アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(286)大野晋「日本語練習帳」

岩波新書の赤、大野晋「日本語練習帳」(1999年)は、初版から売れ続け累計200万近くの発行部数があるそうで、歴代の岩波新書の中でも一二を争う大ヒットとなっている。「なぜそこまで人気で売れるのか。広く読まれているのはなぜなのか!?」本書の内容を述べながら、その秘密に触れ得るところがあれば以下触れてみたい。

「どうすればよりよく読めて書けるようになるか。何に気をつけ、どんな姿勢で文章に向かえばよいのか。練習問題に答えながら、単語に敏感になる練習から始めて、文の組み立て、文章の展開、敬語の基本など、日本語の骨格を理解し技能をみがく。学生・社会人のために著者が六十年の研究を傾けて語る日本語トレーニングの手順」(表紙カバー裏解説)

本新書は「単語、文法、文章術、要約法、敬語」の五つのセクションよりなる。

単語に関しては「単語に敏感になろう」として、例えば「思うと考える」「自立と独立」の意味用法やニュアンスの相違を考えさせる「練習」と称する問題が続く。次の文法では、格助詞の「はとが」の意味用法の違いについて「練習」問題を交えての詳しい解説がなされている。

さらに文章術では「二つの心得」として、(1)強調・定義・強い断定の文末「のである」「のだ」を多用すると文章がクドくなるから最低限に使え。(2)接続助詞の「が」は順接、逆接、添加、話題の提示と様々な意味に使えて便利であるけれども、漠然とした締(し)まりのない文章になるから接続助詞の「が」は使うな。以上の二つのアドバイスが説かれる。

そして要約法については、一文ごとに前後の接続意味を見て、反復や具体例提示の不要な文章を削る。その代わり逆接や添加や総括の論旨の骨組みとなる重要な部分は必ず残して要約としてまとめる手法の教授である。最後の敬語は、尊敬語と謙譲語と丁寧語の「敬語の基本」の概要から、間違えやすい敬語の使い方の事例まで「練習」問題を交えて解説する内容になっている。

そうして本新書にある「日本語練習」の問題は全45問、各問が加点方式になっており、最終合計点でABCの3ランクいずれかの判定結果になる。最高評価のAランクの講評は、「すでに日本語についてすぐれた理解力もあり、根気もある。日本語のよい読み手・書き手になるでしょう」。逆に最低評価のCランクの講評は、「全体として読書の量が少ないでしょう。まず、好きな小説でも何でもいい、もっとたくさん読むことから始めるといいと思います」といった具合になっている。

岩波新書の「日本語練習帳」を一読して、本書で取り上げる日本語トピックに関し、事前にリサーチして十分に考えられているの印象だ。例えば文章術での「二つの心得」の内の一つ「接続助詞の『が』は様々な意味に使えて便利であるけれども、漠然とした締まりのない文章になるから使うな」の提言は、速効性ある「便利な」(?)文章改善アドバイスとしてその筋の「文章読本」にて相当に重宝されているもので、清水幾太郎「論文の書き方」(1959年)らに掲載で昔からある定番のものだ。岩波新書「日本語練習帳」の著者と編集者は執筆に当たり過去の文章術の書籍を参照し、それなりに研究しているフシは感じられる。

ただ本書は「学生・社会人のために著者が六十年の研究を傾けて語る日本語トレーニングの手順」というような大袈裟(おおげさ)な売り文句の割には、本気で「日本語練習」のトレーニングを施して読者を鍛えようというよりは、読み手に良い読後感を残すことを優先する無難な「日本語練習帳」のようにも私には思えた。

例えば、文法項目にて「はとが」の相違だけを取り上げ40ページにも渡り長々と解説しているけれど、どう読んでもあれは冗長である。格助詞の「はとが」の相違を正確に理解できたところで、「日本語が全般的に上達する」とか「日本語全体に習熟する」には到底ならないと私は思う。だが、著者も編集者も手間と時間がかかる体系的でゴリゴリの硬派な文法事項(単文と複文と重文、連体修飾と連用修飾、動詞と形容詞と形容動詞の活用だとか)をたかだか200ページ程度の新書一冊で「日本語練帳」として本格教授できるとは(おそらくは)そもそも思っていないし、実際にそれをやれば袋小路の泥沼にはまり込みそうだし読者にも敬遠されそうで、事実そうした面倒な「日本語練習」課題は本新書では見事に回避されている。

また読者の方も、本当に「日本語練習」をきちんとやりたいと思えば現行カリキュラムにて、国文法の学習は小学国語と中学国語にあり、語彙(ごい)の識別や要約や敬語の詳細な解説が小中学生の中学受験や高校受験の参考書にあることは知っていても、改めてそれら書籍を手にして本格的に日本語を基礎から徹底して学び直すような熱意もない。そうした所に「全体的な学び直し」のトレーニング本のような「日本語練習帳」という読み手の心をそそる絶妙タイトルの本新書である。

「学生・社会人のために著者が六十年の研究を傾けて語る日本語トレーニングの手順」とか言いながら(笑)、案外適当に、その場しのぎの「日本語練習」をやらせて、しかし適度な達成感は確保される著者と編集者の教える側の無難な教授の熱のなさと、中高生の国語参考書にまで遡(さかのぼ)り本格的に日本語の語彙や文法や敬語を学び直す気力はないけれど、「何となく日本語を総復習してみたい」熱のない学ぶ側の読者との、両者の日本語学習への「熱のない」思いがたまたま一致して重なり異常に増幅して思いもよらぬ好方向に跳(は)ねた所に、累計発行数200万部近くという歴代の岩波新書の中でも一二を争う、大野晋「日本語練習帳」大ヒットの風景があるように私には思えた。