アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(176)鶴見俊輔「思い出袋」

ある特定の人の自伝やエッセイや雑文集の分野の書籍が好きで、既読で内容は知っていて既に何度も読んでいるのに、いつも出先に携帯して細かな空き時間に読み返してしまう。繰り返し読むので内容も文面も覚えてしまっているのだけれど、なぜか何回も読み返してしまう愛着ある書籍が自分の中に何冊かある。

書物の内容よりも書いたその人が好きで人柄に惚(ほ)れているので何回読んでも苦にならない、むしろ読み返して安心する。確かに、それら自伝やエッセイや雑文集の書籍には殊更(ことさら)ためになる情報や教訓、一般人があまり経験できない特殊な読んで面白い事柄が書き入れられているわけではない。しかし、何度も反復して読んでしまうのだ。書き手の人柄に惹(ひ)かれて、そのように愛読して愛惜する。なぜか著者の人柄に惹かれてしまうのである。「人間的に気が合う」というか。言葉ではうまく説明できないが、読書以外の日常生活でも人には、なぜか不思議と「ウマが合って」仲良くなる知り合いが必ず一人か二人はいるものである。

岩波新書の赤、鶴見俊輔「思い出袋」(2010年)も、それら定番愛読の書物に加わる。鶴見俊輔(1922─2015年)には、もちろん面識はないし実際にお会いしたこともないけれど、読書を介して「私は鶴見さんには大変にお世話になった」。鶴見逝去の報に接した際、「ありがとう、鶴見俊輔」といった静かな心持ちであった。

鶴見俊輔といえば、まずは思想論の卓越した手さばきの凄さだ。これを疑う人は例えば岩波新書の青、久野収と共著の「現代日本の思想」(1956年)を今更ながら無心に読んでみたまえ。鶴見俊輔の凄さを実感できるから。鶴見は、思想そのものを有機的に内在的に論じることが出来た数少ない戦後日本の知識人の一人であった。ほとんどの人は思想(家)を語るに際し、「その人物が何を発言し執筆し、どう行動したか」とか「その思想流派にどのような利点や限界があったか」などの箇条書き的羅列の醜態でだいたい終わる。そういうのは、本当は正式な「思想(家)論」ではない。せいぜいのところ、思想引用の「思想(家)の紹介」でしかない。だが、鶴見俊輔は思想そのものを内在的に有機的に総体にて掘り下げて深く論ずることが出来た。例えば、鶴見と久野と藤田省三の座談の共著「戦後日本の思想」(1959年)にての「近代文学」同人に対する時間感覚の目盛り適用の鶴見の分析指摘は、今読んでも鮮(あざ)やかという他ない。

「近代文学」同人に関して言えば、鶴見俊輔は埴谷雄高「死霊」(1946年)の読み解きにも卓越していた。埴谷「死霊」の文芸批評は鶴見俊輔以外にも吉本隆明らがやっている。ただし、埴谷雄高「死霊」から本筋を遡(さかのぼ)って夢野久作「ドグラ・マグラ」(1935年)の「胎児の夢」云々から暗に始める鶴見俊輔の手際(てぎわ)に、私は以前に感心した思い出がある。夢野の「ドグラ・マグラ」は近年では定番傑作の日本幻想文学の古典として多くの人に読まれているけれど、昔はそこまで知られていなかった。壮年たる47歳の早くに急逝した夢野久作の存在そのものが「知る人ぞ知る」のマニア向けの幻想カルト文学な所が正直あったのだ。鶴見俊輔は夢野久作を発掘し前から評価していた。この人の仕事の柱の一つに大衆芸術論があるけれど、無着成恭(むちゃく・せいきょう)「山びこ学校」(1951年)の「生活綴り方運動」の理論的評価を定めて世に広めた大衆運動普及への鶴見の功績もあった。

鶴見俊輔に関し、特に尊敬すべき所は氏の人当たりの良さだ。鶴見主宰の「思想の科学研究会」同人には優れた人が多い。宗教思想史専攻でキリスト者の武田清子や、理論物理学者の武谷三男と渡辺慧らが、私は特に好きなのだが。鶴見俊輔と久野収の「思想の科学研究会」を切り盛りして共著の仕事を重ねる二人の友情にも感嘆すべきものがあった。鶴見にはそれほど強烈な同人らとの不和や決別、批判論争などないような気がする。同世代人で、ほぼ生年死去も活動年月も一致して重なる吉本隆明(1924─2012年)のような目立った切った張ったの丸腰ケンカ的な派手な立ち回りは鶴見にはなかった。

「鶴見俊輔座談」全十巻(1996年)が晶文社から以前に出ていたけれど、あの鶴見俊輔の人当たりの良さ、相手を受け入れる語り口の軟らかさ、この人は他者を尊重できる穏やかな懐(ふところ)の深い人である。その分、鶴見の自伝を読むと、若い頃から何度も鬱(うつ)病や結核を発症し自殺未遂も繰り返すなど満身創痍(まんしんそうい)な身心ともに「傷だらけの鶴見俊輔」であったらしいが、とにかく久野収を始めとして周りの知人や友人らには情誼(じょうぎ)を尽くした。鶴見は戦前にアメリカに私費留学できるほどの、もとから裕福な家庭の生まれで育ちが良い人であった。鶴見俊輔の祖父は、台湾総督府民政長官と満鉄初代総裁を歴任した政治家の後藤新平である。

黒川創「鶴見俊輔伝」(2018年)表紙の昔の鶴見の正装写真が、私は好きだ。若い頃から鶴見俊輔は鶴見俊輔なのであった(笑)。後の壮年や晩年の鶴見を思い起こさせる鶴見の面影(おもかげ)がある、若い時代の鶴見の風貌写真である。また、みすず書房の「鶴見俊輔書評集成」全三巻(2007年)を、私は以前に書評を書く時どのように書けばよいか分からなくて、その内容ではなく書評の書き方形式を会得するために分析的に研究して読んだことがある。その意味でも、読書を介して「鶴見さんには大変にお世話になった」。

私は若い頃はあまりに物事を知らなさ過ぎて、焦って半(なか)ば強迫的に出来るだけ様々な分野の多くの書籍を読もうと努力していたのだけれど、ある程度の年齢を重ねてくると、「あれこれ雑多にガチャガチャ読み散らすよりは、自分にあった書き手や分野の書物を厳選して繰り返し精緻(せいち)に読み重ね、その思想や思考のエッセンスを丁寧に析出し自分の中に沈殿させ重ねて満たしていきたい」の静かな思いが強くなってきた。岩波新書の鶴見俊輔「思い出袋」も、そういった繰り返し読んで満足できる書籍の一冊である。私は鶴見さんの書いた本よりも、鶴見俊輔その人が実は好きなのである。

最後に岩波新書の赤、鶴見俊輔「思い出袋」の概要を記しておく。本書は書かれた話の面白さよりも、文面を通してにじみ出る鶴見俊輔の人柄を愛惜して味わう新書であると思う。また鶴見俊輔「期待と回想」上下巻(1997年、後に合本にて一冊で文庫本化されている)も、鶴見の人柄がにじみ出る評伝語りの良書であり、岩波新書「思い出袋」に加えて私は強く推薦します。

「戦後思想史に独自の軌跡をしるす著者が、戦中・戦後をとおして出会った多くの人や本、自らの決断などを縦横に語る。抜きん出た知性と独特の感性が光るこの多彩な回想のなかでも、アメリカと戦争の体験は哲学を生きぬく著者の原点を鮮やかに示している。著者80歳から7年にわたり綴(つづ)った『図書』連載『一月一話』を集成に、書き下ろしの終章を付す」