アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(341)サマヴィル「人類危機の十三日間」

岩波新書の青、サマヴィル「人類危機の十三日間」(1975年)は、「キューバ危機」を題材にした戯曲である。ここでまず「キューバ危機」の概要を確認しておこう。

「キューバ危機とは、1962年10月から11月にかけてソビエト連邦が反米親ソであった社会主義国・キューバに核ミサイル基地を建設していることが発覚し、アメリカ合衆国がカリブ海でキューバの海上封鎖を実施して、米ソ間の緊張が高まり核戦争寸前まで達した一連の出来事をさす。冷戦の一つのピークとなった事件である」

1962年夏、ソ連とキューバは極秘裏に軍事協定を結び、ソ連はキューバに発射台、ロケット、戦車を送った。アメリカは偵察飛行で核ミサイル基地の建設を発見。直ちにキューバを海上封鎖(キューバ海域近辺の公海上に設定された海上封鎖線に向けて航行するソ連の貨物船に対し、アメリカ海軍艦艇が臨検を行うこと。臨検に従わない貨物船に対しては警告の上で砲撃を行うこと)し、核ミサイル基地の撤去を迫った。一触即発の危険な状態に陥ったが、当時のアメリカのケネディ大統領とソ連のフルシチョフ第一書記とで書簡でやり取りし、最終的にソ連が核ミサイルを撤去してこの危機は終わった。また、消息筋を介した不確かな情報の錯綜(さくそう)、誤報の連続や双方の心理的な疑心暗鬼にて両国が意図せぬ形で事実上の「最後通牒」を出す開戦攻撃の手前まで行ったことから、これを期に米ソ間でホットライン(政府首脳間を結ぶ緊急連絡用直通電話)の開設がなされ、不測の事態による突発的でなし崩しな軍事衝突を防ぐための対策が取られた。

キューバ危機は、米ソ冷戦下にて両大国の最大の緊張の高まりであり、そのまま事態が推移すれば米ソ間の全面核戦争にて人類は滅亡危機の破局の重大局面を迎えたとされる。しかし、実際はすんでのところで米ソ間での全面核戦争には至らなかった。キューバ危機をして「人類危機の十三日間」とされる所以(ゆえん)である。

アメリカ側のケネディ大統領は、クレマンソーの言葉「将軍たちに任せておくには、戦争は重要すぎる」を常に頭に置いて外交的解決を目指した。しかし開戦強硬派を押さえられる自信はなく、米ソ開戦もやむを得えない、泥沼の全面核戦争突入は避けられない諦(あきら)めの気持ちで開戦準備も同時に大統領はしていた。キューバ危機の1962年からわずか一年後にケネディ大統領は狙撃にて暗殺されている。ケネディ暗殺の背景にはキューバ危機への対応に不満を持ったアメリカ国内の軍関係者と軍需産業の業界人らの意向の暗躍があったとも言われる。ケネディ大統領は実弟のケネディ司法長官と共に、キューバ危機にてキューバへの空爆・侵攻とソ連に対する核先制攻撃への気分に傾く前のめりな国防長官や軍の将軍らを叱責しいさめ、彼らの戦いの矛(ほこ)を収めさせたとされる。このことから「若くしてアメリカ大統領のリーダーシップを発揮し、米ソ冷戦下にて理性的に決断対処し人類滅亡の全面核戦争の危機を回避して国際平和に貢献した」のケネディの良イメージが後のケネディ暗殺の悲劇に重ね合わされ定着した。実は実弟のケネディ司法長官も兄と同様、キューバ危機から六年後に不可解な銃撃にて暗殺されている。キューバ危機の事態収拾に奔走(ほんそう)し、若くして凶弾に倒れたケネディ大統領と弟のケネディ司法長官のケネディ一族のファンは現在でも多い。

他方、ソ連側でも、キューバの最高指導者であるカストロは前よりアメリカとの対立を深め、その分、ソ連に接近し親ソに傾いており、キューバ危機に際しカストロはアメリカとの戦争を断然やる気で反攻と対米開戦にてソ連のフルシチョフを焚(た)き付けた。フルシチョフは、そうした好戦的で後先のことを何ら考えない直情的なカストロに不信感を抱き、やがてソ連はキューバから距離をとり離れていくようになる。

そうしてキューバ危機以降、米ソ冷戦は新たな次の段階に入る。すなわち、米ソ両国は表向き対立は続いているファイテング・ポーズはあくまでも崩すことなく、だが互いに滅亡に至る全面核戦争を回避するような道を共に模索し始める。キューバ危機の翌年に部分的核実験禁止条約が米ソ間で締結され、やがて危機管理の方法の確立から核不拡散の共通利害を共有するとの認識へ至り、デタント(緊張した国際政治関係の緩和。いわゆる「雪どけ」)の国際世論の流れを形成していった。

さてサマヴィル「人類危機の十三日間」は、以上のようなキューバ危機に関する書籍の古典として昔から広く知られ推薦図書によく挙げられるけれども、本書に対する私の評価はそこまで高くない。サマヴィル「人類危機の十三日間」に関しては少なくとも以下の問題点を指摘できる。

(1)本作は戯曲(演劇上演のために執筆された脚本形式の記述)であり、全四幕の構成で大統領を始めとして国防長官やCIA長官や国連大使や将軍や駐米ソ連大使が語るセリフで構成された台本小説のフィクションのような書き方になってしまっている。関係者から得た証言や回想の厳密取材に基づいたルポタージュや報告(レポート)の書式でないため、戯曲という書き方の形式からして本作を読んでいて一貫してフィクションの嘘っぽさの悪印象がどうしても拭(ぬぐ)えない。

(2)著者のサマヴィルが反戦平和の理論家としての自身の思想信条の政治的立場からキューバ危機における両国の国家指導者への痛烈批判へと自然に流れ、結局のところ、当事者であった特に当時のアメリカの政治指導者(大統領や国防長官や将軍ら)のことを「かなり浅はかで考えなしな好戦的な人達」として悪く無能に書きすぎる筆致に傾いてしまっている。サマヴィルによれば、

「かくも優秀有能な指導者たちが(ソ連に対して開戦の最後通牒を出すという)、どうしてあのような決定を行ったのであろうか、…私見をいえば、彼等もまたパニックを前に心動転し、核兵器という新情況下では、単に危険なばかりか、自殺的ですらある古い思考習慣や古い態度の、やはりその犠牲者だったのではなかろうか。彼等は結果についてもよく知っており、その決定の結果は世界の滅亡であろうことも、事実わかっていたのである。にもかかわらず、依然として古い思考習慣や態度と訣別することができなかったのだ。まさにそれこそが真の悲劇である。一切の絶滅をおびやかすあの恐るべきキノコ雲のように、今日なお依然として人類の地平線上に、低く垂れこめている危機なのである。そしてそれは、私たちが新しい真理に直面し、その教訓を学びとるまで、つづくことであろう」(「まえがき」)

あたかもアメリカの政治指導者たちはキューバ危機に際して、「核先制攻撃症候群」のような誇大な思い込み(「このままでは相手国の先制核ミサイル攻撃により我が国が最初に滅びてしまう。自分達が滅亡しないためには、それ以前にこちらから核先制攻撃を仕掛けなければ」の切迫した根拠なき妄想)の渦中でノイローゼでパニックな、正常な理性的判断が出来ない病的状態にあったとサマヴィルはする。しかし、双方共に一触即発の危険な状態に一時的に陥りながらも、当時アメリカのケネディとソ連のフルシチョフとで書簡でやり取りし、最終的にアメリカがキューバ基地への空爆を思いとどまり、ソ連がキューバ基地に配備予定の核ミサイルを撤去して全面核戦争の危機を事前に止めた理性的かつ冷静な事態の結末から逆算し考えて、そうした「彼等もまたパニックを前に心動転し、自分等の選択決定の結果が世界の滅亡であることを事実わかっていたにもかかわらず、依然として古い思考習慣や態度と訣別することができなかった」旨のサマヴィルの時事分析には疑義が残る。このことは、キューバ危機に関する本新書以外の他著も同時に幅広く参照してみるとよい。

また続く後半最後の「そしてそれは、私たちが新しい真理に直面し、その教訓を学びとるまで、つづくことであろう」云々の氏の書きぶりよりして、キューバ危機からの「教訓」の引き出しや核兵器廃絶を柱とする「反戦平和」の自身の主張をサマヴィルが大々的にやりたいがために、当事者であった特に当時のアメリカ側の政治指導者を「かなり浅はかで考えなしな好戦的な人達」として不必要なまでに露悪的に無能に書きすぎる傾向の難点が、サマヴィル「人類危機の十三日間」にはある。

(3)もちろん、私は核不拡散や核兵器廃絶や反戦平和の理念そのものを否定したりはしない。むしろ、それに積極的に賛同して支持する立場の人間だ。だが、本書全体に一貫して漂う著者のサマヴィルの核兵器廃絶や反戦平和の説教が、自分達が軍事物質的なだけでなく、精神心理的にも相手に対し優位に立ちたい現実の国際政治での米ソ間の細かな駆け引きや国際政治における事務的処理の慣例の現実政治を何ら踏まえておらず、当事者全員にとってのリスクとコストの共通利害を押さえた上でなされる最終意思決定たる海千山千な現実政治の実態を本キューバ危機に即して考察せずに、いきなり「核兵器廃絶」や「反戦平和実現」の理念を米ソ冷戦の現実状況に対置させて超越的に現実批判してしまっている。いわば「現実状況に対する理念規範の突っ込ませ方の接続具合が噛(か)み合っていない」ため、話の方向性は間違っていなくとも読んでかなり無理筋で唐突で雑な議論の印象を受ける。

例えば、今日では北朝鮮という国がよくやっているが、敵対する韓国やアメリカとの緊張対立を故意に自分達から高めて、しかし破局的局面にいよいよ突入する寸前で自身からわざと引いて「半(なか)ば自分達のメンツがつぶされた」形で引き下がり、その事で敵対する相手国に心理的な「貸し」を作って精神的に優位に立つ、もしくは次回の交渉にて「メンツをつぶされだけれど、こちらが損をかぶって理性的に大人の対応をした」の前回の「貸し」をちらつかせながら自国に有利な外交交渉の流れに強引に持ち込もうとする。こういったことは国際政治にて昔から常識で常套(じょうとう)なやり口の政治手法であり、今日の北朝鮮だけではなくて、冷戦下での米ソ両国でもキューバ危機のみならず、よくよく分析精査してみれば、こうした国際政治の外交テクニックは実のところ重大政局にて米ソ双方ともに繰り返しよく使っている。

否(いな)、こうした交渉術は国際政治の外交だけでなく、ヤクザ組織間での抗争と手打ちや、私のようなカタギの一般人ですら手強い相手との交渉時には、たまににやる。あえて双方にとってピンチで危機的な状況を半ば故意に誘導し作成して大袈裟に危機を煽(あお)っておいて、しかし、いよいよの土壇場でこちらが損を承知であえて責任をかぶり一方的に引いて、相手に「すまない申し訳ない気持ち」の精神的罪悪感の「貸し」を作り背負わせた上で、次回の別の事案の交渉時に前回の「貸し」をちらつかせながら、こちらが前に自分のかぶった損失以上の利益を暗に相手から引き出し強引に返させる交渉テクニックである。

以上のような国際政治や日常的な人間関係における海千山千の生々しい交渉技術(テクニック)の駆け引きを著者のサマヴィルは哲学者であり平和運動家の知識人であるが、ほとんど知らない。

本作では、ハーバード大学インターン生のスティーヴという人物が登場する。戯曲中での彼のセリフが著者のサマヴィルその人の語りをそのまま代弁している。そういった役回りを担わされた人物である、本戯曲内でのハーバード大学の学生、スティーヴは。スティーヴのセリフは「米ソ両国の日頃からの信頼関係構築の大切さ」や「大国エゴイズムを超えた人類規模での反戦平和への取り組みの重要性」の主張が主で非常に観念的であり、おまけに説教くさい(笑)。全体に理想主義的な理念先行の感が拭えず、岩波新書の青、サマヴィル「人類危機の十三日間」には国際政治の現実を著者が熟知していない、世間知らずで青臭い残念な思いが読んで一貫して残る。