時代の人は今の人達よりも文章が上手いと思う。中村禎里の世代の人には、その丁寧で高踏な語りからしていかにも教養がある。思考と文筆が精密で丁寧で人間が奥深い。昔の社会は今よりも大学進学率が低く、現在のように「大学新卒資格の就職要件を得るためにとりあえず大学進学しておく」とか、「大学に入って若いうちにモラトリアムの青春時代を謳歌したい」云々の不純な動機ではなくて、大学に進学して本当の意味での学問を本気で学びたい大学進学者が多かったので、昔の学識者には「本物の学問」を修めた教養あふれる現在の私達からして教えられ学ぶべき人が多い。

直接にお会いしたことはないが、書籍を介してそうした教養あふれる学識の懐(ふところ)深い先人の先生を私は生物史学者の中村禎里を始めとして何人か知っている。

本書にてもう一人の尊敬されるべき人物は、イギリスの生理学者のウィリアム・ハーヴィー(1578─1657年)である。ハーヴィは解剖学者でもあり、医師でもあった。1628年にハーヴィは血液循環論を立証した。血液循環論とは、「血液は心臓から出て、動脈経由で身体の各部を経て静脈経由で再び心臓へ戻って循環する」という説である。ハーヴィは血液循環論において、人間の身体にて血液は循環すること、かつその血液運動の原動力が心臓の拍動であることを動物学、発生学、解剖学、医学の各方面から傍証を挙げて証明した。ハーヴィ以前の生理学理論にて、古代ギリシアの医学者ガレノス(前129─200)の時代から、「血管を流れる大量の血液は肝臓で作られ、肝臓で発生した血液は人体各部を移動しそこで消費されて破壊される」と長い間考えられてきた。ハーヴィ以前の生理学では、血液の体内循環は広く想定されていなかったのである。

確かに、さらにガレノス以前の古代ギリシア哲学のアリストテレス(前384─322年)において、すでに血液の体内循環の着想はあった。アリストテレスには神の天空界の存在がもっとも完全な運動である円環運動を続けているのだから、その類似(アナロジー)で下位の人間の身体の血液運動も円環運動を続けているはずだの確信があった。「大宇宙」の天空界に「小宇宙」の人体は包含され、天体の運動と人体の運動は循環で同一であるに違いない。しかしアリストテレスにて人体内の血液循環は推論でしかなく、実証的証明の手続きに欠けていた。それをハーヴィは動物学や解剖学的な実験根拠から実証的に証明した。そうした「まず仮説があって次に検証を重ねる」の分析的な方法が、ハーヴィの一貫した思考と研究法としてあった。それは実証的で経験的な「近代科学の萌芽」といってよい。

そうして、この実証を介した血液循環論の証明に連なる以下のハーヴィのさらなる思考の深下が素晴らしいわけだが、ハーヴィは血液の体循環の実証手続きから人体の自然の内に「精密で全く無駄のない」合理性の完全な神の存在を、ある種の畏敬の念を持って見ていた。この意味でハーヴィは機械論的因果律の平板な自然観・生命観を越えていた。近代的な科学実証による血液循環の仕組みの解明を通して、その人体の働きの中に「つねに最上の方法で、先見と知恵によって、何かある目的にむかい、何かよいことのために働いている神的な第一因である自然の神性」をハーヴィは再確認する。いわば「一周まわって」前近代の古代のアリストテレス主義のような、天空界の完全な円環運動の神の摂理をハーヴィは人間の体内生理の内に再び確認するに至るのである。

この近代生物学の血液循環論の証明から、さらに一周まわって古代のアリストテレス主義の「自然の神性」へ回帰する「ハーヴィの生命観」については、著者の中村禎里により岩波新書「血液循環の発見」にて非常に丁寧に言葉を尽くして説明されている。

なるほど、ウィリアム・ハーヴィーはイギリス絶対主義時代の人であり、当時の新興商人の子でありながら医学の知識を持ちステュアート朝の国王・ジェームズ1世とチャールズ1世の侍医を務めた人であった。ハーヴィは経験実証的な、ある種の近代科学の医学や解剖学の生物学的知識と技術を持ちながら、同時に神の存在も信じる、絶対主義治世下のイギリス国王に仕えた敬虔な宗教者でもあったのだ。