アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(91)稲葉峯雄「草の根に生きる」

岩波新書の青、稲葉峯雄「草の根に生きる」(1973年)は、何よりもまず題名が良いと思う。「草の根に生きる」である。私も自身のこれまでの人生を振り返り、地道に堅実に周りの人々と連帯しながら「草の根に生きる」まっとうな人間としての生き方を実践できたら、といくばくか思わないことはなかった。本新書は「愛媛の農村からの報告」という副題が付いている。保健所の一職員、衛生教育係たる著者が、福祉や保健衛生行政から事実上、取り残された1960年代当時よりの「愛媛の農村」のありのままの姿を記録し「報告」したものだ。

例えば、第Ⅰ章「衛生教育係として」にてあるように、当時の地方の男尊女卑の封建的風潮の残滓(ざんし)から男性が女性の健康に配慮せず夫が妻の避妊の要請を聞き入れてくれない、受胎調節が実行されない、いわゆる「家族計画」不備の問題があった。また農村や離島にて、身体に不調があっても農繁期や漁の繁忙期には時間がないからと医者にかからず勝手に我慢してしまう。かといって農閑期や漁の閑散期になっても、今度は「医療費がもったいないから」と金銭を惜しんで病気や怪我を放置したままにする。ないしは自己流の民間療法で済ましてしまう人々の意識の問題があった。そのような農村や離島では当然、定期検診の定着率も低い。「予防医学」の概念が地域医療に浸透していないのである。

当地の「衛生教育係」に赴任した著者にとって、まずは地域の人々のそうした「健康への意識の問題」があった。そのため著者は各地区担当の保健師や医師と連携し、いわゆる「地区めぐり」の巡回訪問の履行、定期的な読書会の開催や会誌の発行を通じての「啓蒙」活動を重ねる。また人々のそうした健康意識の問題以外にも、第Ⅱ章「地区診断とともに」で浮き彫りとなった「へき地の健康破壊の実態」があった。そういった厳しい現実を踏まえての、部落の下水道完備や便所改善などの環境衛生を役所に訴えていく「地区診断の一0年」の運動仕事があった。

そこには行政の無理解、非協力という極めて困難な状況のもとで同時に地域の人々の官尊民卑や従属惰性の心性をも戒(いまし)めながら、住民の健康と生活を危惧(きぐ)し、その衛生状態改善と健康増進のためにひたすら献身的に働き、現在から見ても多くの先駆的な仕事を残した著者を始めとして保健師、看護師、若い医師、地元青年団の人達の姿があった。すなわち、第Ⅲ章の「草の根に生きる」人々である。第Ⅲ章「草の根に生きる」は、さらに「W保健婦の死」や「M公民館主事と健康な町づくり」や「Tさんと農村健康問題懇親会」の節からなる。特に私は「W保健婦の死」における、「W保健婦」こと和田さんの保健師として地域医療に献身しながら志半(こころざし・なかば)にして亡くなった彼女の無念についての一連の記述が初読の時から印象に残って、ずっと忘れられない。和田さんの「草の根に生きる」人間としての生き様は読後も強く深く心に残る。

そののち第Ⅳ章「闘いの日々のなかで」の最終章を経て、最後に「むすび」にての著者の言葉で本新書は終わる。著者の稲葉峯雄は愛媛の生まれである。小学校を卒業後、中国・九州地方を放浪し、後に大陸の大連に渡り満州部隊に入隊。ソ連国境から沖縄に転戦し、宮古島で敗戦を迎えて捕虜となる。復員後は郷里で青年団運動に参加し、県下の山村や離島を行脚。その後、宇和島保健所勤務となり、後に県庁医務課勤務となって一貫して地域の健康を守る活動に従事した。

愛媛生まれの著者には郷土への、同じ愛媛の中でも、とりわけ南予(愛媛県の南部)の地方と人々についての深い愛着の思いがあった。そうした著者の郷土に対する強い思いは、本新書を読んで至る箇所にて強く感じられる。しかしながら、その一方で「自分は中央から派遣の役人である。そのため地域の人達と本当の意味でつながっていないのでは」というような葛藤の思いも正直あった。例えば、前述での「W保健婦の死」の節にて、地元密着の保健師の和田さんからの「さあ、ここからは私のほうが稲葉さん(註─著者)より偉いんじゃけん。私のあとについてくるんですよ。今夜はどうしても私が稲葉さんを案内したくて」というような発言がある。結局のところ、自分は中央の役所に属する、地元の人に地域を「案内」される中央から派遣された「偉い」役人である。地域の実情を本当はよく知らないし、部落の人達も自分には本音で接しない。明らかに住民との間に人間的距離があった。だから、著者は「むすび」にて自身の地域医療への取り組みを総括して次のようにも述べる。

「私が一八年の衛生教育係のなかでもっとも闘った相手こそが、『役人であるもう一人の自分』であったわけです。このことについて身近な人たちからは『それほど自分を苦しめてまで役人がいやなのなら、なぜやめないのか』とも言われました。役人が悪人だというわけではありません。どんな役人であるべきかの迷いとの闘いが、私にはありました。しかし私の周囲には、医師と闘う医師や保健婦と闘う保健婦が、一人また一人とふえてきました。もちろん役人のなかにも、私のように役人と闘う役人ができてきました。つまり、自分と闘うことの勇気や試練こそが、みんなが生きることの正体であることを、少しずつ、農村の一角から、そこで働く人々によって、わからされてきたのです」

そして、本書の結びの結語が以下である。

「この本を読めばおわかりのように、この本の本当の著者は私ひとりではありません。この本に登場する人たち、そしてそのまわりにいる愛媛の農村や都市に生活するすべての人たちが、この本の著者だといってよいと思います。私は人一倍孤独であったから、みんなといっしょに生きるために、自分のなすべきことを夢中に探し求めてきただけなのです」

自分は役人である。「役人であるもう一人の自分」への内的葛藤を持ち、自身と孤独に闘いながらも地域医療に献身従事して、「私は人一倍孤独であったから、みんなといっしょに生きるために、自分のなすべきことを夢中に探し求めてきただけなのです」。これこそが著者・稲葉峯雄にとっての「草の根に生きる」、人間としての欠けがえのない誇りの内実であるように私には思えた。