アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(287)福田歓一「近代民主主義とその展望」

勉強をやりたくない10代の若い学生や、学歴に頼らず現場主義で自力で成り上がってきた社会人の大人が、「なぜ古文の文法や数学のサイン・コサインの三角関数を学校で勉強しなければならないのか!?それらを学んでも、社会に出てから何の役にも立たないではないか」とよく言うが、そういう輩(やから)には次のように親切に答えてあげるとよい。

古典文法や三角関数のサイン・コサインのような実生活にて何の役にも立たなそうな一見実用的ではない、古文や数学の理論体系を若い時分に、なぜ勉強しなくてはいけないかといえば、それは民主主義の理念を実現するためである。

第一に、近代民主主義社会においては「職業選択の自由」が保障されているので、学校教育はそれを担わなくてはならない。若者が社会に出て社会人として職業選択するときに、職種が何であれ、その業務を遂行するための知識体系を正しく理解する能力がなければ、その人は希望の職種に就けず、つまりは、その人間はすでに職業選択の自由を剥奪(はくだつ)されていることになる。これは近代民主主義における「職業選択の自由」の原則に反する。だいたい普通に考えて、古典文法や数学の三角関数のサイン・コサイン程度の抽象理論的な事柄も理解できない頭の作りの能力の人には、複雑な就業マニュアルや操作システムや仕事の段取り習得は望むべくもなく、そういう人には危なっかしくて責任ある仕事を任せることなどできない。

第二に、近代民主主義は、投票権を持つあらゆる市民が自分の主観や自分(たち)の利害を超えて客観的に国家の取るべき進路を選び得る前提によって成り立っているから、単に自身にとっての主観や希望の政策を多数決の数の横暴で押しきって少数派を無視したり抑圧したり、自分(たち)の所属集団や業界団体にのみ利するような特殊利益の追求にて国家を私することは許されず、常に少数他者や社会全体への配慮が必要となる。そうした目先の個別特殊な利益にのみ左右されない公的普遍な態度を養うためにも、学校教育での古文や数学の抽象理論体系の習得を通して、物事のプラスとマイナスの両面を複眼的に見たり、先を予測して長期展望で辛抱強く事に臨んだりの、自身の目先のことだけに捕らわれない幅広い視野や柔軟な思考を身に付けておくことが、これから社会に出る若い人には必要となるからだ。

これも普通に考えて、自分以外の他者や少数派の人々や社会全体のことや遠い将来の事まで熟慮せず、その時々の条件反射で思慮分別なく自分(たち)にとっての目先の損得勘定や快不快原則や一時的感情で投票行動に走ったり政治運動をやったり経済活動をするような人が増えれば、そういった浅薄な人たちと同伴同席する他の市民は、それはもう迷惑で堪(たま)らないわけである。ゆくゆくはそうした「民主主義」社会は自滅する。

さて岩波新書の黄、福田歓一「近代民主主義とその展望」(1977年)は硬派な政治学理論の学術新書であり、前述の「なぜ古文の文法や数学のサイン・コサインの三角関数のような役に立たない非実用的な勉強を学校でしなければならないのか!?」「それは民主主義の理念を実現するため」とするような俗っぽい問答の内容ではないのだが、本新書に書かれてある「近代民主主義の出自と原理とその展望」を熟読して自分の中で噛(か)み砕いてよくよく考えてみると、先の近代民主主義に関する二つの原則についての問答内容も、あながち的(まと)外れではないように私は思う。

特に第二の「近代民主主義は、投票権を持つあらゆる市民が自分の主観や自分(たち)の利害を超えて客観的に国家の取るべき進路を選び得る前提によって成り立つ」云々の原則に関しては、本新書にて詳しく触れられている第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制下のドイツにおける、いわゆる「ワイマールの悲劇」(第一次世界大戦後のドイツ共和制のワイマール憲法体制の民主政下で、ヒトラーのナチス・ドイツの全体主義のファシズムに「合法的」に移行していった「民主主義」の深刻問題)の記述を参照してもらいたい。近代民主主義制度について、「永久革命としての民主主義」とか「民主主義は最良(ベスト)の制度ではないが、最善(ベター)の制度である」とか「近代民主政治は悪さ加減の選択」とよく評されるが、本書を読んだ上で、それらの意味を深く理解することができれば、本新書に対し「とりあえず初歩のレベルは読み切れた」の及第点確保といえるのではないか。

岩波新書の黄、福田歓一「近代民主主義とその展望」は、青版から衣替えしての新装の黄版の第1回配本、シリアルナンバー1の最初の新書であった。岩波新書はこれまで赤版と青版と黄版と新赤版で計4回カラーを変えている。そうして各カラーの最初に配本のシリアルナンバー1の新書は、いずれも岩波新書編集部の力の入った「この新シリーズの最初の一冊目はぜひこの人にこのテーマで書いてもらいたい、書かせたい」強い思いの傑作新書となっている。これを疑う人は赤版、青版、新赤版それぞれのシリーズ最初の一冊目をチェックしてみたまえ。どれも優れた著者による名作の岩波新書だから。

そういったわけで「黄版・1」に該当の、福田歓一「近代民主主義とその展望」も期待を裏切らない名作の良書といえる。何よりも新装シリーズ黄版の最初の一冊目で政治学者の福田歓一に「民主主義」のテーマで新書を書かせる当時の岩波新書編集部の方針が心憎い。