アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(177)川崎泉「動物園の獣医さん」

世の中には自分の知らない職業や知っている職種でも裏側の本当の仕事のあり様は一般に知られていないものが多く、社会にて働く人が従事する様々な仕事の話を聞いたり読んだりするのは面白い。

岩波新書の黄、川崎泉「動物園の獣医さん」(1982年)も、そういった分野の新書だ。これは上野動物園の獣医師である著者が記した、個々の動物との接触や日々の仕事や作業での出来事を介した獣医師としての奮闘の記録である。しかし、動物園での様々な動物たちとの毎日のふれあいの楽しさや、いつも動物と一緒に居られる喜び、獣医師の仕事のやりがいの経験記録だけを本書から読もうと期待すれば、読み手はたちまち冷水を浴びせられる。もちろん、本書には飼育繁殖の過程での新たな命の誕生とか、野生動物であるのに様々な事情で人間である飼育員が人工的に哺育(ほいく)せざるを得ない「人工哺育」、飼育動物のケガの治癒の喜びのエピソードもあるが、全体には真面目で緊張感が漂う厳しい「動物園の獣医さん」の仕事の記録である。

それは以下のような「はじめに」にての著者の書き出しに象徴されている。「動物に対して私たち獣医師は一方的、不本意な形で触れ合わざるをえない」旨の冒頭に置かれたやや悲観的な文章を読んで、やがて本書にて展開されるであろう動物園現場の獣医師の仕事についての厳しい内容を読み手は否応なしに予測させられるのだ。

「上野動物園の獣医師が動物たちを診(み)るとき、その行為は決して優しい態度とは言えません。…獣医師が動物に接する手段は、多くのばあい彼らに対して一方的です。足が悪いと思えば、歩かせたり走らせたりしてその度合いを診ます。おなかをこわしていれば、部屋へ追い込み、そして閉じ込めたりもします。検査だ治療だといって網を掛けたり、治療檻(おり)で押さえつけたりします。そして麻酔銃を撃ったり、さらに切ったり縫ったりするのが私たちの仕事です。ですから、精一杯抵抗する彼らに、こうして係われば係わるほどますます嫌われていくことになるのです。獣医師と動物との関係は、動物園のもつほんの一面にすぎませんが、そこに住む動物たちと不本意な形で触れ合わざるをえない現場の一端をここにご紹介いたします。そのことが、多様な面をもつ動物園を知っていただくために、多少とも役立てばうれしいと思います」(「はじめに」)

「ですから、精一杯抵抗する彼ら(動物)に、こうして係われば係わるほど(獣医師は)ますます嫌われていくことになるのです」。ここには私たち観客が日常、動物園に出掛けて動物たちを見て時に触れあって「可愛い、楽しい」だけでは終わらない、裏側の「動物園の獣医さん」の仕事の責任と自覚がある。特に「Ⅱ・捕獲」や「Ⅲ・麻酔」の章を読んでいると、「そもそも野生動物には檻(おり)などなく勝手に移動し定住し自給自足で、人間に見られたり干渉されることなく自然に暮らしているのに、なぜ人間がわざわざ動物を捕獲し保護して動物園を作り、出産やケガの治療や延命や死の看取りまでやるのか」。そうした矛盾の疑問に著者自身が突き当たっているフシがあるように思える。著者その人が「動物園の獣医さん」であるにもかかわらず。

その辺の突き詰めた真面目さが、岩波新書の川崎泉「動物園の獣医さん」には一貫して言外に流れているため、本書は時に緊張感ある筆致になっている。だが、そのようなシリアスな側面も押さえつつ、全体には動物園での獣医師と動物たちとの本書収録の各エピソードを楽しんで読めれば、それが最良だ。

そう、私達が普段楽しみにして動物園に出掛け動物たちを見るように。実際に動物園に行って動物を眺めているのは楽しい。私は昔からよく動物園に遊びに行き、一日時間を過ごしていた。動物と接するには、もちろん人間の立場からしての動物への責任義務はあるし、「動物に対し私たち人間は一方的に干渉しているだけで、動物からしてみれば決して望んではいない、いささか迷惑で不本意な形での人間との触れ合いなのでは」と時に思わないこともないけれど。

現在、私はアメリカン・ショートヘアのアメジローと暮らしている。毎日ネコと一緒に寝たり、ご飯を食べたりで寝食を共にするのはそれなりに楽しい。「動物は人間の友」ということを、どちらかといえば私は信じたい。