アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(395)村上陽一郎「コロナ後の世界を生きる」

2019年以降、短期間で一気に世界中に蔓延した新型コロナウイルス感染症(COVID─19)の昨今での日本国内での深刻な影響をもとに、「コロナで世界はどう変わったか」「コロナ後の世界で私達はコロナウイルスとどう向き合っていくべきか」を問う書籍が多く出されている。岩波新書の赤、村上陽一郎編「コロナ後の世界を生きる」(2020年)も、そうしたコロナ関連書籍の内の一冊だ。本新書は24人の寄稿によるコロナウイルス感染拡大を受けての各人の現状分析や、タイトル通りの「コロナ後の世界を生きる」人々へ向けての「私たちの提言」という内容の緊急出版である。

本書にある「コロナ後の世界を生き抜くための指針」を提言する寄稿の24人は、編者の村上陽一郎が言うように「各界の第一人者二四名」であり、執筆は学者・評論家、文学者・漫画家、医師と看護師の医療従事者、建築家、日本オリンピック委員会理事、経済アナリストら錚々(そうそう)たる顔ぶれである。そのなかでコロナ問題関連で他社書籍にて、すでに何度も寄稿している安定感あるベテランで定番の人(例えば村上陽一郎や内橋克人ら)もいるが、普段は一般書籍や他社新書にはあまり書かないけれど以前に岩波新書に執筆したことから、その縁で今回寄稿した岩波新書のレーベルで主にその人の文章が読める「岩波人脈」の人達、あとはこれまで岩波新書で書いたことがないのに寄稿しており、このことから今回の新書企画で岩波新書編集部とつながりができて、今後この著者の岩波新書が出されるのでは、もしくはその書き手の岩波新書が企画進行中か目下執筆中なのではと大いに期待を持たせる、岩波新書との関係では比較的珍しい人達による文章が特に面白いと私には思えた。

前者の「普段は一般書にはあまり上梓しない『岩波人脈』の人達」でいえば、例えば藤原辰史、末木文美士、杉田敦ら。後者の「今回の新書企画で岩波新書編集部とつながりができて、今後この著者の岩波新書が出されるのではと大いに期待を持たせる岩波新書との関係では比較的珍しい人達」では、例えば御厨貴、酒井隆史、山口香らだ。

本書掲載の全24人の寄稿に全て触れることは出来ないので、岩波新書「コロナ後の世界を生きる」の中で私が読んで面白かったもの、特に印象に残ったものを軽い印象書評の体裁にて以下に短く書いてみる。

藤原辰史「パンデミックを生きる指針」は、本書の巻頭寄稿となるものだ。藤原については、岩波新書の既刊「給食の歴史」(2018年)を読んで私は著書のことは知っていた。この人は農業史が専門の人で、食や農業についての実態調査や歴史史料に基づいた社会学的考察をなす人である。藤原辰史の「給食の歴史」他、氏の著作を連続して読んで「給食から戦後日本」とか「有機農業からナチス・ドイツ」など、比較的どうでもよい日常の細かな事象(給食とか有機農業など)から歴史的に大きな事柄(戦後日本やナチス・ドイツら)を無理矢理に強引に論じる毎度の手法が、いわゆる「冗談まじめ」ないしは「まじめ冗談」の、この人の味であると私は思う。

岩波新書の藤原「給食の歴史」など、私には一読して専門学術的な「学」として幼稚すぎる。藤原辰史は最初から読者に笑いを取りに行っているわけではなく、ただ当人は極めて真面目に書いているのに結果、冗談っぽい社会学研究に自然となってしまう、この人の資質や個性から来る「冗談まじめ」なのか、逆に真面目に研究するフリをして本当はひそかに読者からの笑いを確信犯的に取りに行っている「まじめ冗談」なのか、私にはよく分からない。今回の藤原「パンデミックを生きる指針」もコロナとその周辺の問題や疫病歴史に関する案外、当たり前で無難なことを長く大袈裟にムダに力を入れて格式張って硬質に「第一は…第二は…」の箇条書きで連続させて書いており(笑)、藤原辰史の「冗談まじめ」ないしは「まじめ冗談」のいつもの味が出た巻頭寄稿ではある。

飲食業や旅行・観光業界のコロナ禍での営業自粛による経済的損失の打撃を憂(うれ)う声を受けて、経済界や政府は、緊急事態宣言の早期かつ長期間の発令をできるだけ避けたく思い、コロナ感染拡大に対して後手の消極的対応に陥りがちである。これに反して医師会や医師・看護師らコロナ治療に当たる現場の医療従事者による、コロナ感染拡大の事態を深刻化して捉える厳しい現状認識と政府への早期かつ徹底的なコロナ対策要請を繰り返しなすその姿勢の両者のコントラスト(対照)が、私はずっと気になっていた。経済界や政府には「コロナ禍による景気の冷え込み、失業・倒産件数の増加」の強い懸念があるのと同様、医師会や医療現場には「コロナ感染拡大のよる、病床確保の困難とコロナ以外での緊急患者の対応不可の後回し」という医療崩壊の危機感が絶えず強くあるからだ。「このコロナ危機で医療従事者は昼夜を問わず活動して現場は医療崩壊目前で疲弊しているのに、政府や街の人達は飲食や旅行の娯楽を変わらず謳歌して全く危機感がない」旨の医療現場からの、一般社会との温度差の恨(うら)みの声も時に聞く。

私は、経済界や政府の「コロナと共存して経済も回す」意向よりも、医療従事者の「現場の医療崩壊を何としても事前に防ぐ」施策の方が優先されるべきだと考える。そのためにはコロナ危機下にて治療に当たる医療従事者の現場の声に耳を傾けることが何よりも重要だ。この意味で本書に所収の、地域医療に取り組んでいる医師の高山義浩による「新型コロナウイルスとの共存」と、訪問看護活動を続けてきた看護師の秋山正子による「訪問看護と相談の現場から」は読むべきものがある。医師の高山義浩の寄稿にある「ワクチンに期待しすぎないこと」「利他主義に基づく連帯を築く」「感染症に強い社会へと成長する」の医学的専門知見に裏打ちされたコロナウイルスに処するための現実的な提言は、極めて妥当な正論として特に読むべきものがある。

御厨貴「コロナが日本政治に投げかけたもの」は、日本政治史専攻の御厨がコロナ危機への対応不備から日本政治の問題点を指摘するものだ。今回のコロナ禍のトピックに結び付けての、論考執筆時の内閣がまだ安倍内閣であったため「『安倍一強』の変調」の安倍政権批判や、「厚生労働相の特殊性」の日本の官僚批判、はたまた「天皇の存在感」の今上天皇が今やるべきことの要望まで正直、私は読んでいてややこじつけの感があるコロナ問題に便乗しての強引な政権・官僚批判の気もするが(笑)。しかし、これも戦後民主主義を志向する朝日新聞社と岩波書店からなる、いわゆる「朝日岩波文化」の本領で反自民の野党性の立ち位置を昔から大切にする岩波書店の書籍の読み味であるから、それとなく理解できる所ではある。

同様に多和田葉子「ドイツの事情」も、ドイツに暮らす日本人の多和田がドイツのそれと対照比較して結果、日本の政治のコロナ危機への対応の不備を暗に指摘するものである。飲食や小売業への経済支援策や、科学者の意見を聞いて全ての施策の手の内を見せてウイルス蔓延防止に努めるドイツ政府の早期の対応を当時、テレビ演説で国民に向け強く呼びかけたドイツのメルケル首相への称賛と共に論じている。この手の考察に対しては、「戦後の戦争責任論のように、またドイツと日本とを比較して海外のドイツを全面的に称賛し、代わりに自国の日本を批判し貶(おとし)めるのか!」の日本の右派保守や愛国の国家主義者達からの苦言が毎度のごとく聞こえてきそうだ(笑)。

だが、ドイツのみならず台湾やニュージーランドら諸外国と日本とのコロナ危機への対応相違についての事後検証は、それが不本意ながら結果的に痛烈な日本批判になろうとも、「日本人なのに不当に日本のことを悪く言う」云々の不満とは関係なく、必ずやらなければならないのである。コロナウイルスが諸外国で確認された時点での海外からのウイルス流入を水際(みずぎわ)にて未然に防ぐ日本の疫学的防御体制の実態、日本国内でのコロナ検査の規模と適切な科学データ作成の有無、ワクチン開発後のワクチン確保と一斉接種時の日本政府と各自治体の要領ら項目別に、やがてコロナ禍が終息した後に徹底的に検証して、反省すべき点は今後改善する必要があるだろう。

岩波新書から「生命保険とのつき合い方」(2015年)を過去に出している、元は生命保険屋で本書に寄稿時には立命館アジア太平洋大学(APU)学長である出口治明の「人類史から考える」は、「人類史」という非常に長い歴史射程から今回のコロナ禍を、ペストやスペイン風邪の流行ら過去のパンデミック(感染症の世界的流行)の歴史から考え直す趣旨のものだ。近年では出口治明は異常に著作が多く、絶えず書籍を頻繁に量産で出している。現在、この人が書き手として人気であるのは間違いない。私も世間の出口治明人気に影響されて氏の書籍を数冊読んでみたが、この人は宗教学や世界史について本当に専門的に研究し学んでいるのか、宗教史や世界史に素人な一般読者の私でも、「これは本当なのか!?こんないい加減なことを書いて活字にして本として公的に出してもよいのか」と読んでいて思わずツッコミを入れたくなるような、「宗教学や世界史が専攻のまともなプロの専門家であれば、このようなことはまずは書かないだろう。書くとしても、もう少しマシな書き方があるのでは!?」の怪しい解説記述が出口の書籍にはよくある。そのため本新書に収録の出口治明「人類史から考える」も、そこまで特におかしな変なことは書いてはいないが、日頃の私の出口の書籍への不信から、どこか信用できない微妙な読後感が正直残る。

出口治明と同様、以前に岩波新書から「政治的思考」(2013年)を出していた政治学者の杉田敦も、過去に岩波新書を執筆した岩波新書編集部との「岩波人脈」のつながりから今回は「コロナと権力」を寄稿したものと思われる。ミッシェル・フーコの権力論を参照しながら、コロナウイルス封じ込めの「緊急事態」の名目にて国家(政治権力)が無理筋に発動しようとする強権的な権力行使に警戒を見せて、そうした政治権力に対する国民による厳しい監視と、国家を超えたグローバルな人々の横の連帯を説く内容になっている。思えば、杉田敦の岩波新書「政治的思考」は相当な良書であった。杉田ほどの人なら次回も岩波新書で何か書いて出してもよいと思えるが、硬派で真面目で比較的地味で堅実な内容のため、杉田「政治的思考」はあまり売れなかったのか、岩波新書から氏の著作は(現在のところ)以後、出ていない。昨今の売れるヒットの岩波新書には、それなりの派手さやインパクトの強さも時に必要であるように思うけれども、誠実で本質的な政治学の仕事を丁寧に重ねている政治学者の杉田敦の、岩波新書からの新刊を私は心持ちにしている。

今回「コロナ後の世界を生きる」を読んで私にとって収穫であったのは、これまで岩波新書で書いたことがないのに寄稿しており、このことから今回の新書企画で岩波新書編集部とつながりができて、今後この著者の岩波新書が出されるのでは、もしくはその書き手の岩波新書が企画進行中か目下執筆中なのではと大いに期待を持たせる、岩波新書との関係では比較的珍しい人達による文章であった。「暴力論」(2001年)ら著作を持つ優れた現代思想の仕事が数多くある酒井隆史に関し、私は前より青土社の月刊誌「現代思想」での氏の論考を継続して読んでいて、昔から酒井隆史のファンであった。今回、寄稿の「危機のなかにこそ亀裂をみいだし、集団的な生の様式について深く考えてみなければならない」は、「現代思想」に酒井がいつも執筆しているような青土社風味で、岩波新書の岩波書籍にはあまりない無駄に長いタイトルではある(笑)。内容は前述の杉田敦「コロナと権力」と似て、権力論と新自由主義(ネオリベラリズム)批判の観点から、コロナ禍での現代の政治権力のあり様を総体的に論じている。

東日本大震災に伴う福島第一原発の放射能漏(も)れ過酷事故の反省と教訓から原発反対の「脱原発」を唱える人々と、彼らを原子力に過剰反応する「放射脳」と揶揄(やゆ)する、福島原発事故後でも国家が推進する原子力エネルギー政策に賛同して応援する「エア御用」の「反知性主義」の人達との現在の対立において、酒井隆史は前者の、ともすれば「放射脳」と揶揄される「脱原発」の人々を擁護して、「脱原発」の彼らを批判する後者の原発推進の反知性主義の面々と強力に対決する好戦的言動を近年ではとっている。原発反対派や在日外国人ならびに近隣東アジア諸国の人々を感性的に毛嫌いして排除しようとする保守右派の排外主義者ら、現代日本のいわゆる「反知性主義」についての酒井による最近の一連の批判的考察は非常に優れており、読んで面白い。今回の岩波新書への寄稿を縁に現代日本における「反知性主義」批判のテーマで、酒井隆史には岩波新書から是非とも一冊出してもらいたい。

酒井隆史と同様、これまで岩波新書から書籍を出したことがない、柔道家でオリンピック銅メダリスト、本書寄稿時には日本オリンピック委員会理事である山口香「スポーツ、五輪は、どう変わるのか」も読んで非常に興味深く、私は本論考から学ぶ所が大いにあった。2021年に開催予定の東京オリンピック・パラリンピックは一度の一年延期の後、本新書が出版された2020年7月の時点では予定通り開催か再度の延期か、もしくは東京オリンピック自体の開催中止か、まだ正式決定されていない。再度の延期や開催中止にした際の主催国の日本のメンツや経済的損失への懸念から、「何が何でも東京オリンピックの開催ありき」のゴリ押しの組織委員や政治家や経済人が多い中、オリンピック出場のスポーツ選手当事者と応援・観戦する観客のことを考えて、政治と経済の論理に安易に取り込まれ支配されない、延期や中止の選択可能性をも含めた「望ましい東京五輪のあり方」を模索する山口の姿勢や物の考え方に私は頭が下がる思いがしたのだ。山口香に関しても、今回の寄稿を機に「スポーツと政治」のテーマで岩波新書から彼女の書籍が今後出ることを私は期待している。

「新型コロナのパンデミックをうけて、私たちはどのような時代に突入するのか。私たちを待ち受けているのは、いかなる世界なのか。コロナ禍によって照らしだされた社会の現実、その深層にある課題など、いま何を考えるべきなのか。コロナ後の世界を生き抜くための指針を、各界の第一人者二四名が提言する緊急出版」(表紙カバー裏解説)