古典のマルクス「ルイ・ボナパルトのブルュメール18日」(1852年)から、比較的近年の遅塚忠躬(ちづか・ただみ)「フランス革命・歴史における劇薬」(1997年)まで、フランス革命に関する書籍は昔から誰の何を読んでも面白い。それはフランス革命を叙述する書き手に概して優れた人が多いことにもよるが、何よりもフランス革命そのものが希(まれ)に見る画期の世界史的事件で相当に面白いからに他ならない。
近代ヨーロッパの市民革命に関する書物を読む限り、先行するイギリス革命(ピューリタン革命と名誉革命)、後続するロシア革命と比べてもフランス革命について書かれた書籍は、私には群を抜いて面白いのであった。それはフランス革命勃発背景の革命論点と周辺諸国に与えた革命余波とが、いずれもイギリス革命とロシア革命のそれらを圧倒していたことによる。
フランス革命に先行するイギリスのピューリタン革命は、「宗教的寛容」をめぐる三十年戦争以来の旧来の変わり映えのない革命論点であったし、イギリスの名誉革命における国王の絶対王政から一時的な共和制を経て立憲君主制へ移行する「政体」をめぐる争いも、英国国民の「自由」を基調とする国民性により改良主義の漸次的穏健な、今一つハジけない革命進行であった。それに比べてフランス革命は、そのつど国民議会や立法議会を構成し毎回新たな憲法を制定して旧体制を徹底的に解体し尽くしてから新しい政体に鋳直す、何となくの漠然とした「自由」の気風よりは、旧体制を激しく否定する原理的徹底性の「平等」を志向するフランス国民の急進的な政治的過激さに終始支えられていた。
そのフランス革命の「平等」への過激さは、イギリス革命にての「宗教的寛容」と「政体」の革命論点を軽く更新して、二月革命での社会主義者ルイ・ブランの国立作業場(失業者救済機関)の設置や、労働者による史上初の社会主義政権たるパリ・コミューンの樹立をなし、ついにはフランス革命は人民の「貧困」問題を革命論点にするにまで至る。
そうしてフランス革命に後続するロシア革命は、従来の市民革命の論点たる「政体」の問題に加えて、フランス革命におけるパリ・コミューンら社会主義的施策、労働者ら人民の「貧困」解消の問題を継承し新たに革命射程に含むものであったが、内陸の東欧ロシアで起きたロシア革命に比べて、西ヨーロッパ中心部で勃発したフランス革命は、ヨーロッパ周辺諸国に及ぼす革命余波の影響力の大きさが何よりも半端でなかった。フランス革命での国王処刑の共和的影響に危機感を抱いた周辺君主・貴族らの絶対主義諸国による執拗な革命干渉戦争たる数回に渡る対仏大同盟と反動協調のウィーン体制の囲い込み。他方でそれに対抗するように、北はロシアから南はスペインやエジプトにまで遠征を果たしヨーロッパ各国を手玉にとるナポレオンの対外政策。さらにフランスでの七月革命と二月革命が、ドイツやオーストリアやイタリアら周辺各国に与えた「諸国民の春」の新しいナショナリズム(自由主義と国民主義)勃興の諸々の革命の側面が多彩にあった。
以上のようなフランス革命勃発背景の革命論点と周辺諸国に与えた革命余波とが、いずれもイギリス革命とロシア革命のそれらを圧倒して、少なくとも私には他の市民革命よりも格別にフランス革命が面白いのであった。
岩波新書の青、河野健二「フランス革命小史」(1959年)は昔の新書であり、例えば柴田三千雄の近年のフランス革命研究の概要を知る者には実はそこまで良くできた書籍とは正直思えないけれど、バスティーユ牢獄への襲撃の革命開始からナポレオンによるブリュメール18日のクーデタを経て「革命は終わった」のナポレオン発言までの10年間の革命初期の時代を扱った、書籍タイトル通りの濃密な「フランス革命小史」の内容である。
本新書を読む度に、いつも「やっぱりフランス革命は面白いよな」の感慨に私は尽きる。
「一七八九年にはじまる十年間は、フランス人が世界史の主役を演じた時期であった。フランス革命は近代のあらゆる革命のモデルであり、それはまた、人間の強さと弱さ、美しさと醜さを同時にふくんだ壮大なドラマであった。簡潔な記述によってフランス革命の世界史的意義を明らかにしながら、ナポレオン登場までの全過程をとらえる」(表紙カバー裏解説)