岩波新書の赤、三谷太一郎「日本の近代とは何であったか」(2017年)は「問題史的考察」という副題を付し、19世紀後半に活動した英国ジャーナリスト、ウォルター・バジョットの「近代」の定義を雛型(ひながた)に、文字通り「日本の近代とは何であったか」を「問題史的(に)考察」するものだ。
著者はバジョットによる「近代」の歴史的意味を、人類を「慣習の支配」から解放して「議論による統治」の確立という命題集約に見る(22ページ)。「議論による統治」を内実とする近代の立場より、「なぜ日本に政党政治が成立したのか」「なぜ日本に資本主義が形成されたのか」「日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか」「日本の近代にとって天皇制とは何であったか」の四つの問いかけからなる章立て構成にて、明治から昭和そして現代に至る「日本の近代」を考察する内容となっている。
「日本の近代とは何であったか」の「問題史的考察」 といえば、以前に近代化論の思想史研究や歴史議論があったことを私達は知っている。例えば、冷戦下での日米同盟堅持の当時のアメリカの政治的立場からして、日本の近代を容認し総体的に肯定的評価にて捉えるライシャワーの近代化論、はたまた戦後民主主義を推進する現実的立場から理念的近代を設定し、そこからの不足を厳しく糾弾するため、総じて日本の近代に否定的評価を下した丸山眞男の近代化論の両端をすでに私達は持っている。
三谷太一郎「日本の近代とは何であったか」は、そうした従来の近代化論とは少し毛色が違う気がする。つまりは、規範としての近代を明治から昭和の現実の近代日本に突きつけ、その達成具合を確認して日本の近代を肯定し称賛したり、逆にその不足の至らなさを批判して日本の特殊的「近代」の病理として問題追及したりするのではない。日本の近代を前述の四つの問いに分割し、「政党政治、資本主義、植民地帝国、天皇制」の各側面から多面的に論じてその多彩な内実を示し、しかもそれら過程を明治から大正、昭和そして平成の現代までの長い時代射程に入れて大局的に述べ総括する「日本の近代とは何であったか」の内容なのである。
なぜそのような主に四つの各側面から「日本の近代」に多面的に光を当て照らしてあぶり出し、かつ明治維新から平成の現代までの非常に長い期間にて近代日本を総論する大局的手法が本書にて取られるのかといえば、それは書き手たる三谷太一郎(1936年─)自身の実存的状況によるものと思われる。本書は著者が80歳を過ぎて書き上げたものであり、「あとがき」を読むと「昨年人生八0年を越えた私にとって、その五0年を越える部分は、学問人生であります。…学問人生の中の『青春期の学問』に対する『老年期の学問』の意味を考えてきました」「既に『老年期』を自覚していた私は、業績主義を本位とする『青春期の学問』だけでは、人生全体に対する学問の意義を語ることはできないのではないかと思い始めていました」(267・268ページ)の旨が書き入れられている。
こうした人生の暮れ方を意識し自身の学問人生の総括を日本の近代のそれに重ね、かつ「私なりの『後世への最大遺物』といえる」次世代へのメッセージまで盛り込んだ、氏がいうところの「老年期の学問」の可能性追求の立場から「日本近代そのものについて、総論的なものを目指した」(269ページ)著者による、本書は大局的見地からの日本の近代についての考察となっているのであった。
本新書では各章にて、明治国家の立憲主義の出自に幕藩体制の権力抑制均衡メカニズムがある指摘(42ページ)や、朝鮮の植民地統治体制のイニシアチブをめぐる内閣と陸軍と枢密院の主導権争いの実情(154ページ)、西洋での精神機軸たるキリスト教の機能的等価物に天皇制を「我国の機軸」として活用すべきとする伊藤博文の構想(213ページ)など、日本近代史にての定番の議論や有名エピソードをふんだんに織り込んでおり、「日本の近代とは何であったか」における「日本の近代」の内実が多様な要素を含むものであることが読み手に伝わって大変に示唆に富む。読み手に日本の近代の自由や民主的側面についての多面性を感じさせるものであり、その点で著者による本書での記述は「日本近代に関する総論的考察」として一定の成果を収めているといえる。
特に第一章「なぜ日本に政党政治が成立したのか」における、「そもそもなぜ日本に複数政党制が成立したのかという問題を取り上げることが必要だ」(37ページ)とする指摘から、明治国家の立憲主義を権力分立制と議会制とし、それらの出自を幕藩体制下における「合議制による権力の抑制均衡のメカニズム」(42ページ)に求める考察は出色(しゅっしょく)である。そのような「明治憲法は表面的な集権主義的構成にもかかわらず、その特質はむしろ分権主義的」であったが、逆に「明治憲法が最終的に権力を統合する制度的な主体を欠いていた」(71ページ)という深刻な問題を持ち、そのため現実には日本の近代は「満州事変や五・一五事件に象徴される一九三0年代初頭の相次ぐ内外からの衝撃」によって、明治国家以来の議会制による政党政治は否定され、専門家組織の支配を志向したデモクラシーなき立憲主義、つまりは「立憲的独裁」に取って代わられたとする(78・79ページ)。
そして、その戦前昭和の議会否定の「立憲的独裁」の翼賛政治を、今日の2000年代以降における自公連立政権による議会軽視の風潮と政党政治が機能不全の政治状況に結びつけ、現代政治における「立憲的独裁」傾向に警戒と懸念を表明しつつ、以下のように述べて「立憲的独裁」に「立憲デモクラシー」を対置して対抗させようとするのであった。
「私は、今後の日本の権力形態は、かつて一九三0年代に蝋山政道(ろうやま・まさみち)が提唱した『立憲的独裁』の傾向、実質的には『専門家支配』の傾向を強めていくのではないかと考えています。これに対して『立憲デモクラシー』がいかに対抗するのかが問われているのです」(80ページ)
こうした「日本の近代とは何であったか」の歴史的考察を経て、さらに現代政治状況に対する懸念や今後の見通しにまで繋(つな)げ述べ伝える所が長い人生を送ってきたからこそ、その経験の大局的見地から総論的に概論できる、前述引用にての「学問人生の中の『老年期の学問』の意味」や「私なりの『後世への最大遺物』といえる」次世代へのメッセージという著者の思いの見事なまでの体現となっている。ここに著者がいう「老年期の学問」の可能性を確かに読み取ることできる。
当然、先の議会否定の「立憲的独裁」に対抗させる「立憲デモクラシー」は、本書の基調たるバジョットによる「近代」の命題「議論による統治」に理論的根拠を持っているのだが、第一章「なぜ日本に政党政治が成立したのか」にて、バジョットの「議論の統治」による「近代」を肯定的に捉え、今後の「立憲デモクラシー」を支える理念として最大限利用しはするが、しかし他方で第三章「日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか」の「植民地帝国」形成の文脈においては、以下のように先進国の途上国に対する不平等条約の締結強要や、先進国による途上国に対する露骨な植民地化たる政治的軍事的経済的支配といった「厳然たる事実」を述べて、バジョットによる「議論による統治」の「近代」化の欺瞞(ぎまん)を見抜き相対化して否定的に捉える。こうしたバジョットの「近代」を複眼視している所にも、人生の経験者たる著者による「老年期の学問」の更なる奥深さを感じさせて、本新書を読む者に良い読後感を着実に残すのだ。
「このように、バジョットはもっぱら『貿易』と『植民地化』を『慣習の支配』の変革要因として、その限りでの『議論による統治』、すなわち近代化の促進要因として注目しています。しかし同時代の英国の『貿易』には、後年の英国の経済史家が『自由貿易帝国主義』と呼んだような側面があります。すなわちそれは、後進国に対する不平等な通商条約を通して、相手国側に関税や領事裁判権などの不利な通商条件を課し、自由貿易の拡大による不当な収益を追求する方法です。またバジョットが強調した『植民地化』に伴う文化変容は、植民者が原住民の文化を尊重したことの結果ではなく、植民地帝国による政治的軍事的経済的支配の結果であったことは厳然たる事実です」(30ページ)